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悪名高き魔女の恋  作者: 高八木レイナ


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20/31

過去1・"Who killed Hen Robin?"(side:ザオルグ)

「ザオルグー、ちょっとこっちにきてくれ」


「はーい」


 少年は父親の声に振り返って、そう返事をした。

 彼がいるのは牛が何十頭も収容できそうな、2階まで吹き抜けになった牛舎だ。そこら中に藁が山積みになっており、牛たちがもしゃもしゃと飼葉を食んでいる。

 その外見は八、九歳くらいの少年は、上下がつながった汚れの目立つ仕事用の服をきていた。額に浮いた汗を、首にかけた布で拭く。


「なにー? 父さん」


 ザオルグが近づいて行くと、父親はにんまりと笑う。そして持っていた籠を、少年に押しつけた。


「何これ……?」


 ザオルグは怪訝そうに眉根をよせる。

 籠にかかっていた布をめくると、中には瓶詰にされた牛乳があった。最近できたばかりの、数年間ものあいだ熟成していた硬いチーズも入っている。


「シェリー嬢のところに持って行ってやれ」


 そう、父親は茶目っ気たっぷりに片目をつぶる。ザオルグの頬が勝手に熱くなった。


「……父さん、変な気をきかせないでくれる?」


「言い間違えた。ベインズブルグ伯爵のところに持っていってくれ」


「同じだよ!」


 シェリーは、ベインズブルグ伯爵のひとり娘だ。

 父親は、大仰に肩をすくめる。


「どうせ、今日も、シェリー嬢の見舞いに行くんだろう。伯爵にチーズの出来も味見してもらいたいから、ちょうど良い」


 そう言われると、ザオルグは何も言えなくなる。籠を手に持ったまま、大股で牛舎を出て行く。

 周囲には、低い草が生えている。牛舎の背後にあった鬱蒼と茂る木々が、熱風に煽られて、さざめいた。

 土を固めただけの道が、町の大通りにむかって続いている。

 ――ベインズブルグ。

 フィルディル王国の王都から遠く離れた、ちいさな田舎町だ。

 領主は町民たちに気安く接するような人で、領民から愛されていた。だからこそ、近所の家に遊びに行くような気軽さで、ザオルグも領主の館に向かうことができている。

 町に流れている穏やかな気風を、誰しも――領主も、その時のザオルグでさえ、持っていた。




 ザオルグは家の炊事場にあった水桶をつかい、かるく汗を流した。

 井戸は町の中央にいくつかあって、基本的にみんなそこから水桶に水を汲んで、使っていた。

 田舎とはいえ、領主の邸ともなれば豪華な造りになっている。

 玄関口にある呼び鈴を鳴らすと、白髪頭の家令がすがたを現す。案内されて向かった先は、邸の2階にある角の部屋だ。

 ザオルグがそっと扉を押して室内に入ると、天蓋つきのベッドの上で少女が身を起こした。胡桃色(くるみいろ)の髪と瞳の、10歳くらいの女の子だ。美人というよりも、愛らしいという表現がよく似合う。微熱があるのか、頬が赤らんでいた。


「まあ、ザオルグ。今日も来てくれて、ありがとう」


 少女がそう、はにかんだ。

 ザオルグはぎこちない動きをしながら少女に近づき、持っていた籠を彼女にぐっと押しつけた。

 目を丸くしている少女。

 ザオルグが視線を泳がせながら、赤く染まった首を搔きながら言う。


「父さんから。シェリーと、領主さんにって」


「まあ、ありがとう。おじさんの作るチーズは、絶品なのよね。お父さまも喜ぶわ」


 シェリーは満面の笑みを浮かべた。

 受け取った籠をそばにいた召使いに渡し、彼女はベッドから立ち上がる。


「ザオルグ、家庭教師の先生がきているのよ。一緒に、勉強をしない?」


 シェリーは病弱なせいで、邸からはろくに出たことがないのだという。だが、週に数回ほど家庭教師を呼んで学んでいた。


「シェリー、熱があるじゃないか。寝てなきゃ駄目だろう」


 ザオルグは顔をしかめる。

 彼にとって、シェリーは幼なじみのような存在だった。

 知り合ったきっかけは、ささいなものだ。

 シェリーの邸で奉公している使用人の息子が、ザオルグの友人だった。どうなるか深く考えずに、数年前に領主の邸にこっそりと忍び込み、一緒に隠れんぼをした。

 だが、たまたま隠れている最中に、ザオルグはシェリーに見つかってしまったのだ。

 あげく、好奇心旺盛なお嬢様が「一緒にやりたい」と言いだしたので、隠れんぼをすることになってしまった。

 ――その件で、ザオルグたちは邸の家令からこっぴどく怒られたが、それからもたびたび、ザオルグはシェリーの元に通うようになった。


「ちょっとくらい平気よ。ねえ、ザオルグ。わたしは、貴方が魔法をつかうところを見たいわ」


 きらきらした目で言われて、ザオルグは言葉につまる。


(なんでおれは、シェリーの顔を見ていると結局、何も言えなくなるんだ……。くそ……ッ)


 自らに悪態をついてみても、結果は変わるわけでもない。

 本来あるはずの身分差が、その時のふたりにはなかった。もちろん、まだ互いに幼いという理由もあって、周囲もさほどうるさく言わなかったというのもあるだろう。

 いつからなのかわからないが、ザオルグは彼女に恋心めいたものを感じるようになっていた。


「シェリーがそう言うなら、仕方ないな。すこしだけだぞ」


 ザオルグはそう嘆息すると、シェリーの手を引いて出窓のところまで歩いていく。硝子窓を開けると、初夏特有の土の香りが鼻をかすめる。

 緑や花の多い庭園で、庭師が木々の手入れをしているようすが目に入る。パンを焼くような香りが、厨房からただよってきていた。

 ザオルグは目を閉じて、手の平に意識を集中させた。すると、火の精霊が反応して集まってくる。ザオルグの手の中で炎が発生し、それが鳥の形をつくった。

 窓の外にむかって手を広げると、火鳥が大空に羽ばたいていく。それは間もなく消えてしまったが、しばしのあいだ、天空に残像を残す。

 庭師たちも仕事の手をとめて、空を見上げている。シェリーも「まあ、素敵!」と窓から身を乗りだして、魔法の奇跡に目を輝かせていた。


「――見事なものだな」


 背後から男の声がして、ザオルグたちは驚きに身を震わせて、振り返った。

 そこに立っていたのは、シェリーの父親である――ベインズブルグの領主ローレンスだった。

 ザオルグは、ビシッと居住まいをただした。


「ローレンスさま、ご挨拶もせず、お邪魔してしまって、すみません!」


「ん? ああ……そんなことは良いんだよ。畏まらなくて良いと、いつも言っているだろう? それに、きみはシェリーの友達なのだから、気軽にきてくれて構わない」


 ローレンスは白いひげを撫でながら、穏やかな顔に笑みをひろげる。だが、その直後に、娘の方を気にするようにしながら、ザオルグに向かって言った。


「ザオルグ君、ちょっと話があるのだが……良いかな?」


 ザオルグは初めて、ローレンスの書斎に招かれた。

 初めて入ったそこは、周囲の壁一面に本棚が設えられており、ザオルグは「うわぁ……すごい」と目を大きくして、辺りを見回した。

 領主は微笑み、本棚から古びた本を一冊引きぬく。それをザオルグに見せるように広げた。


「……何ですか、この本?」


 ザオルグは、字が読めない。

 貴族は読み書きができるのが普通だが、一般人ならば、自分の名前が読めて買い物するときに数字の計算ができればそれで充分だった。

 だから、当然、読めるはずもなかったが。


「文字の形が、変わった……?」


 よく、紙面の文字を眺めていると、だんだん文字たちが踊るように動いていく。最終的には、まったく違う形に変わってしまった。

 見間違いかと思って、ザオルグは目をこする。

 ローレンスが静かな声で言った。


「これは、私が所有している禁書だ。うちに昔から代々伝わる、ふしぎな本でね。禁書というのは、魔力を持つ者にだけ、本当に書かれたものが見えるようになっているそうだよ。残念ながら、私にはちっともわからないのだがね」


 ザオルグは当惑ぎみに、領主を見上げた。


「ザオルグ君、私は王都の権力抗争から遠い田舎領主だが、それでも王都にいる魔法使いには会ったことがある。呪文を唱えずに魔法をつかう者など、私はこれまで見たことも聞いたこともない」


「――いや、呪文を使わずにっていっても……、それは火に関係する魔法だけですよ。おれはそもそも、他の魔法のつかい方も知らないし」


 魔法文字さえ読めないのだ。

 ふしぎなことに、ザオルグは昔から火の精霊に愛されていた。呪文を唱えずとも、つよく願うだけで、炎を生み出すことができる。

 ローレンスは悩ましげな表情をしていた。


「貴族の嫡子のあいだでは、生まれて間もなく『魔力量』が調べられる。だが、庶民たちには、まだ王都くらいでしか行われていない。……シェリーにも試してみたが、あの子には才能はなかった。本人は魔法使いになりたがっていたから、残念だがね」


 ザオルグも、それは知っている。

 閉じこもってばかりのせいもあるだろうが、彼女の部屋にある本は魔法に関係する物語の本があふれていた。

 ――だからこそ、ますます調子にのって、ザオルグもシェリーに魔法を見せてしまうのだが。


「そこに才能のある子どもがいるのに、見て見ぬふりをすることなど私にはできない。きみはいつか、『炎の賢者』と呼ばれるような逸材になるかもしれない。――是非、魔法学院で学ぶべきだ。私が援助しよう。王都に行きなさい」


「え……っ」


 ローレンスが言ったことは、ザオルグにとって思いもよらないことだった。

 子供は親の仕事を継ぐのがふつうだったし、ザオルグも例にもれず、父親の跡を継ぎ、牛を育てて生きていくのだと思っていた。


「ザオルグ君、きみは、この町で埋もれて良い存在じゃない」


「で、でも……」


 動揺のあまり、ザオルグの口から震えた声が漏れる。

 まだ十歳の少年の少年にとって、親元を離れて遠い町に行くことは大きな決断だった。何より、王都は遠い。ベインズブルグには、簡単に戻ってこられない。


(シェリーと離ればなれになってしまう……)


 それを想像すると、ザオルグの目の前が暗くなる。


「すぐに決められることじゃないのも、わかるよ。――家に帰って、よく親御さんとも相談しなさい。お父さんには、私からも伝えておくよ」


 領主の言葉に、ザオルグはぎこちなく頷いた。




 その晩、ザオルグは、ずっと考えていた。


(おれは、将来……どうなりたいんだろう……?)


 毎日、朝はやくから起きて、牛の世話をして暮らしてきた。それは質素ながらも幸せな暮らしだったが、それが果たしてずっと続くのだろうか。

 ザオルグにとって、一番気になるのは、やはりシェリーのことだった。

 シェリーだってあと数年もして、年頃になれば、誰かと結婚するかもしれない。だが、それはきっと、ザオルグではない。気安く接してくれるとはいえ、ザオルグも、その辺りは理解していた。貴族同士で、平民は平民同士で婚姻を結ぶのが常識だったからだ。


(でも、もしも……おれが、魔法使いになったら?)


 魔法使いは、庶民の憧れの職業だ。

 たとえ平民出だとしても、貴族と結婚もできるだろう。


(――それに、魔法使いになれば、薬草にも詳しくなれる)


 ずっと引き篭もっている彼女の体調を、楽にさせてあげることができるかもしれない。そんな気持ちも湧いてきた。




 ザオルグは王都へ行く決意をかためた。

 出立する直前、自爆覚悟でシェリーに積年の想いを告白する。

 すると、なんと、両想いだったことが判明し、ザオルグはひどく気恥ずかしい思いをしながら、彼女と将来の約束をした。


「いつか、必ず、魔法使いになって帰ってくる。だから……そしたら、おれと……」

 シェリーは涙を流しながら、「うん……」と、顔を真っ赤にして頷いた。




 それから、数年間、ザオルグは必死になって勉強した。

 もともと、文字の読み書きさえできなかったのだ。周囲はすでにそれをこなしている者ばかりで、周りに負けまいと、ザオルグは朝も夜もなく机にかじりついて本を読んだ。

 もともと群を抜いて魔力量はあったのだ。知識を得ることができれば、実技ではザオルグの右に出る者はいなかった。

 シェリーとは文通で、ずっとやりとりをしていた。

 もうすぐ魔法学院を卒業すること。宮廷魔法使いに弟子入りするために、宮廷魔法使いとして王城で働きはじめることを書面に記す。

 その頃には、ザオルグは自分が異端であることに気付いていた。外見の成長が止まり、12、3歳の頃から身長が伸びなくなっている。

 それは、魔法使いにとっては誉れなことだ。年齢が止まるということは、それだけ魔力量が多いという証明なのだから。

 だが、シェリーと見た目の差があることが、ザオルグはどうしても耐えられなかった。だから、幻影の魔法をつかって、己のすがたを10代の後半くらいに見せた。

 王都にきてから、8年の歳月が流れた。

 ザオルグは16歳に、シェリーは18歳になっていた。


(そろそろ、シェリーを迎えに行こう)


 ザオルグにも縁談の話が舞い込んでいたが、シェリー以外に興味がなかったので、すべての話を跳ねのけている。

 ザオルグは仕事にも才能にも恵まれ、魔法学院で臨時の講師として働きながら、たくさんの弟子をとっていた。

 それでも、ザオルグは、いずれはベインズブルグに戻るつもりでいた。

 仕事に追われていても、彼女のことを忘れたことはない。

 時折、故郷に帰るたびに、美しく成長したシェリーを見ては、このままでいられないという思いを強くしていた。

 だが、その頃から仕えはじめた王女の存在が、ザオルグのその後の人生を大きく狂わせていく。


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