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悪名高き魔女の恋  作者: 高八木レイナ


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過去3・ノアルンの孤児

 職員宿舎のある棟をでると、鐘の音が耳を打つ。

 南西の方角に顔を向けると、学舎の建物より高い尖塔が中庭からでも見ることができる。いまちょうど、昼を告げる大聖堂の鐘の音が響いているところだった。

 学院は町の円形広場に面した大聖堂から1区画しか離れていないので、鐘の音がおおきく聞こえる。

 中庭にいた生徒たちも話し込むのを止め、大聖堂の方に体をむけた。そして、目を閉じて祈りをささげる。ティナもそれに倣って、胸に両手をあてた。


「――主神イーリアと、フィルディル王の御為に。日々の糧に感謝いたします」


 敬虔な信徒は日に何度も祈りを捧げるが、魔法学院においては昼の鐘の鳴る時刻と、食事の前に黙祷する決まりだった。それは生徒も教師も変わらない。

 ティナがそっと瞼を開けると、無言で立っていたエルドワードと視線が交わる。彼はどこか冷淡な眼差しで、ティナを見つめていた。


「エルドワード、祈りを……」


 そう促しても、彼は行動に移そうとはしなかった。

 ティナはため息を落として、「ついてきて」とだけ言う。

 彼はおとなしく数歩離れて歩いてくる。

 石畳の歩道を、ミモザの花びらが落ちていた。穏やかな気候の、気持ちの良い日だった。


「ええっと、ごめんなさい。私は、あまり誰かに何かを教えることに慣れていなくて、説明が下手かもしれないわ。……とりあえずは、建物の中を案内するわね。エルドワードは、お昼はもう食べた? 私はまだなの。もし、まだだったら一緒に食堂に行きましょうか?」


 振りかえって顔色を伺うと、エルドワードは赤茶色の煉瓦の建物を見まわしていた。

 興味ないそぶりをしているが、やはりこれから学ぶことになる場所や寮について、多少は彼も興味があるらしい。それがわかり、ティナはほっと息をつく。


「最初に色々と説明しておくけど、消灯時間を過ぎたら、出歩くのは禁止なの。消灯されても自分の部屋にいないときは、処分の対象になるから気をつけて。この学院は罰則が厳しくて、目に余る行為をしたら退学になってしまうから」


「目に余る行為……?」


 初めてちゃんとした反応を返されて、ティナは少し驚きつつも頷いた。人に慣れない野良犬を相手にしているような気分になる。


「ええ、そうよ」


「……たとえば?」


「えっと、その……」


 ティナの顔が真っ赤に染まる。

 真顔で聞かれると、言いづらかった。

 顔をうつむかせて、もごもごとしながらも答える。


「……不純異性交遊とか」


 そのティナの答えに、エルドワードは押し黙った。

 ティナは勢いよく体を反対方向に向けて、食堂のある建物にむかって歩きだす。足取りが若干速くなった。


「外出したいときは、外出届を書かなきゃいけないの。何日も学院から離れるときは、いちど学院に申し出なければいけないから注意して」


 気まずさを振り払うように、ティナは別の説明をはじめる。

 ふいに、エルドワードが言った。


「……確かに、年頃の男女が1か所に集まっているんだから、間違いが起こりやすいよね」


「そうなのよ。だから先生たちも過敏になっていて」


 そこまで答えてしまい、ティナはハッとして足を止める。振り返って見ると、エルドワードは笑いをこらえるように口元に手を当てていた。


「エルドワード……!」


 からかわれたのだと気づき、ティナはわなわなと震えた。

 自然と顔面が熱くなっていく。けれど、不快ではなく、先ほどまでの彼のつれなさと思うと、こちらの方が気安くて安堵した。

 エルドワードがずっと笑っているので、ティナも毒気がぬけてしまい、最後には一緒に笑ってしまった。



 ◇ ◆ ◇



 エルドワードは基本的には無口で笑うことも少なかったが、とても物覚えがよい少年で、砂が水を吸い込むような速さでティナが教えたことを理解していった。

 それは、ティナにとって、これまで感じたことがないほどの楽しい時間だった。

 ふたりはいつもそばにいて、互いに魔法学について論議しあった。ザオルグから課題が出されると、一緒に図書館で調べながら問題を解いていく。

 そしていつしか、エルドワードはティナにとって、学院でできた初めての友人のような存在になっていった。



 そして、エルドワードが入学して間もなく、その騒動は起きた。

 それはちょうど、夕食時だった。食堂でティナとエルドワードが並んで食事をとっていると、長机の向かいにいた男子生徒のひとりが話しかけてきたのだ。


「エルドワードって、どこ出身なんだ?」


 それは、ティナから聞いても他意のない質問だとわかる。

 新しく入った生徒は、もともといた生徒たちの興味のまとだ。

 周囲の生徒たちはみんな興味津々といった表情で、エルドワードを見つめている。その少年が代表となって聞いただけなのだろう。

 けれど、エルドワードはその質問を無視した。

 さすがに話しかけた男子生徒も『何だこいつ』というような、腹立たしげな表情になる。勝気そうな顔が、いまは怒りで赤く染まっていた。

 ティナは焦りをおぼえて、隣に座ってスプーンを動かして黙々と食事をするエルドワードの袖を引っ張る。


「エルド、何か答えたら……?」


 ティナは遠慮がちに言った。

 無理にエルドワードにさせることはできない。

 けれど、学院で騒動を起こしたくなかった。

 エルドワードはちらりとティナに視線を寄こしただけで、すぐに興味なさげに料理の方に目を向ける。


「無視かよ、エルドワード」


 その少年は、ギイザという名前だった。

 ティナは頭が混乱するのを感じながら、あわてて少年に向かって謝る。


「ギイザ、ごめんなさい。エルドワードはまだ慣れていなくて……きっと、緊張しているの」


「お嬢様には聞いてねぇよ、庶民同士の話に入ってくんな」


 乱暴に吐き捨てるように言われて、ティナは身をすくめる。

 けれど、ギイザのその発言にぎょっとしたのは、周りに集まっていた少年たちの方だった。誰しも蒼白な顔をしている。


「ギイザ、やばいって。謝っとけ! お貴族様にそんな口を叩いたら、お前だけじゃなくて、お前の家族まで首が飛ぶぞ……っ」


 ティナは唇を引き結んで、ローブのスカートを硬く握りしめた。


「わ、私は、そんなことしないもの……」


 権力を振りまわすことなんてしないし、告げ口もしない。そう弱々しくティナが訴えると、ギイザは小馬鹿にするように笑った。


「そうだよなぁ? クリスティーナお嬢様は真面目だからな。貴族は平民に対して慈愛をもって、鷹揚に構えていないと。だから、平民同士のことに口出しなんてしないよな?」


 ティナは苦々しい表情になる。

 生徒の間の揉め事は生徒たちで解決する決まりだ。親兄弟が何者であろうと介入してはならない。そう入学時の誓約書にも書かされる。

 ――とはいえ、それは口約束のようなもので、実際に身分の高いものが何か揉め事を起こせば、学院に金さえつめば、ある程度のことはどうとでも揉み消すことができるのも事実だった。


 庶民の大半は、親の仕事を継いで生きるものだ。

 だが、魔力があると認められて魔法使いになれば、貴族なみに出世できる可能性がある。ある意味、魔法使いとは夢のような職業なのだ。

 だからこそ、ティナが女でありながら学年1位なことも、貴族であることも、多くの生徒たちにとっては気にくわないことなのだろう。

 そんなティナがエルドワードを庇うことは、火に油をそそぐことと同じだった。

 ギイザとエルドワードの間に、一触即発な空気が流れる。

 エルドワードはため息を落としてから、スプーンを皿に置いた。


「……何が聞きたい? 僕はフレイユで生まれて、その後はしばらく、ノアルンの路上で暮らしていた。親はいない。ここにくる前までは、おばあさんに拾われてふたりきりで暮らしていた」


 さらりと言われた内容に、ティナは絶句した。

 ギイザでさえ、ぽかんとしたような表情を浮かべている。


「何なの、お前って……親がいないのか? そんでもって、浮浪者だったわけ?」


 そのギイザの問いかけに、エルドワードは何でもないような表情で言った。


「そうだよ」


 ギイザが嫌そうな顔で「汚ねぇな……」と、つぶやいた。

 学院は平民出身の者が大半で、さすがにそれ以下の生活をしてきた者は稀だ。平民にも、路上で生活する者たちへの偏見があった。


「あー、興がそがれたわ。行くぞ」


 ギイザはそう肩をすくめてそう言うと、仲間たちを連れて食堂から去って行く。

 周囲がざわついている。生徒たちがエルドワードの方を見つめながら、影でこそこそと何かを話している様子が見えた。

「ばっちい」とか「あんな綺麗な顔しているのに、見た目によらないわね」「浮浪者とか、汚い」「ねー、何か汚いものが移りそう」と言った声が漏れ聞こえている。

 ティナはひどく居たたまれないような気持ちになった。エルドワードが平然としているのが不思議だった。


「エルドワード、行きましょう」


 そう言って、ティナはエルドの腕を引いた。

 彼はびっくりしたような表情をして、ティナを見つめた。


「どうして? さっきの話、もしかして聞いてなかったわけ?」


 ティナはぐっと苦い感情を飲みこんだ。

 エルドワードは、どこか嘲るような笑みを浮かべた。


「僕は浮浪者だよ。ほら、きみも逃げた方がよくない? きみにも、汚いのが移るかもしれないよ」


 他人を突き放す態度だった。

 どこか荒んだ若葉色の瞳が周囲を見まわして、生徒たちの態度を笑っている。

 ティナは耐えられなくなって、強くエルドワードの腕をつかんだ。そのまま、彼の返事も待たずに引っ張っていく。


「ちょっと……。クリスティーナ……?」


 エルドワードの困惑したような声が聞こえた。けれど、ティナは振り返らなかった。返事をしたら、ぎりぎりまで耐えた涙があふれてしまいそうで。



 ◇ ◆ ◇



 中庭をずっと、エルドワードを引っ張って歩いて行く。

 どんどん、ひと気がない方角に進んでいくティナを見かねてか、エルドワードが躊躇いがちに言った。


「ティナ、どこへ行くつもり? どこにも逃げられないよ」


 そうエルドワードが言うので、やっとティナは足を止めた。ぼろぼろと涙がこぼれて、頬をつたっていく。

 エルドワードは驚いたように目を見開いてから、唇を震わせた。


「なんで、きみが泣くのさ……?」


「だって、エルドワードが馬鹿にされたわ……」


 ティナ自身も、何故ここまで心がかき乱されているのか、わからない。さまざまな感情があふれて、胸が苦しかった。

 貴族であるといってティナに壁をつくってきた生徒たちが、より下の者を見つけて、楽しげに蔑む。

 そのことに、やるせなさを感じた。何より、初めてできた友人が虐げられた。


「世の中なんて、こんなものだよ。みんな、その人の外見や身分ですべてを判断するさ」


「……でも、私は嫌なの」


 ティナは頭を振った。

 脳裏に父親のすがたが浮かぶ。

 けれど、ティナに1番優しくしてくれたのは、平民である乳母のアンだった。もしもアンがこんなふうにひどい扱いを受けたら、ティナは耐えられないだろう。それはエルドワードでも同じだ。

 エルドワードが、くしゃりと表情をゆがめる。


「きみって……。本当に、変わらないな」


 突然、エルドワードがティナの腕をつかんだ。そのまま引っ張られて、彼の肩口に顔がぶつかりそうになる。

 気が付けば、痛いほどの力で抱きすくめられていた。


「エルド……?」


 戸惑いまじりにティナが問いかけると、彼の身体は小刻みに震えていた。


「……黙って。ごめん、今だけは……何も言わないで。聞かないで」


 ティナは、彼が落ち着くまで、じっと佇んでいた。




 それから1か月ほどして、学院に書状が届いた。

 それは、『エルドワード』という少年を、『エルドワード・ヴィル・フレイユ』と証明するフレイユ公爵家と裁判所の印つきの文書だった。

 そして、ティナは――エルドワードが幼いころに誘拐された、王家に連なる公爵家の嫡子だということを知る。

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