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悪名高き魔女の恋  作者: 高八木レイナ


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探索

 鎖を引きずっていると、どうしても音が鳴る。

 仕方なく、左足に残った鉄環の隙間に、ちぎれた鎖を差し込んだ。これで物音はたたないはずだ。


(まずは室内を捜索しなきゃ……)


 大事なのは、現在地を把握することだ。この部屋が邸のどのあたりにあるのかもわからなければ、逃げようがない。

 ドルシアは足音を殺してバルコニーの方にむかった。

 カーテンを寄せて外をうかがい見ると、月がバルコニーの白い大理石を照らしていた。


(ここは、屋敷の正面側……?)


 しかし、窓からでは遠くにある暗い森くらいしかわからない。

 思いきって、そっと扉を開けた。まだ春先のせいか、薄着1枚だと肌が冷える。ぶわりと入り込んできた夜風が髪を後ろになびかかせた。

 寝衣のスカートがおおきく広がる。

 身を震わせて、素足のままバルコニーに足を踏み出した。人目に注意しながら手すりの方に近づいていくと、屋敷の全容が見えてくる。


 ドルシアがいたのは、2階の一室だった。

 眼下には手入れされた春薔薇らしき庭園があり、心地よい香りに満たされている。

 いまいる部屋は建物の左手にあたる場所らしく、右手にずっと部屋が続いていた。

 バルコニーから下を覗きこみ、慎重に1階までの高さを確認する。


(カーテンを使えば降りられないこともないけれど……庭を突っ切ることになってしまう。それは危険だわ)


 庭園にある薔薇は腰の位置より低い。

 一階にはサロンなどもあって、当然、おおきな窓がある。そこから庭の景色はよく見えるだろう。

 逆に、壁沿いにそっと歩く方法もあるが、それはそれで危険だ。

 それに目的の魔法陣は、おそらく建物の中にある。


(問題は、転移の魔法陣がどこにあるか……よね)


 エルドワードの別邸は、貴族の邸宅によくある左右対称の建物のようだ。

 ドルシアのいる部屋は正面玄関より飛び出た位置にあり、主屋と廊下で繋がっている。邸は角ばった馬蹄のような形だ。


(建物の構造が、なんとなくわかってきた)


 ドルシアは誰にも見つからないうちに室内に戻ると、鍵をかけて深く息を吐いた。

 転移の魔法陣は、かなり大掛かりな魔法に分類される。

 数メートルほどの距離を移動するなら、人ひとりが入れるほどの小さな魔法陣で事足りる。だが、ノアルンと王都までとなると、そうはいかない。遠距離となれば、それなりの空間が必要だ。

 場所と場所をつなげるために、どうしても魔法陣の位置は固定される。


(おそらく、空き部屋か……もしくは、地下とか?)


 呪文だけでも転移は可能だが、数人の魔法使いが数日かけておこなうほど大変なので、一般的にはやらない。

 通常、転移魔法のように大きな魔法をつかう際は、魔具や魔石をつかう。

 魔具にはあらかじめ魔法使いが呪文を彫り込んでおき、転移の際に呪文の欠けている部分だけを詠唱すれば魔法が発動するようにしておくのだ。


(町から町への移動となると……小さな部屋ならいっぱいになるほどの大きさの魔法陣が必要だわ。エルドの性格からして、よく利用する部屋には魔法陣を敷いていない、はず)


 ほとんど推測だ。

 だが、ドルシアも寝室や居室にそんな大きな魔法陣をたえず置いておきたいかというと、やっぱり嫌な感じがする。うっかり詠唱してしまえば転移しかねない点も不安だ。


(ふだんはきっと、誰も近づかないような場所に違いないわ。空き部屋は使用人が掃除で近づくかもしれない。なら、やっぱり……地下が、1番可能性があるかもしれない)


 やみくもに探しても仕方がない。

 とりあえず、一番怪しい地下から探してみよう。

 ドルシアはそう覚悟を決めると、室内にあるクローゼットに近づいた。なかには、ドレスや女物の乗馬服がある。

 すこし悩んだが、靴は履かないことにした。足音を殺すためだ。

 着替える時間が惜しかったので身につけていた寝衣はそのままに、上着だけをはおる。

 ついでに、そこで思いつきで、クローゼットのなかにあった衣装をいくつか丸めて、ベッドのなかに人型にして入れておく。

 もしかしたら、これで時間かせぎができるかもしれない。

 

(――さて、いきますか)


 地下室があるとしたら、主屋から行けるかもしれない。少なくとも、ドルシアの生家ではそうだった。

 もしかしたら各棟に地下室があるという恐ろしい可能性もあったが、あまり考えないようにしておく。

 ドルシアはそっと扉に近づき、耳を押しあてた。

 廊下から物音がしないか確認する。


 心臓が痛いほどに鳴っていた。

 使用人たちは、すでに寝静まっている時刻だ。何も物音はしない。扉にトラップの魔法陣などがないか確認してから、そっと扉を開いた。

 鍵は、かかっていなかった。

 廊下には赤絨毯が敷かれており、暗闇のなかに伸びている。

 真っ暗で、なにも見えなかった。

 一瞬、部屋にある燭台を持っていくか迷ったが、暗い方がいいと思い直す。

 目が暗さに慣れるのを待ってから、廊下に出た。


 足音をたてないように注意しながら、脳裏に描いた主屋の方角に足をすすめていく。

 冷たい壁に手をあてて手さぐりに、前にすすんだ。

 ふいに、誰かの話し声が聞こえてきて、ぎくりとする。

 その声は、廊下にならんだ扉の一室の内側からだった。

 道は分かれ道もない。

 後退すれば、先ほどの部屋に戻ってしまう。

 ドルシアは緊張しながら、静かに扉の前を歩いていく。進むしかないのだ。

 その扉の前を横切るとき、先ほどよりも声がはっきりと聞こえた。

 声の主はエルドワードだった。


『――ええ、申し訳ないとは思っているんですよ、ザオルグ先生。突然、お休みを頂いてしまいましたし、皆さんにご迷惑がかかっていると思います』


 ドルシアの身体が硬直する。

 エルドワードの話し相手はザオルグらしい。

 もしや、部屋のなかにいるのかと思い、その場に佇んだ。

 しかし、エルドワードの声だけは聞こえるのに、ザオルグの声は聞こえてこない。


(もしかして、音声転送?)


 ドルシアは目を見張った。

 特定の魔具と呪文をつかって、声のみを送る研究がされているという話は聞いたことがあった。

 だが、実際に目の当たりにしたのは初めてのことだ。


(エルドは、こんな研究もしていたのね……)


 こんな魔法が実用化されれば、素晴らしいことだ。国の発展につながる。

 いち魔女として、ドルシアは好奇心がむずむずしてくるのを感じた。

 もしも、ドルシアが宮廷魔法使いになっていれば、エルドワードやザオルグとこういう研究もできたのかもしれない。

 そう思うと、寂しい気持ちも湧いてくる。

 けれど、選べなかった未来を考えても仕方がないことでもあった。


(それに、滅んでしまえば、すべて同じだもの……)


 人々が積み重ねてきたものを、一瞬のうちに壊してしまう呪文。

 それを思うと、ドルシアの身に怖気がはしる。

 かつて高度な文明をきずいた旧時代の人々でさえ、滅んでしまったのだ。

 ――いま大事なのは、きたる未来を回避すること。己と弟子の無罪を証明すること。

 ドルシアは、そう己に言い聞かせた。


『ええ、明日、いちどそちらに伺いますよ。では』


 どうやら、エルドワードたちの会話は終わってしまったようだ。

 ドルシアはしばらくじっとしていたが、内部で紙がめくられるような音が聞こえてきたので、耳を遠ざけた。きっと、エルドワードは書類仕事でも始めたのだろう。


(ザオルグ先生と繋がっていたのなら、扉を開けて助けを求めるべきだったかも……?)


 疑われている身の上だが、ドルシアにとって尊敬する頼りになる師だ。きっとすぐに飛んできてくれただろう。必死に説明すれば、きっと潔白を信じてくれる。そんな確信があった。

 けれど、扉を開けたときに音声が切れてしまえばどうしようもないし、危険な賭けになっていたに違いない。

 それに、助けがくるまでに自分の身がどうなってしまうかも、わからない。

 滅びの呪文のこともある。ザオルグに助けを求めるとなると、どうして学院からすがたを消したのか、4年前のことを説明しなければならなくなる。あの呪文のことは口にしたくなかった。


(それに、今度はロイが疑われてしまう……)


 まだ疑い段階である以上、弟子に危険な目にあわせたくない。

 それに、ドルシアを匿ったことが知られると、エルドワードも罰を受けてしまうだろう。


(やっぱり、わたしがやるしかない)


 そう奮起して、ドルシアはそっと進みはじめた。

 先ほどより、あかるい廊下に出た。

 等間隔にならんだ窓から、月明かりが廊下に差し込んでいる。窓のそばを通るたびに、廊下に落ちた窓枠の影にドルシアの影が入り込む。

 月光に照らされた壁面の人物画の目に、ドルシアはぞくりとした。そんなはずがないのに、監視されているような気分になったのだ。ドルシアの逃走をじっと眺めている。

 時折、暗闇の中に壷や盾が置かれている場所があって、それを見つけるたびに誰かがいるのかと、びくびくさせられた。

 見まわりらしき男性と出くわすこともあったが、相手が手燭を持っていたので、幸い、先に気づいて隠れることができた。


 そして、やっと、主屋の玄関ホールまで、たどり着く。

 ホールの天井にはシャンデリアがあったが、いまは蝋燭の火は消されている。

 だが、ホールの壁にいくつか燭台の火が灯されていたので、難なく大階段の脇にある地味な扉を見つけることができた。

 ひとつは納屋の扉だったが、もうひとつの扉はドルシアが求めていた場所へ続くものだった。



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