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細川幽斎の業務報告

1600年7月細川幽斎文

「みかどへ」

「業務報告」

「私が暮らします田辺城は今。1万5千モノ兵に包囲されています。」

「息子。忠興が家康に属したことにより、

西軍の攻撃を受けているからであります。」

「我が手勢わずか500。」

「攻め手側に私の歌道の弟子が居ることもありまして

なかなか攻撃して来る気配が見えないとは申せ

なにぶん。多勢に無勢であります故

いづれこの城は落ちることになることと思われます。」

「私は生まれながらにして

武士

と言うモノを叩きこまれた身。

この城と共に最期まで戦う所存であります。」

「とは申せ。

私にも心残りになっていることがありまして

それは

先年。三条西実枝様より教授されました『古今伝授』を

返し伝授出来ていないことであります。」

「途絶えさせてはならないものではございますが

なにぶん。私は武士であります。

武運拙くの場合。

取るべき行動はただの1つでございます。

私の身勝手な行動をお許し願えますよう

宜しくお願い申し上げます。」


この文書を受け取るなり

後陽成天皇は

「幽斎を失うのは、朝家の嘆きである」

として

1600年8月

勅使が下り、

幽斎に城を明け渡し、

身を全うするよう説得が試みられるのでありました。


しかし幽斎は文

「みかどへ」

「業務報告」

「先日のみかど自らの働き掛け、

大変有難く存じ上げます。

しかし私は武士であります。

武士でありますので

和を乞うて城を明け渡すのは本意ではありませぬ故

今回の勅命。

申し訳ございませぬが

謝絶させて頂きたく存じ上げます。

現在。私が教授されました

歌道の奥義。

古今伝授の証書を八条宮仁親王様へ。

所有しております

『源氏抄』と『二十一代和歌集』を朝廷に献上させて頂きます。」

「これで私の持っているモノ全てを

遺すことが出来ることかと思われます。」

「あとは武士・細川幽斎を全うするのみにございます。」

「長年に渡ります御恩。感謝申し上げます。」


するとどうでありましょう。

今度は天皇自ら

西軍側。

田辺城を攻囲している側に属します

京都所司代・前田玄以の許に勅使を下し、

ただちに田辺城の囲みを解くよう詔を突き付け、

関ヶ原の2日前。

9月13日に講和が成立。

関ヶ原から3日経ちました

9月18日。

京都所司代・前田玄以の息子であり、

田辺城を攻囲していました

前田茂勝の丹波亀山城に

朝廷が言うのだから仕方なく明け渡したまで。

とばかりに

堂々と入り、

家康と共に従軍し、

関ヶ原勝利に貢献しました息子・忠興は小倉の地に加増され、

幽斎は京都で悠々自適な暮らしを営むのでありました。


戦国時代に入り、

政治とは一線を画し続けることになりました朝廷が

何故。

細川幽斎

と言う一個人に対してのみ

国家権力者としての

毅然とした振る舞いを示すことになったのか……。

これを見るヒントが

祭政一致社会から

政教分離になる過程で生じました

宗教世界に隠されているのかもしれません。

祭政一致時代でありました頃は

権力と宗教は当然。同じモノでありましたので

住民保護の対価としまして

税金を受け取ることが出来たのでありましたが

政治と宗教が分離されるに従いまして

収入源たる税金を民から受け取る理由を失うことになります。

そんな彼らが生き残る手段として

様々な事柄が千年単位におきまして世界各地で展開されることになりましたように


戦国時代の朝廷は

政治権力。

武力

と言っても良いのでありましょうか。

を武士に奪われた時代でありましたので

生計を立てるために

別の方策を考えなければならなくなった。

その方策の1つが

学問

でありまして

その学問を権威の1つとすることによりまして

朝廷・公家が武士に対し、

働き掛け

企業努力を続けて来ました。

関ヶ原に絡む一連の流れの中で

幽斎に対し、

幽斎が籠る城を包囲しました弟子達が

戦う意欲を喪失することになりましたように……。


もし田辺城の戦いによりまして

幽斎が

学問の弟子でもあります相手に

亡きモノとされてしまった。

となりました場合。

これまで学問を通じ、

身の安全と生活費を確保して来ました

朝廷の拠り所を失うことになります。

幽斎は武士でありながら

学問の世界に。

それも

奥義を伝授されている存在でありますので。


……を恐れて

細川幽斎

と言う一個人に対し、

朝廷は動いたことが想像されます。


茶道は

その域にまで

当時。

達することは出来ていなかったのでしょうね……。


(……茶道は

どちらかと言いますと

民衆の楽しみから沸き上がってきたものでもありますけども……)

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