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第3話



 翌朝。

 私の目覚めているのを一番に発見した侍女のリタが、すぐさま部屋を出て行き、数分と経たない内にお父様がやって来た。

 苦しくなる程の強い抱擁の後、みっちりと叱られた。言い付けを破った上に、皆に心配を掛けてしまったので、そのお叱りはきちんと受け止める。頭を下げて謝罪すると、お父様はもう一度抱き締めてくれた。今度は優しく包むように。


 でもねお父様。私、これからもっと心配掛けてしまうかもしれない。

 ごめんなさいと心の中で謝りながら、震える大きな背中に手を回した。



「そういえばリタ、私を見つけてくれたのは貴女なの?」


 着替えの為にお父様には部屋を出てもらい、リタからワンピースを受け取りながら尋ねると、リタはああ、と頷いた。


「はい。わたくしが倒れているお嬢様を発見致しました」

「そうだったの、ありがとう。いつも世話を掛けるわね」

「いいえ。お嬢様のお世話をするのがわたくしの仕事で、楽しみでございますから」


 そう屈託なく言われると照れる。本当にリタは、私には勿体無いくらい良い侍女だと思う。

 実は彼女は私が生まれる前からこの屋敷で働いていていたらしく、使用人達の中でもかなりの古株に入るのだそうだ。しかし、彼女はどう見繕ってみても精々二十代中頃ぐらいにしか見えない。

 一度年齢を尋ねたことがあるが、笑顔ではぐらかされてしまった。女性に年齢を尋ねるのは失礼だから、それ以来聞いてないけど。


「そういえば、私が倒れていた時、黒い子犬はいなかった?」

「子犬、ですか?」

「ええ。その子を探して林に入ってしまって。私が気を失う直前まで一緒にいたのだけど……」

「その子犬でしたら、お庭におりますが」

「えっ? 庭って、今外……」

「はい、今日は朝から雨です」


 言うが早いか、私は服をリタに返して、ネグリジェのまま突撃する勢いで部屋を出た。娘の姿と行動に、廊下で待機していたお父様が吃驚していたが、今はそれどころではない。早く見つけてあげねばと、私は夢中で走った。

 そういえばリタに、庭のどこら辺か聞くのを忘れていた。しかしなんとなくあの子はあそこにいるような気がして、戻ることはしなかった。


「ハァ、ハァ……やっぱり、体力は大事ね」


 庭に続く扉の前で息を整える。ほんの少し走っただけで息を切らすとは、改善の余地ありだな。私は基礎体力の向上を決意し、外に出た。少し歩いて私はあの時の林の近くに来た。周りを見渡して、林の手前に雨の中黒い影がちょこんとお座りをしているのを見つけた。


「何をしてるの、そんな所にいたら風邪を引いてしまうわ。こっちへいらっしゃい」


 しかし子犬は私のことをジッと見ているだけで、動こうとはしない。

 ふむ。逃げないところを見ると、嫌われているわけではなさそうだ。かと言って駆け寄ってくる程懐いてもいないのだろうが。

 ちらりと空を見上げる。雨はまだ小降りだが、これからひどくなるかもしれない。それにもし、この子犬が病気になったら、こんな小さな生き物はすぐに死んでしまうだろう。

 そこまで考えると、私は裸足なのにも関わらず濡れた芝生の上に立った。芝生は短く切り揃えられていて、草で足を切る心配は無さそうだ。少し冷たいけど。

 気持ちは焦っていたが、子犬を怖がらせないよう、ゆっくりと近付いていく。自ずと雨に濡れる時間は長くなるため、ネグリジェは勿論だが、最初は雨を弾いていた髪もしっとりと湿っている。

 子犬は警戒しているようだが逃げようとはしなかった。そして一人分の距離を空けて、私は歩みを止めた。


「こんにちは。私はメデューサって言うのよ」


 しゃがんで目線を合わせる。犬猫に限ったことではないが、頭上高くからの視線は相手に威圧感を与えてしまう。それから両腕を下に下げ、掌を上にして、敵意がないことも伝える。前世の知識が役に立っている。ありがとう。


「あの時は急に倒れて吃驚したでしょう? ごめんなさい。私はこの通り大丈夫。」


 にっこりと笑いかける。言葉が通じるわけがないことはわかっていたけど、何故だかこの子犬には通じている気がした。


「……ねえ、どうしてあなたはここにいたの? もしかして私を心配してくれたのかしら?」


 ピクリと黒い耳が動いた。図星だろうか。そうだったら嬉しいけど。

 私は下げていた腕を前に伸ばした。


「良かったら私のところに来ない? 私、あなたのこと、とても気に入っちゃったわ」


 私より濃い紫の瞳が揺らいだように見えた。

 実は内心、自分の言ったことに自分でも驚いてたりする。本当に無意識に言葉が溢れていた。でもまあいいか。この子犬を気に入ったのも事実だし。


 子犬は視線を下げて逡巡した素振りをした後、私の顔を見た。まだ少し戸惑っているような気がしたので、私は少し距離を詰めると、再度安心させるように笑って言った。


「おいで」


 子犬はそろそろと警戒と言うよりは窺うように、私の膝元に来た。掬うように抱き上げてやる。

 どのくらい雨に降られていたのだろう。子犬の身体はとても冷たかった。熱を与えるように、私は子犬を抱き締めた。

 立ち上がり屋敷に戻ろうと振り返ると、お父様とリタが扉の前で待っていた。また怒られるなと思いながら二人に近付くと、リタは手に持っていたタオルで私の身体を包んだ。


「えっと……あの、お父様」

「お前の言いたいことはわかっているよ。でもその前に身体を温めておいで」

「お嬢様、その子犬は別の者に任せてお風呂に参りましょう」

「それはダメ。この子は私と入るのよ」


 間髪入れずに断ると、リタは驚いたようだ。信用してないわけではないが、今はこの子犬を片時も離したくはなかった。腕に力を込めると、お父様は苦笑してリタに口添えしてくれた。リタも溜息を吐きながらも一緒にお風呂に入ることを了承してくれた。


 ふふふ……。私の前世で培われたトリミング力が火を噴くぜ!


 子犬がブルリと震えた。風邪かな?

 私は急いで風呂場へと向かった。







*****





 


 お風呂から出てポカポカに温まった私は、タオルで子犬の毛を拭いていた。因みに私の髪はリタが拭いてくれているので、大中小で側から見ると結構面白い画になってるのではないだろうか。


 初めはお湯に怖がっていた子犬も、私のマッサージを織り交ぜたシャンプーテクニックにすっかり蕩けていた。記憶を頼りにやってみたが、これからもっと実践を積んで腕を上げていきたい。


 ある程度髪の水分を取ると私達はお父様が待つ、食堂へ向った。遅くなってしまったが、朝食である。リタから聞いた話だが、申し訳ないことに、お父様は私を心配して昨日から殆ど食事を摂っていなかったそうだ。

 うーむ、やはりお父様は心配症だ。徐々に慣れさせないと、毎回これでは逆に私が心配になる。本当に申し訳ないが、自分が乙女ゲームの人物だったとしたら、以前のようなお淑やかなお嬢様ではいられないのだから。


「お待たせ致しました、お父様」


 リタが扉を開けてくれて、私は子犬を腕に抱えたまま食堂に入った。お父様は既にテーブルに着いていて、私を見るとにっこりと笑う。


「おかえり。さあ席に着いて、朝食にしよう」

「はい。あ、この子犬のために温かいミルクを」

「かしこまりました」


 リタに言うと、私はお父様の正面の席に座った。

 ガランサス家の食堂はそこまで広くはなく、テーブルも長方形だが短辺に座っても正面の人の顔ははっきり見える。

 本当はもっと広い食堂があるのだが、あれは客人用として使われている。それは前世の記憶が甦った直後の私が、お互いの顔が見えないような食事は嫌だと意見したためで、聞き入れたお父様がこの小さい方の食堂を用意してくれたのだ。


 前世では、この食堂よりもっと小さい食卓で家族四人で食事をしていた。テレビを点けて母親とアイドルのバラエティーでキャイキャイしたり、姉とアニメの話で盛り上がったり、弟のお笑い芸人のモノマネで家族全員で笑ったり。食事風景としては少々品が無いけど、凄く楽しそうな光景だった。

 私はそれが少し羨ましかったのだと思う。


 思考の海に浸っていると、目の前に料理が乗せられた銀皿が置かれる。白い湯気を立てる黄金色のスープに、色取り取りの野菜が煮込まれている。お父様の方も使用人が皿を置いているところのようだ。スプーンなどの食器も置かれた後、リタが白い小皿をは持ってきた。それを床に置いたのを確認して、私は抱えていた子犬を皿の前に降ろしてやる。


「大丈夫。きっと美味しいわ」


 戸惑いがちに私を見上げる子犬にそう言ってやると、子犬は小さくミルクを舐めた。最初はゆっくりと。しかしお腹を空かせていたのか急かされるようににミルクを飲み、すぐに完飲してしまった。


 満足気に毛繕いする子犬を、微笑ましい気持ちでその頭をひと撫ですると、私も自分の食事に取り掛かることにした。




「メデューサはその子犬を家で育てたいのかい?」


 食後の紅茶をリタに淹れて貰い飲んでいたら、お父様が私の膝の上に戻ってきた子犬を見て尋ねた。食堂には私とお父様、そしてリタの三人だけ。

 私は姿勢を正して頷く。


「私、ちゃんとお世話をします。リタや他の使用人達の手を煩わせるようなことは絶対しません。だから」


 お願いします、と頭を下げる。その体勢のまま返事を待っていると、お父様が息を吐いた。それにつられて頭を上げると、困ったような笑みを浮かべるお父様がいた。


「最後まできちんと世話をするんだよ」

「! 良いのですか?」

「良いも何も、もし私が駄目だと言っても、お前は隠れてその子犬を育てようとするだろう?」

「う……」


 図星である。

 というか、私にはこっそり魔法の実践練習していたという前科があったんだった。


「一人で魔法の練習をしているとリタから聞いた時に、お前はそういう子なのだとわかっていたんだけどね」


 切なそうな懐かしむような複雑な表情を浮かべるお父様を見て、私は前々から伝えようと、でもどう伝えるべきか迷っていたことを口にした。


「お父様。私、これからもっと沢山お父様に心配を掛けてしまうかもしれない。理想の娘ではいられないかもしれないの」

「ん?」

「何となくだけど、きっと私には色んな出来事が降り掛かってくる。……良くも悪くも」

「そのために、大量の書籍を読んだり魔法の練習をしていたのかい?」

「最初は違ったわ。でも今は、それらを含めてもっと頑張らなくてはいけないと思っているの」


 私の後ろではリタが物言いたげな表情をしているのだろうと想像しながら、私はお父様を見つめた。

 一つ良いかな、とお父様が人差し指を立てる。


「お前は何となくと言いながら、その出来事はきっと訪れると断言している。メデューサ、お前はそれの内容を知っているのではないかな?」

「……はい」

「内容を教えてくれないのかい?」

「ごめんなさい。それは、言えません……」


 罪悪感でじくりと胸が痛んだ。しかし、この世界は乙女ゲームかもしれないなんて言っても、そもそも次元からして異なる話だから到底信じてもらえる内容ではないし、もし教えても、何らかの影響でお父様に不幸が及ばないとは限らない。


 記憶を持つ私だからこそ、自分でどうにかしなくてはならないのだ。




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