08, 相坂しとらの殺人容疑
「相坂さんは祖父の箱と関係するような能力を持っているの?」
「それが、確認しようと思ったんですけれど、話すら聞いてもらえませんでした。私はあまり好かれていないみたいです……」
七倉さんは肩を落としているけれど、実際のところ七倉さんはかなり他人から好かれやすいほうだ。だからといって相坂さんがおかしいというわけではないけれど、とても珍しいことだと思う。
「それから質問の答えですが、相坂さんの能力は命令する力です。暗示系ですね。私の能力とはかなり違っていて、他人の行動を操ることができます」
「他人の行動を操るって、それってものすごい能力じゃないの?」
「もちろんです。でも、無条件で操れるわけではありませんから、万能の能力というわけではありません。けれど、うまく使いこなせばどれほどのことができるか、想像もつかないほどの能力です」
それはそうだと思う。他人を操ることができれば、たぶんこの世界でおよそ思いつくことは全てできると思う。欲しいものは全て手に入るし、よほどのことでなければ不可能と呼べるものはないはずだ。
「他人を操る能力だけだと箱を開けることはできないようにも思えるけど、うまく使いこなせば鍵を開けることは可能なのかもしれないね」
「使いようにもよりますけれど、できそうもないことでも、能力者本人にはできてしまうことがあるんです。相坂さんはとても強い力を使っているわけですから、思わぬ使い方で鍵を開けてしまえるかもしれません」
七倉さんは相坂さんの能力を暗示系と言ったけれど、もしかしたら、鍵を開けられると暗示したら鍵が開いてしまうかもしれない。
「でも、七倉さんですら話を聞いてもらえそうにないのに、僕がどうやって相坂さんに話を聞いてもらえばいいんだろう」
そう、いちばん大きな問題は、七倉さんですら相手にされなかったのを、僕の話を聞いてもらわないといけないことだ。でも、普通に考えてそんなの無理だ。
能力を持っているから他人と関わらないようにしていて、同じ能力者ですら拒絶している。そんなところに、僕みたいな何の能力も持っていない人間が近づけるわけがない。
けれども、七倉さんはいつものような微笑になって答えた。
「私の時と同じようにしてください」
七倉さんと同じってどういうことだろう。
「能力の本質を突けばいいんです。相坂さんの能力がいったいどこから生まれているものなのか推理すればいいんです。司くんは、私が能力を持っていることを着実に事実を積み重ねることで看破しました。それは、能力者にとってはとても驚くべきことなんです。自分の能力を破られれば、相坂さんもきっと話を聞いてくれます」
僕はいつものように七倉さんの言葉を遮ろうとした。才色兼備の七倉さんに頼られるなんて、僕でなくても男子ならみんなが喜ぶべきことだと思う。でも、僕はたしかに物事を考えることが好きだけど、だからといって飛び抜けて頭がいいわけでもない。
ただ、僕は言いそびれてしまった。それは、七倉さんの笑顔に少しだけ真剣味が混じっていることが分かってしまったからだ。
「私もまたお聞きしたいんです。司くんの推理」
「七倉さん」
「聞くところによると、相坂さんの能力は人を殺せる能力なんだそうです」
人を殺せる。
それが本当なら、ますます関わり合いになるような話じゃない。でも僕には信じられない。たしかに、相坂さんの第一印象はとても変わった女の子だったけれど、彼女が殺人鬼だなんて考えられなかった。
「もちろん、私も単純に信じることはできません。たしかに、相坂さんの能力は、使いようによっては人を殺めることができると思います。でも、それは私も同じです。私の能力も、現代では、使い方を間違えれば大勢の人を苦しめるだけの力を持ちますから――」
僕が口を挟む前に、七倉さんは続けた。
「だから私も知りたいんです。相坂さんは、本当に人を殺めるのでしょうか?」
***
物静かだけどとても可愛い、というのが相坂しとらの評判で、僕もそのとおりだと思っている。
図書室で出会ったときには、物静かという印象を打ち消すくらいに特徴的な話しぶりをしていた相坂さんだけれど、ふだん教室にいるときにはほとんど喋らない。友達もいなくて、ひとりでとても涼しい表情をして文庫本を読んでいる。
けれども、相坂さんは文学少女というわけでもない。学力でもスポーツでも高いレベルにいる。他人と関わり合いにならなくても生きていけるというのは、本当のことみたいだった。
女子のなかでも小柄なほうに分類されるけれども、それを補うくらいに相坂さんは美人だ。
顔かたちは美容室に置いてあるファッション雑誌に載りそうなくらい、精巧に形作られている。いつもふんわり柑橘系の香りを漂わせていて、けれどもあまり笑わない。瞳は冷たいほどに無感動で、七倉さんとはほとんど真逆にいると言っていいと思う。大人びているといっていいし、少なくとも大人しいのは確かだった。
こんなふうに、とても個性的な相坂さんなのだけど、僕はひとつだけ彼女の悪い噂を聞いた。
「相坂しとらに逆らわないほうがいい。逆えば不幸が起こる」
僕はこの言葉をどう解釈していいのか悩んだ。
彼女に能力があることは、七倉さんから聞いたとおりだ。他人を操ることができる能力。でも、七倉さんは相坂さんの能力を直で見たわけではなくて、特徴的な相坂さんの話し方から推測しただけだ。
言われてみれば、相坂さんの話し方はどう考えてもおかしいから、何かの能力があると指摘されれば納得できる。
でも不幸になるというのはどういう意味なんだろう。
相坂さんに逆らうなということで、相坂さんに従うことを強制しているのだろうか。
分からない。世の中は驚きで満ちあふれている。
「俺にしてみれば、司が七倉や相坂と関わり合いになっていることのほうがよっぽど驚きだがな」
河原崎くんが得意のヒネた笑いで応えた。
七倉さんに相坂さんを紹介されてからというものの、相坂さんの変わった性格についてあれこれ言っていた僕だけど、かく言う僕も友達といえば河原崎くんくらいしかいないから、相坂さんについて相談する仲間といえば彼しかいなかった。
もっとも、僕が相坂さんについて相談したら、思いがけず河原崎くんは苦み走ったような表情を浮かべた。もっと、いつもと同じで目元が見えないんだけどさ。
「しかし、よりにもよって相坂しとらとはな。たしかに俺からみても顔はいいと思うが、中身は相当危なっかしいと思うぜ」
「そ、そんなに? 何かあるの?」
身を乗り出した僕を押しとどめながら、河原崎は胸を張って言った。
「俺が知っているわけがないだろう」
「それはそうだけどさ」
「……そこは否定しろよ」
河原崎くんは苦笑したけれど、僕と河原崎くんとの差なんてほとんどないようなものだから、わざわざ否定するほどのものでもないと思う。簡単に言うと同類ってコトだ。
文句をたれながらも、河原崎くんは話を続けてくれる。
「噂の中にはいくつかバリエーションみたいなものがあるみたいだが、なかには相坂しとらの笑顔を見たら死ぬ、というのもあった」
「死ぬの?」
「いやまあこれは噂だがな。とはいえ、そういう噂が立つこと自体が異常でもある。普通の女はこんなこと言われたりしねえだろ」
それはたしかにそのとおりだった。
相坂さんが物静かな女の子だということは、ほとんど話したこともない僕でも分かるくらい、雰囲気や外見で分かってしまうことだ。けれども、たぶん、彼女の笑顔を見た記憶がないことがいちばん大きいと思う。もっとも、僕の場合にはそもそも相坂さんの顔をほとんど見ていないのだけど。
でも、普通の女の子がちょっと笑わないくらいで「笑顔を見ただけで死ぬ」なんて噂が立つだろうか。
「もちろん、あまりにも珍しい事柄だからこそ、茶化す意味でそういう噂が立ったのかもしれないがな」
河原崎くんが女子の事情に通じているなんてことはないはずなんだけど、尋ねてみるといろいろと知っているみたいだった。
「僕、河原崎くんがこんなに女子の情報を仕入れているとは思わなかったよ」
「いや、俺でも知ってるということは有名ってことだな」
「僕は知らなかったけどね……」
ということは僕は河原崎くんよりもさらに女子事情に疎いということで、もしかしたらこの高校でいちばん女の子のことを知らないんじゃないかと思ってしまう。七倉さんと知り合えただけでも、祖父の遺言には感謝しないといけない。
でも、もうちょっと女子と関わり合うような努力をした方がいいのかもしれない……というようなことを決意しても何もしないんだろうけどね。
「相坂になんらかの問題があるとすれば、明らかにこの妙な噂のことじゃないのか? 相坂しとらは確かに目立つヤツだが、悪目立ちするほどでもない。基本的には無関心、不干渉を貫くやつだからな。お前、入学から今日までに相坂が何かしたところを見たことがあるか?」
「ううん、教室の隅っこでいつも熱心に読書していたような気がする。要するに、昨日まで全然気にしていなかったんだけど」
「昨日まで気にしていなかった女のことを、なんで今日聞きに来たのか疑問だがな」
「だからそれは違うんだって!」
ちなみに、河原崎くんには七倉さんと相坂さんが持っている能力のことは詳しく言っていない。七倉さんのときも、捜しているひとがいる――という程度だ。そのせいで、最近僕は急に女の子と仲良くし始めたように思われている。実際は七倉さんとは協力関係みたいなものだし、ふたりとも美人過ぎて僕とは釣り合わないのだけど。
でも、僕が相坂さんに引っ張られて教室まで歩いていたことは、今朝のうちには若干のニュースになっていたみたいだ。まだ放課後のそれほど遅い時間ではなかったから、目撃者が多くて、相坂さんが男子を連れていたことが目を引いたみたいだ。
「ま、俺がまだ知らなかったということは、まだ相坂と司のことはどうでもいい出来事のひとつだってことだろうさ。目撃者は多いだろうが、相坂はともかくその相方がさほど注目するような男じゃなかったからな」
たしかに相坂さんの後ろをくっついていた男子は地味だけどさ。
「ちょっと不満だけど、たしかに助かったよ……」
「だが、七倉が言うには相坂の行動はこれからエスカレートしていくんだろ? 俺にはクラスの地味な男子をかっさらっていく女子が、将来的にどういう行動を実行するのか想像もつかないわけだが」
「僕にだって見当がつかないよ」
河原崎はやれやれといったふうに首を振った。
「そもそも、理由も手段も示さずにそんなことを言われたところで、まったく信用なんかできたもんじゃないがな。やっぱりなんかからかわれているんじゃないのか?」
「そうなのかな」
河原崎くんは、七倉さんと相坂さんが一緒になって僕をからかっているのだと言いたいみたいだった。
「あの頭のいい七倉のことだぜ。悪い噂は聞かないが、警戒しておくに越したことはないだろう。ひょっとすると、何かに利用されているかもしれないぜ」
河原崎くんは不敵に笑った。たしかに、七倉さんだって油断のならないひとだ。大企業の社長令嬢で、能力者で、ものすごく存在感がある。そんな七倉さんが僕に近づいてきたのは偶然じゃなくて裏がある――とは僕は思わなかった。
「七倉さんはそんなことをするひとじゃないよ!」
僕は立ち上がって叫んだ。大声というわけではないけれど、いままで河原崎くんには向けたこともないような、勢いのある口調だった。
「お、落ち着け。冗談だ」
河原崎くんも、慌てて僕を押しとどめる。立ち上がるだけでなくて、自分でも気がつかないうちに身を乗り出していたみたいだ。僕は気を取り直して椅子に腰掛けなおした。
「ごめん、たしかにその危険性はあるよ。というか常識的に考えてその可能性がいちばん大きいんじゃないかと思うくらいだ。そうじゃなきゃ、相坂さんが僕と手を繋ぐ理由なんかないし、七倉さんがあんなに親身に僕に話しかけてくれるわけないと思う。でも、七倉さんは本当に性格が良くて、自分に嘘がつけないひとなんだよ」
僕は自分の能力に対する七倉さんの真剣な姿を知っている。七倉さんは自分の能力が、今までの時代でいちばん強力に使えるときに生まれてきたと言った。
七倉さんはそれについて自分自身に嘘をつかないで、自分がこの能力をどう扱っていいのか一生懸命に考えようとしている。そのために七倉さんのお姉さん――楓さんがどう考えていたのかを知りたがっていて、僕にも協力してくれている。
たしかに、七倉さんみたいにとても綺麗な女の子が、何の能力もない僕に対して親身になってくれるなんて夢みたいなことだけど、それは僕がうっかり七倉さんの秘密を解いてしまったからだ。
僕は、七倉さんがあの大きな目を輝かせたのを忘れられない。手を握って何度も頭を下げていた姿は、演技なんかじゃなかった。
それに、七倉さんの能力は本物だ。僕は自転車の鍵を開けてもらったし、教室の鍵だって七倉さん自身で開けてしまえるくらいに。祖父の箱の鍵だって、開けられなかったけれど開けようとしてくれた。
それなら、相坂さんに関する謎は僕も考えないといけない。
相坂さんに関する謎はいくつかあるけれど、僕が気になっていることは、相坂さんの能力はどこから来ているのだろう、ということ。
それから、相坂さんはどうして僕と手を繋いだんだろう、ということ。
僕がそのことを考えようとしたら、おでこに冷たい感触がして僕はびっくりすることになった。それは熱冷まし用の冷却シートだった。
「PCの冷却用だ。まあ、なんだ。それで司はこの状況をどうする気だ。七倉がなんとかしてくれるのか? それとも、お前がなんとかしてみるのか?」
「とりあえずいちど相坂さんに聞いてみるよ。ひょっとしたら何かの間違いかもしれないしね」
「高校生にもなって初対面の男の手を繋ぐ女がいたら、間違いというか過ちを犯しまくりそうだがな……」
「それもそうだよね」
こんないきさつで、結局、僕は相坂さんと再び話をすることになった。再びといっても1回目は話し合いになっていなかったような気がするけど、女子と話したいと思う日が来るなんて僕自身でも思ってもみなかった。
でも、僕と女の子との接点が少ないように、相坂さんと男子との接点だって少ない。
だからひょっとすると、相坂さんとうっかり手を繋いでしまった僕は、このクラスでは相坂さんといちばん関わりがあるのかもしれなかった。一方通行だけど会話までしてしまった男子も、やっぱり僕だけじゃ無いんだろうか? いやそれは相坂さんにアプローチした男子と同じか……などなど。
とはいえ、形はどうあれ、相坂さんは昨日僕にひとつ貸しを作ったはずじゃないか。七倉さんに僕が呼ばれているのなら、僕に「七倉さんが呼んでいるからすぐに行かなければならないのです」と言えばいいはずなんだ。口調は奇妙だけど、能力がなくても断る理由なんかないわけだし。
それにもかかわらず、相坂さんは僕を強引に引きずっていった。あれはとても迷惑した。ああ迷惑したともさ。
……本当はすごく興奮していたんだけれど。
とにかく、僕は放課後になるのを待って、相坂さんに話しかける機会を待った。
昼休みでも授業の合間でもなかったのは、僕の決心がつくまでの時間だった。決心するまで相坂さんを睨みつけていて、途中で2回くらい相坂さんが振り返ったけれど。
ひょっとしたら、それで僕が話しかけたがっていることに気づいたのかもしれない。
相坂さんは相変わらず読書をしていた。無視せずに話しかけられるのを待ってくれていたみたいだ。おかげで、僕は周囲の視線にあまり気を遣うこともなく話しかけることができた。