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僕は祖父の後継者に選ばれました。  作者: きのしたえいと
11, 相坂しとらの至上命令
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55, 相坂しとらの至上命令

 夢みたいだった。

 相坂さんは僕が計画したデートプランを思い切り楽しんでくれていた。はっきり言って、この遊園地はそう特別なアトラクションがあるわけじゃないし、高校生になった僕たちには面白くないかもしれないと思っていた。

 それなのに、相坂さんはまるで子供みたいにはしゃいでいた。もっとも、はしゃぎすぎて僕の計画とはぜんぜん違うコースを辿ってしまった。


「では、最初から飛ばしていきましょう。ジェットコースターです」


 相坂さんが命令するかのような提案を、僕は拒否することはできないし、したくもなかった。

 コースターは4人掛けで、前から順番に4人ずつ詰めて乗車させられるところだった。けれども、前の列の席がひとつだけ開きそうになって、危うく前の列に詰めさせられるところだったんだ。当然だけど、僕はそんなことはイヤだった。すると、相坂さんは案内係の女性に、あの気の強そうな目つきで言ってくれたんだ。


「ここから3人ですから」


 それはちょっとした我が侭といっていいような行動だったけれど、たぶんよくあることだったんだろう。それに、混雑の少ない平日のことだったから、僕たちの要求は案外すんなりと通った。

 奥から僕、相坂さん、七倉さんの順番で席に着くと、その後からもうひとり詰めて入ってきた。それから、シートの安全バーが降りてきた。

 すると、ちょっと古めかしい駆動音を轟かせて、コースターが動き始めた。最初はお決まりの上り坂。その途中、相坂さんがちらりとこちらを見て聞いてきた。


「怖いですか?」


 僕は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。


「こ、怖くなんかないよ」

「わたしは怖くないのです」


 相坂さんはにこにこした顔で、僕をからかうように言った。


「だから、叫んでしまうなんてあってはならないのですよ」


 相坂さんの笑顔が見えなくなると、コースターはすぐに坂を駆け下り始めた。

 正直に言って僕はジェットコースターが好きじゃない。顔や体にまともに風が当たって、コーナーで体が横に振られるたびに叫び出しそうになってしまう。でも、僕は目をつぶりながら、すぐ隣に相坂さんがいることをはっきりと意識していた。

 叫んでしまうなんてあってはならない。

 だって、相坂さんに格好悪いところなんて見せられない。もしそんなところを見せてしまったら、きっと後悔することになるだろう。


 僕はなんとか叫び声をあげないでコースターを降りることができた。足がよろめきそうになるけれど、なんとかベンチまでたどり着いて、さも何事も無かったかのように席に着いた。大きく息を吸ったり吐いたりしていると、相坂さんは僕のことを面白そうに笑って、それでも僕の度胸を認めてくれたみたいだ。

 もっとも、相坂さんの試験はそれだけでは終わらなかった。


「楽しかったですね! では、次はオバケ屋敷に行かなければならないです」


 相坂さんがパンフレットに指さしたのは、いわゆるひとつのオバケマンションだった。屋敷は屋敷だけれど、造りは洋風で、往事にはメイドさんや執事が何人もいたであろう古い豪邸だった。

 もちろん、主なき今では人の姿はなく、閉ざされていた門扉は崩れて、度胸を試そうという愚かな若者が容易に入れるようになっていたし、庭師の手が入らなくなった庭は草木が伸び放題となって鬱蒼としている。そして、主人が死に、使用人が次々と去って行った館の中には、行き場をなくした亡者・幽霊たちが巣食うようになってしまった。

 ……というようなコンセプトのホーンテッドマンションだった。


 けれども、最近じゃあこういう恐怖を売りにしたアトラクションこそ、どこの遊園地でも気合いが入っている。特にここは都心の遊園地だから、場所も設備も必要になる絶叫系アトラクションは、どうしても大きなものが造れない。

 でも、オバケ屋敷は好きこのんで訪れるひとが多いから、飽きられないようにどんどんリニューアルして怖くなっていく。今じゃ、この遊園地の目玉でローカルテレビのCMに流れるほどだった。


「ふたりずつお入りください」


 僕たちは順路にしたがって歩いた。中は暗い。古くて、傍らには相坂さん。通路が狭いから、僕たちはおとんど体が触れあいそうな距離を並んで歩いている。


「なにか出てくるかもしれませんね」


 相坂さんが囁くように言った。隙間風、木の軋む音、どこからか聞こえる叫び声、蝙蝠や鼠の鳴き声、そして意味深に置かれた鏡。はっきり言って、何が出てきてもおかしくない。


「大丈夫だよ」


 僕は自分に言い聞かせるように言った。当然だ。子供だましとまでは言わないけれど、オバケ屋敷だってお客さんに楽しんでもらうアトラクションのひとつにすぎない。だから、相坂さんはともかく僕も驚く必要なんてひとつもないんだ。

 けれども、僕の言葉は意外にも心強かったのかもしれない。相坂さんはさっきまでの元気な様子が消えていた。それなのに、今のほうが不思議と相坂さんを近くに感じられた。今なら手を繋げるんじゃないか……そう思ってしまうほどだった。


「守ってくれますか?」


 僕が相坂さんの手に触れる寸前、相坂さんはとてもか細い声で僕に言った。

 それで僕は、伸ばしかけた手を引っ込めた。


「何かあったら私を守らなければならないのです。もしわたしに何かあって消えてしまっても――守ってくれますか?」


 暗闇で、相坂さんの表情はほとんど見えなかった。けれども、そこにはきっと潤んだ瞳があって、僕を見上げているのに違いなかった。こんな表情を見せられて、頷かない男がいるわけがない。

 だから、僕はもちろん頷いた。


 瞬間――、世界が口を開いたような錯覚が僕を襲った。


 最初に気がついたのは、それまで目の前にいた相坂さんがいないということだった。

 ほんの一瞬だった。僕が瞬いたほんの一瞬のうちに、相坂さんはもう消え失せていた。まるで神隠しに遭ったかのように、僕の前からいっさいの痕跡を残さないままいなくなっていた。


「相坂さん!」


 彼女を呼ぶ声が遠く感じる。相坂さんのいたはずの場所には、僕の背よりも高い血濡られた鏡が、不気味にたたずんでいるだけだった。何かの仕掛けかと思って触れてみても、何の手応えもない。緑色の光が漏れている。だけど、それは単なる非常口の蛍光灯でしかなかった。

 僕は何度も相坂さんを呼んだ。けれども、相坂さんからの返事はなかった。

 とにかく外に出よう。そのとき、相坂さんが外で待っていて、あの教室でよく見る仏頂面でもいいから待っていてくれればいい。


 いつも間にか、僕の頭の中は相坂さんのことで一杯になっていた。

 順路を進んでいるのに、お化け屋敷は迷路のようだった。きっと必死の形相で連れ合いの女の子の名前を叫ぶ僕のことを察してくれたのだろう。屋敷の中ではただのひとりの幽霊とも出会わなかった。


 とても長い時間に感じた。

 もしかしたら、相坂さんが僕を試しているのかもしれないとも思った。そんなイタズラをしそうな可愛らしさが、あの相坂さんにはあるのだと分かっていた。もう少しで出口だという曲がり角で、僕は七倉さんに遭遇した。

 七倉さんもまた相坂さんを捜していたのかもしれない。僕が大声で七倉さんの背中に声を掛けると、七倉さんはすこし驚いたような様子で振り返った。

 僕はかなり焦っていたらしい。舌がもつれるようになりながらも七倉さんに尋ねた。


「七倉さん、相坂さんを見なかった?」

「相坂さんですか? いえ……」


 七倉さんは困ったように視線をさまよわせた。


「急に相坂さんが消えたんだ。僕の目の前で消えてしまった。目を離したつもりなんてなかったのに。どうしよう。相坂さんを見つけられなかったら」


 僕は猛烈な恐怖に襲われていた。まるで自分のからだの半分がなくなってしまったかのようだった。相坂さんがいなくなったということで、何か良くないことが彼女を襲ったのではないかという恐怖と、僕が相坂さんとの約束を守れなかったのではないかという後悔、それから、ひょっとしたら相坂さんがずっと待っているかもしれないという焦燥が、僕の不安感を煽り立てていた。


 でも、それは当然のことなんだ。相坂さんのあの小さなからだ、けれども、どこからどうみても均整の整ったつくりの美しさはとても目立つ。彼女は良きにつけ悪しきにつけ目立つんだ。

 僕のそんな様子を見て、けれども七倉さんは冷静だった。冷淡にさえ見える。僕はその様子が腹立たしくさえ思えてきた。

 七倉さんはとても落ち着いた声で僕に聞いた。


「あの、おかしいとは思いませんか?」

「何が!」


 すこし失礼だったかもしれない。僕は叫ぶように七倉さんに言い放ってしまった。けれども、七倉さんは特に気分を害した様子も見せなかった。


「……いえ、失礼しました。相坂さんでしたらきっともう外にいらっしゃいますよ。もしいらっしゃらなければ、もういちど手分けして捜しましょう」


 僕は迷ったけれど、七倉さんの提案ももっともだと思って、七倉さんと一緒に外へ出た。

 相坂さんは笑顔だった。

 僕が暑苦しい屋敷から外に出ると、相坂さんは出口からほどない所にある木陰のベンチに腰掛けて、ソフトクリームを食べていた。相坂さんの小さな舌が、白いクリームのかたまりを舐め取ってゆく。


「相坂さん!」


 僕は安堵しながらも、急いで相坂さんに声を掛けた。駆け足になるのを抑えることができない。まるで何年ぶりかの再会みたいな気分だ。


「やっと出てきましたね! 心配しましたよっ」


 相坂さんは笑いながら僕を迎えてくれた。相坂さんが心配してくれた。それだけで僕は有頂天になってしまいそうになった。


「相坂さん、ごめん。見失っちゃって……」

「一生懸命捜していたのに違いないです。わたしはべつになんとも思っていませんよ」


 相坂さんは僕が汗をかいているのを指さしながら笑った。当然のことだった。僕は相坂さんに何かあったら守るつもりでいたんだから。


「では、すこし遅いですがお昼にしましょう」


 相坂さんは機嫌を損ねないでいてくれたみたいだった。

 園内は値段が高くて高校生にはつらいので、僕たちはすこし面倒でも移動することにした。そんな移動時間でも、相坂さんのやわらかくて魅力的な笑顔を見ているだけで僕は満足だった。


 海辺から1キロも離れればファミレスはいくらでもあった。もっとも、昼食には遅い時間だというのに席はあまり空いていなかった。特に3人以上が掛けられるテーブル席は全て詰まっていて、2人掛けのテーブル席と1人掛けのカウンター席しか残っていなかった。

 僕たちのために、七倉さんはわざわざ気を利かせてくれた。


「2人掛けの席をふたつ、お願いいたします」


 時間が遅かったせいかもしれないけど、相坂さんはとても食べる量が多かった。それは会計が心配になってしまうほどだったけれど、僕が何か言い出す前に、相坂さんは支払いを済ませていた。


「お金のことは、気にする必要はないのです」


 相坂さんがこうやって僕を押しとどめるので、僕は何も言うことができなかったんだ。

 それから、僕たちは都心の商業街をひとまわり歩いて、いろいろな店を冷やかした。相坂さんは新しい服を見繕って、ちょっとそれを試着してみたいと言い出したり、七倉さんも僕たちに気を使いながら、大人しめの服を手に取っていた。

 あっという間に日が落ちてしまうのも、当然だった。


「最後は観覧車に乗らなければならないです」


 念のために主張しておくと、僕は陽が落ちれば久良川に帰るつもりだった。相坂さんも七倉さんも可愛くて綺麗な女の子だ。その女の子を日が暮れてからも連れ回すことは、あまり褒められたことではないと思う。

 けれども、相坂さんが僕の目をみつめながら言うので、断ることができなかったんだ。

 ゴンドラに乗ったのは、相坂さんと僕のふたりだけだった。自然と緊張してしまうのは当然だろう。いま、相坂さんと僕との間を妨げるものは何もなかった。ゴンドラはゆっくりと頂点に向かってゆく。

 相坂さんはどこか物憂げな表情で、外を見ながら僕の隣に座っていた。


「相坂さん……」

「楽しかったですね」


 相坂さんは僕のほうを向いて笑顔になった。

 それは、僕の心をわしづかみにする動作だった。


「嬉しかったですよ。オバケ屋敷でわたしのことを必死になって捜してくれたこと。守ろうとしてくれたこと。約束をしっかりと守ってくれたこと」


 その瞬間、僕の胸は底知れない嬉しさでいっぱいになった。彼女は僕のことを全て分かってくれる。

 唐突に、僕は相坂さんのことを手に入れたいと思った。今なら、相坂さんも受け入れてくれると思った。相坂さんの滑らかな唇は、ゴンドラの中の明かりと外の街明かりとに照らされて輝いていた。

 僕は相坂さんの顔を見つめた。行けると思った。肩を抱き寄せようと思った。

 けれども、そうしようとした瞬間、相坂さんは小さく呟いた。


「でも、これで終わりにしなければならないのです」


 相坂さんの瞳が僕の心を捉えた。


「あ……」


 それで僕は、自分の中からすうっと何かが抜け落ちてゆくのを感じた。まるで、今までかけられていた魔法が解かれていくかのように……。そして、僕は何も考えられなくなってゆく。

 どうして……。だけど、それはもう僕には分からなくなっていた。


 見えるのは相坂さんのとても綺麗な瞳だけだ。何の感情もない。普段の目。いつも「俺」が見ていた目。だけど、教室で見せる目とは全く違う。今の相坂さんの目のほうが、ずっと綺麗だと思った。

 これが本当の相坂さんだったんだ。これが本当の相坂さん――。

 相坂さんの目が細くなって、とても優しく俺を見つめた。形の良い唇が開いた。


「気持ちは嬉しいです。もし――、あなたがわたしの能力を破ることができたら、その気持ちに応えることを考えたかもしれません。でも、あなたにはそれはできなかった。だから、わたしの心に響くものは何もありませんでした。ごめんなさい……と言わなければならないです」


 言葉は寂しげで、残酷だった。けれども、相坂さんは哀れむような視線でも、悲しむような目つきでもなかった。ただ、とても当然の判断をしただけのような、自然な素顔で宣言した。


「それに、わたしには気になっているひとがいるのですよ。たったひとり、わたしの能力を破ったひと。だから、わたしのことは忘れなければならないです。だから……」


 やがて、声は聞こえなくなった。

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