イケメン先輩≠彼氏
「どうしよう」
ヘルズの家から出た瞬間、姫香は大変な事に気が付いた。
学校へ行く道のりが分からないのだ。
今は八時一五分。ヘルズの家が学校からどれくらいの距離なのか分からないが、下手をすれば遅刻してしまう。
「どうしよう」
とりあえずアパートの外に出なければ、と思い一歩踏み出した時、隣のアパートの扉が開いた。
「あれ、姫じゃないか。どうしたの、こんな所で」
見ると、賢一が驚いた顔でこちらを見ていた。
「賢一君?」
姫香も驚いた。何故賢一がここに居るのだろうか。
姫香の疑問を悟ったのか、賢一が言う。
「俺、早く一人前の怪盗になるために、今は一人暮らし中なんだ。姫こそどうしたの?まさか姫、僕の隣の部屋だったの⁉」
ーーー怪盗になるためには、一人暮らしが必要なのだろうか。そもそも賢一は今『一人前の』と言ったが、まず怪盗ですらない。
姫香はそう思ったがあえて突っ込まず、賢一の問いに対して首を振る。
「じゃあ、何で姫が俺の隣の部屋の前に立ってるんだろ?」
賢一は少し考えるような仕草をしたのち、驚いた顔で姫香を見た。
「まさか、彼氏⁉ 毎朝起こしに行ってるとか?」
姫香はまた首を振った。
「じゃあ何でだろう?」
姫香は言葉に詰まった。ヘルズの名前を出すわけにはいかない。上手くヘルズの名前を出さずに誤魔化すしかない。
「え、えっと、実は知り合いにノートを借りてて、返しに来たの」
姫香は何とか誤魔化した。追及されるとやや苦しい部分もあったが、賢一は姫香の答えに満足したようだ。「ふうん」としか言わなかった。
「そ、そうだ、姫」
賢一が緊張した面持ちで言う。姫香は「何?」と聞く。
「い、一緒に、が、学校にい、行って、くれるかな?」
何に緊張しているのか、賢一がつっかえながら姫香に問う。別に大したことではないので、姫香は頷く。
「や、やったあ!」
何がそんなに嬉しいのか、賢一は飛び上がると姫香の腕を掴んだ。
「そ、それじゃあ、早く行こう!」
賢一と一緒に教室に入ると、真理亜と沙織が近づいて来た。
「おやおや~。二人一緒とは珍しいですなあ」
「賢一君、ついにやっちゃったかー。私達の姫ちゃんを奪った罪は重いよー」
二人のからかいに、姫香は苦笑した。
「ちょっと二人とも、賢一君が困ってるからやめてあげなよ」
「姫ちょっと甘すぎー」
「そうそう。もっと厳しくしないと、彼氏が可哀想だよー」
「ふ、二人ともやめなよ。賢一君も、私なんかの彼氏は嫌だよね?」
姫香が賢一に話を振ると、賢一は何故か顔を真っ赤にしていた。
「い、いや、僕は・・・」
そこまで言うと賢一は逃げ出してしまった。
「け、賢一君⁉」
「あーあ、姫が彼氏をいじめたー」
「賢一君かわいそー」
真理亜と沙織がニヤニヤしながら姫香に迫って来る。からかっていると分かっていても謎の威圧感につい後ずさってしまう。その時、教室の入り口から黄色い歓声が聞こえてきた。
「ま、まさかあのイケメン先輩・・・」
「嘘、まさか在学中に会えるなんて・・・」
「私達はなんて幸せなの!」
姫香が見ると、そこにはヘルズが立っていた。だるそうにポケットに手を突っ込み、何かを探すように目を動かしている。目の下の隈と相まって、その目つきは若干怖い。だがそれも女子にとっては魅力の一つなのか、皆好奇の目で見ている。やがてその目が姫香と合った。
「おい、花桐。ちょっと頼みたい事があるんだが、いいか?」
「あ、分かりました。今行きま―――」
姫香が教室の外に出ようとすると、真理亜と沙織が両腕を掴んで来た。
「ぐふふ、行かせないよ、姫」
「すみませーん、弐夜先輩。姫ちゃんちょっと手が離せないので、そこで言ってもらえますか?」
「あ、ああ。構わないが」
ヘルズは一瞬驚いた顔をするが、すぐに元の顔に戻って言う。
「花桐、今日の放課後、お前の家に行ってもいいか?」
一瞬、―――一瞬だけ、教室内に静寂が訪れた。
「えええええええええええええええ⁉」
ヘルズの発言は、今日一番の爆弾発言になった。
「姫、黒明先輩と付き合ってたの⁉」
「ひ、姫ちゃんに先を越された・・・」
放課後、姫香はクラスの女子に取り囲まれていた。
「でもすごいよね、あの黒明先輩と付き合うなんて」
「あの伝説の先輩をどうやって落としたの?まさか色仕掛け? 大胆ね」
「え、えっと・・・」
そもそも姫香は付き合ってなどいないのだが、今さらそんな事言ったところで他人の恋愛が三度の飯より好きな乙女たちが信じるはずが無い。
仕方が無いので、姫香は逃げる事にした。
「じゃ、じゃあ、私帰るねっ!」
鞄を持ち、教室から出る。校門を出ると、ヘルズが立っていた。
「やけに遅かったじゃねえか。どうした?」
「誰のせいだと思ってるんですか・・・・」
姫香は溜息を吐く。ヘルズに怒ったところできっとこの変人はケロッとしているだろう。
「じゃあ行くか。お前の家ってどっちだ?」
ヘルズが辺りをきょろきょろと見回す。姫香はまた溜息を吐いた。
「すみません。今日は親が居るのでちょっと・・・」
「ああ、お前の家の親なら居ないよ」
「へ?」
思わず変な声が出てしまう。ヘルズは一体何を言っているのだろう。
「何でも、娘の成績について担任と話すらしいよ。いやー、女子高生の親も大変だなー」
「な、何で、急に?」
「さあな。きっとどこかのろくでなし教師が『娘さんの事で話がありますウヘヘヘヘヘ』とか言って両親を呼び出したんだろ。ま、これで邪魔者はいなくなったわけだ。さ、お前の家に行こうぜ」
「で、でも・・・」
まだ会って一週間も経っていない男を、部屋に上げていいのだろうか。姫香が悩んでいると、ヘルズが恐ろしい事を言い出した。
「じゃあ仕方ない。二ノ宮の奴に頼んで住所特定してもらって不法侵入するか。アイツは国のサーバーもハッキング出来る程のスキルを持ってるからな。たかが一個人なんて十分あればーーー」
「わ、分かりました!早く家に行きましょう」
もうどうにでもなれ。姫香はそう思うと、ヘルズの手を引いた。
「こっちです。先輩」
「こりゃ、凄いな・・・」
姫香の家に着いたヘルズは、感嘆の声を漏らした。
豪邸、という呼び名が正しいそれは、ヘルズが感動するだけの価値はあったようだ。
「さ、どうぞ先輩」
鍵を開け、ヘルズを中に入れる。玄関に上がった途端、ヘルズは姫香に聞く。
「おい、お前って実はどっかの国の王女様だったりする?」
「いえ、違いますけど」
床には絨毯が敷き詰められ、上にはシャンデリアが下がっている。『花桐姫香の家の中を描け』という宿題が出たら、誰もが物語に出て来るような城の内装を描くだろう。そのレベルだ。
「こりゃ、凄いな・・・」
「こっちです、先輩」
壁に埋め込まれた宝石を見ながら感動するヘルズに、姫香が声を掛ける。ヘルズは姫香の後に続いて階段を上った。
「ここが私の部屋です、先輩」
姫香が部屋の中に入り、ヘルズを促す。ヘルズは慎重になりながら部屋の中に入った。
「凄いな・・・」
「じゃあ、お茶を持って来ますね」
驚いているヘルズに軽く微笑むと、姫香は部屋を後にした。
「さて、と」
ヘルズは呟くと、ポケットからインカムを出し耳に付けた。
「調査と行きますか」
姫香の部屋は、先ほどの廊下に比べると質素な部屋だった。
机や布団が綺麗に整っており、ヘルズの部屋とは大違いだ。本人の趣味か、ガラスのテーブルと木の椅子が一式部屋の真ん中に置いてあった。テーブルの上にはバスケットがあり、中には黒いパンが入っていた。中に入っているパンの正体が分からなかったので、試しに一口齧ってみる。パンが口の中に入った瞬間、ヘルズが苦い顔をする。
「うえっ、何だこれ」
パンの正体は焦げたパンだった。冷めていても不味い事この上ない。
「なんでこんな物があるんだよ。滅茶苦茶まずいなオイ」
ベッドの下を確認してみる。ベッドの下には何もなかった。ヘルズは鞄の中から小型のICレコーダーを取り出すと、ベッドの下に転がしておく。
次に壁を調べる。壁には何かがぶつかったかのような傷や凹みが大量についていた。ヘルズはポケットからダーツを取り出すと、それを壁に投擲した。ダーツは壁に深くめり込み、後には羽根が通った十字の後のみが残る。その時、姫香がお茶の乗ったお盆を持って部屋に入って来た。
「お茶、持って来ました。どうぞ」
「お、ナイスタイミング」
ヘルズの言葉に、姫香は首を傾げる。お盆をテーブルの上に置き、ベッドに腰かける。
「先輩は椅子に座ってください。立ったままでは辛いでしょう」
姫香の言葉にヘルズは椅子に腰かける。
「で、どうしたんですか。突然家に押しかけてきて。私にも教室内での立場という物があるんですけど」
姫香は少し不機嫌そうな声で言う。ヘルズはあえてそれを無視して、姫香が用意してくれたお茶を飲む。かなり美味かった。
「ちょっと、聞いてるんですか!」
姫香がテーブルをバン!と叩きながらヘルズに言った。またしても無視する。
「先輩!」
姫香がベッドから立ち上がりヘルズに詰め寄る。もう無視はできない。
「まあ落ち着け。実はだな・・・」
ヘルズは姫香を手で制止しようと一歩踏み出した時、絨毯にほつれがあったのだろう、ヘルズの足が絨毯に引っかかった。ヘルズの身体が前に倒れ、姫香を巻き込んでベッドに倒れこむ。
「うおっ!」
―――――――気が付くと、姫香を押し倒していた。
「え、えっと・・・」
何かを言おうとしても上手く言えない。自分でも気が付かないうちに、視線は彼女の唇を見ていた。わずかに濡れた桜色の唇は、何かを紡ごうと懸命に口をパクパクと動かしている。だが、ヘルズ同様、言葉が見つからないらしい。ようやく出てきた言葉は、
「は、初めてなので、や、優しく・・・」
「ちょ、ちょっと待て!」
それ以上言わせるとまずいので、ヘルズは慌ててその口を手で封じた。これ以上言われるとこちらとしても理性とかが色々とヤバい。
『すまんヘルズ、花桐の両親がそっちに向かう。戻って来い』
降谷の声で現実に引き戻される。そうだ、自分は怪盗。こんな所で捕まるわけにはいかない。
「ああ、足止めご苦労さん。今からそっちに戻る」
ヘルズはいつも通りの口調で答えると、窓枠に足を掛けた。
「どこに行くんですか?」
後ろから掛けられた質問に、ヘルズは振り返り、息を呑んだ。
姫香の濡れた目はトロンとしており、頬が上気している。手は下の方でもじもじと動かしていた。一体何が彼女をそうさせたのだろう。
――――完全に、恋する乙女の顔だ。
「もうすぐお前の親が帰ってくる。さすがに男と二人きりで部屋に居たらまずいだろ?」
「どうしてですか?私は構いませんよ」
姫香がこちらに一歩、踏み出してくる。恋する乙女は一度スイッチが入ると止まらないというが、どうやら本当らしい。出来れば一生知りたくない事実だった。
「いやまずいだろ。お前結構まずい事言ってるぞ」
「全然大丈夫ですよ。それとも先輩、私じゃ駄目ですか?」
姫香の濡れた瞳がヘルズの目を見据える。ヘルズは溜息を吐くと、
「こんな事するのは出来れば今回限りにしたいからな」
姫香の右腕を掴んだ。姫香の顔が苦痛に満ちた物に変わる。
「こんな事やってから言うのも何だけどな・・・」
ヘルズが頭を掻きながら、姫香に言う。
「心配するな。俺に任せろ」
姫香の膝から、力が抜けた。言葉と共にヘルズが放った足払いが、姫香のふくらはぎに直撃したのだ。その時、玄関の開く音が聞こえた。姫香の親が帰って来たのだ。
「じゃあな」
ヘルズは崩れ落ちている姫香に言い残すと、鞄に閉まっておいたマフラーを取り出し、振った。伸縮性の素材入りのマフラーは元の二倍くらいまで伸び、隣の家の避雷針に引っかかる。ヘルズは窓枠を蹴り、姫香の家を後にした。
姫香は、窓枠を蹴って去ってゆくヘルズを見つめていた。
両親が階段を上がって来る音が聞こえる。ああ、また地獄が始まるのか――。
『心配するな。俺に任せろ』
脳裏に浮かび上がったその言葉を思い出し、全身に力がこもる。
彼が救ってくれるまで、頑張らなくては―――。
『で、情報は全部集まった?』
「ああ、完璧だ」
『私の方も完成したわよ。後は君の運動能力次第だけど、大丈夫?』
「おいおい、俺を誰だと思ってんだ」
ヘルズは屋根から屋根へ飛び移りながら、不敵に笑った。
『天才怪盗ヘルズでしょ。分かってるわよ、そんな事』
「正確には、〝ヘルズ・グラン・モードロッサ・ブラッディ・クリムゾン・ライトニング〟だけどな」
『はいはい、そうだったわね』
「じゃあ、今から戻るから通話切るぞ」
ヘルズは通話を切り、呟くように言う。
「待ってろ。今、俺が助けてやる」
「ふうん」
二ノ宮はヘッドホンを耳から外しながら、楽しそうに微笑んだ。
「ヘルズ、久しぶりに本気になったんだ」
机の上には、ネジや小型の部品などが、所せましと並んでいる。
「よし、頼まれてた物も作ったし、ネトゲでもするか」
二ノ宮は大きく伸びをすると、パソコンを開いた。
「さあ、セキュリティと一対一の勝負だ」
以上です。短かったらすみません。




