80, 七倉さんの見立て
恋ヶ奥さんはそれで僕たちに伝えたいことの全部を伝えたらしい。七倉さんに媚びることもせずに頭だけ下げて館の方角に戻っていった。
「ねえ七倉さん、恋ヶ奥さんって能力者じゃないよね?」
七倉さんは恋ヶ奥さんの後ろ姿を5秒くらい見つめてから頷いた。
「ええと……そうですね、違うみたいです。嘘を言っていると?」
「一応。あんな言い方をしていたから、ひょっとしたらと思って確認してみたんだ」
「とても不思議なひとだとは思います。京香さんはどう思いますか」
「お嬢様よりも詳しくは分かりませんが……しかし、彼女が特殊な能力を持っているということはないようです」
それから、京香さんは眉間の皺を緩めて言った。
「ただ、あの態度は気に入りませんが、まるきり見当違いとも言えません。恋ヶ奥は楓様の能力が相当なものだということはよく分かっているようです」
それは京香さんの言葉どおりで、恋ヶ奥さんは七倉さんと楓さんの実力にどれだけの差があるかを理解していた。たしかに楓さんは見るからにただ者ではないことが分かるんだけど、それを言うなら七倉さんだって独特の雰囲気をもつ女の子だった。ふたりを並べてどちらがお嬢様でしょう、なんて言ったところでたぶん正解にたどり着けるひとはそう多くないと思う。
「ひょっとしたら、僕と同じなのかなぁ」
「そうかもしれません。かなり珍しいとは思いますが、七倉グループの中には、能力者について知っているひともいますから」
「楓様の側近だとすれば警戒すべきではあるでしょう」
僕たちは顔を見合わせて頷きあった。もっとも、ここには七倉さんだけじゃなくて京香さんもいる。たとえ楓さんと恋ヶ奥さん、式島さんの3人全員が思わぬ能力を使ってきたとしても、七倉さんと京香さんのどちらかは対処できるはずだ。そう思うと僕はずっと気が楽になった。
それから僕たちはもういちど泳ぎ始めたけれど、午前中のようにあまり沖の遠くへは泳ぎ出すことはしなかった。わずかずつではあるけれど潮が満ちてきていたし、楓さんからの手紙を読んでしまった以上、館に帰れば何か楓さんからの出題があるかもしれなかった。
日が傾き始めるよりも前に僕たちは海を出て、更衣室の片隅に当然のように据え付けてあった簡易シャワーで体を綺麗にした。いったいどうやって水道を引いているのか分からないけれど、僕はもう追及することをあきらめた。
館に戻ったのは4時前のことだった。
真昼でも館の中はひんやりとしていて、人の姿も少ないからどこか不気味なほどだった。けれども、入り口に近い扉のひとつが開くと、愛想のかけらもない式島さんが出てきて、一礼して京香さんが抱えていたタオルを受け取った。
「シャワーを浴びられる際は、個室のシャワールームをお使いください」
「あの、楓さんはどちらにいらっしゃいますか?」
「楓様は自室にてお休み中です。午前中にお嬢様の昼食をおつくりになっていましたから、お気遣いください」
「分かっています」
式島さんは七倉さんが頷くとそれで雑用があると言って別の部屋に行ってしまった。まるで避けられているみたいだった。ただ、目つきがきつくて隙のない印象的な美人だったから、短い言葉で会話を繰り返されると、その言葉のひとつひとうが刃になってしまうようだった。
「式島さんはどう?」
「いえ……やっぱり能力者ではないみたいです」
七倉さんは恋ヶ奥さんのときよりもかなり慎重に見立てたようだった。今度は式島さんが廊下の向こう側に消えるまでずっと見つめていて、式島さんが滅多に会えないほど珍しい能力者でも見逃さないように探っていたみたいだった。
「異能の使い手とは思えません。もしかしたら、力の強さはそれほどではないのかもしれません」
「あんまり力が弱いと分からないんだっけ?」
「そうなのですけれど、ただ、ふつうは何かの能力を持っていれば気がつくはずです。ふつうの人とは違うな、とは思いますから」
七倉さんの隣で、京香さんも同意した。
「そういう意味では、式島も平凡な人物ではないとは思います。印象だけのことかもしれませんが……」
印象だけのことなら僕にも分かる。でも、僕たちはさっき恋ヶ奥さんが式島さんは能力者だと言ったことを知っていた。
結局、恋ヶ奥さんも式島さんも僕と変わらないフツーの人間だったら、どうして恋ヶ奥さんはあんなことを言ったんだろう? ひょっとしてこれもブラフだったんだろうか?
「それと……もうひとり、まだいらしていないお客様がいます」
「ええと、そうだよね。都さんだっけ?」
「ええ、今のところまだお会いしていません」
「館には跳ね橋もあり、容易には出入りのできない島のことです。いちど外出するとすぐには戻ってこられないということでしょう」
僕たちは少し考えたけど、それで納得するしかなかった。都さんというひとが楓さんの友達だと言うことは分かっていたけれど、七倉さんも京香さんも会ったことのないひとだ。
それに、楓さんから「十六代の力を見せなさい」と言われた七倉さんだけれど、いったい何をどうすればいいのかも分からなかった。
「できれば早いうちにお会いしたいです。それに、私がどんなふうに楓さんの期待に応えるべきなのかも知りたいです」
「楓さんに直接聞いてみるっていうのはどうかな?」
僕はほとんど何の考えもなしに発言した。
けれども、七倉さんは意外にも僕の考えを聞いた瞬間にフリーズしてしまった。精巧な人形みたいな容貌の七倉さんが、なぜか驚愕していた。
「……それは思いつきませんでした」
「いや、もしかしたら楓さんを怒らせちゃうかもしれないんだけどさ」
「楓さんは怒らないですよ。むしろ、気になるのでしたら尋ねてしまったほうがいいような気がしてきました」
「では、後ほど楓様のお部屋を尋ねましょう」
いったんはシャワーを浴びた僕たちだったけれども、もういちど体にまとわりついた汗や潮の香りを洗い流したい気分だった。僕たちが楓さんに会えたのは、それから30分以上も後のことだ。
楓さんは読書をしていた。そういえば、楓さんが電子機器に触れたところを今までのところ見たことがなかった。楓さんがいる和室にはテレビもなく、当然のように携帯電話もパソコンもなかった。
ひょっとしたら生まれる時代を間違ったのかもしれない和服美人を前に、僕は七倉さんと楓さんの不思議な会話を聞いていた。
「孤島にいらしたのなら、その孤島にまつわる謎を解くというのが王道でしょう?」
楓さんは分厚い本を閉じて言った。
僕もそうだけれど、七倉さんは目をぱちくりさせながら頷いた。
「はい、そうだと思います」
まさか孤島で殺人事件が起こったりはしないと思うけれど。
そういえば、七倉さんの目と楓さんの目はとてもよく似ていた。楓さんのほうが細い目をすることが多いのだけど、ふたりともぱっちりとした大きな目をしている。ただ、楓さんの目は七倉さんよりもさらに透き通った印象を受ける。その楓さんがこんなことを言って、僕のほうを意味深に盗み見ながらくすくす笑ったら、どんなに畏怖してしまうだろう。
「その謎が解けるまでは、この島からは出られないと思ったほうがいいでしょうね」




