94, 十六代の七倉さん
それから、七倉さんと僕は恋ヶ奥さん――本物の式島蓮さんのほうを見た。
彼女は僕たちを出迎えてくれたときと変わらず、如才ない雰囲気を漂わせていた。ただ、今は僕と同じように何の能力も持っていないということが分かっていた。
「恋ヶ奥は能力を持ちますが、式島は何の能力も持ちません。それは事実です。ただし私が恋ヶ奥であるという保証はいたしません。それは、初めに申し上げたとおりです」
「楓さんの能力のことはどれほど理解しておいでなのですか?」
「楓様にはときおり教えを頂いております。もちろん、私などが理解できぬ悩みなどはおありとは存じます」
「あの……、式島さんはどうして能力のことを知っているんですか?」
思わず、僕は七倉さんとの会話を遮って尋ねてしまった。けれども、七倉さんも式島さんも気を悪くした様子を見せず、むしろ式島さんはこれまでよりも親しげでさえあるように感じた。
「司様とは事情が異なります。私の場合は、幼い頃からの友人に能力を使えるものがおりましたからです。楓様のお付きになりましたのは、七倉グループに就職して以降のことです」
ところで、恋ヶ奥さんと式島さんはおそらく都さんではなかった。というのも、ふたりはさっきまで僕たちが昼食を摂っていた食堂の隣の調理場からエントランス・ホールに来ているので、都さんと入れ替わる時間があるとは思えなかった。それに、都さんは楓さんの友人だというから、その都さんが自分たちに化けて食事の後片付けをすることを認めるとは思えなかった。
だとすれば、いま楓さんの和室からエントランスに足を運んでいる、楓さんか京香さんのどちらかに違いなかった。
そして、これはもう能力の推理ではなく、京香さんと楓さんの立場の問題だったんだ。
京香さんと楓さんは、七倉さんと直接の血の繋がりはない。
けれども、楓さんは七倉家の全ての能力者で最も力がある。京香さんは決して弱い力しか持たないわけではないけれど、楓さんには遠く及ばない。
楓さんは七倉さんの師匠ともいえるひとだった。七倉さんが小さい頃には、既に七倉家を支えるほどの使い手だった。
それでも、京香さんは七倉さんにとって最も身近なひとだった。京香さんにとっても七倉さんはとても大切な妹みたいな存在だった。そんな京香さんが、七倉さんの能力を発揮する瞬間を見られないなんてことがあるだろうか。
いや、ありえない。もちろん、これから何度もこんな強い力を発揮する機会があるとしても、その七倉さんの側にいるのは京香さんに決まっている。京香さんは絶対にこの場にいないといけないはずだ。
それに、楓さんだって遠慮する。たしかに、楓さんは七倉さんをも上回る尊敬を集めるひとかもしれないけれど、七倉さんは「十六代」だった。七倉の家の象徴となり、力を司り、そして一時代に必ず現れるとも限らない血筋だった。いくら楓さんが強力な使い手であっても、七倉さんの意向を無視して京香さんに命令することができるとは思えない。
まず、七倉さんは京香さんに対してこう前置きした。
「京香さん、今回のことは私のためを思ってしたことでしょうから気にしていません」
京香さんの鋭い目が、今はとても丸っこくなっていた。ここまで楓さんが自由に動けたのは、京香さんがあらかじめ今回の事件のことを知っていたのに違いなかった。
でも、七倉さんは京香さんがその事実を黙っていたことに何も言わなかったし、それが自分のために行われたことをよく分かっていたんだ。
「……ありがとうございます」
それから、七倉さんは楓さんのほうを見て言った。
「都さん」
楓さんは目を細めて、まるで楓さんと変わらない笑顔で言った。
「楓はとても喜んでいました。結果は見るまでもないそうです。おかげで私も七倉のお嬢様の力を目にすることができるのですけどね」
「七倉の能力者は一族が開けた鍵を見分けることができますから。楓さんはむしろそちらのほうを見たいのだと思っているのでしょう」
「そうね、楓はいつも自分が本質を納得してしまえば残りのことは枝葉のことだと悟ってしまうから」
「それは昔から変わらないと思います。ずっと」
七倉さんと僕の目が合った。笑い出しはしなかったけれど、七倉さんはいま全ての疑問を払拭することができて、とても安心したような瞳の色を浮かべていた。
残るのは、七倉さんがあの大きな扉の鍵を開けることだけだった。僕や式島さんには見えない、とても複雑な鍵を。
けれども、七倉さんがその扉に手をかざした瞬間、僕たちの耳にはそれまで館をたたきつけていた雨音が聞こえなくなり、館の中を静寂が包み込んだ。
「開けます」
さらに、七倉さんが宣言した瞬間、ほんのわずかに空気が震えたような気がした。それは館全体を伝わり、身震いするような威圧感を放って、またどこかへと消えていった。
代わりに歌が聞こえた。楓さんの声だ。それはきっと僕たちが前に聞いた歌の続きで、何かを喜んでいるかのような内容だと思う。だから、僕は七倉さんが開けるその扉の向こう側を、すぐに目にすることができた。
そこには、雨のひとしずくすらも落ちていない、八月の夏の風景が広がっていた。
「ふたりの七倉さん」は筆者多忙のため間延びしましたのでまた後日一部カットします。長かった!
ところどころでレビューなど頂いて感謝しております。もっとたくさんの方々の目に留まるように、次章も引き続き頑張ります。