第6話
眼を覚まして真っ先に飛び込んできたのは、心配そうなお父様の顔だった。
「メデューサ! ああよかった、気が付いたんだね」
お父様に背中を支えてもらって、起き上がる。どうやらそのまま庭で眠っていたらしい。
「……お父様、どうしてここに……?」
寝起きのぼんやりとした頭で、確か今日はお父様は領地の視察に赴き、帰るのが遅くなると聞いていたことを思い出す。
お父様はバツの悪そうな表情を浮かべ、口を開こうとしたその時。
「アイヒェには嘘をついてもらってたんじゃよ」
穏やかな声に視線を前に向けると、白く長い髭の老人が微笑みを浮かべて立っていた。初めて見る人物だが、その身なりですぐに彼が魔法師であることに気が付いた。手には虹色に輝く白石が埋め込まれた木製の杖、頭にはローブと同じ、紫紺のとんがり帽子を被っているという、如何にも魔法師ですという格好だったからだ。
初対面の人に対し失礼だとは思うが、生まれて初めて見る魔法師をジロジロと観察してしまう。
白髪だが年寄りにしては髪も髭も豊かで、髪は背中まで、髭は腹までの長さだ。身長は高めで、背筋が意外にしっかりと伸びている。背丈はお父様と殆ど変わらないのではないだろうか。顔の半分は髭で覆われているが、優しげに細められた眼差しは、悪人には見えない。
あと、鼻にちょこんと乗せられた眼鏡が可愛い。
「あ……」
不意に視線が釘付けになる。
この人も、私と同じ紫色の瞳だ。
老人がにっこりと笑い掛けてきて、私は我に返った。
「珍しいかね?」
「ご、ごめんなさい。不躾に見てしまって……」
「構わんよ。慣れておるからね」
老人は気を害する様子もなく、微笑んでいる。私は彼に挨拶もしていないことに気付き、慌てて立ち上がってお辞儀をした。
「お初にお目に掛かります。アイヒェ・ガランサスの娘、メデューサと申します」
老人もとんがり帽子をわずかに持ち上げてお辞儀をした。
「はじめましてメデューサ嬢。わしの名はマーリン、旅好きの魔法師じゃ」
「えっ? マーリン、って……」
マーリンと聞き思い浮かぶのは、グレアキア王国において建国の五人の英雄と並ぶ、この国の者ならば誰もが知る魔法師の名前。
大賢人マーリン。
五大英雄の一人、後の初代国王陛下が師と仰ぎ、英雄達を勝利に導いた偉大な人物。しかしその存在の詳細はどの文献にも記されておらず、もはや実在しないのではないかと言う歴史家までいる始末である。
その伝説的な大賢人と同名の魔法師。一流の魔法師を目指す者として反応するなという方が無理な話だ。
「大賢人様と同じお名前なのですね」
「お嬢様」
控えていたリタにそっと呼ばれる。なんだろうと振り向くと、微かに苦笑を浮かべてからお父様に視線を投げ掛けた。 つられて私もお父様を見つめると、お父様は僅かに声を潜めて、衝撃の言葉を口にした。
「この方は……マーリン卿は、大賢人様ご本人なんだよ」
「…………は?」
色んな疑問が頭の中を過ぎり、結局声に出せたのはあまりに間抜けな一文字だった。
いやだって、普通に考えておかしいよね? 建国は千年近く前の話だし、大賢人は当時から既に老人の姿だったとされている。グレアキア人の平均年齢は七十八歳。無理だ。そもそも人間の寿命は頑張っても百歳ちょっと。無理だ。
「ほっほっ。信じられんのも無理はないのぅ。しかしメデューサ嬢、父親の言うことは信じてやってくれんかの」
渦中の老人は朗らかに笑っている。それになんだか拍子抜けしてしまって、ふう、息を吐いた。
「そうですね……お父様が私に嘘を吐いたことは……今ありましたけど、それまでは一度たりともありませんし、お父様があなたを大賢人様と仰るなら、きっとそうなのでしょう」
「……」
「ところでお話は戻りますが、私に幻覚を視せていたのはあなたですよね」
「……くっ」
”何故ですか?”と聞く前に、マーリン様は身体を丸めて肩を震わせていた。表情を隠すように口元を手の甲で覆っているが、身長が低い私にはバッチリ見えている。この人、笑ってます。声殺してるけど、時々漏れてますよ!
露骨に怪訝な顔をした私に気付いたのか、マーリン様は少々慌てた様子でコホンと咳払いをした。
「メデューサ嬢の言う通りじゃ。わしが君に魔法を掛けた」
「何故です?」
「君の力を試すためじゃ」
どういう意味かわからず、黙って続きを待つ。
「単刀直入に言えば、わしはアイヒェから君に魔法を教えるよう頼まれて来た」
「えっ?」
「しかし友人の頼みとは言え、五歳の子供に教える程わしも暇ではない」
「……、ではどうして?」
「君はわしの予想以上に魔法を使いこなし、かつ紫瞳を持っておるからじゃ」
紫瞳? 聞いたことのない単語に首を傾げる。
するとお父様が私の横に来て肩を抱いた。
「マーリン卿、話は屋敷でしませんか? 長旅でお疲れでしょう」
「ほっほっ、そうじゃの。久しぶりにリタの紅茶でも頂こうかの」
「はい。とびきりの茶葉をご用意致しますわ」
少し元気のないお父様を気にしつつ、促されるまま屋敷へと戻ろうとして、佇んだまま動かない存在に気が付いた。
「オズ? どうし……」
振り返って声を掛けたが、刺すような視線に、無意識に息が詰まった。しかしすぐにオズは何事もなかったかのようにトコトコと歩き始めた。
「…………」
アレは私やお父様達に向けられたものではない。お父様を挟んで左側、マーリン様を悟られないよう横目で見る。
大賢人マーリン。彼は一体何者なのだろう。確かに優れた魔法師なのだろうが、それとは別に、言い知れぬ何かを感じる。同じ紫の瞳だからだろうか。
「あれ……?」
ふと、気が付いた。
そういえば、オズも紫の瞳だった。私よりもっと深い色の。
マーリン様の話を聞いたら何かが変わる、そんな予感がした。