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悪名高き魔女の恋  作者: 高八木レイナ


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過去4・ひび割れる世界

 これまで蔑んできたエルドワードがれっきとした公爵家の嫡男ということがわかり、生徒たちのあいだには、彼をどう扱っていいのか、はかりかねているような雰囲気ができはじめていた。

 報復を恐れているのか、ギイザはエルドワードを見かけるたびに顔色をなくし、あらぬ方向にむかって走っていく。

 今もまた、廊下の向かいからやってきたギイザが逆走するのを見て、ティナはため息をついた。

 それを隣で見ていたエルドワードが、躊躇いがちに問う。


「……もしかして、ティナはこういう状況が煩わしい?」


 ティナはそっと瞼を伏せた。

 最近は生徒たちの話題の中心となっているエルドワードと一緒にいることで、悪い意味で注目が自分にも集まっている。その無遠慮な視線が、居心地悪いのは確かだ。

 だが、ティナは首をふった。


「平気よ。こういうのは、慣れているから」


「……そう」


 エルドワードはどこか硬い声でそう返事をした。

 それから数日間、彼は物思いに沈んでいるような表情をしていた。それをティナも察していたが、何もすることができずにいた。

 そして、ある日を境に、彼は変わった。

 それまでほとんど笑わない少年だったのに、誰に対しても気安く接するようになったのだ。そうすると、その美しい容貌とも相まって、貴公子然とした雰囲気をかもしだす。


「あー……この書物は、図書館のどこにしまえばいいかな? ごめんね、わからなくて……教えてもらってもいい?」


 そう困ったような表情で、エルドワードは他の生徒たちを頼りはじめたのだ。

 それまでティナに対してだけべったりだったのに、彼が自ら進んで他人と交流を持つようになった。

 その分、ティナと共にいることが少なくなったが、ティナはエルドワードが他人と仲良くすることは良いことだと思っていた。――最初は。




 努力のかいがあって、エルドワードは次第に生徒たちと打ち解けていった。

 最初こそ壁をつくっていた生徒たちも、エルドワードが軽口にあわせて無遠慮に肩を叩いたりしても怒らないことがわかり、安堵したのだろう。

 もともと他人を引き付ける雰囲気を持っていた彼の周りには、絶えず人が集まるようになった。

 ギイザに対して、お咎めなく許したのも大きかったのかもしれない。

 エルドワードは度量が広く、私欲に走る多くの貴族たちとは違って――本物の貴族の責任ノブレス・オブ・リージュを持つ少年なのだ、と。女生徒たちの中には、彼を憧れのまなざしで見る者も現れはじめた。

 ギイザたちとも打ち解け、ふたりが悪友のように廊下で肩を抱いて会話しているところを見かけて、ティナは思わず立ちすくんでしまう。


「ティナ?」


 エルドワードがティナの視線に気づき、爽やかな笑顔で声をかけてくる。

 ティナは無理やり顔に笑みを貼り付けて、「こんにちは」と挨拶した。


「ティナは、もう昼食は済んだの? 良かったら、一緒に食べない?」


 エルドワードの言葉に反応して、ギイザが彼の肩を小突いた。


「おい、エルド。さっきの話、もう忘れたのかよ! 次の授業の課題勉強、昼休憩にみんなでやるって決めたばっかりだろうが」


「そんなことは野郎同士でやってくれ。むさ苦しい男どもといるより、ティナと一緒にいたい」


「うわ……っ、正直者! いや、わかるけどさぁ……俺も男だからさ。野郎より女の子と一緒にいたいっていう気持ちはわかるよ! だが、お前がいなかったら、誰がウイリ先生の難問の答えを教えてくれるんだよ。お前がいないと俺が仲間たちから、どやされるんだからな」


 ふたりは廊下の半ばで喧嘩のような言い合いをしているが、それは傍から見ても仲の良さが窺い知れるものだった。


(……いつの間に、こんなに仲良くなったの……?)


 ティナは疎外感をおぼえた。

 ふと視線を感じて周囲を見まわせば、廊下にいた人々がエルドワードとギイザを好意的な目で見つめていることに気付く。

 ――みんなが、エルドワードの言動に注目している。

 ふいに、自分の影が薄くなったように、ティナは感じられた。居たたまれなくなって、そこから足早に逃げ去ってしまう。


「あっ、ティナ……?」


 エルドワードの当惑したような声が背中にぶつかってきたが、ティナは一度も振り返らなかった。



 ◇ ◆ ◇



 たやすくエルドワードへの態度をひるがえす生徒たちに、苛立ちがつのった。

 けれど、何より、自分だけが以前と何も変わっていないのをまざまざと感じてしまう。エルドワードはあんなに変わったのに、ティナだけが同じ場所にいる。


(エルドワードは、どうしてそんなに自分を偽れるの……?)


 それとも、最初に出会ったころの不遜な態度の方が偽りなのだろうか。ティナにはわからない。

 ただ、壁をつくってきたのは他人の方だと思い込んできたティナにとって、エルドワードと彼の周囲の変化は当惑をおぼえるものだった。

 消灯時間もすぎ、窓の外には夜の帳が落ちている。

 けれど、近頃は寝つきも悪く、ティナは遅くまで蝋燭をつけて、こっそりと寮の自室で魔法書を広げていた。

 けれど、まったく頭に入ってこない。


(私は、どうしてしまったんだろう……)


 もうすぐ、大事な試験期間が始まるというのに、集中できないでいた。気づけば、エルドワードのことを考えている。

 机の上には、アンからの手紙があった。

 アンは魔法学校に入ったティナを心配して、ヴァリエス伯爵の目をくぐってティナにたびたび個人的に手紙を送ってくれていた。

 幾度も広げたそれにまた目を通して、ティナは顔をほころばせる。両親からの手紙はもらったことはなくても、ティナには乳母のアンがいる。


「……頑張らなきゃ」


 そう呟くと、ティナは手紙を封筒に戻した。

 ティナは羽ペンをとって、魔法学の授業の復習をはじめる。授業の要点だけまとめて、残りの時間をすべて試験対策に費やす。

 学年首位のティナは、いつも最優秀な成績をとることを周囲から期待されている。教師からも、「次回も期待しているぞ」と先日言われたばかりだ。


(私の存在意義とは、宮廷魔法使いになることだもの……。そのためには、良い成績をとらなきゃ)


 そうすればきっと、いつかは父親にも認めてもらえる。

 自分のことを見抜きもしない母親だって、一言くらいは褒めてくれるかもしれない。

 試験の成績が発表されるとき、生徒たちの話題をさらうのは、いつもティナだった。『クリスティーナはすごい』と、これまで幾度も羨望の眼差しを受けてきたのだ。

 他人とうまく接することのできないティナにとって、それが唯一の他人との交流方法で、彼らに認められる瞬間だった。

 けれど、ティナの期待はあっけなく潰えてしまう。




 学舎の廊下の壁に、上位成績者の名前が書かれた紙が貼り付けられたとき、ティナの口から言葉にならない声が漏れた。

 ――エルドワードが満点だった。

 それは、ティナでさえ取ったことがないような良い成績だ。

 学院の試験は卒業生でさえ満点をとるのは難しい。それなのに、エルドワードはわずか3か月でそれを成し遂げてしまった。

 ティナは己の名前を上から探して、見当たらないことに気付く。何度の視線を往復させるうちに、一番下にようやく、己の名前を見つけた。

 上位成績者として貼り出される、ぎりぎりの位置だ。

 30位という――これまで取ったことがないような悪い成績だった。

 ティナは、足元が崩れていくような感覚をおぼえる。

 うまく立っていることが難しくて、思わず壁に手をついた。そのとき、彼女の肩を支えた者がいた。


「あ、ありがとう……」


 慌ててお礼を言って相手の顔を見ると、そこにいたのはエルドワードだった。彼は心配そうな表情を浮かべている。


「大丈夫? ティナ……」


 ティナは唇を噛みしめて、エルドワード手を振り払う。

 何に対して苛立っているのか、わからなかった。

 自分にしか懐かないと思っていた相手が他人と親しくするところを見てしまったためか。

 それとも、自分より何もかも上手くこなしている彼への劣等感か。

 たった数ヶ月で自分を飛び越えていった彼の能力に対してか。それとも、そのすべてなのか。


(彼は、公爵家の子息で……、私は伯爵家の娘)


 何もかもが、エルドワードの方が格上だ。

 そう考えてしまい、ティナは愕然とした。

 これまで彼の面倒をみているつもりで、どこかで見下していたのかもしれない。

 彼は何も知らないから助けてあげなきゃ、と。勝手な庇護欲を抱いていたのかもしれない。

 身分にしてもそうだ。それを意識していたのはティナの方で、生徒たちはそれを敏感に感じとって距離をとっていただけなのかもしれない、と。


 ティナは、ひどく心の底が冷たくなっていくのを感じた。

 自分に、こんな汚い感情があるなんて知らなかった。

 エルドワードは、今もティナを気遣うような目で見つめている。

 こんなに自分は汚い気持ちで彼を見ているというのに、彼のこの綺麗な目は何なのだろうか。


 泥の中に落ちたような気分だった。

 ここ数日は、ティナはろくに寝ていない。

 今朝、鏡で己のすがたを見たとき、くっきりと目の下に隈ができていたから、きっと今もひどい顔色をしているだろう。

 対して、エルドワードはいつもと変わらない。ティナほど試験勉強をしていないことは明らかだ。


(こんなの、不公平だわ……)


 努力した分だけ結果に結びつくなら、ティナも納得しただろう。

 だが、現実はそうではない。

 世の中に『天才』と呼ばれる人間がいる。


「触らないで、エルドワード」


 ティナの喉から発せられた声は、ひどく冷たく聞こえた。

 エルドワードが驚いたような表情を浮かべている。

 ティナは嗤いたくなった。けれど嗤えなくて、口から震える声が漏れる。


「――もう3か月、経ったわ。ザオルグ先生に貴方の面倒をみるように頼まれていたけど、それも、もう、おしまい。貴方は皆と仲良くなれたのだし、学年首位に立つほど成績も優秀だものね。私がそばにいる必要なんてないわ」


 廊下にいた生徒たちが立ちどまり、ティナとエルドワードの会話に聞き耳をたてている。

 だが、ティナは今はそれにかまう余裕はなかった。

 目に力を入れていないと、涙がこぼれてしまいそうだった。

 エルドワードは数秒ものあいだ、押し黙っていた。目を見開き、ティナの言葉を反芻するような顔をしている。


「僕は……きみを、喜ばせようとして……。驚かせようとしたんだ。……僕が良い成績をとったら、きっと、ティナも一緒に喜んでくれると」


「――とても嬉しいわ」


 ティナは、心にもないことを言った。

 それに気付いたのだろう。エルドワードが表情を歪める。


「なら、僕が悪い成績をとれば良いの? きみがそう望むなら、僕はそうするけど」


 そう言われた瞬間、思考が真っ白に染まった。

 言われた傲慢な内容に、ティナの顔が熱をおびる。


「手加減される方が、どれだけ屈辱的か……貴方にはわからないの!?」


 それは、はなからお前など相手にならない、と言っているようなものだ。

 初めて声を荒げたティナに、周囲の人々がざわめく。


「おい! お前たち、そこで何を揉めているんだ!」


 そのとき、生徒たちの人垣から現れたのは、ティナとエルドワードの師であるザオルグだった。



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