おれが認められねえっていうなら、100%世間は節穴ってことさ
マスコミが加護するものは信じないという習性は、私のなかで確立されている。
都民ではないので、都知事選にはいっさい関係がない。もしも私が都民であったら、マック赤坂に入れようと思う。都知事選のたびに出ている名だから、名まえだけは知っていた。その街頭演説を、Youtubeで観た。インターネットによって、多くの事実が周知されるようになった。
鳥越俊太郎が街頭演説しているところ(本人はいなかったのかもしれない)に、マック赤坂が乗りつける。「京都大学の鳥越先輩に手紙を書いてきました」と。「鼎の軽重」って言葉を知らずに、「ケイチョウノカナエ」とか言っていたジャーナリスト(笑)……教養のないやつだと蔑んでいたのだが、京都大学出ていたとは。
「マスコミはあたかも、都知事選には三候補しか出ていないかのように報じている。この三人のなかから選べとばかりに。ちっとも民主的ではない。このマスコミのありようは、民主主義への冒涜ではないか。鳥越先輩。ジャーナリストとして、この現状をどう思われるのか。手紙を書いてきたので、読んでください」
泡沫候補、魂の訴え。そう。彼ら泡沫候補はマスコミという絶対的な権力によって、泡沫候補へと追いやられていたのだ。弱者救済。では、この選挙における弱者である私も救済してくださいと。平素は弱者の味方ヅラをしている志位和夫が、華麗なスルーを決めこんで車に乗りこむ姿がじつに印象的だった。
「私の敵は、対立候補ではないんです。民主主義を否定して悪びれることのないマスコミなんです」
マック赤坂の言葉は、私の意訳要約。一字一句そのとおりではない。
マスコミという暴力装置は、その暴力性について自覚がない。「いじめはよくない」などともっともらしいことをマスコミは吹聴するが、いじめの加害者であるという自覚がマスコミにはまるでない。不祥事を起こした企業人や政治家、スキャンダル渦中の芸能人。どれだけいじめぬけば気がすむのか。それでいて自分たちの、歪曲報道や人倫にもとる取材行為などについてはいつも頬かむりを決めこむ。
相模原で十九人を殺害した鬼畜。民主主義で選ばれたヒトラー。それに日本のジャーナリストとマスコミ。その奉ずるところの思想はよく似ていると思う。
私がマック赤坂に共感をおぼえるのは、私の文芸活動もまた泡沫であるからだ。何百何千ポイントを叩きだすメジャーにたいして、私が書くものはつねにアングラ。否定されるまでもなく黙殺される泡だとしても、書きつづけていくしかない。このサイトで燻りつづける多くの「泡沫作家」が、心折れることなく書きつづけてくれることをねがう。