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僕は祖父の後継者に選ばれました。  作者: きのしたえいと
13,ふたりの七倉さん(後日修正予定)
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74, 不思議の食事会

 式島さんが深々と頭を下げているのを見ると、僕には、式島さんが七倉さんに接するよりも楓さんに近侍するときのほうがずっと丁重な礼儀に則っているように思えた。式島さんは、楓さんが部屋を出て行く後を歩いた。髪の長い楓さんの後を付き従うと、それはまるで何百年も前もの宮廷にいた后のようにも思えた。

 七倉さんは気づいているのだろうかと僕は心配にもなったけれど、当の七倉さんは式島さんのことを気にもしていない様子で、楓さんが部屋を出ると椅子に腰掛けることもせずにそわそわとしだした。


「司くん、私は調理場に行ってきます」

「うん、どうかしたの?」

「いえ、すこし気になることがあっただけです。大したことではないのですけど」


 なんだろう。けれども、僕が尋ねる前に七倉さんは小走りになって、良い香りのする部屋の奥側のほうへと向かっていってしまった。ひとり残された僕はどうしていいのか分からないので、テーブルの片隅の手近な椅子を引いて座った。とても落ち着くような席ではなかった。


 ただ、幸い、10分も経たないうちに食堂には京香さんが来てくれた。もっとも、僕ははじめ京香さんが来たことに気づかなかった。京香さんは足音を立てないように静かで上品な歩き方をしていて、まるで誰かに見つかるのを恐れるような慎重さで、食堂に現れたからだったんだ。


「お嬢様はどうされましたか?」

「あ、なにか恋ヶ奥さんに用事があるようで……」


 僕は京香さんの姿を見て、呆然とした。

 さっき、ドアの隙間からわずかに見えた、やわらかな生地のドレスを着た京香さんがそこにいた。黒い髪と空色の絹が流れ落ちる。京香さんの見たこともない谷間が見える、胸元の開いた衣だった。手には白い手袋をはめている。

 京香さんは美人だった。いつも黒いスーツばかり身につけていて、厳しい顔つきをして警備会社で働いているから押し殺されていたけれど、京香さんの姿は、磨き抜かれた宝石のように、人の心を捉える美しさだった。


 そういえば、七倉さんは前に京香さんのことを綺麗だと言っていたっけ。

 もしかすると普段とのギャップが大きいから、なおさらそう感じたのかもしれないけれど。


「京香さん」

「司様、余計なお世辞を思いつかれるならばお嬢様におっしゃってくださいますよう」

「いえ、お世辞では、……はい」


 京香さんは僕が何か言おうとするたびに、これだけは普段と変わらない鋭い目つきで僕を睨めつけた。けれども、京香さんのその光をたたえた目は、むしろ大勢のひとの中にいても、きっと目立つだろうと僕は想像した。

 じきに、七倉さんが戻ってくるとやっぱり七倉さんは京香さんのことを褒めて、京香さんは素直にお礼を言っていた。そのうちに楓さんも戻ってきて、相変わらず無愛想な恋ヶ奥さんと式島さんが料理を運んできた。

 式島さんが一礼して僕の顔を見ながら言った。


「本来ならば前菜から順にお出しするところですが、本日はフルコースにお慣れでない司様がおられますので、一部の料理については取り分けできるようお出しさせて頂きます」


 式島さんはまるで僕のことを見下したような言い方をするので困ってしまったけれど、楓さんはすこし困ったような笑顔で付け加えた。


「単に日本式にお出しするというだけのことですよ。それに、せっかくお呼びしたお客様に、不慣れな料理をお出しするのはむしろ失礼だということです。そうでしょう?」

「楓様のおっしゃるとおりです」

「それに、私も小さなテーブルに大皿を置いて、家族みんなで食べるほうが好きですもの。司様もそうでしょう?」


 料理を挟んで向こう側に座った楓さんは、優しい声でそう言って、その透き通った瞳で僕に笑いかけた。

 僕は慌てて頷いた。なんだかそうしないといけない気分にさせられてしまう。


「私もです。司くんも、お好きなものがありましたら好きなだけ食べてくださいね」


 七倉さんは僕と京香さんに挟まれた席だった。気づいたときには、僕のためにパンを取ってくれたり、取り皿の世話をしてくれたりした。七倉さんの向こう側にいる京香さんは自分の料理を切り分けていた。

 ちなみにその料理は僕の目の前にもあって、ミディアムレアの牛肉が脂で光っている。ライスもあるけれど、僕は初めて洋風レストランに行ったような気分でパンに手を伸ばしていた。彩り鮮やかなサラダ、サーモンとバジル入りのソース……


「ところで、都はどうしましたか?」


 ふと楓さんは思いついたように言った。一瞬だけ考えて、それが楓さんの学校の友人の名前だと言うことに思い至った。

 式島さんが答えた。


「明日の朝に当館にお戻りになるそうです。船頭が報告に参っておりました」

「いつもの気まぐれね、本家から菜摘が来ると言ったのに、いい加減なんだから」

「いえ、せっかくのお休みなのですから、わざわざお気を使わなずとも構いません」


 七倉さんが非の打ち所がないテーブルマナーでひとつの皿を空けていた。ちなみに僕のほうは非の打ち所しかなかった。楓さんがそれを見つけて少し笑った。楓さんのテーブルマナーも七倉さんに負けないくらいに美しかった。むしろ、僕にとっては京香さんのほうが親近感の持てる雰囲気だった。恋ヶ奥さんや式島さんはどうなんだろう。ふたりは給仕なので分からない。


「菜摘、司様にナイフの持ち方を教えて差し上げればいかがですか。たくさん召し上がっていただかないといけないでしょう?」

「はい。司くん、ナイフはそんなに力を入れなくても良くてですね……」


 七倉さんは僕の強ばった右手に、いきなり手を添えた。僕は反射的にどうにかしようと思ったけれど、ナイフを音を立てて取り落とすわけにもいかないし、声をあげて拒否する気にもなれなかった。ただ、七倉さんの指を見ているだけだった。

 七倉さんは、僕が今まで見たこともないくらいに繊細な手つきをしている。しかもその手には魔法がかかっていて、僕はその手に触れられただけで緊張して何もできなくなってしまう。


 だから僕は七倉さんに正しい手つきに整えられるまで、息をするのも忘れて七倉さんのアドバイスに頷くだけだった。

 楓さんがそんな僕の様子を見ながら言った。


「菜摘は、その後も司様にはお世話になっているのね」

「はい、私では分からないことをたくさん教えて頂いています」


 七倉さんは僕の手つきを横目に見ながら答えた。


「司様はお祖父様の跡を継いで、私たちとお付き合いくださっているのね」

「あ、いえ……、まだ祖父の跡を継いだわけじゃないです」

「でも、私や菜摘の能力をよく理解していらっしゃるのでしょう?」


 楓さんは何の邪気も感じないような不思議な目で、僕のことをじっと見つめた。僕は手元の肉に何度も目を移した。楓さんの目は……あまりにも謎めいていて直視できなかった。


「私も拝見したいです。菜摘からもお聞きしていますけれど、貴方のようなひとは滅多にお目にかかれませんから」

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