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悪名高き魔女の恋  作者: 高八木レイナ


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13/31

過去5・エルドワードの暴走と、雨後の霧(前編)

 ザオルグ先生に、「お前ら、ちょっとこっちにこい」と命じられ、ティナとエルドワードは無言で師の後ろをついて歩いて行く。

 向かう先は、教員棟の一室のようだ。

 ティナはけっしてエルドワードの方に顔を向けようとはしなかったが、隣を歩く彼の視線を、痛いほど肌に感じていた。

 まるで、見えない手で触れられているような気がする。

 ティナは落ち着かなくなって、長衣の下のワンピースのスカートを握りしめた。

 自分が悪いはずがない。そう言い聞かせたようとしたが、喉の奥がひどく苦くて、なぜか息が詰まる。

 足取りは重く、床から一歩動かすのも、億劫に感じられた。

 ザオルグに促されて入ったところは、初めてエルドワードと会った場所でもある応接室だった。

 ザオルグは長椅子の背もたれに後ろ手をついて、ティナたちに向きなおる。


「……で?」


 それは、彼なりの何が起こったかどうか、説明しろという意味なのだろう。

 だが、ティナもエルドワードも押し黙っていた。

 ザオルグは深くため息を落とすと、ぼりぼりと首の後ろを搔く。そのまま視線をあさっての方角に向けて、どこか困ったようにこぼした。


「まあ、言いたくないんならいいけどさぁ。……一応、俺はお前らの師で、監督責任があるわけよ。それに常勤じゃないとはいっても、ここの講師でもあるからな。お前らが起こした揉め事を、このまま見過ごすわけにはいかない」


(私は、なんてことをしてしまったのだろう……)


 やっと頭が冷えてきた。

 この学院は、規則が厳しいことで有名だ。

 最悪の場合は、退学になってしまうだろう。

 一度、口喧嘩を見られたくらいで、そこまで重い処分がくだるとは考えたくないが、恐ろしい想像に手足が震える。


「――7日間の自宅謹慎を命じる。そのあいだ、しっかり頭を冷やしておけ」


 ザオルグはそう言うと、そのまま応接室を出て行った。

 ザオルグがいなくなると、室内に沈黙が落ちる。


「……ティナ」


 エルドワードが何か言いたげに、声をかけてきた。

 ティナはいちど彼に視線を向けたが、そのままザオルグの影を追うように部屋から出ようとする。

 樫の扉を押し開くと、廊下の角から走ってくる生徒たちが見えた。エルドワードと近頃、親しくしていた男子たちだ。その先頭に、ギイザがいる。

 彼らはみんな心配げな表情をしていた。彼らはティナを一瞥し、そのあと、扉の奥にいるエルドワードをじっと見つめた。

 ティナが身体をずらして彼らの通り道をつくった。

 全員が、ティナの目の前を通りすぎていく。ティナに声をかけてくる者はいない。

 ギイザが、エルドワードに近づいた。


「エルドワード、どうだった?」


「7日間の自宅謹慎」


「ええ……っ、そんなの重すぎるだろ! このくらいだったら、せいぜい晩めし抜きとか、寮の掃除とかが妥当じゃん」


 ギイザの非難まじりの言葉に、他の生徒たちも追従する。


「そうだよ、先生やりすぎだよ……!」


 エルドワードは肩をすくめた。


「そうだね。ちょっと厳しめかな。でも、ザオルグ先生は自分の弟子だからこそ、厳しくしたんだと思うよ」


 どこか師を庇うようなエルドワードの言葉に、他の生徒たちが黙り込む。

 わざとではなかったが、彼らの会話を盗み聞ぎしているようで、ティナは居心地が悪くなった。

 急いで扉を閉めて出て行こうとしたが、次の彼らの会話に動きが止まる。


「エルド。これから、どうするんだ。実家に戻るのか?」


「――いや、寮の自室にこもっているよ」


「自宅謹慎なのに? あっ……公爵領って、王都から遠いんだっけ?」


「……ここの寮が、僕の家だよ。帰る場所なんてない」


「え……? だって、お前……」


 ギイザは当惑したような表情を浮かべている。

 エルドワードはどこか冷えた笑みを広げた。


「僕の家族は、僕を拾ってくれたおばあさんだけだよ。でも、もう彼女も亡くなってしまった。フレイユ公爵家は確かに僕の血筋だけど、両親とは血がつながっているだけの赤の他人だよ」


 ティナが視線を送ると、エルドワードと目があう。彼はずっと、ティナを見つめていたらしい。ティナは、さっと視線を逸らした。

 エルドワードは静かな口調で続ける。


「……両親は、僕を育ててくれたおばあさんを悪しざまに罵ったんだ。僕が保護されたときに着ていた衣を、ぼろきれだ、とも言った。そんなひもじい生活をしていたなんて、可哀想だ、と。――でも、僕はまったく不幸なんかじゃなかった。たとえ両親から見たらぼろきれにしか見えないものでも、おばあさんが大事につくろってくれたものだ。あの両親と血の繋がりがあるだなんて、思いたくはない。……でも、利用できるものなら、何でも利用してやろうと思った。だって、僕が馬鹿にされたら、悲しいって泣く女の子がいたから。……だから、僕は公爵家の嫡子であることを認めた」


 ティナは息を飲んだ。

 唇が戦慄き、思わず口元を両手で押さえる。


「あ……」


 わけがわからない感情にかき乱された。

 エルドワードが手を伸ばし、ティナに一歩、近づこうとする。


「ティナ、僕は……」


「やめて……っ」


 絹を裂くような悲鳴が、己の口から発される。耐えがたい恐怖が襲いかかってきて、ティナは怯えた。両手で頭を押さえて、必死に首をふる。


「私は、貴方を憎んでいたいの……!」

 

 彼の言葉の続きを待たず、ティナは駆け出していた。



 ◇ ◆ ◇



 伯爵家の印がおされた封蝋ふうろうが寮の自室に届いた。

 そしてティナは謹慎期間、王都にある伯爵家の別邸タウンハウスに戻ることを余儀なくさせられた。

 貴族の多くは、領地にある城館の他にも王都に別邸を持っている。1年の半分程度しか自らの領地で過ごさないという貴族も多い。

 ティナの父親も、王城での夜会に出席するために、現在は王都にいるのだという。その父親から別邸に戻るように、と命じられたのだ。

 それぞれの学期の成績は、生家に知らされてしまう。当然、罰則を受ければ、保護者にも知らされる。


 ヴァリエス伯爵家の紋章がついた箱馬車が、学院の正面口に停まった。

 馭者ぎょしゃに手をひかれ、ステップを踏んで車内に乗り込み、ティナは浅く息を吐く。

 小さな窓にかけられた天鵞絨ビロードのカーテンをずらすと、見慣れた学院の赤煉瓦あかれんが造りの建物が見える。


(私、ここに戻ってこられるのかしら……?)


 そう思うと、ティナの心がちくりと痛む。

 これまでに取ったことがないような悪い成績を取ってしまったし、さらに自宅謹慎という不名誉な処分まで受けてしまった。

 伯爵家の名に傷をつけたようなものだ。


(お父様に、もう見捨てられるかもしれない……。魔法使いになることはもういいからって、どこかの貴族と婚約させられてしまうのかも)


 そう自らの将来について考えてみることはできても、それはどこか現実感を伴わない想像だった。

 心の一部が麻痺してしまったかのようだ。

 お前は死んだのだ、と言われても、納得してしまいそうなほど、ティナの心は凍えていた。


(――私は、いったい、どうしたいんだろう……)


 窓硝子まどがらすを、ぽつりと水滴が叩く。

 切り取られた車窓から見上げると、曇天から細やかな雨が降り始めていた。




 食堂の長机の上を飾るのは、軽めの食事だった。

 まだ日の入りには早かったが、その時間にしては薄暗いこともあり、燭台の蝋燭ろうそくには火が灯されている。

 父親であるヴァリエス伯爵は、娘が帰ってきたからといって、夕食を午前中の正餐せいさんほど豪華にしたりはしない。

 沈黙に怯えながら、ティナはスープをスプーンですくって食べていた。

 そっと、向かいの机に腰かけた父親のすがたを窺いみる。けれど、その雰囲気から怒気は感じられず、彼はいつもと同じ無感動な顔つきだった。

 まだ帰ってから一度も、会話はなかった。

 もともと話すことは少なかったが、今回は起きたことがことだけに、この静寂が逆に恐ろしかった。

 ひととおりの食事を終えると、伯爵は口元を布でぬぐいながら、おもむろにティナに向かって言った。


「クリスティーナ、今回の成績の報告は届いている。散々な結果だったようだな。それに揉め事までおこして謹慎処分になったと」


 ティナの肩が大きく震える。


「は、はい……。ご期待に添えず、申し訳ありませんでした……」


「このようなこと、2度はないと思え」


「え……?」


 ティナは、己の耳を疑った。

 聞き間違えたのかと思い、父親の顔をぶしつけに見つめてしまう。


「もうお前には罰を与えた。今回に限り、寛大な処置で許してやる」


「罰を……?」


 けれど、ティナは何もされてはいない。何のことかわからずティナが目を瞬いていると、ヴァリエス伯爵が口元をゆがめた。


「……アンと言ったか? お前の乳母の名は」


 その名前に、ティナの思考が真っ白に染まる。

 何故ここで、彼女の名前が出てくるのか、わからなかった。


(そういえば、まだ……アンを、見かけていない……?)


 ティナは先ほど帰宅したばかりだ。

 普段は領地にある城館で働く使用人たちも、主が王都の別邸にいるあいだは、わずかな使用人を残して大半が一緒に王都へやってくる。

 アンは使用人の中でも長く伯爵家に仕えているため、ここにきているとティナは思い込んでいた。

 だが、まだ彼女のすがたを見かけていない。

 もちろん、領地に残っている使用人も多いので、アンがここにいないことは不思議ではないのだが……ティナは急に不安に駆られた。


「解雇した」


「え……」


「聞こえなかったのか? あの使用人に暇を与えた、と言ったんだ」


 ティナの頭の中で、父親の言葉が幾度も繰り返される。

 その言葉を理解するまで、時間がかかった。


(解雇……? 辞めさせたということ……?)


「ど、どうして……ですかっ?」


 混乱して、らしくもなく口調が乱れる。

 ティナの様子を、ヴァリエス伯爵は冷ややかに見つめていた。


「あの使用人が、お前に私的な手紙を送っていることには気づいていた。だが、目をつぶってやっていたんだ。――お前が成績を落とさないうちは、多少のことは好きにさせても良かろう、と」


「あ……」


 ティナの指から、スプーンがすべり落ちた。

 硬質な音をたてて、スープ皿の下にある平たい受け皿にぶつかった。

 叱責されても仕方ないような不作法だったが、ティナは動くことができない。

 食堂の大窓を、水滴が叩いている。

 馬車の中ではまだわずかだった雨音が、激しくなっていた。本降りになったのだろう。

 雫が斜めに硝子をかすめていく。外が真っ暗なせいか、硝子窓にティナとヴァリエス伯爵が映り込んでいた。顔色を失った自分自身と視線が交わる。


「お前が、悪い成績を取ったからだ。クリスティーナ、お前の責任だ」


「私のせい……?」


(私が悪い成績を取ったから? 謹慎処分まで受けたから……?)


 あまりの衝撃に、ただ呆然としてすることしかできない。

 それでも、次に伯爵に言われた台詞に、さらなる衝撃を受けた。


「――ああ、そうだ。お前に縁談がきている。もしもこれを受けるなら、お前は魔法使いにならなくてもいいぞ。どうやら、お前は私が期待していたよりも、ずっと無能のようだからな」


 ティナがじっと見返すと、伯爵はどこか皮肉げに口の端をあげた。


「なんと、フレイユ公爵家からだ。エルドワード・ヴィル・フレイユ……その名前は知っているだろう? どうやら彼は、お前と同じ魔法学院に通っているそうじゃないか」


「あ……」


(エルドワード、が……?)


 さまざまなことが起きりすぎていて、ティナの思考はまったくついていけない。

 ずきずきと痛みはじめたこめかみを押さえた。

 フレイユ公爵家との縁談?


「どうして……?」


 ティナは、そう呟く。

 それは、色んな意味をふくんだ問いかけだった。父親に対してだけ放ったものではない。

 だが、ヴァリエス伯爵は答える。


「お前がたらしこんだんだろう? どうやら、彼はお前を熱望しているらしい。お前の貞操観念は母親に似てゆるいようだが、そのおかげで公爵家に取り入ることができそうだ。調べてみれば、公爵夫妻は息子のエルドワードの言いなりらしいぞ。彼自身もなかなか将来有望だと聞く。宮廷魔法使いになれないなら、せいぜい彼の機嫌を損ねないようにすることだな。そのあばずれの血も、跡継ぎを生むまでは隠しておけ」


 心をナイフで切り裂かれたような気分だった。

 父親が想像しているようなふしだらなことはしていない、と声を張って否定したかった。

 だが、このヴァリエス伯爵相手に、何を言っても、もはや無駄な気がした。何より疲弊した心が、否定の言葉を発する気力さえ奪っている。


(私は、父親の道具……)


 意思を持たない玩具。

 盤上の駒。

 このまま、こうして一生、生きていくのだろうか。

 そうして大事なものを奪われても、あるのかないのかわからないような、父親の愛情にすがって生きていくのだろうか。

 そう考えたとき、心が霧の中に捕らわれるのを感じた。

 そのまま身動きがとれず、想像の中の自分自身が朽ちていく。




 それから、どうやって自室まで戻ったのか、記憶がない。

 アンの痕跡を探ろうとして、使用人たちに聞いてまわったが、誰もが硬い表情で首を振るばかりだった。伯爵から口止めされているのかもしれない。

 窓の外を、雷光が走っている。

 火も灯していない室内は薄暗く、時折、雷が室内を明るく照らした。

 ティナは呆然としたまま椅子を引き、机にうつ伏せになった。

 そのまましばらくその状態で身動きできなかった。

 どれくらい経ったころか。手持ちぶさたになり、机上の蝋燭に火をつける。いつもの癖で、一番近くにあった魔法書を手に取った。

 魔法文字を目で追っていると、心が安らぐかと思ったのだ。

 ――そのとき、ふと、違和感をおぼえた。

 使い込んだ本の隙間に、何か紙のようなものが挟まっていた。慌てて確認すると、それは手紙だった。見覚えのある筆跡に、指が震える。


「……アン?」


 それは乳母のアンが残した手紙だった。


『親愛なる、クリスティーナお嬢様


 突然、一言の断りもなく、すがたを消してしまうことをお許しください。

 急いで書きつけたので、いつもよりも荒い文章になっていることと思います。けれど、どうしても、お嬢様にお伝えしたいことがありました。


 この度のことは、お嬢様が気に病まれる必要はありません。

 伯爵からお叱りを受けることを覚悟の上で、私はすべてのことを行って参りました。

 身分不相応な行為だ、と詰られれば、否定できないことです。実際に、伯爵にもそう言われました。

 お嬢様のご厚意に甘えているのだ、と。

 けれど私は、お嬢様のご負担を少しでも軽くできていたのだ、と自惚れてしまっています。

 きっと、お嬢様は、私のことを心配してくださって、心を痛めてくださっているのではないでしょうか。

 ずっとお嬢様のお傍で仕えさせて頂いた私は、そうではないかと思っているのです。


 クリスティーナお嬢様は、誰より努力家でいらっしゃる。

 その勤勉で不器用さゆえに、いつか誰かと衝突するかもしれない。乳母の私は、それが心配でなりません。

 思うようにならず、ご自分を責めてしまわれるかもしれない、と。


 ――けれど、忘れないでください。

 クリスティーナお嬢様は、あの有名な魔法学院に自力で入ったのです。そして、ずっと学年首位を保ち続けてこられた。

 これは、伯爵家の力ではなく、お嬢様自身の努力の結果なのですから。誇るべきことです。伯爵家は関係がないことです。


 これから私の行く先のことを、お伝えできず、申し訳ありません。

 万が一にも伯爵の耳に入り、お嬢様がお咎めを受けたらと思うと、恐ろしくて申し上げることができないのです。

 私のことは、どうか心配なさらないで。

 おそばにいることはできませんが、ずっとお嬢様のことを心配して、見守り続けています』


 その文面を、幾度も目で追った。


(伯爵家の力ではなく、私の力……)


 その言葉が、ティナの心を強く揺さぶる。

 魔法学院は、誰に対しても門戸を開いている。貴族でなくたっていい。ティナが貴族である必要はないのだ。貴族でないティナだって、あの学院は受け入れるだろう。

 そう思うと、ティナは戻らなければ、という気持ちに急き立てられた。

 初めて魔法という存在を知った学徒のような気持ちで、学院に思いを馳せる。


(私がしたいことは……)


 大義がなくたっていい。

 エルドワードを実力で打ち負かし、宮廷魔法使いになってみたい。

 そして何より、もう一度、『魔法』という存在と、あらためて向き合ってみたかった。

 ――父親のためなんかじゃなく、自分自身のために、何かを選び、つかみ取ってみたい、と。



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