第1話
「メデューサ! 大丈夫か!?」
フカフカのセミダブルのベッドに上半身だけ起き上がり、侍女から手渡されたタオルで顔を拭いていると、キラキラを背負った美丈夫が部屋に入ってきた。
金髪の男性は足早にベッドまで来ると、そのまま私を抱きしめた。
「ああ、心配したよ。馬を見に行くと言ってそのまま倒れたと聞いたから」
「ご心配をお掛けして申し訳ありません。ですがお父様、私は大丈夫です」
この美丈夫は私のお父様であり、ガランサス伯爵家の当主である。
私と同じ金色の髪に、二十代前半の若々しくも精悍な顔つき。キリッとした目は、色以外は私とそっくり。周囲からは父親似とよく言われるけど、決して男顔ではない。
まあアレだ。父親似だろうと母親似だろうと美形であれば問題ないのだ。
「お前は母さんと違って身体が丈夫だと思っていたが……」
「勿論です。先程は偶々ですわ。少々はしゃぎ過ぎたみたいです」
「おや、私のお姫様は何時からお転婆になったんだい?」
おっと。
そうだった。”メデューサ”は、ちょっと我儘だが淑女らしく振舞う子だった。はしゃぐなんて幼稚なことは絶対しない。今の理由は相応しくなかったか。
どうも前世の記憶が蘇ったことで、前の人格に影響を受けてしまっているようだ。気を付けよう。
父の問いには曖昧に微笑んでおいて、別の話題に切り替えることにする。
「そういえば、私はどのくらい眠ってました?」
「丸一日、といったところかな。メデューサ、どこか痛かったり、変な感じはないかい?」
途端に心配の色を浮かべる褐色の瞳に、首を横に振ることで否定する。
「そうか。でも、今日は大事を取って安静にしていなさい」
「はい、お父様。ご心配お掛けしてすみませんでした」
「いいんだよ、お前が無事なら。……さあ、ずっと眠っていてお腹が減っただろう。消化の良い物を作らせるから、少し待っていなさい」
お父様は私の頭を撫でると、控えていた侍女にいくつか指示を出して、部屋を出て行った。去る時にも心配そうにこちらを見てくるので、大丈夫という気持ちを込めて、にっこりと笑っておいたけど。
「……お父様は、少し過保護じゃないかしら」
今まで気をしたことはなかったけど、前世の経験を得た今、肉親の様子を客観的に見ることが出来るようになったようだ。
後ろに控えていた侍女が、そっと近付いてきた。
「お嬢様。お嬢様は当主様にとって最後のご家族なのです。大事になさるのは当然でございますよ」
真摯な眼差しで告げる侍女に、私は閉口した。
*****
少し遅い昼食を頂いた後、お医者様にも大丈夫だと太鼓判を貰い、屋敷内を歩くことを許された。庭に出ることは、お父様が難色を示したので諦めた。
「これからどうしよう……」
屋敷の廊下を歩きながら一人ごちる。
今まで考えたこともなかった将来のこと。いや、うっすらヴィジョンはあった。お父様が婚約者を選んできて、その人がガランサス伯爵家の当主となり、私はその人の子供を産み育て、夫と家を支えて生きていく……。それが当然というか、普通のことだと思っていた。
しかし私は、別の世界の別の人生を知ってしまった。それらが与えた新たな価値観に、今までの私が持っていた考えが、いかに狭く小さなものだったのかを思い知らされたのだ。
「とは言っても、この世界で私に出来そうなことってあるのかしら……?」
視野が広がったとしても、別世界。出来ることと出来ないことがあるだろう。特にこの、前世で言うところの中世ヨーロッパのような世界は、女性は結婚して当たり前、という考え方が当然となっている。しかも自分は貴族の子。お家の為に政略結婚など珍しくもなんともない。しかし、それが本当に幸せなの? と訴える自分がいるのも事実……。
ふと、私は目の前が暗くなっていることに気が付いた。
先程まで歩いてきた廊下と違い、燭台の灯っていない真っ暗な道。
本来ならば、そこには赤魔石が設置されていて、常時灯されているはずなのだが、我がガランサス家は、伯爵という爵位こそ戴いているものの、その実、ただの貧乏貴族。高価な魔石類をそうやすやすと手に入れられる程、懐は暖かくはない。
では一々油を注ぎ、火を点けていくのかといえば、そうではない。
私はパチンと指を鳴らすと、手前の左右の燭台に火が灯った。
ガランサス家は魔石や豪奢な衣装などを買う余裕なんてない。買うなら食料といった生活必需品の方がずっと大事だ。
だからそれ以外は自分でどうにかする。明かりが無ければ、自分で魔法を行使して火を灯す、というように。
私も去年から魔法を学んでいて、この程度のものなら簡単に扱える。
足りぬなら自らで補う。それがガランサス家の家訓である。
「お父様なら、一回で全ての燭台を灯せるのに」
二つしか灯っていない燭台を見て、溜息が溢れる。この廊下の燭台達は、魔法の熟練度によって灯る数が変化する。全てを灯すには、相応の魔力量とコントロールが必要となってくるのだ。
「……あっ、そうか!」
その時、頭の中に閃きが走った。
そう、この世界は魔法が使えるのだ。前世の自分は使うことが不可能だった魔法が、今の私になら使える。
しかも魔力を持つ者は貴重で、どこでだって重宝される。おまけに魔法師の中でも更に実力があれば、将来安泰は確実……最高ではないか!
「そうと決まれば、こうしてはいられないわ!」
丁度良く、この廊下の先には書庫がある。私はパチンパチンと指を鳴らしながら、目的地に向かって歩き始めた。
もしこの時の私を他者が見たら、瞳が輝いていたと証言するに違いない。
しかしそれは女の子が憧れの人にするようなキラキラしたものではなく、野望に執念を燃やす爛々とした、まさに悪役令嬢のような眼で。
メデューサ・ガランサス、五歳。
私の最強の魔法師への道は、こうして始まった。
しかし私はまだ、自分が大きな運命の輪に巻き込まれていることを、知る由もなかったのである。