ロイと禁書3
一瞬、時が止まった気がした。
ロイは、口元を歪ませた。ゲイルの突拍子もない発言を、笑い飛ばそうとしたのだ。
けれど、それがうまくできずに、変な笑い方になってしまう。
馬鹿らしい、ほら話だ。
そう言ってやりたかった。だが、何よりゲイルの存在が、彼の話に信憑性をあたえている。しゃべる本など、この世界には他にない。
『私は、滅んでいく世界を……きみたちを、哀れに思った。だから、4年前、ひとりの少女にこの世界の未来の光景をみせた。この世界は、ひとりの魔法使いが呪文を暴走させて滅ぼすのだ、と教えた。――彼女の名前は、クリスティーナ・ヴァリエス。今はドルシアと名乗っているな』
「お師匠さまが……?」
ロイの知らない話だ。
けれど、ドルシアがいつも何かを必死に探していたのは知っている。
「……お師匠さまは、ひとりで滅びを食い止めようとしていたのですか?」
『――そうだ』
ロイは震えが止まらなくなる。
いつも、他人を遠ざけるような言動をしていたドルシア。彼女がしていたのは、自分を偽るような言動ばかり。
けれど、ようやく、彼女がそうせざるを得なかった心情が理解できた。
『私は、懺悔しなければならない。少女を巻き込んでしまったことを。そして、彼女に真実をすべて伝えなかったことを』
「どういうことです……?」
ゲイルは、長いため息を落としてから言った。
『……何事にも、それに適した時期というものがある。彼女は、まだ若かった。思考も、行動もな。――4年前に、彼に挑んだとしても敵うはずもない。だからこそ、誰が世界を滅ぼすのか知っていたのに、私はあえて彼女に教えなかった。私が彼女に見せたのは、不明瞭な未来の光景の一部だ』
「え……っ」
『世界に滅ぼす者は、彼女にとって身近な存在だった。けれど、4年前にそれを伝えていたら、彼女は相手に直接それを訴えに行ってしまっていただろう。そんなことをしたら、彼女は間違いなく殺されていた』
ロイは、背筋がひやりとするのを感じた。
「殺されていた……? そんな……」
ドルシアの死を脳裏に描く。
その途端、胸をかきむしりたくなるような衝動が襲いかかる。
『私が、滅びの呪文を彼女に教えた。だから、彼女は私を連れて逃げた。その呪文を誰にも渡さないために。世界を滅ぼす者を見つけるために、だ』
ドルシアが隠してきたもの。彼女が抱え込んできたものの重さに、ロイは呼吸することさえ忘れてしまう。
『……私がこんな方法を選んだのは、数多ある未来の中で、唯一、滅びを阻止できる可能性があったからだ。だが、その希望も潰えてしまった』
「えっ……、潰えてしまった、って……?」
『彼女は、この数日間、とある場所に閉じ込められていた。そのとき、犯人と接触する機会が一度だけあった。その際に、相手を倒していたら……。いや、もはや、何も言っても遅いが』
「そ、んな……」
ドルシアに何があったのか、ロイは知らない。
だが、彼女が失敗したのだと聞かされて、心穏やかではいられなかった。
「世界が、滅ぶ……?」
そんなこと想像したこともない。
明日は当然のようにやってくるものだと信じてきた。
いつものように朝起きて、薬草の手入れをして。ドルシアのために食事をつくって。研究をして。そんな日々を、当然のように感じていた。漠然と、当たり前のようにあるものだと、信じてきた。
「そんな……! ぼくは……っ」
口から漏れるのは意味もなさない言葉だ。
『これが私の懺悔だ。まったくもって見苦しいと自分でも思う。――だが、旅立つ前に、誰かに聞いて欲しかった。罪を告白して、ただ楽になりたかっただけだろうな』
「旅立つ……? ゲイルさんは、どこかへ行ってしまうのですか……?」
そう言い切る前に、ロイは悟った。
ゲイルはきっと、仲間と同じような場所に行こうとしているのだ、と。滅ぶ世界に残っていても仕方ない、と考えているのかもしれない。
『最後まで、きみたちを見届けてもいいのだが。……だが、もう、どう努力したところで、未来は変えられない。待つだけ無駄だ』
「……未来は、ひとつしかないのですか……?」
震える声を、ロイは喉からしぼりだす。
『――いや。かすかな蝶の羽ばたきが世界に影響を与えるように、未来は絶えず変化する。私の目には、数多の景色が今も浮かんでいる。けれど、どの道を選んだとしても、もう未来に変わりがないんだ。もはや、早いか遅いかの違いしかない』
ロイは、拳を机に叩きつけた。
やわらかな手の平に爪をたてて、血がにじむほど握りしめる。
「未来を変える方法が、あるはずです……!」
『――そんなものはない』
ゲイルは残酷に言う。
(いや、ぜったいにあるはずだ……! 何か方法がないのか……っ)
ロイは、目まぐるしく考えた。
思考しすぎて、ずきずきと頭が痛い。ロイは熱を持ったこめかみを、指で押さえた。
(このままだと、お師匠さまが……いや、世界中の人々が死に絶える)
これまで、こんなに真剣に何かを考えたことはない。
――どれくらい時間が経ったのだろうか。
まるで永遠のようにも、一瞬のようにも感じられた。その瞬間、ロイの視界に光る道が見えたように感じた。
(そうだ、これだ……。もう、これしかない)
ほとんど感覚的なことだった。
思考を言葉に変える余裕すらないまま、ロイはその問いを口にする。
「ゲイルさんは、なぜ、自分で世界を救おうとしないのですか……?」
――そう、ゲイルの行動はまわりくどすぎるのだ。
いくら、不可侵の決まりがあったとしても、一度犯してしまったならばやり通せばいい。
彼の行動は、何もかもが中途半端だ。神ならば、大きな魔法でも使って未来を変えてみせればいい。
それだけできる実力があるのだから。
実際、魔法は一応使えると、ゲイルは最初に口にしたではないか。
だが、あまり使いたくないとも言っていた。
(その理由はなんだ……?)
それが、ロイの想像どおりならば――。
『先ほど話したことだ。この世界の魔人たちは、旧時代の人々にひどく執着している。私がその生き残りだと知られたら、世界中で大混乱が起きるだろう。魔人たちによる、私の奪い合いに発展する。さまざまな魔法が私の周囲で発動し、世界が恐慌状態におちいる。だからこそ、私はずっと、ただの本のように過ごしてきた』
(やっぱり、そうか……)
ロイの脈拍が速くなる。
旧時代の人々は、できるだけ、ロイたちの世界には干渉しないという。
だが、ゲイルは違う。それが罪だと知っていて、それをせざるをえなかった。彼には、人々への情けがある。
『……そういう精神攻撃はやめてくれないか』
ゲイルは、ロイの心が読める。
――だから、次にしようとする行動は、考えてはならない。
『何、だって……?』
ロイは次の瞬間、本につかみかかっていた。
ロイは机に本を押さえつけた状態のまま、呪文を唱える。
それに思考を費やさない。
発動する魔法は、炎を呼び出すものだ。
うなるような風の揺らぎを肌に感じる。
地精霊たちの気配が、ロイの周囲に集まろうとしていた。
まもなく、魔法が発動するという合図だ。
――ロイがしようとしたことに、ゲイルは気付いたのだろう。
ゲイルは、大声で叫んだ。
『やめろ……っ!』
ゲイルが、ロイの知らない言語を唱えようとした。
だが、彼は最後の瞬間で、躊躇するそぶりをみせる。
――やはり、魔法を使いたくないのだ。
ロイは口元をゆがめた。
最後の単語を唱えあげる直前、ロイは本の表紙を指でなぞる。
「ぼくの、勝ちです」
『……意味が、わからないのだが』
ゲイルが困惑したような声を漏らした。
それはそうだろう。
あとたったひとつの単語で、魔法は発動するところまできている。
張りつめた糸のような緊張感がただよっていた。
実際、ロイの手の周囲には、緑色に発光する魔法陣が形成されている。
攻撃したければ、ただ唱えれば良いだけだ。
「ゲイルさん、ぼくの召喚獣になってください」
『……は?』
ゲイルは、まるで初めて聞いた単語であったかのように、間抜けな声をだした。
ロイは肩をすくめる。
「だって、おっしゃったでしょう? ゲイルさんは無害な精霊のようなものだ、と。そして、召喚で呼び寄せるものは、大精霊や悪しき魔獣だ。ならば、目の前にいるゲイルさんを下すことができれば、ぼくはゲイルさんを強制的に従わせることができますよね?」
『ちょ……ちょっと、待ってくれ。本気で言っているのか?』
ゲイルは、急に笑いだした。
彼があまりに激しく笑うので、ロイは鼻白む。
先ほどまでの冷淡ささえ感じる本の雰囲気が、微塵も見当たらない。
『この、私を……! 召喚獣あつかいか! こんなに愉快な気分になったのは、久しぶりだ。きみは、なかなか面白い発想をするな』
確かに、旧時代の人間を手下にしようとするだなんて、突飛にも程がある。
ロイにもそれは自覚があったので、顔が熱くなった。
魔人だって召喚するのは、大変なことだ。たかが一介の見習い魔女であるロイが、できるだなんて、考えるのもおこがましい。
ましてや、ゲイルは魔人より上位の存在なのだ。
「……でも、ゲイルさんは精霊なんでしょう? それに、実際、ゲイルさんは絶体絶命の窮地におちいっています」
『ほう? 私が、燃えることを恐れるとでも?』
何故か、ゲイルの声音は楽しげだ。
「いいえ? 実体は精神体ですもんね? 炎なんて、ゲイルさんは怖くないはずです。けれど、ぼくが最後の呪文を唱えたら、魔人たちにゲイルさんのことが知られてしまいます。嫌でしょう、それ」
『おい……』
ゲイルの声が低くなった。
そう、ロイの狙いはそこにある。
精霊たちにとって、魔人たちは親のような存在だ。大きな魔法を唱えれば、魔人たちにもそれが届く。ゲイルがここにいることを、魔人たちにも知られてしまう。それは、もっともゲイルが避けたいことのはずだ。
「そうされたくなければ……わかりますよね? ゲイルさん、ぼくの下僕になってください」
ロイは本気で言っているのだが、ゲイルには大笑いするような出来事らしい。
だんだん恥ずかしくなってきて、ロイの目にも涙がたまってくる。
(もしかして、馬鹿にされているのだろうか……?)
ロイの行動は、ただの推測に基づいたものだ。
間違いはないはずだと思っているが、もしも思い違いだったら恐ろしい。羞恥心で、死ねる。
ひとしきり笑い終えたあと、ゲイルは誤魔化すように咳払いした。
『良いだろう。きみは、なかなか面白い。退屈がまぎれそうだ。長い時間はきみの元にいないかもしれないが、一緒にいるあいだくらいは、寛容な私はきみの下にくだっても良いと思う』
「うわぁ、ぼくの召喚獣はえらそうだよ……」
『どちらが偉そうなのか、手を胸にあてて考えてみるべきでは?』
そう言われても、実際のところ、ロイにはぴんとこない。
ゲイルが旧時代の人間と言われても、はるか昔の伝説上の存在だ。
ロイには馴染みがないぶん、遠い想像しかできない。精霊や召喚獣の方が、よほど身近な存在だった。
しゃべる本ならば、元人間だと言われるより、精霊だと言われる方がしっくりくる。
――だからこそ、召喚獣にしてしまおうなどという発想になってしまったのかもしれないが。
『本当に……幼いものたちは、考えかたが柔軟で興味深い』
ゲイルは、どこか感慨深げに言う。
ふいに、ゲイルが『あっ……』と、驚いたような声を発した。
「どうしたのですか?」
『……風向きが、変わった』
「風向き?」
ゲイルは呆然としたようすで、しばらく口をつぐんでいた。
だが、その数秒後、ロイに向かって告げる。
『どうやら、新しい未来への道筋が生まれたようだ。それがどんな結末を生むのか、まだはっきりと見えないが、行ってみる価値はあるのかもしれない。――支度をしよう。王城に忍びこむぞ』




