幼馴染の再会
朝日を肌に感じて、ドルシアは瞼を開けた。
思考が、ひどくぼんやりとしている。額に手を押し当てて無理やり半身を起こすと、なめらかな光沢を持つシーツに手がふれた。
「なに……?」
ドルシアがいたのは、どこかのベッドの上だった。
庶民が寝起きするような広さの寝室ではない。まるで、どこかの貴族邸の一室のようだ。
5人が眠れるほどの広さのベッドに、ドルシアは横になっていた。
部屋にある透けたカーテンから、淡い光が漏れている。その奥にあるのは、バルコニーのようだ。
とっさに、ベッドから降りようとして、つんのめってしまう。
大きな音をたてて、床に身体を打ち付けた。
「……っ」
体をぶつけてしまい、痛みに悶絶する。
左足首に重みを感じて怖々見つめると、そこには鉄の環がついていた。鎖はベッドの後ろの柱とつながっている。
足枷には魔法陣が浮いていた。
その文字を慎重に読み解けば、どんな呪文がかけられているか、わかってしまう。
「魔力無効化……」
それはつまり、ドルシアがいくら魔法を使おうとしても、どうにもならないことを意味していた。
術を破ろうとするなら、術者であるエルドワードを倒すか、彼自身に魔法を解いてもらうか、足枷を壊すしかない。
ドルシアは混乱する気持ちをなだめようとした。
頭を抱え込み、何か打開策がないか必死に考える。
(いま、ここに、エルドはいない……)
けれど、ドルシアが目覚めたことに気づけば、すぐにやってくるはずだ。
今のうちに何か考えないと、と焦りをおぼえる。
急に、樫の扉がノックされた。
返事も待たず、扉が開かれて青年が顔を出す。
いつもの穏やかな笑顔を浮かべたエルドワードだった。
「おはよう、ティナ」
びくりと身を震わせ、ドルシアはベッドの上で後ずさりした。
しかし、ベッドの上は逃げ場がない。
すぐに、足首につながれた鎖の長さの限界まできてしまう。
軽食らしきものがのせられたワゴンを押して、彼は室内に入ってくる。
そして、手洗い用の水が入った銀皿を手に、ドルシアに近づいてきた。
「もう大丈夫だよ」
(全然大丈夫じゃない……)
むしろ、ドルシアにとって一番危険な状況だった。
「なにが大丈夫なのよ……! ここはどこ!? 勝手にこんなことをして、許されると思っているの?」
声が震えそうになるのを隠して、ドルシアはエルドワードを睨みつけた。
彼は微苦笑して、脇の机の上に銀皿をおく。
そのまま、ベッドの端に腰をおとした。
「ここは、ノアルンにある邸宅だよ。そこのバルコニーから湖と森が見えるよ。見てみるかい?」
「ノアルン……?」
それは、彼が管理している領地ではなかっただろうか、とドルシアは思い出す。
王家に連なるフレイユ公爵家は、領地と爵位をいくつも保有している。エルドワードは、ノアルン領と子爵位を父親から受け継いでいるはずだ。
「森と湖の町だ。普段は王都にいるから、あまりこちらに戻ってこないけれどね」
ドルシアは頭をふった。
「そんな……だって、ノアルンと王都は、馬でも半月はかかるほど離れているはず」
「僕を誰だと思っているのかな? 転移の魔法陣くらい作ってあるよ」
そう肩をすくめられて、ドルシアは口をつぐんだ。
遠距離の転移をするためには、魔力の高さはもちろん、精密な魔法陣と呪文詠唱が必要だ。
これほどの距離を、正確に転移させる魔法使いの話など、これまでドルシアは聞いたことがない。
ドルシアは内心、歯噛みしていた。
それほど王都と距離があるなら、ますます脱走が難しくなってしまう。
「うちの使用人たちは口が堅い。それに、この部屋には目くらましの魔法を敷いているから、きみのことは誰も気づかないと思うよ?」
ドルシアの逃げようとする気持ちを挫くかのように、エルドワードは言った。
「きみは、僕に色々と話さなきゃいけないことがあるよね?」
彼の指がそっと、ドルシアの頬にふれる。
それはひどく優しいふれ方で、ドルシアの背筋に甘い痺れが走った。
「……?」
ドルシアは首を傾げた。
先ほどから、身体に不調を感じる。
口から漏れる呼気が熱く、思考もぼんやりとし始めていた。まるで酩酊しているようだ。
「なに、これ……?」
「あ、効いてきた? きみが寝ているあいだに飲ませた自白剤だよ」
悪戯が成功した時のような表情で、エルドワードが言った。
その表情が無邪気で、魅力的で、ひどく恐ろしい。
「……そんなの、魔法律に反しているわ」
自白剤をつくることも売ることも、魔法律で禁止されている。
そんなものをむやみに作れば、悪用されかねない。
国王に忠誠を誓う宮廷魔法使いならば、なおさらしてはならないことだ。
彼らは、多くの魔法使いの模範となる行動をしなければならないというのに。
「……なんてことを。身分のある者は、それ相応の義務があるでしょう? 貴方はいずれ公爵家を継ぐ身の上のはず」
それが、貴族の責任だ。
かつて伯爵令嬢だった頃から、ドルシアはそれが正しいあり方だと思っていた。
弱き者を助けよ、卑怯な真似はするな、と。
「あれ? さっきは僕のことなんて知らないって冷たいことを言ったのに、僕の身の上は知っていてくれているんだね」
エルドワードが意地の悪そうな声で言う。
しまった、とは思ったものの、放ってしまった言葉は撤回できない。
ドルシアは顔が熱くなるのを自覚しながら、そっぽをむいた。
「エルドワードの名は有名ですもの」
「――それは光栄だ。悪名高き魔女ドルシアに、僕の名を知っていてもらえているなんて」
ドルシアは思わず、エルドワードを睨みつけた。
彼は、穏やかな笑みを浮かべている。
「ああ、この薬のことは心配しなくて良い。副作用も少ない安全なものだからね。普段は誰かに売ったりしないし……それに、きみの捕縛は国王陛下の命令なんだ」
「どういう、こと……?」
「きみには、重罪人の容疑がかかっている。僕はきみへの尋問を任されたんだ。容疑者の口を割らせるのに手っ取り早いのは拷問だけどね。でも、僕はきみに手荒なことはしたくないんだよ」
だから、自白剤を。
ドルシアは唇を噛みしめた。
思考がもやがかかっているように、不明瞭になっている。
(……重罪人って、いったい何のこと?)
確かに、悪い魔女だと言われ続けてきた。わざとそういう噂を振りまいてきたのだ。
けれど、誰かを傷つけたことはない。もしも迷惑をかけてしまった相手には、影ながら償いもしてきたつもりだ。
「素直に話してほしいな。乱暴に組み敷かれるのは嫌でしょう?」
エルドワードはそう妖しい笑みを浮かべて、ドルシアの首筋を撫でた。
ぞくぞくとした痺れが背筋を駆けあがってくる。
ドルシアは彼を睨みつけた。
「……こんなの、卑怯よ」
苦しまぎれにそう言った。
話をそらさなければ。
自白剤が完全に身体から抜けるまで、できるだけ時間稼ぎをしたかったのだ。
――ドルシアは、絶対に言えない秘密がある。
「それが何?」
エルドワードは笑いながら続ける。
「まあ、僕は公爵家の跡取りとはいっても、下賤な育ちだからね。綺麗な箱庭で育った貴族のきみとは違う。目的のためなら手段は選ばないし、きみが手に入るなら何でもいい」
逃げようと思っても、左足に繋がられた足枷のせいで自由にならない。
身をよじらせて、エルドワードから距離をとろうとしたが、両手首をつかまれて些細な動きさえも阻まれてしまう。
「狂っているわ……」
「ああ、まだ、気づいていていなかったの?」
エルドワードは吐息がふれるほど近しい距離で、悪魔のように魅力的な笑みを浮かべた。
「僕は、もうとっくに狂っているよ。――きみが消えた、4年前から」




