追い詰められる北見方③
扉を開けた麻耶が目にしたのは、綺麗に片付いた部屋と、そこに佇む美少年だった。
「に、兄様・・・」
麻耶が感嘆の声を漏らすと、兄ーーー弐夜は手を上げた。
「よう、麻耶。よく来たな。ま、とりあえず上がれや」
「は、はい」
麻耶は靴を丁寧に脱ぎ、リビングに上がる。リビングはそれはもう、流石自慢の兄だと言わんばかりの清潔さだった。
本が整理整頓された本棚、塵一つない床、勉強に対する意欲が滲み出ているかのように壁の至るところに張ってある見開きの教科書。いったい部屋をこれだけ片づけるのにどれだけの時間を有したのだろうか。いや、弐夜ならそもそも部屋を汚すことはないか。
先程義足の男が言っていた引きこもりの知り合いにも、この部屋を見せてやりたい。きっと己の愚鈍さを憎みひれ伏し、改心することだろう。
「どこでもいいから座っててくれ。今お茶を入れてくる」
「あ、ありがとうございます」
麻耶はペコリと頭を下げると、丁寧な動作で床に正座した。だが、落ち着かずにそわそわと体を動かしてしまう。
「兄様の部屋・・・」
昔一緒に住んでいた時期は弐夜の部屋はあるにはあったが、半分くらい親の支配の届いた部屋だった。それに比べてここは、隅から隅まで弐夜の管理が行き届いた場所。落ち着けと言う方が無理である。
「兄様ーーー」
麻耶がうっとりと口に出していると、弐夜が盆に乗せたお茶を運んできた。しかし、その動作はどこか危なっかしい。まるで、したくない事を強いられている時のようなぎこちなさだ。
「兄様、大丈夫ですか⁉」
「あ、ああ、大丈夫だ麻耶。家にはよく来客が来るからな。こう言うのには慣れてるんだ」
「そうですか。動きが少しぎこちなかったので・・・それに、目の下にも凄く濃い隈が浮かんでいますし」
特殊メイクかと思うような濃さだった。このような濃さは、そういう類いの化粧か数日間徹夜しないと出来ない。そして流石に、弐夜は化粧をしないだろう。
「規則正しい生活をしている兄様がゲームで徹夜、という事は考えにくいですしーーー何か悩み事でもあるんですか?」
麻耶が聞くと、弐夜の体がビクッ! と震えた。弐夜はわずかに語尾を震わせながら答える。
「ま、まあな。俺はお前の自慢の兄だからな。そんなネトゲごときで徹夜するほど馬鹿じゃない。ちょっと今後の日本の株価の変動について気になってな。毎晩考えているんだ」
「そんな事まで考えているなんて・・・流石兄様です」
「い、いや、まあな。ちょっと最近株にハマっててな。ほ、ほら、学校の勉強には付いていけてる訳だし」
どこか遠い目をして答える弐夜。そんな兄の素晴らしさに、麻耶は感動した。高校生にしてもう今後の事を考えているとは。しかも株まで。合理的で冷酷な麻耶達の両親が昔株で大損したという話を知っているにも関わらず、果敢に挑むとは。
「流石です、兄様」
「え? 何が?」
しかも謙遜と来た。もはや神である。
その時、再度インターホンが鳴った。麻耶は気配を探ろうと頑張るが、上手く気配を探れない。人よりも僅かではあるが気配察知能力が高い麻耶が探れない。もしかしたら組織からの刺客かと思い、いざという時に兄を守れるように麻耶は腰の鞘から刀を抜こうとした。
ーーーしかし、刀はそこにはない。
「なッ・・・」
麻耶は絶句するが、当たり前だ。刀を持ち歩くと銃等法違反に引っ掛かると思ったので、部屋の金庫に閉まったままだったのだ。そんな麻耶の寸分の動きに気付かず、弐夜は扉に向かう。見るからに不用心な格好だ。もし扉の外に居るのが本当に刺客なら、弐夜は扉を開けた瞬間二百回は殺される事だろう。しかし当の本人は気が付いていないのか、呑気な声で鍵を開ける。
「今度は何だ?」
麻耶は止めに入ろうとしたが、間に合わない。弐夜は躊躇う事も無く扉を開けた。すると、中に何かが飛び込んで来る。その動きは素早く、動体視力の高い麻耶でもブレた影を捉えるので精一杯だ。
「ッ⁉」
この速度。やはり、敵だったか。麻耶は反射的に近くにあった鉛筆を手に取ると、飛び込んで来た何かに向けて振り下ろした。しかし、身を捻って躱される。
背後に回り込まれたのを確認し、麻耶は振り向き様に鉛筆を突き刺そうとする。しかし硬い感触に阻まれ、鉛筆が止められる。動きから見ても、素人のそれではない。
「このッ・・・」
麻耶は力を込めて押し込もうとするが、防ぐ力は強く押し込めない。こうなったら無理やりにでも、と麻耶の目が本気になりかけたその時、頭をパカンと叩かれた。・・・意外と痛い。
「何してるんだよ、麻耶。それに紗綾も悪ノリするな」
頭を押さえながら、麻耶は侵入者の姿を見る。するとそこには、黒いフードを被った紗綾が頭を押さえて床を転がっていた。ゴロゴロと転がる様はまるで猫のようだ。
「何だ、紗綾ですか。気配を消していたから敵かと思いましたよ。攻撃したのは申し訳ありませんが、今度からは気配を出して入ってきてください。というか、よくここが分かりましたね」
麻耶は構えていた鉛筆を下ろしながら、警戒心を解く。自分もいきなり攻撃したのは悪いとは思うが、気配を殺していたのも充分な問題だ。麻耶にも弐夜にも気配を殺せる刺客が襲い掛かってくるアテがある以上、気配を殺しているのはそれだけで敵認定されてもおかしくはない。
(私には組織の残党、ないしは警察の特殊部隊が。そして兄様には――――裏社会の人間のほとんどが)
弐夜ことヘルズの活躍はよく知っている。というか弐夜=ヘルズではないかと言う疑いが出来て以来、ずっとヘルズ関連のニュースを集め続けていたためよく知っている。今ではヘルズ関連の記事で机の上が埋まるほどだ。
――――天才怪盗ヘルズ・グラン・モードロッサ・ブラッディ・クリムゾン・ライトニングは、悪人からしか金を盗まない。
それは物語の中に居る怪盗のようで、義賊というべきか兄らしいと言うべきか分からない麻耶だったが、現実的に考えるとこれはかなり危ない行為だ。
組織の金を盗むという事は、当然そこに所属する人間全員から恨みを買う事になる。更に表社会の住民ならともかく、裏社会の人間は情報収集能力も戦闘能力も桁外れだ。そんな彼らに積極的に喧嘩を売りに行って、大丈夫なのだろうか。
麻耶は以前に一度、弐夜と戦った事があるがその実力はさほど強くはなかった。なのに、その戦闘能力しか持たない弐夜が裏組織に次々喧嘩を売って問題ない筈がない。現場で出会えば逃げ切れるかもしれないが、家を襲撃されたらおしまいだ。
だからこそ警戒しなければならないにも関わらず、気配を消しての訪問だ。警戒しても無理も無い。
「チッ、俺が居たからよかったものの、二人ともアホな事しやがって」
麻耶がそんな風に誰に向けて言っているのか分からないような言い訳をしていると、弐夜が頭を掻きながらぼやいた。そんな彼の身体に紗綾はしがみつき、弐夜の頬に自分の頬を合わせて頬ずりしていた。
「にぃ・・・ほっぺた柔らかい」
「頬は誰でも柔らかいだろ。・・・ってか紗綾、別に頬擦りするのはいいけど時々舌でペロッとやるのは辞めてくれ。猫の舌ってザラザラしてるから痛い」
「だ、駄目ですよ! 何やってるんですか紗綾! 兄様も兄様ですよ!」
麻耶は慌てて紗綾と弐夜を引き剥がす。油断も隙もない妹だ。
「何だ麻耶。お前もやりたいのか?」
「い、いえ、結構です」
なんでもなさそうに告げる弐夜に、麻耶は顔を赤くして否定する。自分如きがこの神の如き兄に頬を触れさせるなんて許されるはずがない。マイペースな紗綾ならともかく、身分の差をわきまえている自分がそんな事をする訳にはいかない。
「そうか。ま、したくなったら言えよ。兄妹なんだ、そのくらいはしてやる。それに女にこれをやると意外と喜ばれるクルシアの奴も言ってたしな・・・いや、俺の好感度を悉くへし折って自分だけが独占したかったのか? でもアイツが嘘を吐くかな・・・」
後半部分はよく聞こえなかったが、麻耶は「け、結構です!」と言うと、顔を背けた。これ以上兄の顔を直視できない。そう思って目線を逸らすと、ベッドに紗綾が潜り込んでいるのが見えた。
「って紗綾! 何してるんですか!」
「にぃのベッド、気持ちいい・・・」
紗綾は弐夜のベッドで丸くなりながら、とろけた笑みを浮かべていた。普段なら喜ばしい事態なのだが、弐夜のベッドで丸くなっているとなれば話は別だ。
「さ、紗綾、何してるんですか⁉ 勝手に兄様のベッドに潜り込むなんて!」
「寝かせといてやれよ。紗綾は昔からこう言う奴だっただろ」
主である弐夜に諭され、麻耶は仕方なく引き下がる。紗綾はやがて弐夜の枕を抱き締め、本格的な寝息を立て始めた。
「やっぱり寝ちまったか。まあいいさ。麻耶、何か俺に話したい事があるんじゃないか?」
「え、えっと・・・」
どうして気付いたのか。そう目線で問いかけると、弐夜はハハッと軽く笑った。
「お前の顔を見てれば分かるよ。たぶん大事な要件と言うより、世間話だろ。話を遮る紗綾は居ないし、今日は他の来客者もいない。ゆっくりと話しな」
どうやら紗綾を起こさなかったのは、麻耶とゆっくりと話をするためらしい。自分の兄の気遣いに、胸に温かい物を感じながら、麻耶は床に正座した。
「で、では、話してもよろしいですか。他愛も無い世間話ですが」
「気にするな、七年ぶりに会ったんだ。好きな事を話せよ。たまには兄妹の話に花を咲かせるのも悪くねえ」
弐夜は穏やかな笑みを浮かべながら、床に胡坐を掻いた。麻耶はそんな兄の顔を見ながら、七年間に会った話を口に出す。
悲しかった事、嬉しかった事、辛かった事、楽しかった事。
それら全てを、取り留めも無く話していく。弐夜は麻耶の話に頷き、また時には相槌を打ち、しっかりと話を聞いてくれた。それが嬉しくて、また有り難くて、麻耶は途中から自分が何を話しているのか分からなくなっていた。
会話の内容なんてどうでもいい。ただ、目の前の人と話していたい。
麻耶が全ての話を終えたのは、夜の一時だった。
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