第7話
およそ千年前。
東を豊かな森、西を断崖の荒野、南を青藍の海、そして北を雄大な山脈に囲まれた後のグレアキア王国となるその大地。
大自然に守られてきた人々は多少のいざこざはあれど、平和に暮らしていた。
しかしそんな地に、突如として怪物が現れる。怪物は木々を燃やし、川を氾濫させ、人々の生活を脅かしていく。怪物を倒そうと剣や力に自信がある者が立ち向かうが、怪物には一切通じない。それどころか怪物は彼らを喰らいますます強大になり、いつしか『魔王』と呼ばれるようになった。
男は殺され、女子供は喰われ、老人は神に祈ることしかできない。人々はもう絶望の淵に立たされていた。
そんな時、一人の青年が、北の彼方から絶望に覆われた大地に降り立った。彼こそ五大英雄の一人でありグレアキア王国を造った初代国王その人である。
そして彼は魔王を討つには『魔法』が必要と教え、信頼する四人の仲間と共に魔王討伐に向かった。
三日三晩の激しい戦いの末、ついに彼らは魔王を屠ることに成功する。
肇国した初代国王は、魔王を滅ぼしたその場所に城を建て、そこを中心として東西南北にそれぞれ四人の仲間を領主とし、治めるよう命じた。彼らの子孫は四大貴族と呼ばれ、今尚その権威は王家に次ぐものとして多大な影響を与えている。
我らがグレアキア王国は、五大英雄の威光と慈愛を持って平和が成り立っているのである。
******
建国物語を簡単に説明すると、こんな内容である。まあ付け足すならば、初代国王に魔法を教示し、仲間たちに魔法の力を授けたのは、今目の前で紅茶を飲んでご機嫌そうにしている大賢人マーリン様なのだが。
「さて、何から話そうかの」
カチャリとカップを皿に置いて、話を切り出す声は、変わらず朗らかだ。
「あの、そもそもマーリン様とお父様は、どういった経緯でお知り合いに?」
「アイヒェは若い頃、旅をしていての。その時に出会ったんじゃよ」
「そうなのですか……」
お父様が昔旅をしていたなんて知らなかった。お父様はあまり過去のことをお話しにならないから。
「近頃、メデューサが魔法に行き詰まった様子だったから、どうしようかと考えていたんだ。かといって教師を雇える程うちに余裕はないからね。そこでマーリン卿ならどうかなと思いついたんだ」
いやいやいや何故そこで大賢人になる!?
実の父ながら盛大にツっコミたい思いをどうにか抑え、引き攣った笑みを浮かべておいた。
「マーリン卿は金銭で動かない。しかし彼の琴線を揺らすことには積極的に動く」
「……いや、あの、うまくないです」
キリッ、と漫画なら効果音が付きそうな表情で言われても、どう返せばいいのかわかりません。私のお父様はこんな人だっただろうか?
「……まあ、理由はこれだけではないんだけどね……」
ふと、お父様の表情が翳りを帯びる。何かを言おうとしながら、結局口を噤んでしまう。言いづらいことなのだろうか。
「アイヒェの心の準備ができるまで、ワシが説明しようかの」
マーリン様がお父様に労わるような視線を向けた後、にっこりと私を見て微笑んだ。
「まず、紫瞳とは、古の言葉で紫色の瞳を持つ者という。つまり、ワシと君のことじゃ」
「紫色の瞳……」
「そしてこの地において、紫瞳は特別な意味を持つ」
ただ黙って聞くことしかできない私の目を
、マーリン様がじっと見つめる。私と同じ紫色の瞳は、まるで私の心の深層を覗き込んでいるような錯覚を覚えさせた。
「個人差はあるが、この色の瞳を持つ者は、膨大な魔力を秘めて生まれてくる。そして君は、幻覚の中で無詠唱で魔法を発動していたね。君と同じ歳の者達はそんな芸当はできんよ」
初耳であった。
私が無詠唱で魔法を使ったのは、確か三歳頃、前世の記憶が蘇る少し前だったはずだ。お父様に、集中して指ぱっちんしてごらん、と言われその通りにした所、指先に火が灯ったのだ。その時のお父様の反応が、よくできたねー撫で撫で程度のテンションだったので、これが普通だと思っていたのだが。
……今思うと、お父様もなかなかおかしなことを娘に言っていたものである。なんですかその説明の仕方は。下手くそか。当時の私も、まさか魔法発動の説明だとは思いもしなかったよ。
「……言葉を覚え始めてから、どうやらメデューサは魔素を視認することができる、ということに気が付いたんです」
「ほう……! それはそれは、本当に面白いお嬢さんじゃのう」
「えっと、それは普通のことではないのですか?」
お父様の言葉にマーリン様が嬉しげに声を上げるが、私にはその意味がよくわからない。
魔素とは、空気中に漂う魔法を発動するために必要な要素のことだ。酸素のようにそこら辺に生えている草木から放出されることもあれば、岩や石、飲み水などありとあらゆる自然物から生み出されている。普段は白っぽい半透明の粒子であるが、使う属性によって特定の色に輝く。火属性なら赤、風属性なら緑という風に。
これは魔力を持つ者であれば皆見えているのだと思っていたのだが、違うのだろうか。
「メデューサ嬢、詠唱とは何のためにあるか知っておるかの?」
「本には、自身の魔力と魔素を同調するためだと」
「その通り。多くの人は魔素感じることは出来ても、視ることはできぬ。それ故呪文を唱え、魔法を行使しやすくするのじゃ。熟練者ともなればその必要はなくなるが、それまでには相当の鍛錬を要する。君のお父さんのようにの」
平然と魔法を行使するお父様も、そんな頃があったのか……。
「紫瞳は、魔法の才において他の者より秀でている。勿論、努力は必須じゃがの」
その通りだと頷く。そもそも私自身、自分を天才などと思ったことは一度もない。比較対象がお父様だけだったのもあるが、自分の思う真の天才とは、常に努力の上に成り立つものだと思っているからだ。
「ではもう一つの意味じゃが、」
「マーリン卿。ここは、私が」
マーリン様の言葉を、お父様が遮った。その表情は今まで見たことがない程硬いもので、お父様は拳をギュッと握ると、一つ深呼吸して私を見つめた。
「メデューサ。本当は、もう少しお前が大きくなってから伝えようと思っていたんだ。けれど、そうも言ってられない状況になってしまった。だから今、話そうと思う」
褐色の瞳は真剣そのもので、私は自然と居住まいを正していた。
「紫瞳は、初代国王陛下の血筋の証。お前は、グレアキア王族に連なる者なんだよ」