58A リーゼの思惑(前編)
わたくしは、ルーシェリア帝国の皇帝リーゼ。
皇帝だった父アヒムを勇者ナギサが殺した事で、後を継ぐことになったのです。
その件にまつわる勇者ナギサの行動は、正直わたくしにとっても想定外の出来事でした。
まさか、あのような人の目の多い場所で、堂々と皇帝の殺害に及ぶなどとは、流石のわたくしでも予想できませんでした。
そして、あのまま放っておけば、間違いなくナギサは逆賊として、処分されます。
勇者たちの助力を欲しているわたくしにとっても、それは非常に不味い事態です。
「ナギサ様、ご安心下さい。全てわたくしにお任せ下さい」
内心の焦りを押し隠し、わたくしはナギサにそう声をかけます。
というのも、これ以上彼におかしな行動をされたら困るというのが、最大の理由でした。
「ありがとう。頼んだよ、リーゼ」
わたくしが彼の持つギフト〈ルートテンプテーション〉によって魅了されているモノと信じ切っているのか、安堵した表情を見せます。
そんなナギサを内心で嘲笑いながらも、わたくしは彼の行動の尻拭いに奔走いたしました。
結果としては、わたくしの必死の努力によって、どうにか内々に処理する事に成功しました。
その甲斐もあって、予定より早く皇帝の座を手に入れることが出来たので、まあ良しとする事にしましょう。
……そうでも考えないとやってられませんからね。
それからもナギサは、愚劣極まりない行動を繰り返します。
ギフトの力を過信した彼は、手始めと言わんばかりにわたくしを閨へと呼び出します。
「ああっ、お止めくださいっ、ナギサ様っ!!」
そう抵抗の言葉を発しつつも、内心ではわたくしは処女を失う事を覚悟しておりました。
しかし何故か彼は小さな逸物をわたくしに擦りつけるだけで、あっさりと果ててしまい、わたくしのその覚悟はあっさりと無意味なモノとなりました。
唖然としているわたくしの前で、汚い液体を床にまき散らした彼は、妙に満足そうな表情を浮かべています。
……ホントに何なんでしょうね、この男は。
それから彼は、わたくし以外の城の女性たちを次々と閨へと呼び出します。
後から彼女達から聞き出した話によれば、彼はわたくしにしたのと同じような行為を繰り返していたそうです。
ナギサのあまりに意味不明かつ愚かな行動に、いっそ殺してやろうかと何度となく思いましたが、目的の為に彼の存在はまだ必要です。
利用価値が無くなるその日まで我慢だと、しばらく耐える日々が続きました。
そうしている内に、他2人の勇者が召喚されます。
幸い、その2人はナギサのような愚劣な人間では無かったのが救いでした。
特にツバキが潔癖な女性だったので、ナギサの愚かな振舞いはすぐに息を潜める事になりました。
いざ自分の力が通用しないとなると、途端に卑屈になるのですから、まったく度し難い男です。
同時に、こんな男と形式上でも夫婦でいなければならない今の自分に、やるせなさを感じました。
こうして皇帝として勇者3人を手駒としたわたくしは、神聖教国ステラシオンへの侵攻の指揮を執ります。
わたくしの目的の為にも、皇帝となる際のゴタゴタで生じた帝国内部の不満をぶつける意味でも、この侵攻は必要不可欠でした。
様々な工作を織り交ぜた甲斐もあり、どうにかその第一段階は成功に終わります。
無事教国の王都エストレヤを占領したその影には、特に勇者サトルの働きが大きかったように思えます。
「サトル様、いつもありがとうございます」
「……気にするな。ただの暇つぶしに過ぎん」
サトルは一見無気力に見えますが、その実、課題を与えれば、こちらの予想以上の結果を常にもたらしてくれました。
民衆の扇動においては、最高峰ともいえる能力を持っているにも関わらず、ロクな成果を上げられないナギサには、彼の垢を煎じて飲んで欲しいモノです。
王都エストレヤを占領し、神聖教国ステラルーシェの建国を宣言したまでは良かったのですが、そこで勇者2人の言い争いが始まってしまいます。
「邪教を信じる愚民どもがそこら中を這っていると考えると、なんだか寒気がしますね。ちょっと僕の力で消し飛ばしてきてもいいですかね?」
何を考えたのか、唐突にナギサがそんな事を言い出します。
「あなた何を言っているの! いくら邪教の徒であっても、彼らもまた人間なのよ!? そんな彼らを救うのもまた勇者の使命じゃない!」
「やれやれ、話が分からない方ですね。邪教に洗脳された民衆を救う為にも、この国は一度徹底的に掃除した方がいいんですよ」
「いいえ! 仮に一度は邪教に身をやつしたと言えども、彼らもまた私達勇者が守るべきか弱き人々よ! そんな彼らを見捨てるなんて私には出来ないわ!」
その後の話で、どうもナギサは神聖教国ステラシオンの領土すべてを占領し、女神ステラルーシェへと捧げる考えだと判明しました。
それはわたくしが立てた計画とは明らかに異なります。
彼はわたくしの話をちゃんと聞いていたのでしょうか?
思考が猿な上に記憶力は鳥なのですから、本当にどうしようもない男です。せめて、犬のようにこちらに従順で居て欲しいモノですね。
そもそも、わたくしの目的の為に必要なのは、神聖教国ステラシオンの領土などではありません。
大体、あんな邪な女神なんかに捧げる領土など、一切存在しません。
帝国があの女神の名前を冠している事ですら不愉快なのに。
いずれ目的を達したなら、必ず帝国の名を改めてやります!
とはいえ、ツバキの主張するように、ここで侵攻を止めるというのも、わたくしとしては有り得ません。
どうにか、2人の主張の間くらいで落ち着くよう仲裁を頑張っていた所に、突如、乱入者が現れました。
気が付けば部屋の中央に一人の青年が立っていたのです。
その青年が、女神ステラシオンが遣わした勇者であることは、所持する魔力の膨大さと異質さに、一目見て分かりました。
「貴様! どうやってここまで!」
突然の事態に、護衛の兵士たちが声を上げて、一斉に彼を取り囲みます。
そんな彼らをどうやって止めようか、考えていた所にナギサが声を上げます。
「待ちなさい。……少しその男の話を聞きたいのです」
ナギサが妙に気取った仕草で、前へと進みでます。
「……ですが」
「あの男は恐らく邪神ステラシオンが遣わした勇者と同格の存在です。あなた達では、抑えるのは難しいでしょう」
言っている事はまあ間違っていませんが、その無駄に余裕ぶった表情にイライラさせられます。
戦闘経験のあるサトルとツバキはともかく、ナギサは実戦をロクに経験していません。その立ち姿も妙にナヨナヨとしており、頼りないモノです。
対して目の前の勇者らしき青年は、何気ない立ち振る舞いからも、かなりの強者であることが察せられます。
ホント、どの口がそんな言葉を吐かせるのやら……。
「一人でこんなところにノコノコと出て来て、一体どういうつもりです? まさか僕たち勇者3人を相手にして、一人で勝てるとでも?」
そう思っていたら、案の定、他の2人に頼る気満々でした。
本当にこの男は……。
「まあ、やってみないと分からないけど、多分、行けるんじゃね?」
対する勇者の青年は、余裕の表情を崩しません。
その姿にわたくしは益々警戒心を募らせます。
ですが、それをナギサはただのハッタリだと判断したようです。
「……魔力に関するギフトをあなたは持ってるようですね? 確かに凄い魔力だ。ですがね、魔法なんかよりも強い力がこの世には存在するんですよ!」
そう言ってナギサが、大型の魔法具を召喚します。
彼の持つギフト〈ファンタズマクリエイション〉の力によるものですね。
「あはははっ! 死になさい!」
そう笑いながらナギサは大型の魔法具を用いて、先制攻撃を仕掛けます。
その威力は、勇者を名乗るだけのモノはありました。
腐っても一応勇者ですからね。それくらいは出来て貰わないと困ります。
「あははっ! 女神様やりましたよ!」
ナギサは、自分の勝利を確信したように哄笑を上げますが、魔力探知によって、対象が生きているのは分かっています。
ツバキとサトルの2人もそれが分かっているようで、臨戦態勢を解いていません。
「いや、何喜んでるんだ?」
やはり、というべきでしょうか。
土煙の奥から、軽い口調の声が聞こえてきます。
「なっ、どうして!?」
ナギサが一人間抜けな表情で驚いていますが無視です。
……どうも風魔法の結界であの攻撃を全て逸らしたようです。途方もない魔力ですね。
「で、魔法より強い力ってどこにあるんだ?」
「くっそぉぉぉ! 僕を馬鹿にするなぁっ!」
勇者の青年の挑発めいた物言いに、ナギサが激高します。
あからさまな挑発に乗ってしまうナギサの幼稚さに、わたくしは内心で溜息を吐きます。
「やめなさい、ナギサ!」
幸い、ツバキの制止の声によって、これ以上の事態の悪化はどうにか免れました。
ですが、わたくしはこの突如現れた勇者の青年にどう対応するのか、頭を悩ませることになります。