夜を砕く
吠え続ける風雨の中で、私は遂に傘を開くのをやめた。濃紫の立派な雨具をずうずうと引き摺りながら歩く私を、何処の誰とも知れぬおじさん方が怪訝そうに眺めながらもすれ違う。目が悪いからと日頃我慢して掛けていた眼鏡は、とうに使い物にならなくなってポケットの中で安寧な惰眠を貪っている。私もそれくらい眠れたなら、もう言うことは無いのだが。
「ーー、ーーーーー、ー、ーーー」
耳から垂らした音楽再生機器、それが歌う歌を無意識に口から溢していく。昨今流行りの様式の、それでいて密やかに人気を集める作者の楽曲ばかり。私は勝手に素晴らしいと思っている。そして電子の世界を覗く限り、全世界にそう思う人間は少なからず居るようだ。それなのに巡り会わないこの世界は、所詮私が独り歩き回るのにはあまりにも広すぎただけに過ぎない。
こんな時、今正に聞き流しているこの歌のように、さらりと和歌でも口にできたらそれはそれは風流なことだが。否、外国に根付く古き良き詩でも口ずさめれば?野望は止まることを知らない。自分は何でも人より優れていると、そう思って生きてきた。そうでなければ生きていけなかった。結局私は人以下の呼吸をする無機物だった。
(ーーー、ーーーーーー、ーー、ー、)
こんな暴風雨の中、わざわざ出歩くような酔狂は少ない。それをいいことに私は一度だけ傘を振り回す。顔だけでひとり笑った。相当いかれている。
そういえば。幾分昔にこのしとど雨を色とりどりの飴に変えてしまいたいという少女が居た。その当時同じ齢であった私は空想を語る物語ばかりに手を出していたために、それは素晴らしい奇跡なのではないかと起こる時を楽しみに待ち焦がれていた。「あめ」と「あめ」の掛詞すら解さない、ただ魔法を見たかっただけの愚かな私は愚直にその時を待ったのだ。誰もその少女が非現実を巻き起こすなどとは言っていない。当人は変えて「しまいたい」と言っただけである。ただ私は待っていた。魔法の学校から入学式の案内が来ると本気で思っていた。そしてまだ、他人より自分が優れていると思い込んでいた。
家の前の道路で私は足を止めた。時々そういうことがある。自分が支配できない別人格のような感情と直感に、私は好きなようにさせていた。そのために他人を遠ざけていた。他人は怪我をすると私を避けるようになる、恐れるようになる。烈火のような勘に傷付けられなくて済むなら、双方これが最善なのである。
空から降る水分はは依然として鋭いままだった。私と上着と荷物を濡らし、道路を飲み込んで尚、何を潤さんとするのか。私には分からない。もう随分前から分からなくなっていた、自分の呼吸する利益とは。この足元に渦巻く流れのように存在ごと溶け出せたなら、それはきっと幸福なことなんだろうな。
「…きえてしまいたいなぁ」
雨は美しかった。




