かけられた嫌疑
身に覚えのない嫌疑をかけられて、黙っていられない。
手首をつかまれた状態のまま、ドルシアはエルドワードを睨みあげる。
「私が重罪人ってどういうこと?」
「――バスカロ王国のことは、知っているだろう?」
ドルシアは頷く。
フィルディル王国と、隣国のバスカロ王国は数十年ものあいだ冷戦状態にあった。
軍事力はあるが魔法使いも資源も少ないバスカロ王国は、豊かなフィルディルを狙っているのだと言われている。
エルドワードはどこから話すべきか、考えあぐねるような表情をした。
「最近、フィルディル王国出身の魔女が、バスカロ王国にいるという話だ。フィルディル王国の間者がそう伝えてきた」
「フィルディル王国の魔女……?」
フィルディル王国の繁栄は、魔法で成り立っている。
強い魔法使いは、一師団に匹敵すると言われるほどだ。ゆえに、この国では、大陸のどの国よりも魔法使いを重用する体制をつくってきた。
魔法使いとして名をあげた者には王城の一室をあたえ、領地や爵位をあたえ、時には王族と婚姻を結ぶことすらある。
あらゆる手段を使って、フィルディル王国は魔法使いを囲い込んできた。そして何世代もかけて、大陸一の魔法大国に成長したのだ。
「その魔女には、この国の訛りがあるらしい。とはいっても、誰も容姿を見たことはないんだけどね」
「見たことがない……?」
「仮面とフードで、姿を隠しているらしいんだ。ただ、その背格好から、女か子供じゃないかと言われている」
「けれど、それが私と何の関係が……?」
戸惑いを隠せなかった。
エルドワードが物憂げな視線を向けてくる。
「最近、バスカロ王国の国境近くで、強い魔法が使われた形跡があるんだ。緑があったはずの平野は焼け焦げ、地面は大きく穴が穿たれていた。規模にすると、それは村をひとつ滅ぼすほどのものだった。バスカロ王国が極秘でその魔女に魔法を使わせたのではないか、と推測している」
ドルシアは目を見開いた。
その魔法に心あたりがあったのだ。
(――まさか、滅びの呪文……?)
ティナがエルドワードたちの前から黙ってすがたを消したのは、それが原因だった。
――4年前、ザオルグにうながされて、ティナは禁書にふれた。その瞬間、ティナの意識は未来に飛ばされた。
『智の書』が見せたのは、世界が一瞬にして荒野に変わるところだった。
あらゆる生命を飲みこみ、人々は死に絶えた。
それもすべて、誰かが『滅びの呪文』を暴走させた結果だ。
(……この世界は『滅びの呪文に』よって、滅亡する)
それが、ティナが知ったことだった。
禁書は何故か、まるで意思でも持っているかのように、ドルシアにだけその滅びゆく未来を見せた。
背筋に冷たいものが走り、ドルシアは身震いする。
何度も見た悪夢の光景を払うために頭をふった。
(そんなこと、させるものですか……)
ティナはドルシアと名を変え、ひっそりと学院から出ていった。
万が一にも他人と距離を詰めれば、誰かに滅びの呪文が伝わってしまうような気がした。
だから誰にも近づかせないために己の悪名を振りまき、できるだけ人と関わらないように生きてきたのだ。
それもすべて、その愚かな魔法使いを捕えるためにしてきたこと。
(『滅びの呪文』は、わたししか知らないことのはず)
村をひとつ滅ぼすほどの呪文など、他に知らない。
――まさか、そのバスカロ王国の魔女が、世界を滅ぼす者なのだろうか?
ずっと探し続けていた相手が現れた可能性を知り、ドルシアの身体が震えた。
エルドワードは、なおも言う。
「それほど大きな力を持つ者など、フィルディル王国の魔法使いでさえ数えるほどしかいない。魔女では皆無のはずだ。そもそも魔法使いは国外に出るのも、さまざまな手続きが必要だ。簡単なことじゃない。そこで、僕とザオルグ先生をふくめた魔法使い数名が、その魔女について調べるためにバスカロ王国へ潜入した。それが数ヶ月前の話だ」
ドルシアは息を飲む。
話の続きを待っていると、エルドワードはどこか躊躇うようにしながら口にした。
「術者の魔法の痕跡をさぐってみると、きみに行き着いた」
「え……? どういう、こと……?」
「呪文や魔法陣は、術者の癖がでるだろう? 強い魔法を使うと、その場にしばらく魔法の痕跡が残ることがある。平野に残っていた魔力の痕跡を調べると、それが、きみのものと酷似していた」
ドルシアは、頭が真っ白になった。
「……わたしに?」
「最初は、ザオルグ先生か僕ではないかと疑われたんだけどね。僕とティナはザオルグ先生と師弟関係にあるから、魔法文字の使い方がよく似ている。けれど詳しく調べていくうちに、僕やザオルグ先生より、ティナの方が似ているんじゃないかという話になった。僕は黙っていたんだけど、ザオルグ先生がそれを指摘してしまったんだよね」
呆然としているドルシアに、エルドワードは真顔で言う。
「――ティナ。きみは4年前、僕たちに黙って姿を消したね。そして、ザオルグ先生の『智の書』を持って、魔法学院から去っていった」
ドルシアの肩が大きく震える。
師の持ち物だった忌まわしい禁書は、『秘密の小部屋』に隠してある。
ザオルグ先生に、恩を仇で返すような真似をしてしまった。どうしても必要だったこととはいえ、そのことをずっと気に病んできたのだ。
「……ザオルグ先生はきみのことを庇って、当時は盗まれた禁書のことを周囲には触れまわらなかったけどね。今回のことで限界だったんだろう。師である自分の手で、かつての弟子を断罪したいと思ったみたいだ。敵国に味方する者は魔女であれ魔法使いであれ、国家反逆者だ。いや、むしろ一般人より罪は重くなる」
エルドワードが、ドルシアの手首を握ったまま笑う。
まるで、その手が手枷に変わったような気がした。
「そういうわけで、僕はきみの捕縛を命じられた。ドルシアがティナだということは、ずいぶん前から僕も先生も気づいていたんだけどね。これまで、なかなか尻尾をつかむことができなかった。でも今回のことで、国王から正式にきみを捕らえるよう命令が下った。王印が捺された逮捕状を見せれば、ようやく仲介人も口を割ったよ」
思考が事態についていけない。
(いつの間に、正体が知られていたの? ……いいえ、それよりも)
いくら怪しくても、ドルシアは無罪だった。
それは何より、自分自身が知っている。
むしろその犯人を捕らえるために、ドルシアはこれまでの4年間を過ごしてきたというのに。
「私は、そんなことしてないわ……」
声が震えるのを押し隠して、ドルシアは訴えた。
エルドワードは優しい笑みを浮かべる。
「うん、どっちでも良いよ」
「え……?」
「僕はきみが重罪を犯していようが無罪だろうが、どっちでも良い。きみに逃げられないように色々聞くつもりではあったけどね」
「どうして……?」
エルドワードは宮廷魔法使いだ。
国王に忠誠を誓い、法を守らねばならない立場にあるはずだった。
(あれ……何かが、おかしい……?)
ドルシアは冷静になって考えてみようとした。
彼の話を信じるならば、ドルシアに逮捕状が出た時点で王城に連れて行くのが筋なはずだ。けれど、エルドワードは己の領地に監禁している。
ドルシアに自白させることまで彼の単独の仕事に含まれているとは、思えない。
そういうことは、ザオルグ先生なども含めて行うものなのではないだろうか?
考えていたことが表情から伝わってしまったのか、エルドワードは耐えきれないというように笑みをこぼした。
「――ザオルグ先生に言われたことがあるよ。お前は外面だけはまともだけど、ティナに関することだけ壊れている、と。確かにそうだよね。だって僕は、きみに会いたかっただけなんだから。王命なんて、最初からどうでも良かった。……ああ、僕こそ、国家反逆罪に問われてしまうだろうか?」
「エルド……」
ドルシアは呆然として、彼を見つめた。




