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悪名高き魔女の恋  作者: 高八木レイナ


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魔法がとけるとき

 魔法学院の中庭の長椅子で、ティナは、よく魔法書を読んでいた。

 彼と出会って間もない頃だ。やわらかい太陽の光が頬をくすぐり、ティナは目を覚ます。いつの間にか、うとうとしてしまっていたらしい。


『ごめんね、起こしちゃった?』


 隣にいたエルドワードが、穏やかな顔で笑う。



 図書館で、ふたりでザオルグ先生の課題をこなした。

 とても難しいはずなのに、エルドワードは簡単そうに問題を解いていく。ティナは恨みがましい眼で、彼を見つめた。

 ――本当に、憎いと思ったこともある。

 けれど、今になって思い出すのは、優しかった時間ばかりだ。



 あの頃がこれまでの人生で、一番幸せなときだった、と。

 そう気付いたのは、魔法学院を去る前だった。


『ゲイル! 私は、どうすればいい? こんな想いを抱いて生きていくなんて、とてもできない……!』


 雨の夜のなかで、禁書を胸に抱いてティナは走っていた。

 背後にある学院が、どんどん遠のいていく。


『――彼を忘れたいか? ならば、私の罪滅ぼしとして魔法をひとつだけ、きみに授けよう』


『……魔法を?』


『禁じられた魔法だ。記憶と感情に、蓋をする』


『いいわ、それを教えて!』


『魔法がとけるのは、世界が滅びる未来への道筋が消えたときだけだ。一生、やってこないかもしれない。それでもいいのか?』


『いい……! それでいいの! 私は、こんな感情なんて、忘れたいんだから……』


 恋だなんて、気づかなければ良かった。

 もう一生、彼に会えないだなんて考えただけで、心が凍りついてしまいそう。



 ◇ ◆ ◇



 ティナは、ゆっくりと目を開けた。

 長い夢を見ていたような気がする。瞬きをして視線を隣に向ければ、瞼を腫らしたロイがベッドのそばの椅子に腰かけていた。

 彼の手には、『宮廷料理本』と書かれた本もある。


「お師匠さま……っ、良かった! 大丈夫だってゲイルさんが言ったけど、ぼくはとても心配で……」


 ティナはベッドから半身を起こすと、目の前がぐらりと揺れるのを感じた。慌てたように、ロイが肩を支える。


「まだ寝ていなくちゃ駄目ですよ! 傷口に軟膏を塗られていますけど、お師匠さまの場合は魔力の使いすぎなんですから……っ。内側の疲労のほうが激しいんです!」


 ロイが何を言っているのか、理解するのに時間がかかる。

 ティナは額を手で押さえて、何が起こったのか考えようとした。


「お師匠さま、安心してください。町の建物の損壊は激しかったようですが、幸い、死傷者は少なかったみたいです。いま、兵士さんたちが救援活動をしています。バスカロ王国の軍は、滅びの呪文に恐れをなして大半が逃げ帰ってしまいました。残党はすでに捕えてあります」


 ――滅びの呪文。

 その言葉に、ティナの心臓がおおきな音をたてる。

 ロイは興奮を隠せないようすで、なおも、まくしたてる。


「今回の功績をたたえられて、ぼくたちは――ああ、ぼくたちって言うのは、つまり、ぼくと、お師匠さまと、エルドワードさんのことなのですが……。王さまから表彰されることになったんですよ! すごいですよね!? しかも、ぼくたちを魔女と呼ぶのは失礼だからって、宮廷魔法使いの資格もくださるって。なんと、魔法使いの最高栄誉である『賢者』の称号まで……! まあ、王族の醜聞を避けるための口止め料も含まれているっぽいですけど」


「――エルドは? ザオルグ先生は、どうなったの?」


 その問いを口にするのに、勇気が必要だった。


「おふたりとも、無事ですよ。いまは、内庭にいらっしゃるようですね。先ほどまでエルドワードさんもこちらにいたんですけど、ザオルグさんを見送りに行かれました」


「……見送り?」


「ザオルグさんの処遇です。牢塔に幽閉されることが決まったそうなので……って、お師匠さま! 病み上がりですよ!」


 ロイの制止の声を振りきり、ティナは裸足のまま駆け出した。



 ◇ ◆ ◇



 ティナがいたのは、王の庭のすぐそばの医務室のようだった。

 庭内では、見張りの兵士に囲まれたザオルグと、エルドワードが向かい合っていた。

 ザオルグは少年姿だった。

 その両手は手枷がつけられており、魔法無効化の魔法陣が浮かんでいる。

 遠くから走ってくるティナに気づいたらしく、いつもの調子でザオルグは「よお」と声をかけてきた。

 ティナの目に、涙がにじみそうになる。


「ザオルグ先生……!」


「――もう俺は、お前たちの師じゃない。ただの咎人だ」


 ザオルグの前で、ティナは立ち尽くした。

 何と声をかけていいのか、わからなかった。これできっと今生の別れになるだろうに、喉の奥がひどく苦しくて言葉にならない。

 エルドワードが、そっと、ティナの肩に手を添えた。そして、ザオルグから顔を背けて言う。


「……さっさと、出てきてくださいよ。そうでないと、ティナが悲しむから」


 エルドワードは、いつもそうだ。ザオルグの前だと顔をしかめて、憎まれ口をたたく。誰に対しても柔らかな物腰の彼が、まるで兄にでも反発でもしているように、子供のような態度を見せる。本音を言うにも、言い訳が必要になる。

 ザオルグは、ふっと口元を緩めた。


「じゃあな」


 左右を兵士に固められたザオルグが身をひるがえした。

 その刹那、彼の名を呼ぶ者がいた。


「ザオルグ……!」


 彼女は侍女に半ば身体を支えられながら、ザオルグたちの方に近づいてきた。


「……フィリア様」


 ティナは驚きに目を剥いて、そうつぶやく。

 フィリアはまだ体調が戻っていないらしく、顔色が悪い。わき腹を刺されたのだから当然だ。

 支度もろくにせずに急いでやってきたのだろう。王女だというのに、いまは室内用の簡易なドレスをまとっているだけだった。

 ザオルグは視線を彼女の顔から、わき腹の辺りに向ける。いまは衣装で隠れているそこは、確かに彼女が血を流したところだ。

 ふたりのあいだに、奇妙な沈黙が落ちる。


「……どうして」


 ザオルグが、小さくつぶやいた。

 きっと、そのささやかな問いかけは、フィリアの元までは届かなかっただろう。ふたりの間には、5、6歩ほどの距離がある。

 ザオルグは、そのまま立ち去ろうとした。


「待ちなさい!」


 フィリアがそう叫ぶと、ザオルグは足を止めた。


「――30年! 貴方は牢塔に幽閉されるんですってね? あははっ! おあいにくさま。貴方は私を殺したかったんでしょうけれど、私はこうしてピンピンしているわ。悔しいでしょう? 貴方の最愛のひとは、私に殺されたっていうのにね?」


 ティナにはザオルグの横顔は見えているが、彼はフィリアに対しては背を向けている。

 ザオルグがどんな表情をしているか、フィリアにはわからないだろう。

 彼の表情は、石像のように凍りついていた。

 フィリアの表情だって、ザオルグにはわからない。

 彼女は泣かないように唇に血がにじむまで歯を食いしばり、悪女のような高笑いをあげていた。


「憎みなさい、私を! 貴方は情けない男だから、私を殺すこともできやしない。どうせ、死ぬつもりなんでしょう? でも、死んだら負けよ。私だけが生きながらえてやるわ。――でもね、私は優しいから、貴方に慈悲をあげる。30年間、ずっと殺されるのを待っていてあげてもいいわ。どうせ、貴方にはできっこないでしょうけれどね」


 ザオルグは、静かにその場を後にする。

 彼は、一度も振り返らなかった。

 だから、その目が潤んでいることに気付いたのは、ティナとエルドワードたちだけだっただろう。


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