第三十三話 歴史はそれぞれに
――――コンッコンッ
俺の書斎に控えめなノックが響き渡る。
俺の家にいてノックする人物なんて二人しか居ない。クリアさんかカーネリア。カーネリアがノックする時はもっと、こう、雑だ。ということは、部屋を訪れたのはクリアさんだろう。
書いていた本と読んでいた記憶の魔導書をそっと閉じた。
「どうぞ」
声と共に、ドアノブが下がりクリアさんが姿を見せる。今日のクリアさんは髪を黒いリボンでしばって右側に流しているため、大人びた様子が助長されていた。
ゆっくりと全体像を見回していると、クリアさんの利き手にはポットとかぐわしいバターの香りを放つ何か。
おもむろに自分の目の前にあるカップを持ち、三分の一ほど残っている冷めた紅茶を飲みきった。
空のカップを書斎のテーブルの上に置く。その間に、俺の横にまで来ていたクリアさんが、湯気を放つミルクティーを注いでくれていた。
目の前にカップが置かれる。穏やかに波立つ水面を見ていると心が落ち着いた。
「ありがとう。少し疲れた所だから、嬉しいよ」
「そう思いました。だって、ずっと部屋から出てこないんですもの。ちゃんとミルクで煮出した紅茶です。アオイさんの御口に合うように、少し甘めにしてあります」
「ありがとう。うん。とっても美味しい。ミルクで煮出した紅茶で思い出したんだけれどね。クリアさんはミルクで煮出した紅茶と紅茶に後からミルクを入れた物の区別はつく?」
カップを両手で持って手で転がしながら聞いてみた。
口に運んだカップを落ち着いてソーサラーの上に戻してから、口を開く。
「どうでしょう。でも、違いは感じられると思うので、できると思いますよ」
「わあ、すごい。俺もそのぐらい味覚が発達してれば良かったんだけど、俺には無理だなあ」
「ふふっ。なんですか、それは。良かったら、クッキーもあるんです」
「ありがとう~。いやぁ、ちょっと聞いてみたくてね。ああ、これも美味しい。ハチミツが入ってる」
「街で買って来たんです。美味しいと噂だったんで、是非お菓子にと」
「ん~。これも美味しいね。ティータイムのお供にするなら協会の通りの店のブルーベリーパイか、気まぐれな屋台のスコーンって決めてたけど。うん、これもありだね」
「口に合って良かったです。ブルーベリーパイは知ってるんですけど、スコーンの方は知らないです。いつの間に食べたんですか!」
「あ~、しまったな。一つしか買えなくて自分で食べたっての秘密にしてたのに。台無しだ。ごめんごめん、今度屋台を見つけたら買ってくるよ」
「約束ですよ。楽しみにしてます」
朗らかに笑みを見せる彼女に、笑みを浮かべて対応した。
ついニヤニヤしてしまうのは治さないと。だらしないとカーネリアに突かれちゃう。
「今は何してたんですか?」
「ん。少しだけ魔法を本にまとめてた」
机の上に合った分厚い紙の束をクリアさんに見せてみる。
「ちょうど水の魔法ですね」
「そうそう。俺が思うに水は氷と水とで分けられるとかから導入で。初級、中級、上級の魔法の魔力効率、詠唱、非詠唱時の威力幅とか細かい分野に分けて、数値で明確に出して記述してある。それはオリビア様から頼まれててさ。ほら、俺って解析の系譜の魔眼持ってるから、それが俺にしかできない仕事だって任されてるから、仕方なくね」
「すごい。こんな詳しく。これはどこかで発表される予定ですか?」
「いや、その予定は無いな。あれ、もしかして魔法って学問として確立してて研究発表の場とかあるの?」
「ありますよ。王都の学院などで定期的に行われているはずです。私が学院生だった頃に一度、出席して学んだ覚えがあります」
「へえ、そんな事が。えっ、学院生……? 学院に通ってたの!? うわ、いいないいな! 何勉強したの?」
「剣技、体術、魔法を主に。あとは必要最低限の教養ぐらいですよ」
大したことありません。と付け加えられる。
口元に手を当てて言葉を紡ぐ姿はどこか恥ずかしそう。
「地理もそうだけど、歴史も壊滅的な俺には是非教えてほしい所だよ」
「でも、あまり使う機会には恵まれませんよ」
「ええ~、そうかな。歴史に関しては、重要だと思うんだけどな。だって、歴史っていうのは色んなものについて回るじゃない。自分だってそうだろ」
「自分の歴史ですか?」
「そうそう。自分の歴史は自分史って言うんだけど、これだよ、これ」
そう言って指すのは記憶の魔導書という分厚い本。自分の知識、記憶といったものがギッシリと詰まっている。
「これは記憶の魔導書って言って、自分の軌跡そのものなんだけど。これ考えたオリビア様はすごいね。近くで遠かった自分がわかったよ。そういった意味でも歴史、とりわけ自分史は大事だと思うんだよね」
「自分史ですか。それを本にするんですね」
「そう。俺は楽しちゃったんだけど、それでも何故か日記をつける習慣はできたよ」
「日記ですか。なるほど。それが自分史になるんですね」
「そういう事。この本もいわばそういう記憶の積み重ねだからね。引き出しやすくなってるけれど、忘れた事も多いんだよ。だから、日々を日記につけてる。そのありがたみがよーくわかったね。記憶として見せられたから余計に」
「私も、日記をつけてみる事にします」
「良い事だね。応援するよ。日記と言うとアレだけど、多くの人にやってみて欲しいなあ」
「ええ、本当に。学院の授業よりもアオイさんの方が影響を受ける事が多いですよ」
「あはは。俺の言う事難しい?」
「いいえ。タメになるって意味ですよ」
長居してしまったために邪魔をしては悪いというように席を立つクリアさん。別に良いけれど、彼女の好意のためにもやることをしっかり片付けよう。
「それは良かった。クッキーも紅茶も美味しかった。ありがとう」
「はい。頑張ってくださいね」
「お陰様でもうひと頑張り出来そうだよ!」
嬉しそうに体を揺らしながら歩く背中を見送って、再び本を開き筆を手にした。
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