過去2・エルドワードという少年
魔法学院に入学してから、1年近く経った。
学院の1階にある外回廊を歩きながら、ティナは中庭にひろがるミモザの樹を見つめて立ち止まる。
ミモザ並木には、枝葉いっぱいに黄色い小花が咲き乱れていた。
風が起こると、花束のように密集した枝から黄色い花が舞い落ちてくる。
頬をかすめて黄色い花が流れ落ち、ティナは瞬きをした。
腕に抱いていた魔法書の表紙の上に、そのまま、はらりとこぼれる。目を覆い隠すように伸ばした前髪にも小花が降ってきて、ティナは指で黄色を払い落とした。
中庭は生徒たちの憩いの場ともなっており、いくつか設置されている屋根付きの長椅子には、お昼の時間ということもあって、生徒たちの姿がちらほらと見える。
ティナは呼び出しをうけて、職員たちのいる棟にむかっているところだった。
学舎と男子寮と女子寮、職員宿舎がある棟は、すべて外回廊でつながっている。
正規職員が仕事をしている部屋ではなく、応接室にむかう。第1応接室の樫の木扉をノックすると、中から「おう、入れ」と気安い声がかかった。
「……失礼します」
ティナがちいさく言って扉を押し開くと、長椅子に腰かけた赤銅色の髪の青年が目に入った。ザオルグだ。
彼のそばには、ティナと同い年くらいの蜂蜜色の髪の少年が立っている。
その容貌の美しさに、ティナは一瞬、息が止まりそうになった。
少年はティナと同じく、魔法学院の紋章が刺繍された長衣を身につけている。だが、見たことがない顔だ。
少年の若葉色の瞳が、ティナを見返してきた。だが、その眼差しはそっけなく、まるで路傍の石を見つめているような無関心さを感じる。
長椅子に腰かけていたザオルグが立ち上がると、ティナに向かって「よう、よくきたな」と軽い調子で片手をあげた。
ティナは少年から視線をそらして、ザオルグに向かって、おずおずと聞いた。
「……ザオルグ先生、私に何か御用ですか?」
この時間に応接室にくるように、と連絡をもらっていたのだ。
ザオルグが課題などを与えるために、ティナを呼び出すことはよくある。何しろ、彼はティナの師なのだ。
魔法使いになるには学院を卒業すれば良いが、宮廷魔法使いになるには、宮廷魔法使いに弟子入りして認められなければならない。
生徒だと学院の勉強だけで時間が足りなくなるため、学院を卒業してから師を探すのが一般的だ。
だが、ティナはその成績の優秀さから、特別にザオルグに認められて弟子入りを許可されている。
ザオルグが少年の両肩をつかみ、ティナの前に立たせた。
「こいつは、エルドワードという。今日から、この学院に入学することになった」
少年はザオルグにされるがままになっていたが、若干、嫌そうに眉根をよせている。自己紹介の場だというのに、ティナを一瞥しただけで、名前を名乗ることもしない。
ティナは彼が緊張しているのかと思い、自分から名乗った。
「クリスティーナ・ヴァリエスです。どうぞ、よろしく……」
「…………」
それでも、エルドワードは何も言わなかった。ティナに対する返事さえ、億劫なのかもしれない。無表情のまま、彼女を見つめている。
ザオルグが苦笑しながら、自身の頬を人差し指で掻いた。
「見ての通り、にこりともしないガキでな。すまない」
「はあ……」
ティナは微妙な表情で返事をした。
何のために呼び出されたのかわからず、困惑する。
ザオルグはエルドワードの頬をつまみながら言った。
「エルド、ティナはすごいんだぞー。魔法学院の1年の首席なんだぞー。しかも、なんとヴァリエス伯爵のご令嬢だぞ~。お貴族様だぞ~」
うにうにと頬を揉まれて、さすがに鬱陶しかったのか、エルドワードはザオルグの手を払いのけた。
「……そうですか。あと、僕の頬をつねるのは止めてください」
「うわ、無関心ー。俺の弟子、無関心ー。そういうの、いけないと思います。幼心って大事なんだからな! 子供のくせに、生意気だぞ。子供らしくないなんて生意気だー」
ザオルグとエルドワードの会話に、ティナはどうしていいのかわからなくなり、もじもじと身じろぎした。
ティナもヒマではない。お昼の休憩休みだって、大事な勉強時間だ。無駄にしたくはなかった。
「あの……ザオルグ先生?」
ようやく、ザオルグも気がついたようにティナに顔をむけてきた。
「ああ、悪い悪い。実は、ティナに折り入って頼みたいことがあってな。こいつの先輩弟子として、この学院のことを色々と教えてやってほしいんだ」
「先輩弟子として……?」
つまり、エルドワードも『宮廷魔法使い』であるザオルグに師事しているということだ。
魔法学院の常勤教師の大半は、学院の卒業生である『魔法使い』で、ザオルグのような『宮廷魔法使い』は、ほとんどいない。
ザオルグは学長に請われて、週に1度ほど学院にやってきて魔法学の講義をしている。
彼の教えるのは最新の研究に基づいた内容で、彼の陽気な人柄もあって、授業は大人気だった。席はすぐに埋まり、教師たちも立ち見で聴講しにくるほどだ。
魔法使いになるためには、優秀な者でも10年はかかると言われる。
ティナは例外的に学院に入学してからたったの1年でザオルグに弟子入りできたが、エルドワードは入学してすぐにそれをこなした、ということだ。
つい、ティナは押し黙ってしまった。
ティナが考えていたことが言わずとも伝わったのか、ザオルグは「いやいや」と軽く手を振った。
「こいつは、ちょっと特殊な事情を抱えているんだ。まあ、見込みはあるから俺の弟子にしたけどね。エルドは俺の旧友の子供なんだが……見てのとおり、他人とうまく交流ができない。俺は友人からこいつのことを頼まれたが、俺もいつも学院にいるわけじゃないからな。そばでずっと見守ってやることはできない」
魔法の研究や、魔法に関係する調査などが、宮廷魔法使いであるザオルグの主な職務だ。そちらが忙しくなれば、学院にくるのは月に1度ということすらある。
当然、エルドワードのことまで目が届かないだろう。
しかも、ザオルグは常時2、30人の弟子を抱えている。
「だから、これはお前への課題ね。先輩として、弟子に色々と教えてやれ」
そうザオルグに言われて、ティナは頷かざるをえなかった。
師のザオルグは、弟子のティナを問答無用で破門にすることもできるのだ。
そうなったら、またいちから教えを受けることができる宮廷魔法使いを探さなければならない。
宮廷魔法使いは弟子をとると国から補助金をもらえるが、面倒だという理由で弟子入りを断る者も多い。
弟子など取らずとも余裕で生活できるのだから、当然のことだ。弟子をとることは、彼らにとっては奉仕活動に近い。
ザオルグのように『優秀な者なら誰でもこい』という大らかな姿勢の者は少ないのだ。悪くいえば、研究者ゆえに偏屈だともいえるが。
「……わかりました」
ティナは深くため息を落としてから、ザオルグとエルドワードを見やる。
エルドワードの面倒もみるということは、確実に勉強時間がなくなるということだ。だが、成績を落とすわけにはいかない。その分、頑張るしかないだろう、とティナは覚悟を決める。
ザオルグは安堵したように微笑んだ。
「そうか、よかった。まあ、こいつが学院で慣れるまでの話だ。ある程度、学院の勉強にもついていけるようになって、エルドが周りとも交流できるようになったら、放っておけばいいから。さすがにずっと面倒をみろ、とまでは言えないからな。だから、注意してやるのは3か月ほどでいい。後はもう、こいつの問題だ」
なかなか遠慮がない、ザオルグらしい発言だった。
だが、3か月でいいなら、ティナにもできそうだと思えてくる。
とはいえ、誰かに色々と教えるというのは、ティナにとって初めてのことだった。
ティナはまだ魔法学院の生徒ということもあって、ザオルグに弟子入りしている他の兄弟子たちにも、ほとんど会ったことはない。
(私が先輩として、しっかりしなきゃ……)
そう思うと、わずかなりとも、この不愛想な少年を庇護してやらねば、という感情が湧いてくる。
「じゃあ、お昼のあいだに学院を案内するわ。エルドワード、私についてきて」
そうティナがエルドワードに向かって言った。
少年は少し困ったような表情をして、ティナを見つめている。
(もしかして、もう反抗されるの……?)
他人と交流ができない性格にしても、これでは前途多難だ。
ティナ自身も、あまり他人と距離を詰めるのは得意ではない。学院の生徒たちの中に、友達と言えるような相手もいないくらいだ。
それはティナ自身のおとなしい性格のせいもあるが、生徒の大半がティナと違って平民出ということも大きい。ティナはそんなつもりはなくとも、相手の方が気をつかってか、彼女を遠巻きにしていた。
(これは無謀なんじゃ……?)
お互いに、友人関係を築くのが苦手らしい。
勇気を振り絞って先輩風を吹かせたというのに、すげなくされてティナは泣きたいような気持ちになった。
思わず顔を深くうつむかせると、重たい前髪をわしゃわしゃとザオルグに掻きまわされる。
驚いて、乱れた髪のすきまから見上げると、ザオルグが困ったように笑っていた。
たとえ宮廷魔法使いとはいえ、こうしてティナの伯爵令嬢の身分を気にすることなく、気安く接してくるのはザオルグの性格ゆえだろう。
「ほら、顔をあげろ。そんなに自信なさげにしているんじゃない。お前はしっかりしているし、仮にしっかりしていなくても俺の弟子だ。胸を張ってろ」
「ザオルグ先生……」
不作法だし、ぞんざいな扱いだ。
けれど、ティナは何だかほっとしてしまって、ザオルグの言葉が胸にじんとくるのを感じた。
「――ティナ。俺は、これは、お前のためにもなることだと思っているんだ。お前は勉強だけじゃなくて、もっと他のものにも目を向けた方がいい」
「他のもの……?」
ティナは首を傾げた。
宮廷魔法使い以外に、なりたいものなどなかった。
これまで、他の選択肢すら浮かんだことがない。魔法使いになるために努力し続けてきたのだ。
ザオルグは、ティナとエルドワードの肩をたたく。
「魔力があったって、魔法使いになる必要はない。逆にいえば、才能がないと誰かに言われたって、自分がなりたいのなら死ぬ気で努力して目指せばいい。研究者にとって、もっとも必要なものは情熱だ」
ティナは息を飲む。
ザオルグの紫紺色の瞳が、やさしくティナたちを見つめていた。
彼が身をひるがえすと、後ろでまとめた赤銅色の髪が馬の尻尾のように揺れる。
「じゃ、ティナ。後は、よろしく頼むぞ。俺は王女に呼び出しを受けているから、王城に戻らなきゃいけない。あ、エルドの荷物は男子寮に運び込ませてあるから」
そう言って、ザオルグはその場から去って行った。
残されたティナとエルドワードの間に、気まずい沈黙が落ちる。
(研究者に必要なものは、情熱……)
先ほどのザオルグの言葉が、胸にこびりついて離れない。
――自分に情熱はあるだろうか?
だが、今はそれを考えている時ではなかった。ティナは気を取り直して、少年に向きなおる。
「……学院を案内するから、ついてきてくれる?」
できるだけ柔らかく聞こえるように努力しながら、ティナはそう訊ねた。相手が反応を返してくれるまで、ずっと待つつもりで。
だが、エルドワードは間もなく、小さく「……うん」と返事をする。
それは、ふたりの間の、大きな1歩だった。




