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悪名高き魔女の恋  作者: 高八木レイナ


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ロイと禁書2

 その小さめの樫の木扉には、侵入者をふせぐドルシアの魔法陣が薄らと緑色に光っていた。魔石が扉に埋め込まれており、明滅を繰り返している。

 それを確認して、とうてい自分には破れそうにない代物だとロイにはわかった。ふれたら最後、火傷してしまうだろう。

 一瞬、伸ばそうとした手を引き戻す。

 その様子に気付いたのか、男の声が何事かをつぶやいた。


『――××××』


「え……っ?」


 ロイは困惑する。聞いたことがない言語だった。

 次の瞬間、ロイの目のまえにあった魔法陣が消えうせた。魔法陣が空中に散り、きらきらとした残光を残す。

 ロイは目を見開いた。


「あ……」


 震えた声が、喉の奥から出てくる。


(お師匠さまの、魔法が消えたということは……)


 扉の中にいる者は、魔法使いということだ。

 ドルシアがこの部屋を隠すためにつくった結界は、かなり大がかりなものだ。

 この迷いの森から王都をつなぐ魔法陣も高度な魔法だが、普通の魔女が創造できるものではない。ドルシアだからこそ、できたものだ。


(それを、こんなに簡単に消した……?)


 ただ、一言だ。

 男の反意呪文は、たったそれだけ。

 ロイは、己が何か恐ろしい存在を目の前にしているような、うすら寒い気持ちになった。このまま呼ばれるままに、扉の奥に進んでいいのだろうか。


『こちらへ来い。ロイ』


 けれど、その声は絶えず、ロイを呼ぶ。

 ロイは手に浮かんだ嫌な汗をローブでぬぐい、扉の取っ手に手をかける。

 それは、軋んだ音をたてて開いた。

 ひんやりとした空気が、ロイの肌を撫でていく。内部は真っ暗だった。人ひとりしか通れないような石階段が、ずっと下の暗闇まで続いている。

 ぞくりと背筋が震えた。まるで、魔物の体内に飲みこまれていくような心地になったのだ。


「あ……」


 ロイが階段の壁に手をつくと、急に視界が明るくなった。ふしぎなことに、壁自体が発光しているのだ。


「なん、で……?」


(訳がわからない……)


 光を放つ魔石も、この世界には存在する。

 だが、もしも壁一面を光らせようとするなら、途方もない魔石の量が必要になるだろう。それを購入するための山のような金貨も。しかも、一方の壁だけではなく、左右の壁も、天井までもがまばゆく輝いていた。

 ロイは膝が震えるのを感じながら、壁を手すりがわりにして進んでいく。


(お師匠さまは、何を隠しているんだ? こんな……)


 階段は、それほど長いものではなかった。二階分ほどだろう。だが、時間をかけたせいか、とても長く感じられた。

 階段の先の左手には、ひらけた場所がある。そこが、秘密の小部屋なのだろう。

 ロイは気持ちを引き締め、万が一にそなえて、攻撃呪文を唱える準備をしておく。

 そっと、ロイは小部屋に侵入した。

 石造りのこぢんまりとした空間だ。廊下と同じように、壁が光り輝いている。天井は低く、四方の壁に本棚が設置されていた。中央に、簡素な木の机と椅子が一組あるだけの、質素な室内だ。


(誰もいない……)


 ロイは、笑いたくなった。

 緊張が切れたせいもある。けれど、安堵感の方が大きかった。

 きっと、気のせいだったのだろう。理由はわからないけれど、何故かドルシアの魔法が解かれた。ロイが耳にしたのは幻聴。そちらの方が、よほど現実感がある。

 周囲を見まわして、ロイは小部屋から立ち去ろうかと考えた。けれど、一冊の本がロイの目に留まる。


「ん……?」


 その本だけは、他の本とは違っていた。

 辺りの本棚はいっぱいに古書がつまっているのに、その一段にだけは、一冊しか置かれていない。

 だから目を惹いたのだろうか、と最初は思った。

 だが、よく見ればその本自体に違和感がある。

 ロイは、まるで吸い寄せられるように、何も考えずにそれに近づいた。その本を手にとる。表紙には、『宮廷料理本』と書かれていた。

 眉をひそめて、その題名を指でなぞると文字が発光した。

 驚きのあまり、ロイは本を取り落してしまった。

 大きな音をたてて、本が石床にぶつかる。ばらばらと、何も書かれていない頁がめくれた。


『やれやれ、もっと丁重に扱ってくれ』


 ロイは目を剥いて、周囲を見まわす。

 けれど、その声の主はどこにもいない。


「だれですか……!? どこにいるんです?」


 隠しきれない怯えが、ロイの声に混じる。

 周りをいくら注意して確認しても、それらしい姿はない。


『……目の前にいるだろう。正しくは、きみがいま目の前で落としたやつだ』


「ええっ」


 ロイはしばらくのあいだ、身動きが取れなくなった。

 地面に落ちた本を凝視すること数秒。

 ようやく、思考能力が戻ってきたが、やはりこれは現実ではない、と思いはじめる。きっと、夢だ。しかも、悪夢のたぐいの。


「だって、本がしゃべるわけがないですし……嫌だなぁ、もう」


 空笑いをして誤魔化そうとする。

 その本は、大きなため息を落とす。


『まあ、そう思いたいなら勝手だが。ずいぶんと非効率的だな。私はそういう無駄な思考過程は、あまり好まない』


「ほ、本が、しゃべった……?」


『だから、そう言っているだろう』


 しばしのあいだ、ロイは硬直していた。

 しかし、頭を大きく振って意識を切り替える。


「――わ、わかりましたよ。貴方が本ということは……納得しがたいですが、なんとか受け入れます。けれど、何者なのです? どうして、ぼくを呼んだのですか?」


『……とりあえず、地面から拾ってくれないか? 自分で身を起こすのは大変なんだ。呪文でどうにかすることはできるが、できるかぎり魔法は使いたくない』


 そう乞われて、ロイはおそるおそるその本を拾い上げる。表紙をみれば、題名が先ほどまでのものと変わっていた。

 智の書。

 そう、表紙には刻まれている。


「禁書……?」


 魔法文字が隠されている本のようだ。だとしたら、禁書だろう。そうロイは見当をつけたが、その本はあっさりと否定する。


『私の名前は、ゲイル・ヴェルトハイム。この世界で最後の、旧時代の魔法使いだ』


 かつてこの世界には、『知恵のある者たち』が住んでいた。いまこの世界にある魔法と呼ばれるものは、その時代の遺産だと言われている。

 ロイは狼狽して、本にむかって問いかけた。


「け、けれど、彼らは滅んでしまったと聞きますよ……それなのに、どうして、本に……?」


 本は、躊躇するような気配を見せる。


『……その話をすると、長くなる。説明するから、そこの椅子にでも腰かけてくれ。きみの師匠にも関係のあることだ』


 ドルシアの名前を出されて、ロイの思考が落ち着いていく。

 深呼吸して、そのまま部屋の中央にある椅子に座った。そして、本を机の上に置く。


「それで?」


 ロイがうながすと、ゲイルはどこか思案でもするように押し黙っていた。少ししてから、静かな口調で話しはじめる。


『きみは、いくつか疑問を持っているだろうと思う。何故、私が本のすがたをしているのか。そして、魔女ドルシアとどういう関係なのか。何故、きみを呼んだのか』


 ロイはうなずく。


『……まず、私が本になった経緯から話そう。ロイ、きみはどうして旧時代の生物がこの世界から消えたと思う?』


「それは……、世界が滅ぶような出来事が起きたから……ですか?」


 ロイは困惑しつつも、そう答えた。

 世界中に残された石版から、彼らの歴史を推しはかるしかない。

 かつては今よりも発展した時代があったはずだ。それらが全て消えてなくなるほどの出来事とは、いったい何なのか。

 ゲイルは苦笑したような、小さな笑い声を漏らした。


『ずいぶんと抽象的だな。――まあ、長々と問答している暇はないから、正解を言おう。彼らは、別に滅んだわけじゃない。だが、歴史上では滅んだことにされたんだ。正確に言うと、きみたちの言うところの、“魔法”によってね』


「どういう、ことですか……」


 すでに、ロイの思考能力は限界に近付いている。いま目の前で起こっていることを理解するだけでも、精一杯だ。


『きみたちの言う、魔法――それは、我々の世界では科学と呼ばれる。私たちの世界は、魔法であふれていた。人々は空中を自由に行き来でき、遠距離の相手とも自由に交流できた。何かをするにも移動する必要はなく、“声”で命じるだけで……あるいは、“心の声”だけで、魔法を行使することができた』


「それって……」


 ロイは固唾をのんで、ゲイルの言葉に聞き入った。


『ああ、きみたちには理想郷のように聞こえるだろう? しかも、きみたちのように“魔力”を我々は必要としない』


 ロイは黙り込んだ。

 魔力がなく、魔法を発動する方法など、存在しないはずだ。少なくとも、ロイは知らない。魔力がなければ、魔法学院にも入学できないのだから。

 ――しかし、魔力とは……いったい何なのかと改めて考えた時、ロイにはうまく答えることができない。

 それは、体内にある“未知の力”だ、と言われている。

 最初から生まれ持っているもので、変えようがないものだ。


『魔力は、旧時代にはありふれたものだった。人の内側ではなく外側にあった。魔法を行使するためには、代償となる力がいる。だが、旧時代にはあったそれらは、この世界にはもうほとんど生み出されていない。だから、きみたちが魔法を使おうとすれば、きみたちの“体力”が奪われてしまう』


「ちょっ、ちょっと待ってください……」


 ロイは、頭を抱えた。

 どうにか、ゲイルの言葉を整理しようとする。


「えっと、つまり……何ですか。もしかして……旧時代の人々は、誰しも魔法使いだったということですか?」


『……まあ、そう言い換えても良い。ある意味では、私たちの世界は発展しすぎていた。ゆえに、旧時代の人々は人の形すら捨ててしまった。器としての身体は、もはや意味をなさなくなり、もっと高次の生命体へと移行した』


「高次の……というと?」


『精神体だ。大半は、この世界ではない遠い場所に旅立った。ここに残った者は、ほとんどいないだろう。私のような変わり者が数名くらいか。――そういう者たちは、自然物に入り込んで眠りについている。基本的に、我々はこの世界に干渉しない。無害な精霊のようなものだ』


「はぁ……すごい話ですね」


 ロイは目を見開いて、ゲイルの話に相槌を打った。

 やはり、学者の見習いとしては、この世界の成り立ちに興味もある。


『だが、我々がつくりあげた物たちは、一緒に連れていけなかった。“魔法”のことだ。その中でも意思を持つものを……いや、失敬。――こちらの世界で言うと、“魔人”だろうか。召喚魔法で現れる大精霊や、悪しき魔獣のことだ』


 魔法を発動するのは、地精霊たちだと言われる。

 それらはこの世界中のどこにでもいる目に見えない生き物で、透明な羽をつけたすがたで絵本にも描かれる。

 地精霊たちを従えるのが、召喚魔法で現れる魔人や大精霊だ。


『……我々が“魔人”をつくり上げた。人間に、絶対服従する大いなる存在を。しかし、彼らは、旧時代の人々のそばにいすぎたために、意識が人に近くなりすぎた。だからこそ、我々の裏切りを許せなかったのだろう』


「裏切り……?」


 不穏な言葉に、ロイの心臓が大きく鼓動する。

 ロイは心臓の辺りに手をあてて、呼吸を落ち着かせようとする。


『旧時代の人々は、この世界を捨てて旅立ったと言ったな。魔人たちにとって、命じる存在がいなくなったということだ。魔法を扱う者がいなくなった』


 ロイは、思わず「あっ……」と、声を漏らしそうになった。

 魔人は、人のように死ぬわけではない。けれど愛する主たちを失っても、彼らは永い生を生きなければならなかった。それは、どれほどの孤独なのだろう。ロイには想像できない。


『魔法だけはこの世界に残った。彼らは、主をなくして存在できないようにできている。物理的な問題ではない。感情的に、だ。だからこそ、彼らはきみたちをつくったのだろう。我々、旧時代の人間に近しい者たちを』


「それは、どういう……?」


 人を生み出すのは、神ではないのだろうか。

 ロイは、そう信じてきた。


(主神イーリアに……)


 誰もが崇める女神の名前。

 食事のときに、祭祀のときに、日々の祈りをささげた存在は、偽りの神だったのだろうか。


『神に偽りなどない。きみたちが信じるなら、等しく存在する』


「我々をつくったのは、魔人……? なら、神とは……魔人のことですか?」


『好きに解釈して構わない』


「……ぼくは、これまで信じてきた常識をことごとく壊されすぎていて、今は頭が大混乱状態です。っていうか、何だか、まるで……ぼくの心の声が届いているように答えてくれるのですね……?」


 嫌な予感がして、ロイはおそるおそる聞いた。

 ゲイルは、あっさりと答えてくれる。


『正解だ。きみの心の声は、私に筒抜けだ』


「……そうですか。もう、何も驚きませんよ」


 ロイは大きく息を吐く。

 ゲイルは一拍おいてから、再び話しはじめた。


『おそらく魔人たちは……きみたち新時代の人間全員に、魔法を使えるようにしようとしたんだろう。だからこそ、石版をつくった。きみたちが石版を解読できるほどの知恵を得たとき、旧時代の言語を扱う者たちを、まずは“主”として定める筋書きだったようだ。けれど、きみたちの先人である賢者が石版を壊してしまった。石版には、きみたちの細胞の“小さな情報”を採取するための物が入っていたのだが』


「石版……」


 世界各地にある、謎の文字が刻まれた石。

 それらは、ロイたちに旧時代がいかに発展した文明だったかを伝えている。

 けれど、それらが“魔人”のつくりだしたものだとは、ロイも想像できなかった。


『――争いを恐れて、賢者たちは石版を壊した。そのときに、魔人はどうするか悩んだのだろう。そのときに初めて、魔人たちは恐怖を感じたのかもしれない』


「なぜ、恐怖を感じるんです……?」


 ロイは戸惑ってしまう。

 魔人は、それを望んでいたはずだ。新しい人々が、知恵を持つことを。旧時代の人々に近くなることを。


『きみたちが私たち旧時代の人間に近づけば近づくほど、魔人たちは、また捨てられる恐怖を味わうことになるからだ』


 ロイは、言葉を発することができなくなった。

 確かに、魔人たちを必要なくなるほど人々が発展したら、新時代の人々も“魔法”を捨て去る日がくるのかもしれない。


(そしたら、彼らはまた孤独になるのか……)


 ――なんという話だろう。


『本当は、旧時代の人々にそっくりな存在をつくろうとした。だが、それが無理なことに、彼らも気付いたのだろう。彼らの理想の時代は、すでにない。過去のものだ。同じ歴史をなぞろうとしたところで、まったく同じものになるはずがない。それに、同じものになったとしても、彼らは絶望するだけだろう』


 旧時代の幻が、ロイを捕えて離さない。

 まるで白昼夢のように、つかの間、かつてあった栄光の時代の光景を思い描いていた。

 だから、ゲイルの次の言葉に反応するのに、わずかに遅れてしまう。


『――私は、懺悔がしたかった。きみを呼び寄せたのは、このためだ』


「懺悔……? 何に対してですか?」


『……私には後悔がある』


 ゲイルは沈んだ声を漏らした。

 ロイはじっと分厚い皮の表紙を見つめて、本の言葉を待つ。

 時間がないと言うのに、何故か、ゲイルは言葉を探しあぐねているように、ロイには感じられた。


(それほど、言いにくいことなのだろうか……)


『私は、これから起こる未来を知っている。どうにか、それを避けようと努力もした。……けれど、もはや、私の力ではどうにもならない』


「……それがどんなことなのかは存じませんけど、ゲイルさんでも不可能なことがあるのですか?」


 ロイには意外だった。

 この世界の人間をつくったのが魔人ならば、その魔人をつくった旧時代の人々は、神のそのまた神のようなものだ。すべての創造主だろうに。


『……我々、旧時代の者たちは、基本的にこの世界に干渉しない。それは倫理的な問題だ。たとえ目の前で大量虐殺が起ころうと、それが自然の摂理ならば、受け入れるしかない。そんな不文律が我々の間にもある。けれど、私は、その許されない行為に手を染めてしまった』


「ちょっと、待ってください。いま、何と?」


 不吉な表現が、ゲイルの言葉に含まれていた。突然、嫌な予感に駆られて、ロイは顔色を失う。

 ――未来を知っているという禁書。

 大量虐殺?


「まさか、ゲイルさん……」


『……その、まさかだ。この世界は、滅びに向かって歩きはじめている』

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