59, 七倉家の秘密
その日から、七倉家の親族会議の席がひとつ増えました。
親族会議というのは、本家の座敷で不定期に行われるふたつの最高会議です。
ひとつはもちろん本家の近くで起こった様々な出来事に関する会議で、七倉グループの取締役会のことを指しました。会長夫人や社長夫人――菜摘のお母様はこちらに出席されることが多いです。この会議は私とは関係ありません。
それとは別に、七倉家を支えるもうひとつの親族会議がありました。私たち七倉の力をもつ女性と、七倉家の主立った男性方が参加する親族会議です。この会議には私も座席があって、発言権もありました。
とても古くさい話ではありますが、親族会議では席次があります。
男性方の座席はグループ内での地位の順番に従います。基本的には本家の会長様、社長様、叔父様や大叔父様などが席に着きました。
女性方の座席では、能力の強さの順番に従って座席が決められました。もっとも、かつては本家との血の繋がりの強さも考慮されたようです。しかし、菖子さんが決まりを改めて、今ではほぼ完全な実力主義に変わっていました。
私はこの親族会議の席で、菖子さんを除けば1番の席次でした。小学校の5年生くらいまでは一桁前半の順番でしたが、中学に進学する頃にはもう私の席次は固定されていました。
もちろん、私はこの親族会議の参加者のなかでも最も遠い親戚でしたから、反対が無かったわけではありません。ですが、菖子さんは反対意見を全て封殺したのです。それは七倉家の能力者が少なくなっているという事情を示していました。
ところで、菜摘は親族会議ではいつも私の隣に座っています。実力主義になったとはいえ、菜摘は血統から言えば菖子さんの隣に座るべきですし、実力的には下座のほうからスタートするべきなのですが、これにはきちんとした理由があります。また、それこそがこの親族会議が存在する理由でもあり、鍵開けの能力者が必要な理由でもあるのですが。
私たちの鍵開けの能力が絶対必要な理由。
それは、私たちの祖先が蓄えてきた莫大な財産を、盗賊や詐欺師の手から守り、時の権力者の気まぐれによって没収されたり、課税されたりしないようにするということでした。
たとえば、戦争の前後に財産が没収されそうになるということは、どこの名家でも経験していることです。それで没落した家は、歴史を紐解けば数え切れないほどありました。
しかし、七倉家は他の家と同じように、現金や有価証券、その他さまざまな書類の全てを銀行の金庫で保管していません。実は、本家や別邸のさまざまな倉、市内の山中や海の向こう側の島などに分けて、財産を保管してあるのです。その中には、決して表に出せないような隠し財産もありました。
それらは絶対に見つからないような――たとえ見つかったとしても、隠し場所そのものを物理的に破壊しなければ開けられないほどの、強固なセキュリティによって守られています。
鍵開けの能力を持たなければ決して開けられないほど複雑な鍵、絡み合った錠前、天文学的数字を掛け合わせたほどのパターンがある電子鍵、常人ならば気が狂うような頻度で更新される暗号などです。
もちろん、隠してある財産が必要になるときもあります。七倉家の中で緊急に10億円が必要になれば、鍵を開いて10億円を融通し、不要になればまた元に戻します。どこからともなく沸き上がってくる絶大な財力は、時の権力者から見れば不正な蓄財のように見えたのでしょう。本当は、何百年も前に税を支払い、何百年もの時を経て価値が上がったものばかりです。
もっとも、ふつうの方にはそのようなことを説明しても通じないどころか、適当な理由をでっち上げて取り上げられるだけです。そういうわけですから、無用の混乱を招くような証拠品も全て鍵の掛かった扉の向こうに隠されました。
親族会議の席次が高い人間ほど、多くの鍵を開けられました。多くの鍵というのは、より複雑な鍵を開けられるということもありますが、集中力を要する能力を長い時間発揮できるということでもあります。
席次1番の私は、このとき既に全ての鍵を開けられる水準に達していました。菜摘はまだ開けられない鍵もありますが、いずれ全ての鍵を知り、開けられるようになるでしょう。おそらく、七倉家がそうして色々なものを鍵の奥に隠しておくことも理解してゆくはずです。だからこそ席次2番に座っています。
3番以降には、長年にわたって、七倉家の財産を守りとおしたおばあさま方が座っていらっしゃいました。
七倉家から色々な理由をつけてお金を搾り取ろうとする人間は、それこそ数限りなくいました。ですが、もし屋敷中の財産を吐き出したとしても、まだ七倉家には何百年も前から積み立てている金や銀が山のように残っています。
これらは全て七倉家の秘密です。
話を菜摘のことに戻しましょう。
菜摘は利発で、お嬢様ということを意識して躾けられていることもあって、非常に礼儀正しい子です。ただ、苦労知らずの育ちで、すこし子供っぽいところが目につくこともあります。良く言えば情緒豊かですが、悪く言うと冷静さを欠きます。
もっとも、まだ小学校にも上がっていない小さな子をつかまえて、こんなことを言うのも変な話ですね。大人しい子供もいますが、小さな子はみんな多かれ少なかれこういう性格です。それに、直情的な性格は決して悪いことではなく、むしろ七倉家の誰もが喜んでいることです。
七倉の儀式から1年、2年と経つにつれて菜摘の力は強くなっていきました。ただ、私が同じ年の頃には菜摘よりも強い力を持っていましたから、それはすこし意外でした。
けれども、菜摘がはじめて能力を使ったときの、あの空気を震わせるような強い力だけは、いまの私にもできないことでした。
ひょっとしたら、菜摘はまだ力を使いこなせていないだけで、生まれ持った素質だけでもう私を上回っているのかもしれません。それは私にとって悔しいことでもありましたが、それよりもずっと強く、菜摘へのいとおしい気持ちが芽生えていました。
私は中学を卒業し、高校1年生になりました。菜摘は数え7歳で、七五三のお祝いを終えた秋の頃でした。
この頃、菖子さんはよく体調を崩されています。特に、この夏は暑さから体調を崩す日が多かったのです。もともと体力のある方でしたから秋になるといくらか健康を取り戻しましたが、相変わらず不安定な日が続いていました。
菖子さんは嫁ぎ先の古宮家からいらしていましたが、その行き来の回数も減らされました。菖子さんの子どもが入院させるか、七倉本家で静養するかで大問題になりましたが、とりあえず本家におられることになりました。
秋が深まるにつれて、菖子さんの能力は目に見えて衰えはじめました。はじめに気づいたのは私です。菜摘はまだ自分の能力を使いこなすことで精一杯な時期でした。
速やかに箝口令が敷かれ、その事実はごく一部の親類以外には伏せられました。事実を知っているのは、菖子さんの甥であり菜摘の祖父である会長様、菜摘の父親である社長様、それと席次が高く、長いこと菖子さんを支えてきたわずかな能力者だけでした。
菜摘の七五三を待って、緊急の親族会議が開かれました。
主立った親族がすべて集められました。襖が取り払われ、座敷を広く使います。座布団を敷き、大机を十も使いました。
机には、席次を示す和紙が置かれています。
私は迷いましたが「首座・分家筆頭」に座りました。菖子さんは床の間を背にして「十五代」の席に座り、その隣が私、私の隣には「第二席・十六代」と書かれていました。菜摘です。
私と菜摘の目の前に「本家当主・会長」と「会長夫人」が座られたので、菜摘はとても喜びました。菜摘のご両親はその隣の「本家跡目・社長」「社長夫人」に。それから、旧七倉銀行系、市会議員ならびに県会議員、七倉特別警備、七倉重工、七倉不動産といった順序で、七倉グループの重役を占める親戚が並びました。その後列を分家が固めます。
冒頭、私がいつものように大人しく話を聞くつもりでいますと、菖子さんに発言を促されました。
「楓ちゃん、あなたは結婚できる年齢になったのだから、もう大人なの。言いたいことは遠慮せずに言っていいのよ」
私は目をまるくしました。たしかに私はこの秋16歳になっていて、法律上で結婚できる年齢にはなっていましたが、私には結婚どころか恋愛の経験すらありませんでした。でも、これまで遠縁の親戚である私のことを厳しく接してきた方々からも、私のことを頼みにしているような視線で見つめられました。
それも当然だったのかもしれません。
菖子さんがこれまでの力を発揮できなくなる前から、序列上位は70代、80代の女性で占められていました。一族の功労者でもあるおばあさま方は、能力自体は強いものを使うことができましたが、体力的な限界がありました。第二席に座った菜摘は、元気いっぱいでしたが経験では大きく劣ります。序列下位に私よりもいくらか年上の女性がいらっしゃいましたが、とても七倉家の全てを任せるわけにはいきませんでした。
いま、七倉家でまともに能力を使いこなせるのは、私ただひとりになっていました。
私は愕然とします。
七倉家はまぎれもなく名門です。私のような遠縁にでも、本家は援助を惜しみませんでした。今でも、私の口座には謝礼金の名目でお金が振り込み続けられていました。私は何度も菖子さんに「もういいです。充分です」と言いましたが、菖子さんは決して援助を止めることはありませんでした。
それも七倉の能力者がもう残り少ないからです。
七倉家の歴史が途絶えてしまうと私は思いました。こんなに大切な時期なのに、菖子さんがいなくなる。それに、私も……。
会議は重苦しい雰囲気になっていました。菖子さんは血色の良い顔をしていましたが、冒頭、このようにおっしゃられました。
「私の力が衰えたとはいえ、七倉の力を使ってよからぬことを考えることのないよう」
菖子さんはじろりと七倉家の皆に睨みを利かせました。菖子さんは歴代の本家の能力者としては、強力な使い手ではないと公言していました。しかし、本家を率いる才能に関しては、いにしえの能力者にも勝ると言われていました。
衰えが見えているとはいえ、序列下位の能力者たちにとっては手も足も出ないほどの能力を持ったままです。それに、序列上位のおばあさま方が七倉の能力者として恥じるべき行いに手を染めるわけがありません。私たちは沈黙をもって菖子さんの言いつけを今後も守ることを約束しました。
すると、にわかに菖子さんは厳しい表情を消しました。屋敷の中は静けさに包まれました。菜摘は何も分からず私のからだをつついてきましたが、私は何も返さずに菖子さんの言葉を待ちました。
私は、この時のことをきっと生涯忘れないと思います。
「本日をもって、第十六代後継者に菜摘を指名します」
あちらこちらで、親戚のかたがたの驚くような声が聞こえました。いつかは指名すると思っていました。それが今日だったということです。
菖子さんは続けておっしゃりました。
「――ただし、第十六代後継者菜摘は幼少であるため以下の者を後見とします。十五代菖子、首座楓、」
「は、はいっ」
私は慌てて返事をしました。突然だったからです。前もって打診などありませんでしたし、想像もしていなかったからです。たしかに菜摘のことは生まれたときから面倒を見てきました。でも遠縁で、まだ16歳の私が菜摘の後見人になるなんて、思ってもみないことでした。
「……本家当主・守安、本家跡目・和守、および、証人として十五代菖子が信頼する人物をひとり付けます。異議のある者は」
また座敷は静まり返っていました。私のことに異議を申し立ててほしいように思いました。でも、菖子さんが決めたことは七倉家の中では絶対でした。会長様や社長様が何か言い出さなければ、まず誰かが発言することなんてありません。
「七倉楓」
「はい」
皆の視線が私に集中しました。
「これから先、菜摘が充分に成長するまで、七倉家の誰かが能力を誤って用いたら、あなたが裁き、正しなさい。もちろん、誤っているのが菜摘であってもね」
私は驚きました。たしかに、七倉家のなかでは能力者がその能力の使い方を誤ったときに、ブレーキを掛け、罰を与える役目がありました。強力な能力者が役目に就くだけで、それは大きな抑止力になります。ずっと菖子さんが担ってきた役目でした。その役目を私に譲るということは、名目はともかく、実際上は私が七倉家の頂点に立つことになります。
「私が、そんな」
「楓ちゃんしかいないのよ」
菖子さんはにっこり微笑みました。小さい頃から、ずっと見てきた笑顔でした。私に能力を教えてくださるとき、菖子さんは厳しい表情をすることもありましたが、最後はかならず笑顔で褒めてくださいました。
もう私には分かっています。菖子さんの能力は私よりも弱くて、他の能力者を抑えつける圧倒的な力はありませんでした。
私なら、この座敷にいる全ての能力者を圧倒する自信はありました。誰かが力を使えば、すぐにそれを察知することができます。そのための力の使い方を教えてくださったのが、菖子さんでした。
私は胸がいっぱいになりました。もう断ることはできません。
「謹んでお受けいたします」
私は頭を下げ、菖子さんの言うとおりに引き受けることにしました。会長様も社長様も喜んでくださいました。今さらですが、私はこの本家を訪ねるようになってから10年以上になることを思い出しました。