57, 相坂しとらの好敵手
七倉さんの姿は、すぐにイルミネーションと人混みの向こうに消えてしまった。夏の日は長くて、まだ海の向こうの遙か遠くに夕焼けの後ろ姿が見えていた。
僕は七倉さんのことが気になったけれども、携帯電話を持っているから追いかけられないわけじゃない。ただ、その前にまずは何が起こったのかを把握しないといけなかったんだ。
「七倉さんはどうしていきなりあんなに怒ったの?」
「怒った……そうですね、そう言わなければならないのでしょう。七倉菜摘はずっと気にしていてはいたのです。たとえば、オバケ屋敷に七倉菜摘がいなかったタイミングがあったはずです。あのとき、七倉菜摘が聡太のお友達に能力のことを気づかせようとしていたのです」
「えっ、七倉さん、そんなことしていたの?」
そういえば、途中で七倉さんがいなくなった時があった。もちろん何の断りもなくいなくなったわけじゃないし、すぐに戻ってきたから気に留める必要もないようなことだったんだけど……。
「七倉菜摘はとても強い力の持ち主です。由緒のある家柄で、幼い頃から能力を磨いている。それでも、わたしの力の使い方は分かっていなかったのですよ。もし七倉菜摘がわたしのやることを気に入らないのなら、途中でいつでも話をしなければならなかった。終わってから話をしたということは、七倉菜摘は分かっていなかったという証拠にほかならないのですよ」
たしかに、それは七倉さんが相坂さんの行動を把握できていなかったということになる。さっき、七倉さんは途中までふつうに笑っていたのに、相坂さんが自分の行動を説明すると、それで初めて気づいたような態度を取った。
もちろん、七倉さんのとった態度がおかしいわけではないけれど、もし心を操ってしまうような能力を止めたいと思うのなら、七倉さんはもっと早く相坂さんを止めれば良かったということになる。
「七倉菜摘はわたしの行動が読めないことで、自分に対して苛立っていたのです」
「七倉さんにも、分からないことがある……」
相坂さんは小さく頷いた。どこか申し訳なさそうな頷き方だった。
「本当は今日みたいに楽しい日にはっきりさせなくても良かったのです。でも、今日はたくさん力を使いましたから、言わなければならなかったのでしょうね。菜摘は悲しかったのではないのですよ。だから追いかけなくても大丈夫なのです」
「うん……、そうなのかもしれない」
七倉さんが相坂さんの能力のことを聞いたとき、それは単純に興味があったからだと思う。それに対する七倉さんへの答えが、相坂さんよりも七倉さんのほうが能力が弱いから――まだ僕には信じられないけれど――ということだったから、七倉さんはショックを受けてしまった。
僕はようやく状況を飲み込むことができた。ただ、僕の知らないことがいくつもあることもまた、変わらない事実だった。
相坂さんはさっきまで乗っていた観覧車を見上げた。その円形は中心から放射状に虹色に輝いていた。その光は僕たちを照らし出している。光をたたえた相坂さんの目が、僕を上目遣いに見上げた。
「聡太、もういちど観覧車に乗ってはもらえませんか。今日の聡太は七倉菜摘とばかり喋っていました。ファミレスでは七倉菜摘とふたりで食事を取っていましたし、聡太のお友達のことはわたしに任せきりで、聡太が無視されるから菜摘とばかり話をして、遊んでいました。それはほかに方法がなかったので当然なのですが、せっかく遊びに来たのですから、もうすこしだけ聡太と話をしていたいです」
「僕は相坂さんの能力について教えてほしいんだけど――」
相坂さんは目を細めて笑った。とても嬉しそうに見えたのは、相坂さんみたいな能力者は自分の能力について話すときが、いちばん楽しいからだった。
「それはわたしも歓迎だと言わなければならないです」
「うん――。でも、観覧車でいいの?」
「いいです。乗りましょう、聡太」
待ち時間はなかった。相坂さんは僕の背中を押すようにしてゴンドラに乗り込んだ。すると、僕が腰掛けた席のすぐ隣に、相坂さんは小さな体を滑り込ませた。
シトラスの香りがする。僕は途端に緊張したけれど、相坂さんはなんでもないように座ったまま脚をぱたぱたと動かした。なんだかちょっと子供っぽい。
2回目だというのに、相坂さんは初めて観覧車に乗った子供みたいに楽しそうだった。1回目は能力をつかうことに集中していたせいかもしれない。相坂さんは町の中心部の、高層ビルや、幾筋も通る鉄道の線路や、渋滞していて列が途切れない高速道路の白や赤のライトを見ていた。
僕も同じように景色を見た。だんだんと地上から聞こえる声が小さくなって、観覧車の駆動だけが聞こえるようになった。
「きれいな街です。わたしはこの街が好きだと言わざるをえないです」
相坂さんは僕のほうに身を乗り出した。僕はびっくりして、慌てて相坂さんに触れないように体を引っ込める。相坂さんは僕の顔の横に、体ごと乗り出して、外を指さした。
「遠くて見えませんが、あの暗くなっている山の向こうが高校のある久良川東町ですよ。久良川本町はもう少し左側です。聡太のお祖父様の家は……それよりはもうちょっと奥ですね」
僕は相坂さんの言われたとおりの場所を見た。相坂さんの言うとおり、まぶしいくらいの街の明かりのなかで、暗がりになっている山がいくつかあって、その山のふたつ向こう側が久良川町だった。
「久良川町は七倉のお膝元です。その頂点に立つのが七倉菜摘……」
「うん」
「でも、七倉菜摘の能力はまだまだです」
相坂さんは元のように、僕の隣の座席にちょこんと座った体勢で、今度はまっすぐに僕を見つめてきた。ただ、相坂さんは深刻な話をするような態度ではなかった。
「七倉菜摘が間違ったことを言っているわけではありません。でも、正しいことを言っているわけでもありません。菜摘の能力はまだそこまで強力ではないのです。だから、わたしのような力の使い方は、あまり理解できないのに違いないのです」
「七倉さんの能力と相坂さんの能力では、種類がぜんぜん違うことは知ってるけど……」
「聡太は、七倉菜摘が能力について何もかもを知っていると思いますか?」
僕は首を横に振った。七倉さんは能力者についてかなり詳しいほうだとは思うけれど、七倉さんですら能力者と出会うのは簡単ではなかった。倉橋先輩みたいに七倉家とのつきあいが長い家ならともかく、能力者も僕たちと変わらない日常を送っていた。
相坂さんは続けた。
「ではもうひとつ質問です。わたしと七倉菜摘の能力は、どっちが強いと思いますか?」
僕は答えられなかった。でも、もう答えは分かっていた。これまで僕が出会った能力者のなかでも、相坂さんの能力が圧倒的に強力だということは分かっていたんだ。
相坂さんも、とても自然なやさしい口調で宣言してくれた。
「わたしですよ、聡太。わたしは七倉菜摘には負けません。たしかに、七倉菜摘は天才だと言わなければなりません。わたしも、同じくらいの年齢で菜摘ほど強い異能の使い手とは会ったことがありません。でも今はまだ、わたしと菜摘では勝ち負けにもなりません。わたしのほうがはっきり上です」
初めてだったような気がする。僕は今はっきりと、異能の力をもつひとが、どちらの能力のほうが上かという話をするのを耳にした。
でも、それは僕にも考えられない話ではなかった。僕には使えない不思議な能力を持っているふたりが、僕のような凡人が気がつかないどこかで、その能力を戦わせているなんてことがあるかもしれなかった。はじめて相坂さんの能力を見たときには、その力で他人を傷つけることができるかもしれないと思ったこともある。
けれども、今までふたつの能力がぶつかり合うなんて場面を僕が目にすることはなかった。特に、七倉さんの鍵開けの能力が、ほかの能力者と競い合うことに使えるとは思えなかった。
それなのに、相坂さんは自分のほうがはっきり上だと言った。それはとても不思議な能力者同士の戦いで、僕がまるで知らない世界の話だったんだ。
こんなとき、僕は相坂さんの話を聞くことしかできない。七倉さんが駆け出してしまったことは気になるけれど、僕から見れば七倉さんが駆け出してしまったこと自体が不思議だった。
相坂さんの使った能力は、双嶋くんの心を操作してしまうかもしれない。それはそうだと思う。でも、相坂さんはそれが七倉さんの力が足りないから誤解しているんだと反論した。ちょっとだけ言い方はキツかったかもしれないけれど、七倉さんなら自分の能力が弱いことを認めて、受け止めると思ったんだ。
だから僕は相坂さんの話を聞いた。七倉さんと同じで、相坂さんの話はいつも僕にとって興味を惹くことばかりだ。
ふたりは、僕の知らない世界を生きている。
そして、相坂さんはいつだって静かに、それこそこの世界の住人じゃないみたいに透き通った瞳で僕のことを見つめてくる。ちょっとだけツリ目で、僕に何か言うべきときにはいつだって上目遣いのこの目をする。
「――相坂さんが七倉さんにあんなにはっきりとものを言ったのはどうしてなの?」
「聡太に誤解されたくなかったからです。心を操作するなんて言われたら、誰だって誤解するのに違いないのです」
相坂さんの答えに、僕ははっとしたんだ。
なぜなら、僕はいつの間にか相坂さんが心を操作するような能力を使うなんて考えてもいなかったんだ。相坂さんの不思議な能力の影響で、相坂さん以外の周りの物事が見えなくなっていた双嶋くんから、その想いを無くすように命令する……。
僕はそれをちっとも危険なものとは考えていなかった。相坂さんの能力の使い方を、実はすっかり受け入れていたんだ。
相坂さんは僕の顔を見てどう思ったんだろう。相坂さんは首を傾げていたけれど、僕が何も答えていないのにみるみるうちに笑顔になっていった。
「聡太はわたしが思っていたよりもずっとわたしの能力のことを分かっていました!」
目の前で喜んだり感心したりしている相坂さんを前に、僕はどう反応していいのか困ってしまうくらいだった。僕は少しも相坂さんのことを疑うなんて気を回していなかっただけなんだ。
でも、相坂さんはさっきまでよりもずっと上機嫌になった。
「わたしにとって、今の七倉菜摘はまだまだだと言わざるをえないですよ。たとえば、以前、御子神叶の能力のせいで聡太が菜摘を認識できなくなってしまったことがありました。あのとき、七倉菜摘は聡太の異変に気がつくことはできましたが、それ以上、何もすることができませんでした」
あのとき僕に御子神さんの能力のことを教えてくれたのは、七倉さんではなくて相坂さんだった。思い出すと、相坂さんはときどきそうして七倉さんのことを助けていた。僕が相坂さんのほうが能力を使いこなしているかもしれないと思ったのは、相坂さんがそうした不慮の事態に強くて、しかもとても冷静だからだった。
「たしかに、御子神叶の能力も強い部類です。力の使い方も、とてもセンスがあると思います。でも、わたしや七倉菜摘と御子神叶は、そもそも能力の質が違います。御子神叶はたぶん能力がなくても生きていけるのです。鍵掛けのような特殊な能力は、使えなくても生活には何の支障もありません。そして、足が速かったり、数学が得意だったりするのは能力に依存していません。あれは、広い意味での御子神叶の才能です」
「でも、相坂さんの能力も相坂さんが可愛いからこそ成り立っているんだよね?」
相坂さんは「聡太がそう言ってくれるのは嬉しいのですが」と前置きしてから続けた。
「もしわたしに能力がなければ、生き方のすべてを変えなければなりません。七倉菜摘も本家の長女としての生き方をしなくても良くなるでしょう。たとえ能力がなくてもやっていける御子神叶との違いは大きいです。だから、いくら相性が悪いといっても、七倉菜摘は御子神叶に敵わないわけがないのです。
それなのに、菜摘には手が出せなくて、わたしは干渉することができた。御子神叶の能力の正体は知りませんでしたけれどね。けれども、それがわたしと菜摘の差です。相性が悪いことを差し引いても、本来なら菜摘は、御子神叶の能力くらいは難なく御せるようにならなくてはいけないのですよ」
「それで、七倉さんが言ったことは間違っているって、あんなにはっきり言ったんだ」
「聡太が分かっているのなら、言わなくてもよかったです」
「ううん、それなら七倉さんも分かっていると思う」
僕は確信する。七倉さんは相坂さんには勝てないかもしれないけれど、きっと七倉さんは相坂さんがどうしてあんな言い方をしたのか気がつくはずだと。そして、相坂さんもそれが分かっているからそうしたんだと思った。
「でも、相坂さんと七倉さんの間に、そんなに大きな実力差があるなんて思わなかった」
「わたしの能力は、これから最も強くなる時期を迎えるのですよ。それに対して、七倉菜摘の能力が強くなるのはずっと先のことなのです。わたしの能力は、聡太が知っているように男性に対して発動するものです。だから、わたしが大切なひとを見つければ衰えていきます。いずれは能力が使えなくなる日がくるのです。
でも、わたしが能力を使えなくなってからも、菜摘の力は強くなって七倉家を支えるのでしょう。その頃には、おそらく久良川はおろか、日本中を捜しても並ぶもののない強力な能力者になっているに違いないのです」
相坂さんは、それが当然かのように話をした。それは決して簡単な話じゃなかった。いま使えている能力が使えなくなるなんて……。
でも、相坂さんは僕にちっとも暗い顔を見せずに言ったんだ。
「けれども、それはまだ何十年も先のことですよ、聡太!」
「まだ当分、七倉さんは相坂さんにぜんぜん敵わないってこと?」
「そういうことです! わたしには鍵を開けることはできませんし、菜摘のように能力者に関するネットワークを持っているわけでもありませんけどねっ。でも、それ以外で菜摘にできることは――わたしにもできるつもりなのです。
まあ、こんなふうに張り合ってしまうのは、ライバルだ……と認めているからなんですよ。べつに、七倉菜摘が嫌いだというわけではありません。はじめて菜摘を見たときは、七倉家の権威の大きさに実力が追いついていないとも思いましたが……、でも、菜摘には相当な才能があるうえに、自分の能力を磨こうと頑張ってはいるのです。ただそれでも、わたしには敵わないのですよっ」
ゴンドラは地上近くまで降りてきていた。あれほど綺麗だった都心の景色は、遊園地のイルミネーションの向こう側に消えてしまった。僕と相坂さんはすこし名残惜しい気分になりながら、遊園地を出た。
僕は久良川まで相坂さんを送っていくつもりだったけれど、相坂さんはバスの時間を調べてから海側の路線を通って変えると言った。なんとなく、それは七倉さんに顔を合わせないための言い訳に聞こえたけれど、僕は敢えて止めなかった。
「聡太、ありがとうございます。聡太のお友達のことは、申し訳ないとは思っています。でも、たぶんもうわたしのことで何か言ってくることはないはずです。それから、七倉菜摘のことは……もし落ち込んでいてわたしのことを怒っていたら謝ってください。お願いします」
「でも、七倉さんがそんなふうに思っていたら、相坂さんは七倉さんのことをライバルだと思わなくなるんじゃないかな」
別れ際、相坂さんはにーっと歯を見せて笑った。
観覧車の上では時間がとてもゆっくりに感じたけれど、七倉さんと別れてから20分も経っていなかった。七倉さんが取り乱したとしても、そろそろ落ち着いているだろうと思った。
僕は携帯電話を取り出すと、七倉さんの番号を捜した。コールを待っているだけでもとても緊張する。10コールの前に出た。
「もしもし、七倉さん?」
「こんばんは、夜遅くまで遊ばれるとは司様もご油断のならないお人で」
「冗談はいいですっ。なんで七倉さんのケータイに掛けたのに京香さんが出るんですか!」
受話器から聞こえてきたのは、なぜか七倉さんの声ではなかった。電話を取っていたのは、七倉さんの親戚でいつも七倉さんの警護をしている京香さんだった。
「もともと、お嬢様の携帯電話番号には特殊な設定がされているのです。特定の番号以外から掛かってきた電話には受付担当が取ります。司様の電話番号はお嬢様よりお聞きしておりましたが、独断と偏見で私がお受け取りいたしました」
「なにやってるんですか、七倉さんに怒られますよ!」
「お嬢様を泣かせるような方からの電話でしたら、私が取っても構わないでしょう」
「誤解ですっ!」
僕は力一杯否定した。これは僕にだってやましいことがあるわけじゃない。
「冗談です。しかし、だいたいの事情はお察しいたしました。お嬢様の能力のことでひどく恥ずかしい思いをされたようですね」
「見ているんですか」
京香さんは遠くからでも七倉さんのことを見守ることができる能力者だった。それが意味していることは、七倉さんの周囲にいる僕たちの行動も見ることができるということだった。つまり、僕たちが今日やっていたことは京香さんに筒抜けだったかも知れないんだ。
「いえ、ご安心ください。そんなにはっきりとは見ておりません。お嬢様も楽しんでおいででしたから今日は心配要らないと思っておりました。でも……そうですね、いつも魔法の杖に乗ってくる魔法少女が、徒歩でいたら気づくものです」
「なんだか分かるようで分からない喩えですけど」
「自信を無くされていた、ということですよ。そういうことは滅多にありませんから、すぐに気がつきました。昔、聡一郎様にお会いしたときも、お嬢様はあんなふうに自信の無さそうな様子でいらっしゃいました。最近はそんなことはありませんでしたから忘れておりましたが」
相坂さんが相手ならともかく、僕の祖父に会うだけでどうしてそんなに自信をなくすことになるのか僕には分からなかった。僕の祖父は何の能力も使えなかったはずなんだけど。
それよりも、僕は半ば興味本位で京香さんに聞いた。
「京香さんは相坂さんのことを知っているんですか?」
「ええ、存じ上げております」
「じゃあ、京香さんと相坂さんとでは、どっちのほうが能力が強いんですか」
一瞬だけ、間が開いたような気がした。
「……相坂しとらさんのほうが上です。私ならば絶対に敵に回したくない相手です」
僕は京香さんの言葉に驚きながら、すぐに結論を出すようなことはしなかった。
「あの、年齢差は考慮しなくてもいいです」
「いえ……、単純に実力差で相坂さんのほうが上です」
僕は息をのんだ。京香さんにも聞こえたのかもしれない。
「司様は相坂さんと親しくされておられるので分からないでしょうが、本来、彼女ほどの能力者とつきあえるのは限られた方だけなのです。事実、相坂しとらさんは他の能力者と一緒にいることもほとんどないでしょう」
それは僕も分かっていた。僕が今まで出会った能力者は何人もいて、そのうちの何人かは相坂さんとも関わっている。
けれども、相坂さんと直接的に話をしたことがある女の子は……ひとりもいなかった。御子神さんの事件のとき、御子神さんは相坂さんのことを知っていたけれど、相坂さんは御子神さんと直接面と向かったことはなかった。
ほかの女の子が引き起こした事件でも同じ。相坂さんは僕を助けてくれるけれど、ほかの能力者が出てくる頃には、それを避けてしまう。
「いや……、相坂さんは分かっているんだ。能力者と関わり合いになる予感が」
京香さんは付け加えた。
「超一流の能力者というのは、そういうものなのですよ。お嬢様はまだそこまでの実力をお持ちではありません。異能の力について全てを理解しているわけでもありません。たしかに、今は実力的に二枚も三枚も上手な相坂しとらさんに、軽くあしらわれてしまうのが現実でしょう。いえ……、もしかするとお嬢様にとって生涯越えられないほどの壁になるかもしれませんね。
それでも、お嬢様の成長はこれからなのです。お嬢様はまだ才能の底をお見せになったわけではありません。紛れもなく七倉を支えるほどの実力と才能をお持ちです。相坂しとらさんがお嬢様のことをお認めになるのも、その才能を買ってのことなのです」
相坂さんは、自分の能力が弱まるまで七倉さんに負ける気はないと言っていた。それは相坂さんの自信でもあるし、能力者としてのプライドでもあった。なんだかとても不思議な、能力者同士のやりとり――僕はそれに戦慄した。
京香さんは僕の返事を待たずに、言葉を繋いだ。
「司様も、お嬢様が不安に思っていらっしゃるときには、どうか励まされますよう。では少々お待ちください。お嬢様に電話をまわしますので」
無音はほんの一瞬だった。
次の瞬間には、七倉さんの心地よい声が聞こえてきた。
「こっ、こんばんは。すみません、せっかく司くんが誘ってくださったのに、勝手に帰ってしまって。今は車です。私、本当は司くんに言うべきことがあったんです。でも私、どうしても恥ずかしくて……」
七倉さんは本当にそれを失態だと考えているみたいだった。たしかに、相坂さんが双嶋くんに使った能力を批判したことは、七倉さんが相坂さんの能力の正体が分からないからこそしてしまったことだった。
そう、七倉さんは分からなかったんだ。それでも、分からないことが悪いわけじゃない。七倉さんがときどき直感みたいなものを働かせて、相手が能力者なのかどうか、誰かが能力を使ったかどうかなんてことを僕に教えてくれていた。
だから、僕は七倉さんの実力が不足しているなんてちっとも思っていなかった。
けれども、七倉さんは自分自身の力不足を痛感していて、それを僕に告白した。
「私は、相坂さん――相坂しとらさんには勝てません。相坂さんはお母さまから能力と精神を受け継いできた本物の使い手です。今では少なくなった、本物の強き力を受け継ぐ、孤高で気高い、たったひとりの能力者の末裔です。相坂さんの前では七倉本家の長女だなんて――16代目の能力者――なつさまの生まれかわりだなんて――無意味です。恥ずかしいだけです」
僕は何か七倉さんに言おうと思っていたけれど、何か言う前に七倉さんが続けた。
「私、司くんにも謝らないといけないことがあります。覚えていらっしゃいますか。相坂しとらさんの能力について、はじめわたしは相坂さんの能力が人を殺めるものなのか、と司くんにお聞きいたしました。もちろん、本気で相坂さんのことを疑っていたわけではありません。でも、要するに私には正確に測れなかったんです。相坂さんが、どれほど強い能力者なのか……」
「僕は七倉さんのことを責めたりなんてしないよ!」
耐えきれなくなって、僕は思わず受話器に叫んだ。七倉さんの声はか細くて、泣き出してしまいそうに思えたんだ。
僕の言葉を七倉さんはどう感じたんだろう。ただ、すこしだけ声に元気が戻ったことだけは僕にも分かった。
「でも、私も相坂さんに負けません。きっといつか、相坂さんにも勝るような使い手になります。司くんにも認められるような――」
「うん、相坂さんもきっとそのほうがいいと思っているよ」
「いえ……でも、今日は楽しかったです。ただ、わたしの恥ずかしいところをお見せいたしたことが、すこし残念です」
電話口の向こうで七倉さんの笑い声が聞こえた。僕はそれでやっと安心することができた。僕は駅まで歩いてきていて、時刻表をなぞっていた。そろそろ次の地下鉄が来てしまう。僕は七倉さんにお礼を言って電話を切ろうとした。
「七倉さん、今日はありがとう」
「はい。……聡太くん、おやすみなさい」
電話が切れて、久良川行きの電車が滑り込んできた。