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悪名高き魔女の恋  作者: 高八木レイナ


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滅びの呪文

 エルドワードに手を引かれるまま、ティナは地下牢のある建物から外に出た。

 まぶしいほどの日の光が目を射る。たまらず、ティナは瞼を閉じた。激しい怒声と、剣をぶつけるような音が周囲に響いている。


「危ない……っ!」


 急に腕を引かれて、エルドワードの胸の中に抱きよせられた。

 瞼を開けると、目の前にエルドワードの険しい顔がある。彼が短剣を抜いて、ティナに背後から切りかかろうとしていた男の刃を受け止めていた。

 ティナを切りつけようとしていたのは、鎧姿の男だ。フィルディル王国の『杖に噛みつく獅子』が胸当てに刻まれている。

 だが、どこか違和感をおぼえる。


「エルドワードか……」


 舌打ちと共に、鎧姿の男がそう漏らす。鉄兜で顔が覆われているせいか、声はくぐもって聞こえた。

 男は、エルドワードのことを知っているらしい。


「きみ、ティナに切りかかるなんて、良い度胸だね?」


 エルドワードは微笑みすら浮かべて、そう言った。これは内心では激怒している、とティナにもすぐに察せられた。

 ティナは慌てて、エルドワードにここは引いてもらおうと、彼の胸にすがりつく。


「エルド……!」


 エルドワードは片手でティナを支えているため、ろくに身動きもできない。

 しかも、相手の長剣と違って、手にしているのは短剣だ。長さもない。圧倒的に不利であるのに、彼のこの余裕の表情は何なのか。

 だが、鎧の男の方が、力ずくでエルドワードの短剣を押しのけた。そして、そのまま逃走しようとする。

 エルドワードがすかさず、呪文を唱えはじめる。


『黒衣の主の名のもとに 雷帝よ 鳴りひびけ』


 大きな音をたてて、雷光が横走りした。

 鎧姿の男はうめき声をあげて、その場に倒れ伏す。鎧の表面にちいさな雷が生まれて、すぐに消えてしまう。

 ティナは血の気が引き、鎧の男の元まで駆けよった。

 兜をとって男の様子を確認してみれば、呼吸も正しくしているようだった。ただの気絶のようで、ほっとする。

 近づいてきたエルドワードが、ティナの行動に微苦笑していた。


「ティナは優しいなあ。自分が殺されかけたのに、敵の心配なんてしているの?」


 ティナは慌てて、そっぽをむく。


「べ、べつに、そんなわけじゃ……! でも、さすがに死んだら寝覚めが悪いでしょう! それに、エルドに人殺しになって欲しくないもの。それに、一応は、彼もこの国の兵士でしょう」


 いきなり切りかかってきた理由はわからないが、この国の印がついた鎧を着ているのだ。


「違うよ。これは、敵国の兵だ」


「え……?」


 ティナは、兵士の格好を眺めおろす。

 エルドワードは自身の頭を指さした。


「僕って、一度見たものは忘れないんだ。昔からそうなんだよね。だから、彼がこの国の兵士じゃないってわかる」


「そっ、それ……初耳なんだけど……」


 ティナは、しばし呆然となる。

 それは、フィルディル王国の兵士全員の顔を覚えていなければ、兵士が自国のものかどうか判別するなど不可能ではないだろうか。

 いったい、この国に何人の宮廷に仕える者たちがいると思っているのか。

 激しい物音がして、ティナがそちらに目を向けると、庭園にいた人々が逃げ惑っていた。ふたりの方向に向かってきている。


「な、なにごとなの……?」


 ティナたちがいるのは、王の庭と呼ばれる内庭に近い。

 そこは城壁に囲まれた中央部にあり、礼拝堂や、別棟、門衛棟といった建物に囲まれている。玉座の間がある主館の入り口はすぐそばだ。

 南の城門の方で、人々が騒ぐ声が聞こえていた。


「城門が破られるぞ!」


「おい、跳ね橋をあげろ!」


「どうなっている! どうして門の歯車が動かないんだ……っ」


「このままでは、破られるぞ。おい、誰か、手を貸せ……!」


 激しく突くような音がしているのは、城門の外から丸太のようなものをぶつけられているせいなのかもしれない。

 このままでは、いずれこじ開けられてしまう。

 弓矢をもった自国の兵士がティナたちの横を抜け、城門に向かって駆けだした。

 先ほどのティナを襲った兵士だけではなく、ティナたちの周りは戦いの渦に飲まれている。味方の格好をした兵士が、別の兵士を切りつける。魔法使いたちは困惑したようすで防戦する、といったように。

 それらの激しい戦闘を物語るように、彼らの靴で踏みにじられた土から煙があがっている。ティナたちの周りが白くけぶり始めていた。


「何が起こっているの……?」


 城門が破られていないのに、すでに城の中に敵兵がいる。それが、フィルディルの兵士たちに、さらなる混乱をもたらせていた。

 ごう、と耳を打つような音が響く。

 建物が揺れるような衝撃がして、ティナはとっさに身を低くした。そばにあった建物の壁の一部が大きく穿たれ、穴が開く。

 エルドワードがその穴に近づき、顔をしかめる。


「なるほど、投擲機とうてききだね」


「投擲機……?」


 ティナは、それを名前でしか知らない。

 魔法をつかうフィルディル王国では、無用のものだからだ。

 それは、バスカロ王国が好んでつかう、大型の戦闘道具だと言われている。大きな岩や石を詰めた袋を、遠くまで投げる装置だ。


「そう。射程距離は500メートルにも及ぶ。堅牢な建物でさえ、投擲機の前ではもろく崩れ落ちてしまうのだと聞くね。へえ、すごいね。直接見るのは僕も初めてだよ。近くに行って、実物を確認したいな」


「エルド! そ、そんな呑気なことを言っている場合じゃ……! でも、投擲機があったとしても、王都の中央にあるこの城にまで届かないはずなのに……?」


 そこまで口にして、ティナはハッとして顔をあげた。

 王都を囲う城壁の外からでは、とても届かない距離。


(それなのに、投擲機があるということは……)


 どこか皮肉げな笑みを浮かべているエルドワードと、視線があう。


「まさか、すでに、王都は敵の手に……?」


 内庭は城壁に囲まれているせいで、ここからは城下町のようすは窺えない。

 だが、のこぎり型の壁の向こう側――空にむかって赤煙があがっているのが、遠目にティナにも見える。

 それは、緊急事態をつげる合図。

 城下町をかこうくるわにつめている見張りの兵士があげた物なのだろう。町の別の方角からも、白い煙があがっている。

 町のどこかから、火の手があがっているのだ。

 ティナは寒気をおぼえて、鳥肌のたつ腕を手で擦りあげた。


(もっと早く、エルドと協力できていれば……)


 ――そうしていれば、師を止められたのだろうか?


「ザオルグ先生は、どうして……」


 呆然と、ティナはつぶやく。

 ザオルグの行動は矛盾している。

 たくさんの人の死を代償として誰かを生き返らせようとするなら、その者が最後まで生きている方が都合も良いはずなのに、ここまで敵兵に攻め込ませている。まるで、ただこの国への復讐が目的であるかのように。


「どうしてだろうね。僕にも違和感があるんだ。だって、僕がくることはわかっていたはずなのに、机の上に魔法陣を置いておくなんて。わざとなのか、ただのミスなのか……。たとえ鍵をかけておいても、そんなものは僕の前では意味をなさないことは知っているはずなのに」


 エルドワードの言葉が何を意味しているかティナにはわからなかったが、彼にもティナと同じく思うところはあるらしい。


「先生は、かく乱させようとしているのかしら? ただ、何もかもをめちゃくちゃにしたいだけ?」


 どうだろうね、とエルドワードは深く息を吐いた。


「……内部に手引きする者がいれば、跳ね橋を上げられないように小細工をしておくことも、祭りに乗じて、他国の兵士や間者を忍び込ませておくこともたやすいだろうけれど」


 手引きした者というのは、当然、ザオルグのことを指しているのだろう。

 ティナは胸が苦しくなってくる。


「――大丈夫。まだ、間に合うよ。きっとね。僕たちが力をあわせれば」


 エルドワードが慈しむように、ティナの頬に手を添える。

 ティナはかたく目を閉じてから、重苦しい息を吐いた。


「行きましょう、エルド。ザオルグ先生のところへ」



 ◇ ◆ ◇



 頬を撫でる生あたたかい風を感じて横手をみれば、廊下の窓が開け放たれていた。

 先ほどまで地上を照らしていたはずの太陽はすでになく、黒い雲が空を覆いはじめている。

 嵐を呼ぶ風だ。


「走って!」


 エルドワードが注意深く周囲に視線を投げながら、ティナの背を押す。これまで数人もの敵兵を退けながら、ふたりは城内の中心へと向かっていた。

 敵兵なのか、味方の兵士なのか、接近してみないとわからない。

 彼らが身にまとっているのは、フィルディル王国の紋章がついた鎧だ。相手が攻撃してくる気配を察知するまで、ティナたちも応戦できないでいる。そのせいで、余計な時間がかかっていた。

 玉座の間まで、あと少しというところまで迫っている。

 きっと、そこにザオルグがいるのだろうと、ティナは確信していた。

 祭典があるときは、玉座の間でまず国王が祝いの言葉を述べ、その後に国民へのふれをだす。祝典の始まりを告げる金管楽器の音が、城内から鳴りひびく。まだ、ティナはその音を聞いていない。

 それを抜きにしても、ザオルグがそこにいるような気がしたのだ。

 この国への復讐ならば、フィルディルの象徴である王のもとへ行くはずだから。

 玉座の間に通じる廊下の前で、兵士たちが立ち往生していた。

 ざわざわと騒がしい。

 人々の顔からは血の気が引いている。


「王が、人質に取られている……!」


「何なんだ、あの化け物じみた赤い髪の子供は……っ」


 扉の前にいる人々が、口々に呟いている。


「道をあけて……っ!」


 ティナは、屈強な兵士たちにむかって、そう叫んだ。


「ちょっ……、危ないぞ! 中に入るな!」


 そう押しとどめようとする兵士たちの脇を抜け、ティナは広間に足を踏み入れた。エルドワードが、すぐ後ろについてくる。

 そこで、ティナは信じがたい光景を見た。

 見事な彫像が彫り込まれた柱は半ば崩れ、辺りの床が血のような色で濡れている。兵士たちが、横たわったまま呻き声をあげていた。


「ああ、もう来てしまったのか。さすがは、優秀な弟子たちだ」


 玉座の前に立っていた少年がティナたちの方を振りかえり、軽い口調で言った。

 後ろで赤い髪をひとつに束ねた少年。

 もう、彼が誰なのか、ティナは知っている。


「ザオルグ先生……」


 ティナは呆然と、つぶやいた。

 玉座に腰かけた王は衰弱しているのか、目を閉じたまま身動きすらしていない。

 その隣には、顔を蒼白にした麗しい少女が立ちすくんでいる。

 編み込まれた金髪に輝いているのは、真珠の髪飾りだ。透き通るような白い肌。青い海のような瞳が、いまは陰っているように見える。

 ――王女フィリア。

 ティナも、王女のすがたは知っていた。


「それでは、皆の衆。世界の終わりを、共に見届けようじゃないか」


 ザオルグは、天井まである大きな窓まで歩みよる。そして窓硝子を壊し、バルコニーに降り立った。

 誰もが息をひそめ、彼の行動を注視していた。

 昼間だというのに、厚い雲に遮られ、外はもう闇に包まれている。まるで、夜が落ちてきたかのような錯覚を、ティナにもたらした。

 ぽつぽつとした雨音が、広間にちいさく聞こえる。

 ザオルグは、いまはフードつきの外套を身につけていた。頬を打つ雫が鬱陶しかったのか、彼は無造作にフードをかぶる。


(ああ……)


 ティナは、その瞬間、内心で悲鳴をあげた。

 ――それは、何度も夢でみた光景。

 湧いてくる涙のせいか、視界がぼやけて、うまく世界を認識できない。


「やめて、それ以上は……!」


 ティナは叫び、そちらにむかって、あがくように手を伸ばす。けれど、とうてい届く距離ではない。

 彼はティナの方を一瞥したが、すぐに興味を失ったように視線を逸らした。

 そして、空にむかって手を伸ばし、呪文を唱えはじめる。


 ――世界を滅ぼす、呪文を。



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