鎖をほどいて
沈黙が痛いほどに肌を刺す。
つかまれていた両手首を引いて、できるだけ自然に見えるように離させた。
ドルシアはエルドワードから視線を外して目を伏せる。
――どうして、彼がひそかにドルシアを領地に監禁しようとしているのか、わかってしまった。
彼は彼なりのやり方で、護ろうとしてくれたのだ。
多少乱暴ではあったが、彼の立場からすればそうしなければ、いずれドルシアの身が危険にさらされると思ったのだろう。
胸の奥が苦しくなって、ドルシアは呼吸するのが難しくなる。
つかの間、離れていた4年間を思って、息が継げなくなった。
(けれど、わたしを匿えば、エルドワードの身も危険にさらされてしまう……)
脳裏に、王に叛意を抱いた者の末路が浮かんだ。
王都の円形広場では、今なお見世物のように処刑が行われている。
処刑台に立つ彼のすがたは見たくない。
ドルシアの白く筋が浮かぶほど、拳を握りしめた。
「このままだと貴方も罪に問われてしまうわ。私をここから出して。……自分の無罪を、みんなの前で証明してみせるから。エルドは、王意にそむくような真似をしてはいけない」
強い口調で、ドルシアはそう迫った。
エルドワードは視線を外して、絞り出すような口調で言った。
「そして、きみを王城の地下牢に閉じ込めると?」
「――エルド」
「それはできない。それに、不安で仕方がないんだ。きみが、いつかまた僕の前から黙って消えてしまうのではないか、と」
エルドワードの顔は青ざめており、唇からは血の気が引いている。光が陰った瞳を隠すかのように、彼は瞼を伏せた。
「きみを、ここから出すことはできない」
はっきりと言われた。
ドルシアは、彼をきつい眼差しで見つめる。
「エルド!」
怒鳴りつけても、彼は首を振るだけだった。
「……何と言われても、解放する気はない。きみは、僕に隠し事をしているしね。もう後悔はしたくないんだ。きっと手を放したら、鳥のようにはばたいて、きみはどこかへ行ってしまうだろう」
エルドワードはそう言った。その瞳が、切なげな色をたたえる。
「ティナは、僕のことが嫌いでしょう?」
「なっ……」
ドルシアはエルドワードを凝視した。
――エルドワードは天才だ。何度、周りからそう言われただろう。父親は言った。彼のようになりなさい、と。そのたびに、反感は塵のように心の中に積もっていった。
嫌いでなかったとは言えない。
いっそ、憎んでさえいただろう。
けれど、今はどうなのかと問われると、自信がなかった。何故か胸の奥が痛くて、嫌いだと言い切ることができない。
黙り込んだドルシアを見て何を思ったか、エルドワードは自嘲気味に笑う。
「僕はずっと、きみに嫌われていることくらい気づいていたさ。……それでも、最初の頃のように、またきみと仲良くなれるだろうと期待していたんだ。そんな自分に嫌気がさす。――だからあの最後の晩、あれ以上嫌われるのが怖くて、何も言えなかったんだから」
ドルシアは息を飲んで、彼を見つめた。
魔法学院での最後の夜のことを言っているのだ、とわかる。
寮の外廊下で、ふたりはすれ違っていた。会話もした。エルドワードはティナがいつもと違うことに気付いていたけれど、何も言わなかったのだ。
――その直後に、ティナは学院の寮から去った。
エルドワードは物憂げな表情で、顔に落ちてきた前髪を掻き上げる。
「僕はもう、きみに好かれることは望まない。きみを閉じ込めると決めた時から、そんな浅はかな望みを抱くことはやめたんだ。……ひどいことはしたくないけれど、もしも逃げ出そうとするなら、僕は手荒いことだってするだろう」
けれど、そう言った瞬間、彼の方が傷ついたような瞳をした。
エルドワードは立ち上がると、そのまま扉から出て行く。
残されたドルシアは、ただ茫然と彼の後ろすがたが消えていくまで、見つめることしかできなかった。
◇ ◆ ◇
火の熱で溶けた蝋燭の雫が、燭台の受け皿にこぼれ落ちる。
ドルシアはそれに気付き、顔を上げた。どれくらい時間が経っていたのだろうか。
エルドワードが出て行ってから、どうするべきか、ずっと考えていた。
(このままじゃ、いけない……)
この場所で繋がれているだけでは、何の解決もしないのだ。
ドルシアへの疑惑のために、エルドワードの身にまで危険が迫っている。己の潔白を何としてでも証明しなければならない。
(バスカロ王国の魔女……)
その魔女が、ドルシアによく似た魔法文字の使い方をする、と彼は言っていた。エルドワードよりも師であるザオルグよりも、ティナの方が文字の癖が近い、と。
魔法文字は数多の旧時代の言語から成る。
1人の魔法使いでは全ての言語を扱いきれず、得意な言語に傾倒しやすい。
その中でも、言葉の組み合わせは、誰しも己の癖が出てきてしまう。
特に弟子は師のやり方をなぞるため、うりふたつになることもある。
魔法使いは、長い時間をかけて師匠の影から脱して、独自のやり方を身に着けていくのだ。
ドルシアは、自分以外で怪しい人物に心当たりがあった。彼を疑いたくはなかったが、会って真偽を確かめなければならない。
「……ロイに会わなきゃ」
ひとりで生きて行こうと決めても、どうしても人が恋しくなる時も、あったのだ。
心の隙間ができていた頃に、弟子のロイと出会った。
王都の道端にうずくまり、彼は浮浪者のようなボロボロの衣をまとっていた。
無視して通り過ぎればよかったのだろう。けれど、その時は何故か、それができなかった。彼の荒んだ目を見てしまったせいかもしれない。あるいは、ただドルシアの方が、家族の情に飢えていたせいなのかもしれない。
――だから、手を伸ばしてしまった。
ロイを信じたい気持ちもある。
彼の無実を証明するためにも、ここから出ていかねばならない。
ドルシアは、額に浮いた冷や汗をぬぐった。
脱走計画は慎重に練らねばならない。
エルドワードに見つかったら、大変なことになってしまう。
先ほどの彼の辛そうな表情が思い浮かんだが、無理やり、その幻影を振り払った。
(いいえ。この疑いを晴らすことは、彼のためでもあるのよ。……それに、もしも、その魔女が私の探していた相手ならば、一刻も早く、止めなければ)
ノアルンから王都までは距離がある。
おそらく、邸の敷地内には厩もあるだろう。そこから馬を一頭失敬するという方法もあるが、ドルシアはこの地の利に詳しくない。
最悪の場合は、脱走に気付いたエルドワードに先回りされてしまう可能性もある。
(そういえば、エルドワードは、この邸に転移の魔法陣があると言っていたわ)
転移の魔法陣があるなら、正確に呪文を唱えさえすれば良い。
この屋敷のどこかにあるその魔法陣を見つけることができれば、逃げだせるはずだ。
たとえエルドワードが気づいたとしても、王都まで逃げてしまえば捕まる可能性もぐっと減る。
(エルドワードに見つからないよう、逃げる……)
そう決意して、ドルシアは左足についている足枷に目を近づけた。
鉄の環の上に、緑色に発光する魔法陣が浮いている。
魔力無効化の魔法は厄介だ。
普通の魔法ならば、その呪文を逆に唱えることで効果を打ち消すことができる。
だが、その『反意呪文』を唱えるためには、そもそも魔力が必要だ。魔力を無力化されている現在では、どうにもならない。
ドルシアは顔をしかめながら、魔法陣を入念に確認する。
「やっぱり、どこにも呪文の穴がない、か……。さすが、天才魔法使いエルドワード」
嫌味も込めて、そう呟いた。
組み合わされた魔法文字の順番が違っていたり、どこかに文字が欠けていても、それが些細なものであれば、魔法は発動する。
もちろん、正式なものより効力は弱くなってしまうのだが。
もしも彼が呪文に失敗していれば魔力を取り戻せるかもしれない、と淡い期待を持って魔法文字の粗を探したが、まったく見当たらなかった。
むしろ、その多重言語の使い方に惚れ惚れとしてしまい、研究心がうずいてきてしまうほどだ。
魔法使いは基本的に、ドルシアもふくめて学者肌の者が多い。数多の古代言語を調べて覚え、実践する者たちの集まりだから当然なのだが。
仕方なく、足枷とつながった鎖の方を調べる。
鎖はベッドの柱に連結されている。引っ張っても、鉄製の柱はびくともしない。柱は指二本分くらいの太さがあるだろう。
「うーん……」
足枷と足首の隙間は、指1本分ほどだ。
足の関節を外して足枷を外すことも思いついたが、そんなことはしたこともないし、できるかどうかもわからない。それに、できればあまり痛くない方法が良かった。
1番弱そうな鎖の箇所を調べる。
その継ぎ目に力を込めて押した。
環はかなり硬い。1部分であっても、壊すのは根気のいる作業だ。
だが、時間をかけていくうちに、少しずつだったが曲がってきた。
「指、いたい……」
長時間の力仕事で、指の感覚がなくなってきた。
痛みに耐えきれず、最後の方は燭台から蝋燭を外し、その受け皿や飾りの突起部分を使った。
ぐいぐいと輪を押し広げていくと、継ぎ目が折れていく。
「ん、んん……っ」
額に汗が浮かんだ。
どれくらい経った頃だろうか、ようやく鎖がちぎれた。
それを確認して、ドルシアは喜びの声が漏れそうになる。
緑色の魔法陣が消え失せ、身体中に魔力がみなぎってくるのを感じた。
足枷だけでなく、鎖も一緒に魔法にかけられていたせいだろう。環が壊れて、強制的に『魔力無効化』の魔法が解かれたのだ。
(もしかしたら、エルドが魔法が解けたことに気付いてやってくるかもしれない。急いで、屋敷内を捜索しないと……)
それに、いちど失敗してしまえば、逃亡を警戒されてしまう。
そうすると、ますます強い監禁をされてしまいかねない。
(だから、逃げるチャンスは、この1度きり……)
ドルシアはそう決意を込めて、顔をあげた。
息をひそめて、そっとベッドから素足を降ろす。途中で千切れた鎖が、毛織の絨毯の上でささやかな音をたてた。




