追い詰められる北見方④
「もうこんな時間ですね」
時計を見ながら、麻耶は呟いた。弐夜は眠そうな様子も見せずに聞いてくれているが、流石にこの時間まで兄を起こしておくのは申し訳ない。
「そうだな。明日も学校があるし、もう寝るか」
そこまで言うと、弐夜は大きなあくびをした。ここまであくびを我慢して聞いていたのだろう、人の話を聞く態度の素晴らしさに麻耶は感動した。
「ここまでご静聴くださりありがとうございます、兄様」
「いや、気にするな。それよりも寝ることだがーーーベッド使うか?」
そう言って、紗綾が気持ち良さそうに眠るベッドを指差す。ベッドには確かに人一人分の余裕があるが、麻耶は辞退しようとした。
「いえ、私はいいです。兄様が使ってください」
「俺は別に眠くないんだよ。いいから使え」
嘘だ。弐夜の目にも、かなりの隈が浮かんでいたはず。だが麻耶も疲れているだろうと思い、譲ってくれたのだろう。
「気にするな。俺はお前達の兄だ。兄が妹にベッドを譲ることなんて、息をするより当たり前だろ」
「兄様・・・」
麻耶の目に、涙が潤む。やはり兄だ。この気遣い、とてもあの冷酷非道な両親から育ったとは思えないようなその姿は、まさしく自身の兄、早船弐夜そのもの。
「では、ありがたく使わせてもらいます。お休みなさい兄様」
「ああ。俺はちょっとそこら辺を走ってくるわ」
そう言って弐夜が出ていく。麻耶は弐夜が出ていったのを見るとシャワーを借りて体を洗い、近くにあった男物のパジャマに袖を通した。
「兄様の匂いーーー」
軽くうきうきしながら、麻耶はベッドに寝転がる。そのまま目を閉じれば、紗綾の寝息と相まってすぐさま眠りに落ちた。
「HEY オレェェェェェェェェ!」
黒明弐夜ことヘルズは滅茶苦茶な歌をマイクに向かって叩きつけた。近くの椅子に座っていた綾峰が、心底迷惑そうな顔をする。
「それで、お主は妹に寝床を譲って、こうして朝までカラオケで過ごそうとしたんじゃな? こうしてご丁寧に妾まで呼び出して」
「仕方ないだろ。余ってる布団とかないんだから」
現在、ヘルズと綾峰は24時間営業のカラオケに居た。もう深夜の三時と言うのに室内は派手なイルミネーションが輝き、真っ昼間と言われても驚かない。
「で、何で妾を巻き込んだのじゃ? 妾、寝てたのじゃが」
「仕方ないだろ。ニセ教師と二ノ宮は連絡つかないし、姫香やチャルカをこんな時間に連れ出すわけには行かねえしな」
それにヘルズが万が一補導されたとき、監督者が居ると話が速く済む。そういう狙いだった。
「花桐とチャルカの理由はとにかく、二ノ宮と幸一に関しては酷い理由じゃな。妾の時のように執拗に誘えばよかろう」
綾峰は不満そうに、携帯の画面を見せる。そこには画面一杯にヘルズからの着信があった。
「始めは着信拒否にしようとしたのに可愛い生徒の番号を着信拒否にするなんて、と躊躇ったあの時の自分を殴ってやりたいのう」
「お前、自分の生徒の事を可愛いと思った事とかあるのか?」
「数年に一度、という頻度じゃがの。妾にも可愛いという感性くらいあるぞえ。大体、なかったらイラストレーターの仕事なんて務まらんぞ」
それもそうかとヘルズは納得すると、コップになみなみと注がれていたコーラを一気飲みした。そして、酔っぱらったように叫び出す。
「ってかよぉ、麻耶が訪ねて来たときは正直驚いたぜ。全速力で部屋を片付けて、慣れない事やって・・・我ながら似合わない事したと思うぜ。まあ、久しぶりに麻耶と話せたのは嬉しかったけど。でもそれだけじゃ釣り合わねえぜ」
「やはり妹の前ではお主も自身を律するのか。お主も駄目人間の前に一人の兄なのじゃな」
綾峰は楽しそうに笑うと、水筒に入れておいた自作の塩水を飲んだ。塩酸と水酸化ナトリウムを足して作られた、非常に危険な物質だが彼女は怖がらない。むしろ、スリルこそ人生! とばかりに気持ちよさそうに飲んでいく。
「ところでヘルズ、どうして妾だけを呼び出したのじゃ?」
「オイオイ、さっき説明しただろ。ついに記憶力を失ったか綾峰婆さん。お前以外に連絡の着く奴がいなかったって―――――」
「それは表向きの理由じゃろう。本音は別にある」
綾峰の指摘に、ヘルズは押し黙る。綾峰は塩水を一口口に含むと、鋭い眼光でヘルズを見た。
「姫香、チャルカの理由は分かる。未成年を巻き込まない。まあ、本音は体育祭に使える人材をこんな所で潰すわけにはいかないといった理由かの。夜更かしは次の日の体力状況に大きく響くからの」
夜更かし続きの綾峰が言うと、説得力が違う。
「二ノ宮は分からん。本当に連絡が着いたのかもしれんし、着かなかったのかもしれない。だから二ノ宮は保留にして――――問題は幸一じゃ。あ奴は自分の金儲けの為にお主と手を組んでいる身じゃ。つまり、ビジネス・プライベート問わずお主からの電話には必ず出るはず。一人で勝手に金稼ぎをされては報酬がなくなってしまうからの。だから例え奴が一か月徹夜続きの後の安眠中だったとしても、お主からの電話なら出ると思うがの」
ヘルズが零した言葉から、綾峰が冷静に分析していく。
「無論、幸一が仕事中と言う可能性もある。だが今裏社会ではお主らが潰した組織の話題で持ち切りで、情報収集などあったものではない。よってこの可能性はあり得ない。とすれば、見えてくるものは一つではないかえ?」
ヘルズは降谷に、電話を掛けていない。
「なぜお主が嘘を吐いたのか? それまでは妾には分からん。妾はこれでもIQ220の超人だからお主の言葉から分析することこそ出来るが、嘘を吐いた理由を完璧に推測しきることまで出来るわけではないからのう・・・むっ、この水ちょっとピリ辛じゃな」
顔を微妙に歪めながら、綾峰は水筒の中を覗き込む。ヘルズはしばらく彼女の推測に黙っていたが、やがて諦めたように息を吐く。
「まさかここまで看破して来るとはな。お前、やっぱりヤベエよ」
「妾よりもIQ値が高いであろうお主に言われても何も嬉しくないのう。・・・で、どうして幸一を呼ばなかったのじゃ?」
綾峰の質問に、ヘルズは手に持っていたマイクをテーブルの上に置き、答える。
「前回の二ノ宮が連れ去られた事件の時、ニセ教師だけはユルに呼び出されてユルと第三期暗殺者主席―――――『蜘蛛』と戦わされてたっていうのは知ってるよな」
「チャルカから聞いたぞえ。何でも大変だったらしいのう。まあ、結果的に足一本で暗殺者の主席と次席をぶち殺せたのじゃから、安い買い物だったんじゃろうが。あのいけ好かないメイドが消えてくれて、妾としても本当に満足のいく結果じゃのう」
ヘルズは綾峰の後半部分を聞き流し、続ける。
「でさ、アイツがユルを殺したって聞いた時から数日間、嫌な予感が消えないんだ。何だか分からないけど、直感的に嫌な感覚がした。だから、俺は無意識のうちにアイツを忌避しているのかもしれない」
「なるほどな。確かに直感は大事じゃのう。しかし、いったい何がお主をそんなに怖がらせるんじゃろうな」
綾峰は顎に手を当てて考える。普通に考えればユルの死を聞いて動揺したと答えるだろうが、それはことヘルズの組織には当てはまらない。
まず降谷が仲間だろうと容赦なく殺す事は既に周知の事実だし、ヘルズだって沙織のおかげでユルの死からはきっぱりと立ち直っている。ユル=メアリーの死は確かに姫香とヘルズの心には響いたが、その傷はほとんど消えつつある。この後姫香が立ち直ってしまえば、彼女の死はなかったような物になる。
「まあ確かに、幸一の事は警戒しておくに越した事はないじゃろうな。奴は必要とあらば仲間を切りかねん男じゃ」
「ああ、分かってる」
降谷幸一という男は、仲間にすると強いが敵にすると微妙に厄介だ。悪知恵が働く故、下手をすれば凶悪組織をバックに付けてヘルズ達に組織間の戦争を申し込んでくるかもしれない。お世辞にもこちらの勢力は大して強くもないため、そんな事をされれば即敗北だろう。
「その点、妾は裏切らんからの。二百億くらい積まれれば動くかもしれんが、そうでもない限り基本的にはお主らの味方じゃ」
「おいちょっと待て。それ相当危ないぞ」
表社会、というか一般的に見れば相当の額だが、実際に命が掛かっている裏社会では動きかねない額である。綾峰は恐らく冗談で言ったのであろうが、本気で言っているのであればかなりまずい。
一瞬マジでやばそうな顔をしたヘルズを見て、綾峰は笑う。
「なに、冗談じゃ。本気にするでない。というかお主、『歴代最強の暗殺者』を妾達に内緒で手懐けてるじゃろ。悪いが妾はあ奴に喧嘩を売る程身の程知らずではないからのう」
「何で知って、ってそうか―――」
そう言えば綾峰は一度、傷ついたヘルズと沙織の治療を請け負った事があったのだった。その時の状態からして、勝てないという事を悟ったのだろう。
「あ奴、治療したばかりじゃったがそれでも妾の全力よりも強かった。恐らくお主と北見方が構えてくれなければ戦いになって、妾はあの場で命が絶えていたじゃろうな」
「マジかよ・・・」
綾峰はこう見えても第四期暗殺者次席。休憩の際、コーラと間違えて劇薬を飲んで腹さえ壊さなければ主席にすらなっていたであろう実力者だ。そんな彼女が治りたての沙織に負けると思うとは。
ヘルズは沙織に勝てた幸運をつくづく自覚する。もしも運が味方せず彼女と純粋な戦いになっていれば、ヘルズは今頃内臓六腑をぶちまけて無様な学校のシミと成り果てていただろう。
「まあそんな訳で、妾は裏切れない訳じゃ。生徒に殺されるなんて教師として恥ずかしい限りじゃからな。まっぴらごめん被る」
「おい今すぐマッハ20の黄色いタコに謝って来い」
あの先生が聞いたら天国で泣いていそうな事を平気で言う女だった。
「ところでヘルズよ」
ヘルズが天国に居るであろう黄色いタコに心の中で謝罪していると、綾峰が伝票を見ながら声を掛けて来た。
「ん? どうした?」
「この店、深夜の料金が途方もなく高くなっておるが、大丈夫なのかえ?」
「え?」
ヘルズは料金プランを見る。言われてみればこの店、昼の料金が異常に格安なのに対して、元を取るかのように深夜の時間帯が馬鹿みたいに高くなっている。
「妾、一曲も歌ってない上何も注文していないから、注文は全てお主持ちじゃからな」
「ヤベエエエエエ!」
ヘルズの悲鳴がマイクに伝わり、マイクが派手なハウリングを起こした。
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