魔女ドルシア
花が咲き乱れる季節。
フィルディル王国の王都の外れに、『迷いの森』と呼ばれる場所があった。
鬱蒼としげるその森は、人々の方向感覚を狂わせる。
そのため、付近の住民であっても気軽に立ち入ろうとはしない場所だ。
その森の奥深くに、煉瓦づくりの小さな家がある。そこが魔女ドルシアの家だった。
そばかすの浮いた12、3歳ほどの少年が、その家の黄色い扉を開けて室内に入る。癖のある茶色い短髪が風で揺れた。
「お師匠さまー、ただいま戻りました」
そう言って、居間の机の上に麻袋をおく。その中には、先ほど少年が市場で手に入れたチーズやライ麦パンが入っている。
『迷いの森』は、魔女ドルシアの魔力によって歪められ、フィルディル王国の城下町とつながっていた。
屋敷の外へ通じる扉はふたつあり、左の青い扉から出ると森だが、右の黄色い扉から出ると城下町に出る。
「お帰りなさい、ロイ」
ドルシアが、ロイにむかって優しく声をかけた。
見た目は17、8歳くらいの少女だ。ゆるく巻かれた黒髪を胸元まで垂らし、豊かな胸をかざっている。
艶めく唇には紅がひかれており、目元を彩る睫毛の縁取りは、職人が長い時間をかけてつくった芸術作品のようだ。
魔法使いとは思えないほど胸元が開いたドレスを身につけ、クッションの敷いた長椅子に横たわっている。
ロイは、ドルシアを睨みつけた。
「--お師匠さま! いい加減にしてくださいよ! いつもいつも、町に行けば、お師匠様の悪口ばかり耳にするんですよっ」
「まあ、そうなの?」
知っているくせに、そう、わざとらしく首をひねる動作をするドルシアに、ロイはますます怒りを露わにした。
「お師匠さまが、どんなふうに噂されているか、ご存じですか!?」
フィルディル王国には、悪名高い魔女がいる。
その美貌にたぶらかされ、財を巻き上げられた男は数知れず。
彼女のつくる魔法薬はすばらしい効能だが法外な金額で、貧乏人だろうが構わず大金を請求する。
払えない者は、幼い子供を差し出させられる。
主食は乳児の肝で、若い女の血の風呂に入って美貌を保っている、とか……。
「ここまで言われてるんですよっ! もう、ぼくは肩身が狭いったらないです」
「そんなの、いつものことじゃない」
ドルシアは、くすくすと妖艶に笑う。
「この屋敷のことがバレたらと思うと、気が気じゃありません……。もっと、真人間として生きてください」
ロイが切実に訴えているというのに、ドルシアはいつもの軽い調子を崩さない。
「だいじょーぶだいじょーぶ。ロイは心配性さんね?」
「お師匠さま!」
「この家の場所が知られることはないわよ。何しろ、かなり念入りに、結界と目くらましの魔法陣を敷いているし」
「そ、それはそうかもしれませんが……」
ロイは反論できなくなる。
実際のところ、この家にかけられている魔法陣は、見習いのロイにはまったく解読できないほど高度なものだ。
もしかしたら、王都で有名な天才魔法使いエルドワードでさえ発見できないのではないか、と思うほどには精密に組み上げられていた。
(魔女ドルシア……)
彼女が国民から恐れられているのは、その魔力の高さゆえんだ。
これが、ただのごろつき魔女ならば、ここまで有名にはならない。
ロイはため息を落として、複雑な心境でドルシアを見つめた。
「……お師匠さまの能力を疑っているわけでは、ありませんよ」
魔法使いには位があり、その最高位は宮廷魔法使いだ。
魔法学院で優秀な成績をおさめて卒業すると、正式な『魔法使い』になれる。
そして名のある魔法使いに師事して認められた時、ようやく宮廷魔法使いになる権利を得られるのだ。
フィルディル王国では、魔法使いの育成に力をそそいでいる。
素質があると認められる者なら、身分の貴賤なく誰でも魔法学院に入学できる。
だが、9割以上が途中で退学になってしまう。
それほど難易度が高いのだ。
そして、卒業できず魔法使いになれなかった者たちは、男女問わず『魔女』と蔑みを込めて呼ばれた。
彼らは生活のために、魔法律に反する行いをたびたび行ってしまうため、国民からも嫌われている。
--ロイもまた、落第生の魔女だった。
生活に困り、魔法律にそむく行為に手を染めようとしていたところを、ドルシアに拾われた。それが1年前の話だ。
それまでロイは、ドルシアのことを皆と同じように、恐ろしい魔女だと思っていた。
けれど一緒に暮らすうちに、謎めいたところはあっても、そこまで悪しざまに言われるほど悪い魔女とは思えなくなっていた。
「噂なんて、好きに言わせておけばいいのよ」
ドルシアはまったく気にも留めていない様子だ。
そもそも、彼女自身が人前では悪女のように振る舞っている。
「どうして、そんなに他人を振り回すような言動をするんです……? ぼくには、とても優しいお師匠さまなのに」
ロイは、絞り出すような気持ちで言った。
(そもそも冷たい人間が、ぼくみたいな落第生を拾って弟子にしようとするはずがないじゃないか……)
だからこそ、ロイは世間での彼女の評価に耐えられない。
まるでわざと悪名を広めようとしているかのようなドルシアの言動に、ロイはしばしば苛々させられていた。
ドルシアの行動には、おかしな点が多い。
世間で噂されているように、貧乏人を脅して金銭をまきあげることもあるが、何故かその後にこっそりお金を返しにいくという真似をする。
孤児が多い修道院には、進んで寄付もする。
善行をする時には名乗らないくせに、悪いことをする時には『魔女ドルシアだ』と周囲の噂になるほど触れまわる。
(意味がわからない……)
もう1年も師事しているというのに、ドルシアの行動にたまに矛盾を感じて、ロイは戸惑ってしまう。
ドルシアは肩をすくめた。
「私は、別に優しくないわ。ロイは勘違いしてる」
「……もう良いです。お師匠さまには、何を言っても無駄だということを悟りましたよ」
ロイはそう嘆息した。
昼食をつくるために、魔法詠唱をして、かまどに火をつける。
そして鍋に入れた野菜をかき混ぜながら、ちらりとドルシアを横目で覗きみた。
彼女は長椅子に横たわって、難しそうな魔法書を読んでいた。ロイには、まだ読むことができないような本だ。
「お師匠さま、何を読んでいらっしゃるんです?」
ドルシアは仕事の依頼をこなす時以外は、何かを必死に探しているように見えた。
ロイがそれに気づいたのは最近のことだ。
初めは、ただ魔法書を熱心に学んでいるだけかと思っていた。
だが、それにしては表情に余裕がなく、毎晩遅くまで起きて『秘密の小部屋』で何か作業をしている。
ドルシアは人語を解する鴉を使い魔として飼い、彼らを世界各地に飛ばしていた。
どうやら『禁書』や『魔法使い』についての情報を探っているようだ、とロイは何となく勘付いている。
ドルシアは意味ありげに、口の端をあげた。
「秘密」
「そんなことをおっしゃると、こっそり見てしまいますよ?」
ロイがそう冗談混じりに言った。
ドルシアが用心深く弟子を見つめ返す。まるで真意を探ろうとするようにじっと見つめられて、ロイは困惑する。
ドルシアは本の表紙を撫でた。
「ロイがこの本を読んだところで、まだ解読できないとは思うけどね。でも、できたら誉めてあげてもいいわ」
「本当ですか」
「ええ。--そもそも、私が欲しい情報は、この本にはなかったし」
ロイは鍋の火をとめて、ドルシアのそばまで歩いていく。
そして、ドルシアから本を受け取った。
表紙には『野鳥の旅~著者の愛鳥の全て~』と、ロイにはまったく興味のそそられない題名が刻まれている。
だが、よく見れば、魔法文字で書かれた本だと気づく。
ロイはパラパラと中身をめくってみた。
「うわぁ……! 知らない魔法文字がたくさんある……っ」
「――魔法とは、旧時代の言語のこと。古の時代、この世界には私たちよりもっと『知恵のある者』たちが住んでいた。けれど、彼らは滅び、彼らの言葉だけが、世界各地に石版となって残された」
それは魔法を学ぶ者ならば、誰もが知っている話だ。
ロイは真面目な顔をつくって、続きを答えた。
「そして、その石版を解読すると、理解できない現象が起きたんですよね? それを、人々は『魔法』と呼んだ。その力を悪用されることを恐れた賢者たちが石版を壊し、禁書の中に情報を隠したという」
「……そうね」
「お師匠さまが探しているのは、禁書に書かれた何かですか?」
禁書の中には、呪文だけではなく、旧時代のあらゆることが記されているという。
言語の種類も多く、未だに全てが解読されているわけではない。
ドルシアは苦笑する。
「……秘密」
「教えてください。ぼくは、お師匠さまのためなら、何でも手伝います」
ロイは、本心からそう言った。
そもそも、ドルシアがいなければ、ロイは飢えて死んでいたか、兵士たちに拘束されていたかもしれない。
--ドルシアは、ロイにとって師であり恩人だった。そして何より、家族だった。
ドルシアは一瞬だけ苦しげに表情をゆがめる。そしてため息を落として、ぎこちない笑みを浮かべた。
「ありがとね。こんな良い弟子が持てて、私は果報者だわ」
「……お師匠さま」
「--うん、ごめんね」
それ以上、言えないということだ。追求もできず、ロイは口をつぐむしかない。
窓ガラスを、コンコンと叩く音がしていた。
窓枠に真っ黒な鴉が留まっている。
鴉はドルシアのところまで飛んでくると、甘えたようにくちばしで彼女の指に頭をすりつけた。
「お帰りなさい」
鴉がドルシアの耳元でつぶやき、ドルシアが頷いた。すると、鴉は再び窓から飛び去っていく。
「何があったんです?」
「--仲介人から、仕事の依頼」
ドルシアは難しそうな表情をして、唇に指をあてた。
「……面倒くさいけれど、仕事もしなきゃ生活費を稼げないもの。仕方ないわね」
「ぼくが行きますか?」
簡単な仕事ならば、ロイが任せられることもあった。
だが、ドルシアは首を振る。
「……詳しい仕事内容は、会って話すってことみたい」
「ああ、なら王都まで、お師匠さまが行かれるんですね?」
城下町には仲介人と呼ばれる者たちが何人かいて、彼らが魔女と依頼人の橋渡しをしていた。
「報酬も大きいから、何日か家をあけることになるかも……馴染みの仲介人がもってきた仕事だから、信用できるはずだけど」
「なんだか、きな臭いですね。いつもだったら依頼内容は先に話すくせに……。ぼくも、ついて行きましょうか?」
「だーめ。ロイまで家から離れたら、薬草の世話は誰がするの?」
魔法薬の材料になる薬草は、庭や温室で栽培している。
それらは手がかかるので、毎日の手入れが欠かせない。
「でも……」
「大丈夫よ。危ない仕事だったら、さっさと逃げてくるから。それとも、ロイは私が依頼人を巻くこともできないと思うの?」
ロイは首を振った。
普通の少女ならばともかく、彼女は魔女ドルシアだ。攻撃呪文も防御の呪文も、たやすく扱える。
もちろん、攻撃魔法を一般人にかけるのは魔法律に反しているので、危機に陥った時くらいしか使わないものだが。
「いえ、でも、気をつけてくださいね」
「ええ、ありがとう。--ああ、留守にするあいだ、何かロイには課題をあげないとね」
ロイは、ぎくりと肩を震わせた。
ドルシアは魔法学院にいた教師の魔法使いたちより、たまに厳しい問題を出してくるのだ。
彼女はニヤリと口の端に笑みを浮かべる。
「何かを召喚できるようになっておきなさい」
「ええ……っ、そんなのまだ無理ですよ……」
召喚魔法は、魔法の中でも最高難易度のものだ。
そもそも魔法というのは、どこかに穴やほころびがあれば、発動しない。最悪の場合は、術者にすべて返ってきてしまう。
数日でできるような簡単なものではない。
「じゃあ、森で熊と戦ってもらって、その毛皮を市場で売りに出す?」
簡単に言われたとんでもなく難しい修行に、ロイはがっくりと肩を落とした。
「……何か、召喚できるように頑張ります」
「ええ、あと、絶対に『秘密の小部屋』には入らないこと」
ドルシアは自室として扱っている部屋の方角を指さした。
その部屋の本棚の奥には、秘密の小部屋がある。
「入ろうとしても、ぼくには無理ですよ……お師匠さまが、呪文で強固な結界を作っているじゃないですか」
「いえ、万が一ってこともあるし。それに、ロイはそんなに自分を卑下することはないわよ。私は、かなり貴方を高く買っているんだから。ロイは優秀な弟子よ」
ドルシアに額を指で弾かれて、ロイは目を丸くした。誉められた嬉しさで、頬が熱くなる。
つい、謙遜して言ってしまった。
「落第生ですけどね」
「私も落第生よ」
ドルシアが軽い口調で言うので、ロイは眉をよせる。
「――それも信じられないんですよね。お師匠さまほど頭が良くて、魔力も高いなら、魔法学院を卒業して宮廷魔法使いになることだって、夢じゃないと思うのに……」
「――ロイ」
困ったような顔をされて、ロイは「……すみません」と視線を逸らした。
困らせたいわけではない。
ただ、どうしても納得がいかなかっただけだ。
「……もう、あれから4年になるのね」
ドルシアが、ぽつりとどこか遠い目で呟いた。
ロイにはその言葉の意味がわからない。けれど、聞くことは何故か、ためらわれた。




