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60, 十六代菜摘世襲に関する誓約

 議題は重要でしたが、時間は長くかかりませんでした。昼には親族会議は終わって、座敷で昼食がとられることになりました。ただし、私と菖子さん、会長様ご夫妻、社長様は別室に移りました。菜摘と菜摘のお母様は残っています。

 母屋から離れに移り、小さな和室に入りました。

 私たちはそこで昼食をとることになりました。社長様が私に声を掛けられ、私が能力者たちの中でも特別な地位に就いたことを祝われました。

 ただ、私は嬉しい気持ちではありましたが、不安な気持ちもまたありました。


「菖子さん、私は両親について行かなければなりません。こんなに大切な役目、務まるとは思えません」


 実は、私は近く転居することが決まっていました。父の仕事の都合で、東京近郊に移らなければならなかったのです。もちろん、菖子さんにはずっと前から言っていたことでした。

 もちろん、私は高校生になっていて、転校の手続は決して楽ではありません。久良川高校には受験して合格したのですから、両親について行かずに済ませることもできました。当然のように、会長様と社長様が、私が一人暮らしでも不自由なく暮らせるように取り計らうように言ってくださいました。本家の一室を私のために改装するともおっしゃりました。


 でも、私はあまりにも本家にお世話になりすぎました。まるで本家の子供であるかのように育てられたことは、とても幸せなことである反面、両親にとってはあまり嬉しくないに違いありませんでした。

 私はいつも、能力のことが何も分からない両親との時間を、大切にしてきたつもりでした。でも、今回の転居で両親と離ればなれになってしまうと、取り返しの付かないことになってしまうような気がしました。

 私は両親と一緒について行くことを選びました。

 菖子さんはそのことを、分かっていると言いました。


「それを分かったうえで指名したのよ。あなたは遠くにいても役目を果たせるほどの使い手よ。あなたほどの若さでそれほどの力を持つ能力者は、七倉の歴史を紐解いても何人もいなかった」


 菜摘のお父様が、菖子さんと会長様を一瞥してから私に言いました。


「この先、君は本家に何もしなくていい。遠くの本家と関わろうとすれば、君の両親は今にも増して面白く思わないだろう。本家のことも、菜摘のことも忘れなさい。向こうで家族と新しい生活をしなさい」


 私はあまりに突然のことに動転して、思わず申しあげてしまいました。


「私はもう……要らない子ですか?」

「違う」


 社長様は強い口調で否定されました。


「私たちは君に甘えすぎた。私は君がご両親について行くのを止められない。行ってあげなさい。家族は離れてはいけない。七倉の家の者なら特にね。本家のことも、菜摘のことも、まだしばらくは心配は要らない。君の人生を犠牲にするほどのことはない」

「能力者が足りないのよ。楓ちゃんのせいじゃない。人数が少なすぎるの。この傾向はこのさき何年も変わらない。菜摘があなたに近づける日が来るまではね……。いま引き留めれば、たしかに本家は助かる。でも、それは楓ちゃんと家族にうんと重い負担をかけるに違いないの。それなら、七倉家はしばらくのあいだ眠りにつくべきなのよ」


 会長夫人が私にハンカチを差し出して言いました。


「せっかく美人なのに、老人と力不足の能力者しかいない本家にずっといさせるなんて、もっと早くやめさせたかったんですよ。学校でも、部活とか、やりたいこともあったでしょうに」


 私は申し訳なくなって、涙がこぼれ落ちるのを止められなくなっていました。いくら拭おうとしてもきりがありませんでした。私は声をあげて泣いていたのですから。


 私は覚えています。初めて本家に来た日のことを。たくさんの能力者がいたはずです。大きな手が私の頭を撫でてくれます。私と同じ力を使えるひとが、こんなにたくさんいたなんて。

 色々なことを教わりました。鍵開けの力と七倉家の歴史、遠い昔のお姫様、おとぎ話の世界と、代々の使い手が遺した宝物。そして、その時代にかならずしも現れるとは限らない本家の能力者たち。

 1年経ち、5年経ち、10年経ち……だんだんと数が減っているとは思いました。私の前にたくさんいたはずの能力者が、わたしの背中の後ろには1人として現れませんでした。ようやく菜摘が現れたのは、手遅れになってからでした。

 私は泣きながら「ごめんなさい」と言いました。菖子さんも、会長様も会長夫人も、社長様も私のことを責めません。でも、私にもっと力があれば、七倉の伝統は途切れなかったかもしれません。


「もう充分すぎるくらいよ。私が子どもの頃は、あなたの半分も能力を使わなかった。たくさんのことを兄が代わりにやってくれた。今のあなたは本家をも凌ぐ力を持っている。菜摘はあなたを越えなければならないのね」

「叔母上、菜摘に越えられますか」

「それはあの子の努力次第」

「それまでは我々がなんとかせねばならんのですな」


 会長様は、はははと大きな声で笑われました。会長様は笑われましたが、世の中は不況でした。七倉グループの企業ですら、このところは業績が芳しくなかったのです。

 能力者がひとりでも多くいれば、七倉家の舵取りはぐっと楽になります。これからは、急に不足した資金を七倉家の財産で埋めることはできません。七倉家をつけ狙う相手に対抗することも難しくなります。いざとなれば能力者が前に立って、家を守ってくれるという安心感があるからこそ、七倉家は揺るぐことがなかったのです。


「向こうでは好きなことをやりなさい。できれば、本家には囚われないでほしい。だが、もしかしたら君も何か問題を抱えることがあるかもしれない。君の行き先は東京本社に近い。お金のことでも、そうでなくても構わない。何か困ったことがあれば必ず本社に相談しなさい。もちろん、本家でもいい。七倉の名のつくものを頼りなさい。必ずね」


 社長様は私の手を取ると、分厚い名刺入れを握らせました。けれども、私はそれが手に付かずに取り落としてしまいました。

 1冊の本のようになったそれが開きます。

 七倉の文字もありましたが、テレビや新聞で見たような名前もあります。政治家、企業家、学者、文化人、芸能関係者……。

 それは、七倉家に深く関係する、ありとあらゆる人脈でした。


「皆、君の力があったからこそ生きてこられた人間だ。使いなさい。遠慮などせずにね」


 私は何度も何度もお礼を言いました。私の能力を正しく評価してくださったのは、いつだって七倉本家の皆さまでした。私の両親も、よく本家のことをお節介だと言ってはいましたが、大金を支払ってまで娘の面倒を見てくださる本家に、感謝していることもあるはずでした。

 特に、七倉の直系である会長様と社長様は、私のことを実の娘のように可愛がってくださいました。菜摘が生まれると、私のことを姉だと思うように何度も繰り返し言い聞かせたのは社長様でした。


 私は菖子さんに連れられて、大廊下を母屋に向かって歩きました。いつからか、十五代の片腕かのように一緒に歩くのが私の役割になっていました。以前よりもゆっくりになった歩調に合わせて、私は菖子さんの後をついていきました。

 縁側に腰掛けて、出されたお茶を飲んでいるおじいさまがいらっしゃいます。

 私は時折その方を見かけることがありました。


「聡さん、待たせたかしら」


 いつものように、とても気安い様子で話が始まります。


「いいや、随分と忙しそうだが私はのんびりさせてもらっているよ」


 司聡一郎さんは菖子さんの古いお友達です。歳は菖子さんのほうが幾つか上だそうですから、どこで知り合ったのかは分かりません。聡一郎さんは近くにお住まいのようですが、あまり頻繁に本家に来られるわけではありませんでした。

 菖子さんは聡一郎さんの隣に腰掛けました。私は家政婦さんを呼ぶと、お茶を頼みました。私はおふたりの後ろに控えて座ります。


「菖子さん、体はいいのか」

「うん、最近はわりといいかしらね」

「それは良かった。そういえば客が来ていたようだが……、ああそうだ、あの子だ」


 聡一郎さんの視線の先には、庭先で会長様に頭を下げている親子がいました。能力者だということは分かります。でも、久良川町に暮らしているひとではないようでした。

 両親らしい大人と一緒にいるのは、すこし目つきのきつい、けれども、とても大人びて綺麗な顔をした女の子でした。このあたりでは見ない中学の制服を着た女の子です。

 本家にわざわざ他家の子供が訪れることは珍しいことでした。それに、本家に来るような子供は、大抵かなり身なりのいい格好をしています。そういう意味で、その女の子の格好はあまりにも普通過ぎました。


「あの子は鷹見京香。鷹見家当主の姪御です。甥の所へ挨拶に来たところです」

「名門ですな。物見の能力でしたか」


 菖子さんは聡一郎さんの機嫌を伺うような視線を送りました。


「……あの子を養子に頂くことになりました。鷹見家はいま、金銭的にかなり苦しいそうなのです。株取引に失敗して。それで、七倉が助けることと交換ということに。縁組先は下の甥の家です。あそこは子供ができませんでしたから」


 それは何度か菖子さんから聞いていたことでした。会長様の歳の離れた従弟の家には子供がいないため、養子を取るという話でした。たしか七倉特別警備の専務取締役です。

 七倉特別警備は文字どおり特殊な会社です。私たち鍵開けの能力者が何百年もかけて経験してきた、鍵やそれに対する人の行動に関する知識を集め、警備業に生かしています。

 どこの鍵を掛けると、人はどのような行動をとるか。

 どのような鍵を使えば、どれだけの時間を稼げるか。

 会社の規模はあまり大きくないのですが、私たちの能力に関わりが強い中核企業、それもいずれ社長職に就くことがほぼ決まっているひとです。七倉家から見てもかなりの厚遇でした。


「養子入りするのはまだ先のことです。今日も甥の所へ挨拶に来るだけ。菜摘にもまだ。菜摘の弟も小さいですからね。でも、いつかあの子が菜摘を連れてあなたに会いにくるかもしれないから、覚えておいてね」


 菖子さんが私に言ったので、私はもちろん「はい」と言いました。

 しかし、聡一郎さんは養子縁組の話にあまりいい顔をしませんでした。


「可愛い女の子ではないですか。さすがにそれは可哀想では……」

「でも、逃せない機会です」

「だがあの子は姪御だと言ったけれど、お金に困っているのは両親ではなく、当主である伯父ではないのですか。あの子の両親はどう考えているのですか。可愛い娘を養子になど出せないと考えているのではないですか」


 菖子さんは何もおっしゃいませんでした。聡一郎さんのおっしゃることが本当なら、私も鷹見家の女の子が可哀想だと思います。両親と引き離されて暮らすなんて、私にはとても考えられません。

 それに、私の時よりもずっと多くのお金を使うはずです。ふつう、特別な能力を持った子供は、いくらお金を積んでも手に入らないのです。無理矢理に親から引き剥がした結果、心が痛めつけられて能力が使えなくなるという悲しい話も聞いたことがありました。

 聡一郎さんが首を振るのも当然だったのかもしれません。


「菖子さん、私は反対だ。いくら金に困っているとはいえ、姪を売るような真似は認められない。たしかに、鷹見の力は値段が付けられないほどの価値がある。だが、本当に値札を付けていいかどうかは別です」


 私は驚きました。七倉家の中で、菖子さんの下した決定に反対できる人はいませんでした。会長様ですら、菖子さんには恐る恐る話を切り出すことしかできません。七倉家の中では、本家の能力者というのはそれほどまでに畏敬の対象でした。かつて、七倉家の女性がへそを曲げた途端に、七倉家が立ちゆかなくなってしまったこともあります。

 それなのに、菖子さんは聡一郎さんを説得させようと懸命なようでした。


「聡さん、鷹見の家も苦しいの。当主は随分と懲りたみたい。もう株には手を出さないと言っているわ。姪を差し出すのだって、身内から相当叩かれて泣く泣く決めたことよ。これなら鷹見は立て直せる」

「しかし、あの子には関係ないことじゃないか。七倉がそれほど欲しがると言うことなら、あの子も相当な素質があるのだろう。だが、せっかくの力も環境が変わればねじ曲がってしまう」

「あの子は能力も一級品だけど、心の強さこそ超一流です。相手の力を見極めることも、それに冷静な判断を下すことも既にできています」

「だがなあ……」


 聡一郎さんはぶつぶつと不安を申されておりましたが、菖子さんが鷹見家の窮状を懇々と説明すると、しぶしぶですが頷かれました。

 菖子さんは小さくお礼を述べてから、聡一郎さんに1枚の紙を差し出しました。その文書は、上質な和紙に毛筆で書かれたものです。それを手渡されると聡一郎さんがまたうなだれました。

 聡一郎さんがご覧になっているのは誓約書でした。その誓約書には、菜摘の成長まで守らなくてはならない約束事が書いてありました。誓約書には6人の名前が書かれ、七倉家の人間は5人が名を連ねています。そして……、不思議なことですが私はその5人の中の1人でした。


 既に私は誓約書に署名を済ませていました。菖子さん、菜摘、会長様、社長様もです。もっとも、菜摘はほとんど内容を理解していませんが……。

 最後のひとりに選ばれていたのが、いまここにいる司聡一郎さんでした。菖子さんが信頼する証人が、このおじいさまだったのです。


「聡さん、どうか署名してください」


 菖子さんは頭を下げて懇願しました。聡一郎さんは気が進まないようでした。


「あの子はまだ小学校にも上がっていないのだろう。後継者指名だなんて早すぎる。いくらなつ姫様の生まれかわりでも……」

「それでも、いつかは七倉を支える子です。今なら、私もまだあの子のことを見ていられます。聡さんも見てくれるのなら、あの子も安心して十六代を継ぐことができます。とにかく、あの子の能力を正しく伸ばしてあげなければ……」

「私は能力が使えるわけじゃない。そりゃ、昔よりは多少菖子さんのことも分かるようになったつもりだが、やっぱり能力者のは手の届かない存在だよ。お嬢様のことを私が約束するのは簡単だが、私には何もできないんだから」

「分かっています。でも、聡さんは昔からそう言ってなんでも解決してくれたわ」

「私だってもう歳だよ。菖子さんよりも先にくたばるのかもしれないのに」

「そんなことはないのでしょう?」


 聡一郎さんは、白髪の多い髪を掻きました。

 幾度も頭を垂れてから、絞り出すような声でおっしゃりました。


「……分かった。菖子さんがそれで安心するのなら。その代わり、体をしっかりと治すんだよ。どんなに周囲が支えたところで、あのお嬢様にはそもそも荷が重すぎるんだから」


 菖子さんは安心したように大きく息を吐きました。


「聡さん、どうかくれぐれも菜摘のことをお願いします。どうか七倉の家を。どうか……」

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