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61, 眠りの時代

 私は菖子さんがこんなにも必死になってものを頼む姿を初めて見ました。どちらかといえば、菖子さんはお嬢様育ちであるにもかかわらず気の強いひとでした。でも、このときの菖子さんは、聡一郎さんに何度も繰り返し頭を下げて、まだ幼い菜摘のことを頼んでいました。

 聡一郎さんは菖子さんのそんな姿を見て、すこし寂しそうな顔をされておりました。この方は能力が使えないはずですが……、どこか不思議な雰囲気があります。もちろん、菖子さんと親しいということは異能の力のことをよくお知りなのでしょうけれど。


 目つきといえば、鷹見京香さんはとても良い目をしています。この家のなかで、今もっとも力の強い私をすぐに見つけ出せるのですから。菖子さんが養子縁組を強引にでも進められるのがよく分かります。

 でも、両親と引き離されることは、あの子にとって浅くない傷を負わせているように思えました。それでも折り合いをつけ、私を見つけているということは、やはり菖子さんの見立ては正しいということなのでしょう。


「楓ちゃん、聡一郎さんをお見送りして頂戴」

「はい、分かりました」


 私は菖子さんに代わり、聡一郎さんをお送りいたします。午前中からお昼にかけてまでいらしていた七倉家の皆さんはほとんどが帰られていました。家の中に残っているのは、菜摘のいとこやはとこに連なる家や、分家のなかでも特に本家との繋がりが強いわずかな家でした。それだけの家族だけになると、七倉本邸は静けさを取り戻します。

 ふと、私は後ろからついてくるはずの気配がないことに気づきました。振り返ると、聡一郎さんはゆっくりと奥座敷に歩く菖子さんの後ろ姿を見ていました。


「聡一郎さん、どうなされましたか」

「いや……、もう菖子さんは力が使えないのかと思ってね」


 私は努めて声を落としました。


「分かるのですか?」

「分からない。だが昔、家内と毎日のように喧嘩していた頃と比べるとね……」

「聡一郎さんの奥様は異能の使い手でしたか?」

「昔の話だよ」


 聡一郎さんはそれ以上を教えては下さいませんでした。

 でも、七倉家の象徴ともいえる菖子さんと喧嘩をした聡一郎さんの奥様というのはどんな方なのでしょうか。まさか、菖子さんを上回る使い手などということはないと思いますが……。

 ただ、私はなんとなく想像してしまいます。ひょっとして、聡一郎さんの奥様と菖子さんの喧嘩とは、ふたりによる聡一郎さんの取り合いだったのではないでしょうか。そうだとすれば、聡一郎さんが菖子さんと親しいことも頷けます。


「楓ちゃん……首座殿は本家に来て何年になるのだったかな」

「13年です。3歳で本家に参りましたから」


 聡一郎さんはゆっくりと歩き始めました。どうやら私とお話をしてくださるようでしたから、お隣に歩かせてもらいます。


「そうか、きみが来ることが決まったときには、菖子さんは自分の後継者ができたとたいへん喜んでいたものだった。今日、きみは立派に十五代の意思を繋いだわけだ」

「そんなことはありません。私の力が足りないばかりに……」

「いちど途切れることは決まっていたことだよ。きみが生まれた頃には既に足りなかったからなあ」

「何がでしょうか?」

「能力者の人数だよ。そもそも、いま序列下位にいる何人かの能力者は、ほとんど私と同じごく普通の人間だ。君が生まれるよりも前は、七倉家では能力者として扱わなかった」

「えっ!」


 私はそんなことを知るわけがありませんでした。もちろん、時々序列上位のおばあさま方が嘆いていらっしゃるのを聞いたことはありました。昔はもっとたくさんの使い手がいたのに、昔の人が今の七倉家を見たらどう思うだろう、と。

 でも、私は知らなかったのです。序列下位の方々が、本来なら座っていなかっただなんて。


「きみが生まれた頃には既に能力者が不足していた。それでも、私たちの親世代や、菖子さんを初めとしていま序列上位にいる女性方がいた。だが、みな歳を取って欠員が出始めた。菖子さんは皆を動揺させないために、かろうじて能力が使える程度の能力者であっても席に着かせて欠員を埋めた。それすらも限界に達したのが今日だったのだろう」

「あ……」


 私は理解しました。

 どうして菖子さんは席次を実力主義にしなくてはならなかったのか。どうして遙か遠縁の私を可愛がってくださったのか。私にたくさんの援助をしてくださったのに、皆さんが謝っていたのか。

 七倉家はとうに眠りの時代に入っていたのでした。菖子さんが采配を振るった黄金の時代を過ぎて、なぜか能力者が生まれなくなっていたのです。そして、私が本家に来た頃には、先代の会長様が去り、かつての能力者たちが引退し始めていたのです。

 そして今日、菖子さんは自らの世代に幕を引いたのでした。残された能力者である私と、菜摘を守るために……。

 私はいてもたってもいられなくて、聡一郎さんに尋ねました。


「七倉家にはどうしてこんなに能力者が少なくなってしまったのでしょうか。たしかに、私が小さい頃にはもっとたくさんの能力者がいました。菖子さんと同世代の能力者はもちろんですが、もう少し下の世代のかたもいらしたはずです。それに、いくら使い手が減っていると言っても、たった10年で皆さんいなくなってしまうなんてありえません」

「能力者が少なくなったことには理由がある」


 聡一郎さんは呟くようにおっしゃりました。でも、その先をおっしゃることはありませんでした。聡一郎さんが知っている七倉家の謎の答えは、私には分からないままです。

 その代わりに、聡一郎さんは玄関でこんなことをおっしゃりました。


「きみは遠くないうちに、たったひとり七倉の正統を受け継ぐ人物になる。七倉の歴史を繋ぐのも、七倉の伝統を後進に伝えるのも、何も知らない十六代のお嬢様に本物の七倉の力を見せるのもきみしかいない。きみはこのさき一生、全ての七倉の手本として、七倉の家を背負うことになる。

 七倉の家をまとめ、暗闇の中を進む光になるのは十六代のお嬢様だが、そのお嬢様に本物の七倉の使い手の姿を見せるのは、十五代最初にして最後の弟子であるきみだ。きみがいる限り七倉の歴史は途切れない。それこそ、400年前のなつ様のようにね」

「なつ姫様の生まれかわりは菜摘です。私ではありません。それに、あの子には七倉の家を支るだけの才能があるような気がします。今は小さな女の子ですが、あと10年もすれば十六代に相応しい力を身につけているでしょう?」

「10年か……、七倉のお嬢様は今のきみと同じ年になっているわけだね」

「はい」

「七倉のお嬢様は、10年後にきみと同じ高校に進学するだろうね」


 私はすこし考えて頷きました。なにせ、久良川高校の創設には県会議員の叔父様がかかわっていたので、菜摘が通う可能性は高かったのです。それに、久良川高校はこのあたりに暮らす異能の家系のひとたちが通いやすい位置に建てられていました。

 もちろん、それだけのために建てられたわけではありませんが、七倉家の意向が反映されていることは確かです。


「お嬢様はきみの後を追いかける。10年後、あの子は今のきみの姿を覚えていて、遠い記憶のなかに浮かぶきみに、正統な七倉の使い手としての姿を見続ける。これは単なる私の考えではなくて、当たり前のことを言っているだけなんだけどね」

「あの……、聡一郎さんは本当に能力者ではありませんよね」


 聡一郎さんは大きな声で笑われました。


「まさか! 私から見れば、楓ちゃんの姿のほうがよほど神秘に満ちているよ。今時にしては珍しいほどに髪を伸ばしておるし、せっかく美人になったのにいつも本家に籠もって出てこない。大昔、きみの先祖が今の本家と並び立っていた頃に戻ったかのようだ」


 私は聡一郎さんに帽子を手渡します。靴べらを傍らに置いてから、中折れ帽子を片手にしながら、私が小さい頃から時折見た笑顔を見せておっしゃりました。


「意思の硬い楓ちゃんのことだ。上京すればおそらくお嬢様にも連絡しないつもりだろう。そのほうがあのお嬢様を甘えさせないだろうし、家族のことを思えばそれがいちばん良いのだろうね。

 家族と仲良くするんだよ、首座殿。体に気をつけ精進あれ」


 私は軒先に出て、聡一郎さんの姿が見えなくなるまで見送りました。懐かしくて、不思議な時間でした。昔は、あんなふうに不思議な雰囲気を纏ったひとに、ときどき出会ったような気もします。けれども、最近では聡一郎さんのような方は少なくなりました。

 私は玄関に置いてある姿見を見ます。

 高校生になった、着物姿の私が映ります。


 たしかに、私の姿はテレビや新聞で見る女性の姿とは違うかもしれません。髪は漆黒で、腰の下まで伸びています。風に吹かれれば扇のようだと言われていました。顔は綺麗だと言われることが多いのですが、本当に美人かどうかは分かりません。私にはお友達がほとんどいませんし、男性から告白されたこともありませんから……。

 でも、私は本家の中に閉じこもっているわけではありません。昔から音楽家の先生にピアノを習っていましたし、プロの家庭教師の先生に英会話を習っていました。学校にはほとんど休むことなく通いましたし、放課後になると本家を訪ねて、夕食の前まで菖子さんや様々なおばあさま方に力の使い方を教わりました。


 週末になると、七倉グループの様々な会社にも連れて行ってもらいました。私は、あのひっそりと静まり返ったオフィスが好きです。本家の車に乗って、売上金や貴重書類、倉庫や金庫の鍵などを開け閉めして、それが終わると本を読んで過ごします。

 変わったことといえば、私が和服を着ていることが多いことかもしれません。街中ですと視線を感じますし、最近は胸が膨らんでしまいましたから、和服を重ねて着るのは窮屈に感じるようになっていました。東京では、制服のほかにも洋服を着てみようかなとも思っています。


 そして、なにより私には菜摘がいます。

 いまはまだ、菜摘には分からないことがたくさんあります。でも……、聡一郎さんがおっしゃるとおり、成長した菜摘は私のことを追いかけてくれるのでしょうか。

 私は久良川を離れます。すぐには戻ってくることはないでしょう。菜摘の成長を見守ることは私の役目ではありません。でも、菜摘のために何かを残したいと思う気持ちはありました。10年後に私の後を追いかけてくれるとしたら、高校生になった菜摘のために何かを……。


 私はその日、本家から自宅に戻ると、久しぶりに電話を掛けました。

 相手は私が小学生の頃に、少しだけ関わった数少ないお友達でした。


「もしもし、河原崎くんですか? お久しぶりです、すこしは背は伸びましたか? ふふ、子供が何言ってるんでしょうね。そうそう、実は河原崎くんが持っている箱について聞きたいことがあるんです。そうです、箱っていうのはコンピュータのことです。ちょっとやりたいことがあって、なるべくすぐに会ってもらえたら嬉しいです。明日でいいの? デート? そういうのは10年早いの。そうそう、計画っていうのはね……」


***


 それから程なくして、私の家族は東京に向けて発ちました。

 私は都内の高校に転校することになりましたが、転校手続の最中、両親に直接本家からの電話がありました。内容は、これまで私が本家に多くの功労があったこと、遠縁でありながらたくさんの口出しをして申し訳なかったということ、遠方になるので今後は連絡が途絶えるが、私の成長を心より楽しみにしているということでした。

 さらに、本家から縁は遠いが口の利ける都心の私立高校があるので、そこに通ってほしいということ。学費と転入試験に関しては心配無用であることを告げたそうです。両親は訝しんではいましたが、難しい転入試験を受けるよりもよほど良い選択肢には違いありません。それに、提示された私立高校の名前にも何の不満もありませんでしたから、話はすぐにまとまりました。


 そして七倉の家は眠りにつきます。十五代の引退、幼すぎる十六代、そして能力者不在の親族会議……。それでも、菖子さんはもうしばらくお元気でいらっしゃいましたし、歴年の能力者たちも長生きして菜摘の成長を見守りました。

 ただ、本来ならばとりおこなわれるべき襲名の挨拶はそれから何年も行われることはなく、七倉家は菜摘のお祖父様やお父様、叔父様がたの指揮の下で、整理と縮小を繰り返しながらひとつの時代を終えることになります。


 菖子さんとの約束を守った聡一郎さんの後見を受け、苗字を鷹見から変えた七倉京香に守られながら十六代菜摘が現れるのは、まだ何年も先のことでした。


***


 七倉家文書「十六代菜摘世襲に関する誓約」


 誓

 十五代菖子は十六代後継者に菜摘を指名する。

 十六代は十五代の曾姪孫。本家当主の孫、跡目の長女である。


 一、十六代・菜摘を支え一族皆が団結する。

 一、菜摘が成長するまでは堅実経営と専守防衛に徹する。

 一、菜摘を支えるため、鷹見京香を養女とする。

 一、菜摘が成長するまで、一族の不始末は首座・楓が裁く。

 一、菜摘の能力については、首座・楓に一任する。

 一、十五代・菖子は菜摘を伝授、後見する。

   首座・楓は菜摘を伝授、後見する。

   本家当主・守安は菜摘を後見する。

   本家跡目・和守は菜摘を後見する。

   司家当主・聡一郎は菜摘を後見し、本誓約を証する。


 連署 十五代菖子、十六代なつみ、首座楓

    当主守安(押印)、跡目和守(押印)、司聡一郎

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