一・一話 プロローグ(前編)
オレは今、屋敷の裏庭の広場で、敬愛する父と母、愛おしき姉と妹たちから異様を見る目を向けられている。
視線が痛い……。
厳密に言うと、オレでは無く、オレの目の前にいるコイツに視線が集まっていた。
「貴様がワシを呼んだのか……」
赤い皮膚、翼と尻尾を生やし、全長七メートル程の巨体に釣り合う立派な二本の双角を持つ生き物。
恐怖と威圧を感じさせる力強い眼光でオレを見つめる巨大生物――竜。
竜は鋭い視線を向け、オレに問いかける。
「貴様の呼び掛けに応じ参った。貴様がワシの主人だな」
随分、横柄な態度をとる竜だな……。
しかし、この竜は何を隠そう今し方、魔法で召喚したオレの使い魔なのだ。
今オレの右腕の掌には使い魔召喚の際に浮き出た魔法陣がまだ残っている。
その右腕を竜に向けて掲げる。
「ああ、そうだ」
さぁ、ここで一旦、事の成り行きを説明しようと思う。それは一七年と一日前、オレがこの異世界に来る前の日本での出来事から始まる。
俺の名前は筒井焔。二七歳、独身サラリーマン。子供の頃からこれといった特技や才能があるわけでもない俺は、ごく普通のサラリーマンとして働き、普通の生活を送っていた。
この日も俺は、会社でいつもの様に上司に任せられた仕事を熟していく。
「筒井さん、そろそろ休憩に入ってください」
「ああ、ありがとう。そうさせてもらうよ」
時計を見ると丁度昼頃。
後輩くんのお言葉に甘えて、近くのコンビニで弁当でも買おう。
「あっ、筒井さん。携帯忘れてますよ」
席を離れようとすると、後輩くんが机に置きっ放しにしていた俺の携帯を指差して知らせてくれた。
コンビニまでは一〇分も掛からないし置いていても問題は無いのだが、折角後輩くんが教えてくれたしな。
「ありがとう。じゃあ、行ってきまーす」
無事にコンビニ弁当を購入した俺は、賑やかな曲が流れている店内を出る。
最近は弁当と外食しかしていないな。
一人暮らしを始めてからと言うもの、自炊が苦手な俺は誰かの手料理を口にしていない。一人も寂しいし、早く料理が得意な彼女でも欲しいなぁ……。
物思いに耽ていると、携帯にメールが来た。
誰かと思えば、中学からの女友達の「リオン」さんからだ。
昔からアニメ、ゲーム好きだったリオンさんは所帯を持ち二児の母になった今も時折、コミケに出す用の漫画やゲームソフトを自作しているオタクさんで、たまに俺も手伝いをさせられることがある。
彼女の十八番ネタは竜、竜騎士が主人公のファンタジー物が主で、王道ネタが好きなファンから慕われている。ちなみに「リオン」と言う名はペンネームで本名では無い。
「えっと『またコミケ用ソフトを作成するので協力求む! 追伸、市販弁当ばかりだと体悪くするわよ。またウチに食べにいらっしゃい』って……オカンかよ」
昔から面倒見の良かった彼女はたまに食事に誘ってくれる。こういう人を姉御肌と言うのだろう、ありがたい。
俺は約束と感謝の文を作成して返信した後丁度まだコンビニ前にいるという事で、リオンさんの手土産に適当な菓子類を幾つか買い足す事にした。
「マズいっ! ちょっと時間ギリギリかもっ……」
あの後の菓子選びに思ったより時間を掛け過ぎてしまった。今から急いで戻って昼飯を食べる時間を考えると、休憩時間ギリギリになってしまう。
ここはショートカットを使うか。
俺は戻り道の途中、建物の間にある少し暗い路地に曲がり近道をする。
普段は隣接したビルの所為で遠回りして往復しているが、この通路を使えば五分も短縮出来るから急いでいる時には便利だ。
ただ、昼間でも暗いのでちょっと怖いから滅多に使う事はない。
「よし、何とか間に合いそうだな……」
腕時計を確認すると時間に少しばかり余裕が出来たみたいで安心して歩いて向かう。
久しぶりに走ってかいた汗を拭っていると、路地の向かい側からフードを深く被った人が歩いて来る。パーカーの隙間から学生服が見えることから学生だろうか?
平日の昼間にビル街に学生とは、不良か……?
狭い路地裏の道なので、肩とかぶつかって因縁を付けられるのはごめんだ。俺はなるべく左の壁際によって通らせてもらう事にしよう。
おや? 少年が中央から徐々に壁際……俺の方へと近づいて来る。勘弁してくれ、カツアゲ目的か?
俺と少年の距離は狭まり、手を伸ばせばすぐ届く位置まで来ていた。どうしよう……最悪、財布の中身を渡せば見逃してくれるだろう。
少年との距離が一〇センチ程まで迫った時、少年がポケットに入れていた手を抜き出した。やはり、カツアゲが目的のようだ。
ついに少年とぶつかる――と思いきや、体がぶつかる事はなかった。
代わりに、ドスッと鈍い音と、腹部に違和感を感じた。
「……えっ?」
ナンダ……コレ……?
腹部を見るとナイフが体に刺さっている。
脳がようやく認識すると、今になり痛みが襲って来る。
少年は震える手でナイフを抜き、俺から距離を取ると何処かへ逃げていった。
俺は味わったことの無い激しい痛みに力が入らず、崩れ落ちるようにその場に倒れる。
痛い……いたいいたいイタイイタイイタイ、イタい!!
掠れる視界に映るのは、地面に広がる赤い水溜り。これ全部、俺の血か……?
徐々に体の感覚が遠のき始め、眠気が襲ってくる。
意識が遠退いていく。痛みから逃れられる感覚に負け、俺は――死んだ。
次に目を覚ました時、俺は暗闇の中にいた。上も下も、前後左右、真っ暗闇の空間に俺は立っている。しかし光は無いが、自分の姿だけははっきりと見えている。
服装は先程まで着ていたスーツのまま。俺は何も無い空間に一人、孤立している。
地に足が着いている感覚は無く、浮遊している気分だ。本当に何処なんだ此処は。
「ここは、俺は死んだんじゃ……」
「はい。あなたは一度、亡くなられました」
女性の声がした。上から聞こえた声の方向を見ると、そこには真っ暗闇の中を光り輝き、綺麗な白翼を持つ金髪の美しい女性がそこにいた。
「……あんたは」
ゆっくりと俺のいる位置まで降り立つと、彼女は閉じていた目蓋を開く。宝石のような綺麗な青い瞳。彼女は微笑みながら答えてくれた。
「わたしは、あなた達が言うところの神に該当する者です。死んだあなたの魂を、ここまで導かせていただきました」
夢では無さそうだ。あの俺の経緯と腹部の痛み、この空間、何より俺が今まで会って来た誰よりも美しすぎるこの女神様を見たらなんとなく納得はできる。
しかし、薄々と理解はしていたが本当に死んでしまったとなると少し悲しい。それが殺されたとなると尚のこと。
「……意外と、驚かれないのですね。ここに来られる方々は総じて死んだ事を否定されるのですが」
「刺された記憶も鮮明にありますしね。それにこんな何も無い所、見た事も無いですから」
微笑んだ顔も可愛い。癒されるな。
さて、俺が死んだ事が確定したところで、この後はどうすれば良いのか。輪廻転生でもするのか?
「若くに死んでしまった事、心からお察しします。そこで、あなたには新たな別世界で二度目の人生を差し上げようと思います!」
暗い表情も明るい表情も素敵だな。それより、別世界って……これはまさかの異世界転生展開ですか!
女神様の話によると、俺が行く異世界は「剣と魔法」の理想の異世界。俺はこれから、火球とか雷撃とか、カッコいい魔法を使って戦う騎士になれるのか!
俺が喜んでいる時、女神様が何か言い辛そうな顔をしていたが、まぁいいか。
「異世界への餞別として、あなたに『奇跡』を授けましょう」
「なんですか、その奇跡って?」
「『奇跡』とは、授けた人の適正に見合った能力が与えられる力のことです」
なんと、異世界特典で能力をくれるらしい。それもランダムに出るみたいだ。
女神様が両手を前に広げると、その間から一つの光の玉が出現する。キラキラと輝いて綺麗な光だ。光の玉が飛んできて俺の中に入ってくると、胸の辺りが暖かくなってきた。
直後、全身に何かが駆け巡る感覚がする。その感覚はすぐに収まり、女神様に問いかけた。
「適性結果が出ました。あなたの能力は、『無限魔力』です」
む、『無限魔力』……? 名前からして如何にもなファンタジー感はあるが。
女神様曰く、人間が使える魔力量は有限で、魔法を使い過ぎれば魔力切れを起こすが、『無限魔力』は名の通り、魔力が無限に湧き出す能力だそうだ。
さらに、魔法を使い魔力が減ってもすぐに回復するらしい。
ゲームでよくある、まさにチートな能力だ。俺、異世界で大賢者とか魔導師になれるかもしれない!
思わず口がニヤけてしまい、女神様を見てみると、またしても後ろめたそうな顔をしている。何かあったのだろうか?
「ありがとうございます女神様。俺、第二の異世界ライフを存分に堪能してきますよ」
意気揚々と答えた俺の反応が面白かったのか、暗い表情だった女神様がクスクスと笑顔を見せてくれる。少し照れくさかったが、その笑顔を見るとそんなに悪い気もしてこない。
「張り切りすぎて、向こうに行ってすぐにココに帰ってこないで下さいよ? 無茶は禁物ですからね」
そう言った女神様はトコトコと俺に歩いて近づいてくる。目の前まで来た女神様からとても良い香りが漂ってくる。
僅かに身長は抜かされ目線が合わなかったが、俺に合わせて顔を下げた女神様は次の瞬間、俺の額にキスをした。
「えっ、ちょっ?!」
「ふふっ。ちょっとしたお守り代わりです」
そう言って女神様は両手を広げ、慌てている俺を優しく抱きしめる。ああ、肌から伝わる温もりが心地いい。さっきまでの動揺も落ち着き、段々と意識が薄れていく。
「そろそろ時間です。ゆっくり目を閉じて身を委ねてください」
美しい白翼が俺を包み込む。優しく体を包み込む感覚に身を任せた俺は、女神様の言う通りに目を閉じた。
「貴方の来世に、幸せであらんことを」
その言葉を最後に俺は眠りについた。
目が覚めると、暗い空と雨音が迎えてくれた。オレは横になった状態で辺りを見渡すと、街灯に照らされた夜の街並みが見える。
無事に異世界に転生したようだ。風貌からして時代は定番の中世のようだ。
どうやら、異世界ライフ一歩目は独り身状態でのスタートらしい。夜風や雨に冷えて寒いし、ひとまず起き上がって早速散策でもしよう。
オレは両手をつき体を起こそうとする。
……んっ? 手に力が入らず上手く起きれない。
結局そのまま倒れ込んでしまう。
不思議に思い、オレは窓に映る自分の体をよく見てみる。
……えっ? あ……赤ん坊っ?!
「ううぅぅう!?」
おいおい女神様、転生スタートが捨て子とは、少し厳しくないかい?
まともに動けない体で、喋ることもできない。どうしよう……転生してすぐ衰弱死なんてごめんだ。
途方に暮れていると街道から一台の馬車が近くで止まり、中から大人二人と長髪の女の子が出てきた。
「貴方、捨て子ですか?」
「ああ、そのようだ。こんな雨の中、可哀想に」
転生前のオプションで言語は理解できる。
二人は夫婦のようだ。オレに近づい来ると奥さんらしき女性に抱え上げられた。人肌が暖かい……冷えた肌が温まっていく。
温もりって大事だね。
「私たちで引き取ってあげれないかしら」
「そうだな。そうするか」
どうやら拾ってくれるらしく、オレを抱えたまま三人は馬車に戻ると馬車が発車する。
優しい家族に拾われて良かった。
女性――もとい、オレの新しい母はずっとオレを抱いた状態で温めてくれている。父は御者に急ぐように指示を出してくれている。
そして、女の子は家に着くまでただ黙って、じっとオレのことを見ている。赤ん坊が珍しいのか?
しばらく走っていた馬車が止まった。どうやら家に着いたみたいだ。
「さぁ、着いたわよ。今日からここが、貴方のお家よ」
馬車から出て直ぐに家が見えた。
目の前の光景に開いた口が閉まらず、思わず「あうぅ……」と吐息が漏れてしまった。まあ、そもそも吐息しか喋れないけど。
ナンダ、この豪邸は?
目の前に見えるのはとても巨大で立派なお屋敷。
何? まさかオレ、すっごいお金持ちに拾われたの?
お屋敷の窓から漏れる光がとても眩しく、家の人は温かく迎え入れてくれた。
一時はどうなるかと思ったが、女神様の加護のお陰で素晴らしい第二の人生が迎えられそうだ。異世界生活、エンジョイしてやるぜ!
初の小説投稿です。
後編と続けて読んで下さい。
※主人公の生前の出来事を追加、修正しました。