一・十四話 誰でもない(前編)
地響きを鳴らしてオレたちの目の前に現れた黒い巨石の魔物、黒岩大人形。
目の前といっても距離としてはまだだいぶ離れてはいるが、そんな事は関係ない。
生き物としての気配が全く無いのに遠くからでも伝わってくるこの威圧に、オレは思わず一歩後ろに引く。
「お、お兄様……あれは一体……」
「ふむ、あれは黒岩大人形という魔物で、岩人形の種類の中では上位の強さを持つ強者だ」
オレが圧倒されている間にルウナの問い掛けに代わりに答えてくれたリアンだが、問題は何故そいつが今街中にいるのか。
だけど、周りにいる全員が思っているであろうその疑問に答えられる人は誰もいない。
「こいつは……」
ただ、一つだけ分かることがある。
それは今、とても危険な状況だという事が。
――普通は、な。
「リアン……あの黒岩大人形を倒せるか?」
そう、ここにはオレの頼れる使い魔のリアンがいる。こいつがいれば何とかなると思い問いかける。
「ふむ、任せておけ! あんな石塊、ワシの敵ではない」
ニヤリと笑みを浮かべるリアンは期待通りの頼もしいセリフを告げながら、拳をポキポキと鳴らす。
リアンの自信満々な表情を見てオレが少しばかり安堵しかけていた、その時。
「あっ! お兄様、あれを!」
声を上げるルウナの指差す方を見てみると、黒岩大人形の近くで蹲っている小さな人影が見えた。
遠くからでよく見えないが恐らく子供。
何であんな所に……!?
「マズいっ、あの子が!」
怯えて動けないのか、蹲っている子供に黒岩大人形が気づき子供の方にゆっくり向きを変えていく。
「きゃぁーー!?」
子供の悲鳴がここまで響いてくる。その悲鳴に込められた必死の助けを呼ぶ声。
だが、周りの大人たちは誰もその声を聞いてはいない。黒岩大人形が動き出したと同時に慌てふためき、我先にと逃げて行く。
あのままじゃ危険だ、早く助けなきゃ。
子供の所に向かおうとしたその時、オレの隣からルウナが飛び出して走っていく。
「ルウナ!? 行くな、危険だ!」
「でもっ! 助けに行かないと! あの子が今、一番怖い思いをしているんです!」
オレの制止も聞かずにルウナは蹲る子供の元に真っ直ぐ向かっていく。
その先にいる黒岩大人形は、蹲る子供に目掛けてその巨石の腕を横に振りかざしている。
あのまま行けばルウナにも……!
「リアン! 早くっ!」
「相変わらず主人に似て中々度胸のある妹だな。あの石塊め、少しは楽しませてくれるといいがな!」
そう言ってリアンが構えると、淡い光に包まれてその体を徐々に竜の姿へと変わり始めていく。
人間体の頭に二本の双角が伸び、太く立派な尻尾を出して、段々と体のサイズが膨張していき手足にも赤い鱗が出始めた――が、何故か途中で変身を止めてしまった。
「――えっ?」
中断したその姿は長身の男性程の大きさで止まり、角と尻尾と鱗だけが出ている状態。竜と人との間のその姿は例えるなら「竜人」。
竜人姿で止まってからリアンの動きも一向に止まってしまった。
こうしている間にルウナが子供の元に着くと、上から被さるように子供を黒岩大人形から庇う。
マズい……!
「どうしたんだ、リアン!? 早く変身を……!」
オレは急かす様にリアンの前に周り、伏せている顔を覗き込む。
しかしその顔は、とても驚いている表情をしていた。
「どうし――」
「魔法が……途中で掻き消された……」
「なにっ?!」
見開いた目でそう言うリアンの言葉に耳を疑い、オレは辺りを見渡す。
そんな魔法が使えそうな魔物は……いや、そもそも今この近くにいる魔物や人なんて、黒岩大人形以外にいない。そしてそいつは今こっちを見向きもしていないのに、一体何処から……?
そんなことを考えていた間に、黒岩大人形が拳をゆっくりと横から振りかざしている。
――ルウナ。
瞬間、オレは無意識に、ただ真っ直ぐ全速力でルウナたちの元へ走り出していた。
……間に合え!
「間に合えぇーー!!」
どれほどの速さを出したのか、そんな事は分からないしどうでもいい。
気づけばギリギリのタイミングでルウナたちの元まであと一歩の距離まで来ていた。
「お兄――」
しかし視界に入った巨石の拳とルウナたちとの距離もすぐ目と鼻の先にある。
次の瞬間――オレは何の躊躇いも無くルウナと子供を突き飛ばし、攻撃の軌道から二人を逃がす。
――ドゴッ!
黒岩大人形の拳がオレの体に直撃した。その質量と重量のこもった拳に意識が飛びそうになりながら、その勢いのまま近くの民家の壁に吹き飛ばされる。
「がはぁっ!!」
漫画見たいに壁にめり込みはせず、壁に激しく打ち付けられたオレの体はその後重力に従い無造作に地面に落ちる。
直ぐに意識は戻り体を起こそうと力を入れようとするが、直後とても強い衝撃と激痛に襲われそれどころでは無く、体はビクとも動かせない。
いつの間にか止まっていた呼吸が次第に再開しようとしたが、体の奥から何かが出てきそうになり咳き込むと少量の血が口から出てきた。
「うっ!? ……こ……こ、れが、吐血って、やつ……か」
痛てぇ……。
これ……マズいんじゃないのか……。
「――っ?! 主人! 貴様、よくも!」
痛みに耐えながらリアンの様子を見ると、さっきまで固まっていた竜人姿のリアンがようやく我に帰ったようだ。
怒りの表情を浮かべてバシッと尻尾で地面を強く叩き威嚇しながら次の瞬間にダンッと勢いよく駆け出し黒岩大人形に突っ込んでいく。
途中段階とはいえ、その元の脚力を発揮させて馬並みの速さで接近していく。
リアンは勢いに乗るとジャンプして黒岩大人形の腹部に目掛けて拳を構える。
そうだ、竜人姿とはいえ竜。きっと、倒せる。
――そう思っていたが、オレのその願いは叶うことは無かった。
リアンの拳が黒岩大人形の体に触れる前に、黒岩大人形がその巨体から考えられない反射神経で拳を放ち、リアンはそれをもろに受ける。
「ぐごっ――」
咄嗟に両腕でガードしたリアンだったが、空中で受けた為そのまま市場の通りにある出店の一つまで一気に吹き飛ばされて、ガラガラゴンっと崩れる建物の下敷きになってリアンの姿が消える。
「リアン……!」
リアンが……負けた?
振りかぶった体制から戻った黒岩大人形がこっちを向く。
「くっ……!」
動けない体がビクッと震えたような、そんな気がした。
――怖い。
怖い……怖い……!
頭に、心に浮かんだ言葉がこれだった。
徐々に近づいて来る黒岩大人形に恐怖を抱き、激痛が走る体で必死に離れようとするがやはり体は動かない。
しかし、黒岩大人形は途端に進行を止めると体の向きを変えた。
「えっ……」
黒岩大人形の向いた先、そこにいるのは……。
「ルウナ……!」
その先にいたのは、ルウナと顔を上げた銀色の短髪の少女。
まさか、あの二人を!?
「おっ……おにぃ……さ……」
「助けて! 助けて、お姉ちゃん!」
泣き叫ぶ銀髪少女をルウナが庇うように抱きかかえているが、ルウナも涙を流し硬直したように座り込んでいる。
「……逃げろ、ルウナ!」
ようやく息が吸えるまでに回復した喉から息を絞り出して叫ぶ。だが、オレの声が聞こえていないのか固まったまま微動だにしない。
その間にも黒岩大人形が三度目の拳を高く持ち上げ始める。
「――にげろぉぉおお!!」
今度は体の奥底から押し出すように懸命に叫んだ。
その声がルウナの耳にもようやく届き、拳が振るわれる寸前に少女を抱えて叫びながら走り攻撃から回避した。
次の瞬間、さっきまでルウナたちのいた場所に黒岩大人形の拳が振り落とされ、辺り一帯に破片が吹き飛んだ。
オレはゴホッゴホッとむせながらも少しの安心感に浸る。
逃げたルウナはあの後、狭い街道に逃げて行った。これでなんとかルウナは逃げ切れるだろう。
――そう思っていたが、再び動き出した黒岩大人形が向かったのは、ルウナの逃げた方向。
「なっ……ん、で」
何故そっちに? まさか、まだルウナたちを狙って!
そう頭によぎり必死に起き上がろうとするが体に痛みが走り、また地面に倒れてしまう。
――誰か。
すると城門から鎧を纏った五人の兵士さんが出て来て武器を構えると黒岩大人形を一斉に取り囲む。
「いいか! 騎士長様が来られるまで、何としてもここで食い止めるぞ!」
一人の兵士さんの声がこの場に響く。囲まれた黒岩大人形は歩みを止めてじっとしている。
これで助かった……。
兵士さんたちが一斉に斬りかかり接近する。
すると、黒岩大人形が巨大な両腕を広げると、再びその岩の巨体で異様な速さで一回転をした。
それは一瞬の出来事。次に頭の整理ができた頃には、先ほど来てくれたばかりの兵士さんたちが四方に吹き飛んでいた。
遠くまで飛ばされた人、人としての形を保っていない人。
そしてそのうちの一人がオレの直ぐ側まで転がってくると、そのまま動くことは無かった。
ほんの一瞬で全滅させられたその光景に、オレは言葉も出なかった……。
再び進行を再開した黒岩大人形を止めようと何度も体に力を入れるが、体を巡る痛さで力が入らない。
いや、痛さだけじゃない……。
それは黒岩大人形に対する恐怖心。
魔物を怖いと思ったのは久しぶりだ。リアンを召喚してから何度か魔物と遭遇をしたがリアンのおかげで助かり、安心していたのかもしれない。
リアンがいれば危険は無いと、そう何処かで浮かれていた気がする。
「くっ……誰か……」
誰か……。
「誰か……」
誰でもいい、ルウナを……!
「誰か……!」
誰か……!?
「――誰かって……」
――誰だよ!
「――くっ!」
誰かに縋るんじゃダメなんだ!
ルウナは、誰の妹だよ……。
オレの妹だろうがっ!
「くっそ……!」
両手を地面につけて、ゆっくりと上体を起こす。震える手に、しっかりと力を込める。
壁にもたれながも、自分の足で立ち上がる。フラフラになりながらも、必死に両足で踏ん張る。
恐怖に負けている時じゃないだろ!
ルウナは……。
「オレが、助けなきゃ!!」
オレは気力で歩き出し、近くで倒れているさっきの兵士さんの元に向かう。倒れている兵士さんにしゃがみこみ、兜の下の顔を覗き込む。
「うっ!」
この人は、今朝に顔を合わせた門番の……。
もう、死んでいる。
「ゔっ! ぐっ?! ――ハァ、ハァ」
思わず吐き気が湧いてきたが、体の激痛によってそれもすぐに引いていった。
「……お借りします」
オレは門番さんの側に落ちていた剣を手に取り、杖代わりにしながら歩み出す。
向かう先は……。
「リアン! 無事か?」
「うっ、主人か……」
黒岩大人形に吹き飛ばされ潰れた店の瓦礫に埋もれていたリアンが気がつくと、上に乗っている瓦礫を払い除けてユラリと立ち上がった。
「ハア……ハア……」
「どうした?」
「っ――」
立ち上がったリアンだったが、顔を伏せたままずっと黙っている。すると……。
「――くそがぁぁぁああああ!!!」
声をかけた途端、リアンは一気に顔を上げて空高くに吠える。
その顔は屈辱と怒りに染まっていた。
「あの石クズがぁ! ワシにナメた事をしたこと、絶対に許さん!」
「大丈夫……そうだな。動けるか?」
「当たり前だ。奴め、どこに行った?」
リアンの問いに答えるようにオレは黒岩大人形と、ルウナたちが向かった方向を指差す。
「……主人は動けるのか?」
「なんとか、な。あいつ、ルウナと少女を狙っているみたいだ、急がないと……。まだ変身が出来ないか」
「ふむ……ワシが魔法を使おうとすると、何かに阻まれる様に魔法が発動しない」
「そうか……」
謎の現象で変身が出来ないリアン。竜姿では無いとなると、リアンの戦闘力も発揮できないだろう。
「その姿でも、戦えるか?」
「無論だ。さっきはやられたが、この姿でも今度こそあの石クズを粉々に粉砕してやる!」
そう言って近くの大きな瓦礫を蹴り飛ばすと、反対側に並ぶ離れた出店まで吹き飛んでいった。
竜人姿でも中々の強さを出せるようだ。
これなら、黒岩大人形をなんとかできるかもしれないな。
「そうか。よし、行くぞ。二人でルウナたちを助けに!」
「ふむっ!」
まだ痛む体だが、もう痛みは無視しよう。
まだ震える恐怖心は消し去るんだ。
オレは剣を握りしめて、リアンと一緒に黒岩大人形の後を追って走り出す。
「待ってろルウナ、今助けに行くっ!」
今回はボロボロ回です。
便利なチート能力が無いグレンくんには仕方がないですね。