ヘルズと降谷、出陣
バキッ!
廊下に、凄まじい破砕音が響き渡る。
降谷の裏拳が、警備用ロボットの頭部を打ち砕いた音だ。頭部を砕かれたロボットは、床に倒れて、それ以来動かなくなる。
「このくらいかな」
降谷は最後のロボットが鎮圧された事を確認すると、廊下を再び歩き始めた。その時、廊下の奥が一瞬キラリと光り、何かが降谷に向かって飛んできた。
「ん?」
降谷はそれを難なく躱す。降谷が避けると同時、続けざまにもう一つ飛んできた。
「ふざけてるのか?」
降谷は眼前に迫ったそれを人差し指と中指の二本でピッ、と受け止める。降谷に向けて投擲されたそれは、小型のジャックナイフだった。先端には液体が塗られており、廊下の僅かな光を受けて怪しく光っている。
「なるほどな、だからオレは足止め役になったのか」
人間がアニメや漫画のようにナイフを投擲した場合、その威力と飛距離は格段に弱まる。飛ぶのは良くても三メートルだし、威力だってせいぜい段ボールに傷を付けられるかどうか、という程度だ。
だが、廊下の奥に居るであろう敵との距離は短く見積もっても五メートルはある。それに威力だって、投げたにしては凄まじい威力を誇っていた。それは、相当の高等技術だ。降谷は瞬時に警戒態勢に切り替え、腰を落とした。
(まさか、奴か⁉)
降谷が戦った女では、こんな高等技術は不可能だろう。だが女の近くに居た、あの人間ならどうか。降谷が思考を巡らせていると、廊下の奥から声が掛かった。
「あらあら、お客様ですか。こんな夜分にどのようなご用件で?」
その声には聞き覚えがある。カツ、カツという音が聞こえ、廊下の奥からその人物が姿を現す。
「お前は・・・・」
姿を現した人物を見た降谷は面食らった。出てきた敵の正体に驚いたからではない。その人物の装いが、降谷の予想とはかけ離れた物であったからだ。
フリフリのメイド服に、カチューシャを付けている。その右手にはナイフが握られており、左手は暗くてよく見えない。
「久しぶりですね、幸一」
メイド長の言葉に、降谷は苦笑した。
「お前も変わらないな。ナーバス」
降谷の言葉に、メイド長は顔をしかめた。
「やめてください。本気を出していない時にその名前で呼ぶのは」
「そういや、お前ってそう言う面倒くさい所があったな」
降谷はズボンのポケットから折りたたんだ書類を取り出した。書類に一通り目を通すと、ライターを付け焼き捨てる。火を足で踏みつけて消し、メイド長に向き直る。
「まさか、メイド長だったとはな。オレはてっきり王女の秘書かと思ったぜ」
「ワタシは、アナタ達と違って平穏な生活を望んでいますから」
メイド長の視線は降谷の足元に向けられている。降谷の足元には、降谷によって倒された衛兵やロボットの残骸が転がっていた。
「それは悪い事をしたな。こんな形で巻き込んじまって」
「別に構いませんよ。アナタを瞬殺して、元の平穏な生活に戻るだけですから」
「瞬殺とは、随分と舐められたものだな。師匠へのコネはもう無いんだろ?」
降谷がからかうように言うと、メイド長は頬を膨らませた。
「師匠へのコネなど、最初から使うつもりはありません。それなのに師匠が勘違いするせいで、理不尽な怪我を負いました」
そう言って、左腕を掲げて見せる。彼女が見せた左腕には、肘から手首に掛けて包帯が巻かれている。
「師匠と話し合おうとして、何故か攻撃されました。理不尽です。不満です」
「そうかい。それは良かったな」
降谷は余裕そうな笑みを浮かべると、腰を落とした。運悪く強敵に出会ってしまった事に心の中で悪態を吐きながらも、拳を構える。
「じゃあ、最初から本気で行くぞ」
「ええ、構いませんよ」
メイド長が右手のナイフを構える。
「第三期スパイ、降谷幸一。コードネームは『レッテル』いざ尋常に勝負」
「第三期暗殺者次席、ユル=メアリー。コードネーム『ナーバス』いざ尋常に勝負」
シェルマンジェ宮殿、二階の廊下に金属音が鳴り響いた。
「ったく、面倒だな」
そう言ってヘルズは大あくびをする。その顔には、仕事への責任が一切見当たらない。
現在、彼が居るのはシェルマンジェ宮殿の裏だ。近くの植え込みの中で、ひっそりと息をひそめている。しかしその目はしっかりと、王女の部屋のバルコニーを凝視していた。
何故ヘルズが仕事をせずにここに隠れているか。その理由は簡単だ。
「おい、居たか?」
「いや、こっちには居ない。そっちはどうだ?」
「居ないな。どこに行ったんだ、侵入者め」
そう。衛兵に見つかってしまったのだ。
当初の計画通り、伸縮性のマフラーを使ってバルコニーから王女の部屋に侵入する、というはずだったのだが、ヘルズの事を警戒してか、裏にも衛兵が配備されていた。そのせいで、王女の部屋に入れないでいるのだ。
もちろん、ヘルズが本気を出せばこんな衛兵など訳もない。一分もかからず殲滅できるだろう。だがそれでは面白くない。既に勝敗が見えている戦いをして、何が楽しいと言うのか。
「でもこのままじゃ侵入できないしな・・・・どうするか」
その時、ヘルズは鼻がムズムズするのを感じた。慌てて鼻をつまむも、その感覚は収まる事なく――――
「へっくしょん!」
盛大なくしゃみが、辺り一面に響き渡った。
「おい、今そこから音が聞こえなかったか⁉」
「ああ、聞こえた! 今すぐに向かう!」
衛兵たちが近づいて来る音が聞こえるのを感じ、ヘルズは溜息を吐いた。
「クソッ、どうして俺はこんな目にあうんだよ!」
若干涙目になりながらも植え込みから飛び出し、衛兵が声を出す暇もなく右フックで昏倒させる。続けざまに来た衛兵に頭突きをくらわせ、その場から離れる。
「チックショウウウウウウウウ!」
断末魔のような捨て台詞を残し、夜空に向けて跳躍する。ヘルズの身体が浮き上がり、十五メートルという凄まじい距離を縦断した後、バルコニーに着地する。
「もう二度とやりたくない、こんな事」
ヘルズは涙を拭いながら、部屋の窓を開いた。




