90, 七倉さんと不完全な異能力
それはとても無茶なことに思えた。なにせ、七倉さん以外の全員は、それが本当にそのひとなのかどうかすら分からないんだから。場合によっては、楓さんすら偽物だという可能性もある。それも、この島に来た最初の瞬間からそうなのかもしれないんだ。
そして、僕にはそれを見破ることができない。逆立ちしたって、僕には能力者を見分けることはできない。
でも、だからこそ僕は疑うことができるんだ。
分からないことだらけの世界だからこそ、確実なことを探し出さないといけない。そうじゃないと、僕はいつまでもこの不確かな世界から抜け出すことができないんだ。
「まず、いくら楓さんの能力が強いといっても、この島一帯に雨を降らせることはできない。楓さんでなくてもそれは同じだと思う。たとえば、雨乞いならできるかもしれないけれど、都合良く僕たちが滞在している数日の、それも真夏に大雨を降らせることは、人間ができる力を遙かに超えているよ」
「それはそのとおりだと思います。単純に雨を降らせているとは考えにくいでしょう」
「いわゆる結界だよ。相坂さんも似たような能力を持っている。ただ、今回は相坂さんよりもずっと現実感のある、とても大きな結界だよ。ご都合主義で、ひょっとしたら正義の味方と悪の組織が戦うことができるのかもしれない空間。半分くらいは現実空間なのかな?」
まさかとは思うけれど、僕はこの空間が実際に使われるような出来事があったのかもしれないと想像した。ひょっとして、僕が知らないような魑魅魍魎のたぐいや、モンスターのたぐいがこの世界にいて、この結界の能力の持ち主は、その存在と戦っていたりするんだろうか?
もっとも、僕にとっては空想にすぎないくだらない問題も、七倉さんにとっては現実に存在する課題だった。
「たしかに、都合の良いひとつの世界を作ってしまえば、どんなことだって可能になります。けれども、それは今までに私たちが関わってきた全ての場合と一緒です。可能性を挙げれば、どんなことでも言えてしまいます。ここが現実空間ではないという証拠が必要なのではないでしょうか?」
「それは逆だよ。あまりにも不思議なことが起こりすぎれば、それは現実世界ではないんだ。現実世界で強制的に雨を降らせたら、世界の気候にどれだけの影響を与えるか分からない。だから、これはある意味当然のことなんだ。僕は今、とても不思議な空間にいる」
断言した僕はおかしかった。だって、その不思議を身にまとったような女の子が目の前にいて、その女の子に僕は逐一説明をしているんだ。きっと、楓さんや京香さんがこの光景を見たら、おなかを抱えて笑うに違いない。爆笑してしまうかもしれない。
でも、七倉さんは視線を床に落として、床の絨毯の模様を繰り返し吟味するように深く考えていた。
「考えてみればそうです。不自然なことばかり起こるなら、その事実はそのまま強力な使い手が介入していることの証明です。ただ、その規模が大きすぎて、信じられないほど大がかりなだけで。でも、その考えには致命的な問題があると思います。私はこれでも能力のことには詳しいつもりです。何かの力を使われれば……気がつきます」
もちろん、そのことを僕は考えに容れていた。七倉さんは能力が使用されれば感づいてしまう。それは、いくらか能力を抑えられていたとしても、自分の身に降りかかった異能の力を感づけないわけではないと思う。
でも、僕は知っていたんだ。
「例外がある。それは、僕もとっくに目にしていることだよ」
「何でしょうか?」
「まず使われた能力から話をするよ。ほら、双嶋くんが相坂さんの能力に魅入られちゃったときだよ。4人で遊園地に行って、お化け屋敷で双嶋くんだけを別の空間に取り込んだ。要するに、双嶋くんは相坂さん以外のひとがほとんど見えていなかった。それなのに、七倉さんのことだけは見えていた。そして、あのとき七倉さんはひとりで双嶋くんに会いに行ったんだ。それは双嶋くんの目を覚まさせるためだったけれど、あのとき七倉さんは相坂さんの作り出した空間に入り込んだ。他のひとが入れないはずの扉を開けた」
あのとき、僕はただ相坂さんと待っていただけじゃなかった。そのとき、僕は七倉さんの持つ鍵開けの能力が、ただ物理的な鍵を開けているだけではない。
いや……それはむしろ当然のことだったのかもしれない。
七倉さんは、僕の知っている理屈や常識を飛び越えて鍵を開けてしまう。そのとき、僕の目には鍵の金具がひとりでに動いているだけに見える。じゃあ、もし電子鍵なら、電気信号が切り替わるのが見えるのだろうか。もっと別の鍵ならどうだろう?
七倉の力はそれらの「鍵」を網羅する。そこには形状の制約なんてなかった。どんなに複雑な鍵でも開けてしまう。
それじゃあ、「鍵」っていったい何なんだろう――?
それを考えたとき、僕は七倉さんの能力が、他の能力者が作り出した閉鎖的な空間にも応用できることに気がついた。そこには、僕が知っている「鍵」とは別のかたちをした鍵が存在していた。もちろん、七倉さんはそれを破ることができる。
ただ、七倉さんのその能力は完璧ではなかった。
相坂さんが、自分は七倉さんよりも上だと言っていたことを思い出す。あのときは、どうして相坂さんが七倉さんとの勝負にこだわったのか分からなかったけれど、今なら少しだけ分かるような気がしていた。
「あれは、相坂さんが入ることを認めてくれたからで……あっ、今回もそれと同じだということでしょうか」
「僕はどんな能力を自分に使われたとしてもそれだけじゃ分からない。たとえば、どんなに暴れたとしても外の世界に影響を及ぼさない、とてもご都合主義な空間に閉じ込められたとする。そうすると、きっと七倉さんは瞬時に分かると思うんだ」
七倉さんの瞳がきらりと光った。まず、七倉さんならそんな空間に取り込まれた瞬間に気がついて、まず力を使って抜け出そうとするだろう。少なくとも、僕みたいに分からない分からないというだけでぼんやり過ごしていることはない。
「でも、私は気づきませんでした。それはどうしてなのでしょうか?」
「正確な理屈は分からないよ。でも、それが七倉さんと楓さんの違いだということは分かるよ」
それは、この島にたどり着いてから何度も何度も見せつけられてきた、七倉さんと楓さんの違いだった。
「楓さんは能力のことを全て知り、使いこなすことができる能力者。小さい頃から使い手としての教育を受けてきて、力の全てを知り尽くした、七倉さんの師匠ともいえるひと。七倉さんはたくさんのことを知っているけれど、無意識のうちにでも発動させてしまうことができる能力者。それは、僕がいちばん最初に七倉さんの能力のことを知ったときに見たことがある。
――七倉さんが僕の自転車の鍵を開けてくれた日、七倉さんは間違って教室の扉の鍵を開けた」