裏切り者②
真面目にコツコツとやっていれば上手くなるものは必ずある。
しかし、全ての物がそうとは限らない。
by花桐姫香
地下室は、降谷が思っている以上に広かった。
「凄いな。まるでさっきの階がカモフラージュで造られたみたいだ」
降谷の言う通り、先ほどまで降谷が居た地上の部屋とこの空間では、雰囲気が断然違う。
「っと、そうだ。一応保険は掛けておくべきか」
地上から地下室の床までの距離は、およそ十数メートル。普段なら平然と着地出来る所だが、万が一失敗した時の事を考えると危険だ。着地に失敗して足を挫けば最後、ユルの奴隷たちに捕まるだろう。
降谷は懐から白いボールを取り出すと、床に向かって投げた。ボールは床に当たると破裂し、蜘蛛の巣状のネットを展開する。降谷は空中で身を捻り、空気抵抗を出来るだけ大きくすると、ネットの中心に落下した。そしてすぐに起き上がる。
「怪我はなし、と。よし、じゃあ行くか」
地下室には30ルクス程の照明が付いており、室内を薄暗く照らしていた。また二本の通路が開いており、行く先を不気味に照らしていた。
「しっかし、凄いなこりゃ」
地上の廃屋はまさに『山小屋』と言う言葉がしっくり来るくらいの広さだった。だが地下室は巨大な病院くらいの広さを誇っているのが雰囲気だけで分かる。
降谷が唾を飲み込んだ時、照明に影が差した。
「何だ?」
見上げると、そこにはユルの奴隷たちが降谷目がけて落ちて来ていた。皆催眠術で操られているためか、思い思いの恰好で飛び降りている。中には高さを考えずに頭から飛び降りようとする奴まで居る。
「ユルの奴、無茶な使い方しやがって」
降谷は愚痴りながらネットから降り、不気味な通路の内の一本を潜る。しばらく走っていると後ろからゴキッ、という頭から落ちて首の骨を折ったであろう人間の最期の音が聞こえて来た。だが降谷は走る速度を緩めない。むしろ速度を上げ、奴隷たちに捕まらないように心掛ける。
「しっかしユルの奴、考えたな」
走りながら、降谷は思った事を口に出す。
「裏社会の人間なら大抵、気配の探知が使える。故に大人数で闇討ちしようとしても事前に察知されて対処されてしまうのがオチだ。だがアイツの奴隷には意識がない」
気配とは意識を保つ人間が無意識に放出する、要は存在感のような物だ。故に眠っている人間や死んでいる人間などは意識を持っていないため、気配を出さない。だから、意識を失っている人間を闘いの場に出されると気配を感じ取れず、不利になる。
「ほぼ暗闇の中、気配の無い敵が百体かよ・・・厳しいな。クソッ、携帯電話さえ使えればな。綾峰に助けを呼べたのに」
綾峰のオーラは、使い方を変えれば範囲攻撃も可能となる。それに綾峰のオーラは彼女自身の体力が続く限り無限だ。道具を使わなければ生き残る事すら怪しい降谷とは格が違う。
「だが、泣き言も言ってられないよな・・・・ッ⁉」
突如横合いから受けた衝撃に、降谷は驚く。咄嗟に足を振り回して大振りの回し蹴りを食らわせ、謎の何かを吹き飛ばす。
「な、何だ⁉」
横を見ると、そこには通路があった。そして通路を大量の奴隷が埋め尽くしている。
「そう言えばユルの奴、残りの七十五体について言ってなかったな。そうか、ここに保管してたのかよ」
そう考えれば、地下室にだけ照明があるのにも納得がいく。ユルの従順な操り人形とはいえ、彼らのスペックは『一般人』だ。つまり夜目が効かない。だから、一面に明かりを配置して同士討ちを防いでいるのだろう。
「て事はこの証明を壊せば・・・いや、駄目か」
証明はかなり高いところにある。よしんば破壊できたとしても、着地で失敗すれば足を挫く。これが一つなら降谷も賭けに出るところだが、複数ある以上賭けに出る気にはなれない。
「となると、やっぱり奴隷達をたおしていくしかねぇな」
幸い、奴隷の動きはそこまで速くない。スペック的に見れば、昔見たホラー映画に出てくるゾンビと大差ない。
「オレだって『最強の犯罪者』の弟子だから、な!」
降谷は奴隷の群れに突っ込むと、先頭に居た男のこめかみに肘を入れた。そのまま腕を高速で引き戻し、隣に居た女の顔面を殴る。
メリッ。
女の鼻が陥没し、作画崩壊を起こすほど崩れる。降谷はもう片方の手をポケットに入れると、クナイを取り出し女の後ろに居た青年の目に突き刺した。
「これだけやっても誰も呻き声ひとつ上げないとはな。催眠術って言うのは恐ろしい物だ」
恐らく、痛覚も麻痺させているのだろう。降谷はユルの技術に感嘆する。
奴隷たちは怯むことすら脳にないのか、一心不乱に降谷に突き進む。降谷はそれらを捌き、時には反撃し、的確に数を減らしていく。
(・・・しかし、相手がオレで良かったな)
三方から同時に飛び掛かってきた奴隷の後頭部を膝で踏み砕きながら、降谷はふと思う。
(もしこれがヘルズなら、たぶん負けてたかもしれないからな)
殺人を許されている『スパイ』の降谷と違い、ヘルズは殺しを許されない『怪盗』だ。だがこの奴隷たちはただの一般人、殺さないように戦うのは非常に難解だ。
「その点、オレはいくら殺しても大丈夫なんだから楽なものだよな」
奴隷の頭を踏み台にして、降谷は高く飛び上がる。腰に付けた袋からまきびしを取り出し、奴隷たちの足元にばら蒔いた。
「これで足止めになるとも思えないがな・・・」
まきびしは元々、痛みで人を止めるものだ。痛覚のない彼らにどれ程通じるかは分からないが、やってみる価値はある。
奴隷の頭に手を着いて体を回転、まきびしの無い場所に着地する。奴隷たちは降谷の姿を再確認し飛び掛かろうとするが、途中でまきびしが足に突き刺さる。
「当たり前だけど、血は赤いんだな」
降谷は下らないことを言いながら、数歩後ろに下がった。さっきわざわざ上空に跳んで、まきびしを均等にばら蒔いてきた所だ。少なくとも十人は怪我を負っているはず。
何故ここで降谷が前方にまきびしを蒔かなかったかと言う理由がここに繋がる。前方にまきびしを蒔けば、最初の数人にしか刺さらないだろう。だが、全範囲にばら蒔くことで被害を甚大にできる。
今までの戦闘の知恵が生きている。降谷がそう感じているとき、どこからか声が聞こえた。
「制限解除。動き出しなさい、ワタシの奴隷たち」
「何だ?」
声の主がユルであることは明白だ。だが、命令の内容がよく分からない。
だが、その疑問はすぐに解消される事となる。
一番前に居た、降谷に一撃もらって倒れていた筈の男が立ち上がると、降谷に向かって飛び掛かった。途中まきびしに刺さるが、お構いなしに突き進む。
「嘘だろ⁉」
だが、驚くべき所はそこではなかった。奴隷のスピードは先程の緩慢とした動きが冗談だったかのように、異常だったのだ。
その速度は降谷よりも遅いが、チャルカと同等かそれ以上。侮れば一撃で死ぬ。
「何なんだ、急に⁉」
降谷は半身をのけ反るようにして奴隷の伸ばした手をかわす。奴隷は手を伸ばした姿勢のまま、降谷の横をすり抜けてぶっ飛んでいく。
「今のはーーー」
降谷が絶句していると、顔を潰された女が両手を伸ばして襲いかかってきた。繰り出された拳を、降谷は間一髪で避ける。
「クソッ、気配がないから読みにくいな!」
もし目の前の敵がユルならば、殺気から感じ取ってもっと楽にかわせただろう。少なくとも、不意を打たれることはあまりない。
降谷が女と戦っていると、後ろから老人がドロップキックをしてくるのが見えた。
「ッ⁉」
降谷は横に跳ぼうと足に力を込めるが、女の蹴りが飛んできた。首を狙った、針の穴を突くような攻撃。降谷は首を傾けて蹴りを空振りにさせるが、そのせいで回避し損ねる。
老人がカンフーの達人のような構えを取りながら放ったドロップキックは女の背中を盛大に踏みつけ、女の体を間に挟む形で降谷に放たれた。
「グオッ!」
内蔵がひっくり返るような痛みが走ると共に、降谷は後ろに吹き飛んでいた。後ろの壁に大きなへこみを作り、ようやく止まる。
「・・・クソッ、なんて威力だよ」
舞い上がった埃と奮迅でゴホゴホと咳き込みながら、降谷は愚痴る。付けていた眼鏡は今の攻撃でどこかへ吹き飛んでしまったし、手持ちのナイフの一本は刃が欠けてしまっている。これでは使い物にならない。
その時、次なる奴隷が降谷に向かって走ってきた。降谷は懐から新たな銃を取り出すと、奴隷の眉間に狙いを定めて撃った。奴隷の眉間に穴が開き、奴隷が前のめりに倒れる。
「確実に殺していくか」
降谷は自分に向かってくる老人を見ながら、淡々と呟いた。銃を構え、引き金を引く。それだけで降谷を苦しめた老人は、二度と動かなくなった。
「さて、と。次はーーー」
瞬間、嫌な予感がして降谷は振り返る。すると、最初の男が降谷に向かって走ってくるのが見えた。
「まずい!」
銃を構えるが、男はもう目の前まで迫っている。これなら引き金を引くよりも男が降谷に襲いかかる方が早いだろう。
(クソッ、万事休すかーーー)
降谷が覚悟を決めた、その時。
カクン。
「・・・・へ?」
奴隷の足から力が抜け、床に倒れる。降谷は訳が分からないと言ったように、目をパチクリさせた。
今のは降谷が何かをしたのではない。何もしていないのに、奴隷が勝手に倒れたのだ。
まるで、全身から力が抜けたかのように。
「何だ、これ?」
降谷が呆然としていると、顔を潰された女が襲いかかってきた。破片が突き刺さって腹からダラダラと血を流しているが、まだ動けるというようにヨロヨロと降谷に向かってくる。
「あんなになってもまだ動ける・・・なのにさっきの男は特に怪我もなかったのに動けなくなった。この違いは一体なんだ?」
疑問符を浮かべながらも、攻撃の手は緩めない。空になった弾倉を詰め替え、女目掛けて撃つ。女は脳漿をぶちまけて死んでいった。
「まあ、分からない物は仕方ない。地道に検証していくとするか」
呑気そうに、しかし表情は硬いまま、降谷は呟いた。




