師との決別
ザオルグの背後には、開いたままになっている鉄扉がある。
そちらに鋭い視線をむけて、ドルシアは徐々に近づいてくるザオルグの隙をついて駆けだした。
「きゃ……っ」
だが、鉄扉を出る直前、伸びてきたザオルグの腕にからめとられた。そのまま鉄格子に身体を押しつけられて、うめき声を漏らす。
真横をみれば、すぐそばにザオルグがいた。
ドルシアよりも、背の低い少年だ。腕の太さだって、大人の男とは違う。それなのに、どこからそんな力が湧いてくるのだろう。
つかの間、ドルシアは呆然としてしまった。
ザオルグは、静かな口調で言う。
「何のために、わざわざ、お前をここまで連れてきたと思う? お前の口から禁書のありかを吐かせるためだけなら、エルドの邸でも良かったはずなのに」
「……それは」
緊張して小刻みに震える指をぎゅっと握りしめ、ドルシアは胸元に手を持っていく。
心臓が痛いほどに鳴っていた。
頭の奥を、金槌で叩かれているようだ。
「禁書の隠し場所をすぐに探すためだ。エルドとお前が、4年間も接触していなかったのは知っているからな。エルドの邸にはないはずだ。――俺ならば、大事なものは自分の目の届く場所におく。おそらく、お前がねじろにしている家か、その近辺にあるのだろう?」
ドルシアはじっと、彼をねめつける。
「――何故、禁書を?」
ただの時間かせぎのためだった。
禁書のそばには、ロイがいる。もしも隠し場所を白状してしまえば、弟子の身が危険にさらされてしまう。それを想像すると、頭から冷水を浴びせられたような心地になった。
ザオルグは目を眇める。
「お前が持ち出した禁書は、俺が所有していた書物の中でも、とりわけ奇妙な本だった。普通の禁書じゃない。まるで意思でも持っているかのように、時折、ふれた者に知識を授けるのだから」
ドルシアも、それは知っている。
あの禁書は無口なので、あまり話したことはないが、ドルシア自身もこれまで数回ほど禁書と会話をしたことがある。話せる本の存在なんて、あの禁書以外に知らない。
けれど、ザオルグの言外ににじませた内容に、違和感をおぼえた。彼は、まるで禁書が話すことを知らないようにも聞こえる。
(ああ……もしも、ザオルグ先生が世界を滅ぼすと知っていたなら、禁書はザオルグ先生にそんなことを教えるはずがないわね)
きっと、ザオルグは、あの禁書についての知識はほとんどないのだ。そう、確信する。
だからこそ、弟子たちの最後の試練の時にだけ、あの禁書を見せていたのかもしれない。禁書の能力を探るために、ある意味では、弟子を実験台として使っていたのだ。
ザオルグが、なおも続ける。
「このままでは、反魂の呪文が完成しない。だが、あの禁書があれば、呪文の欠けた部分をおぎなえる知識を得られるかもしれない」
「反魂……?」
そんな呪文など、ドルシアもこれまで聞いたことがなかった。
(……もしかして、ザオルグ先生は、誰かを生き返らせようとしているの?)
「――でも、そんな万能な魔法なんて……」
「ない、と言いたいのだろう。だが、理論上は不可能ではない。まだ、新時代の魔法使いたちがそこまで到達できる術を身につけていないだけだ」
ザオルグの真意を確かめるようにじっと見つめる。彼の眼差しに嘘の色はない。
だが、彼は真実のように嘘を吐ける人間だと、ドルシアはもう気づいてしまった。
「俺は独自に、禁書を集めて解読してきた。旧時代にあった魔法は、いまの世界で発動できるものより、ずっと高度なものだった」
ドルシアも、世界中に散らばっている石版については調査している。
世界を滅ぼす相手を探すために、その瞬間を阻止するために、あらゆる情報を探し求めてきた。
「けれど、いくら何でも、死者をよみがえらせるなんて……」
そんなことができるなら、もはや人ではなく神ではないのだろうか。ドルシアは、そう考えてしまう。
「魔力とは、人間が本来は誰しも持っている力だ。普通の人々が持っている魔力は微弱だが、それでも、たくさん集めれば大きな力となる。俺だけの力では不可能なことでも、可能となるだろう」
(ザオルグ先生は、何を言おうとしているの……?)
ドルシアは戸惑いを隠せない。
「――明日からはじまる祭典なんて、絶好の機会だな。他国からも人が集まってくる。バスカロ王国の王族まで、賓客として招待されているからな」
ザオルグは残酷な笑みを浮かべた。
「まさか……」
ドルシアは、呆然とした。
(ザオルグ先生は、誰かを蘇生させるために……世界中の人々を滅ぼそうとしているの……?)
世界が滅ぶ光景が、まざまざと視界に浮かぶ。
「――だから、滅びの呪文を?」
ドルシアは無意識のうちに呟いていた。
だが、ザオルグは首を傾げるようなしぐさをする。
「滅びの呪文? これは復活の呪文だ。――ああ、確かに見方によっては、そうと取れるかもしれないがな」
たとえ、そのために世界が滅ぶとしても、相手だけが生きていればいい、と。
それは息苦しいほど、歪んだ愛情だ。
「そんなことは許されないわ! やめて……っ」
ドルシアは思わず、ザオルグに掴みかかっていた。
後から考えれば、無謀な行為だとわかる。だが、その時は頭に血がのぼって、衝動を抑えきれなかった。
ザオルグの手が伸びてきて、ドルシアの喉を押さえつけた。
「禁書のありかを言え」
「……っ」
絞められた喉が痛み、あえぐように口を開閉させる。
息ができない。
このままではドルシアが喋ることもできないと気づいたのか、ザオルグは手を放した。その途端、ドルシアは地面に膝をつき、激しく咳き込む。
「――ザオルグ先生」
未だに圧迫感の残っている喉元に手を押しあてて、ドルシアはかつての師を見上げる。
彼の紫紺色の瞳が、廊下に設置された蝋燭の光をあびて、妖しく光っていた。
ふいに、ドルシアは笑った。おかしくはないのに、口元が弧を描く。
ザオルグが怪訝そうな表情を浮かべる。
「何故、笑っている?」
「……いいえ。かつて、私が尊敬した師は、もういないのだと思ったのです」
相手の表層の部分だけを見て、それが全てだと判断していたのかもしれない。あるいは、ザオルグも、その時や場合によっては、弟子に本音でぶつかってきてくれたこともあったのかもしれない。
――もう、どちらでも良いけれど。
それは、ドルシアにとって師との完全なる決別を意味していた。
もう、迷わない。
ザオルグが信じる正義があるように、ドルシアにもまた、譲れないことがあるのだ。
「禁書のありかは話しません。たとえ、どんな拷問をされても。ザオルグ先生、貴方に、殺されたとしてもね」
ザオルグは無感動な表情で、ドルシアを見下ろしている。
ドルシアは笑みさえ浮かべていた。とても、穏やかな気持ちだった。
恐怖などない、と言えば嘘になる。
けれど、己の身の安全のために、弟子の身を危険にさらすような真似はできない。
ロイの身を護るために死ねと言われたら、ドルシアは死ぬだろう。それが、師弟というものではないだろうか。
長い沈黙の果てに、ザオルグはため息を落とした。
「……馬鹿だな。本当に」
そう独りごちて、ザオルグは背を向けて牢から出ていく。
彼が鉄扉を握りしめると、鉄が溶けて、すぐに硬くなった。これで、再び、完全に閉ざされる。
鍵の代わりにしたのだ、と気づく。
「……ザオルグ、せんせい……?」
ドルシアの当惑の混じる声には答えず、彼は去って行った。




