53, 双嶋くんの依頼
「でもどうしよう。仲を取り持つもなにも、3か月以上も話すらしなかった相手だよ。せめてもっと段階を踏まないとどう考えてもいけないよ。うまくいくかどうかを抜きにしても、昨日の今日で相坂さんに連絡を取っても、結果は見えているよ」
僕が言うことじゃないかもしれないけれど、相坂さんのことがそこまで気になるなら、夏休みが始まるまでに、せめて話しかけることくらいはしなくちゃいけなかったんだ。双嶋くんはそのプロセスを飛ばして、たぶん僕に電話をかけてくるんだろうけれど、それでうまくいくのなら、きっとみんなが恋愛のことで思い悩むことはないと思う。
双嶋くんが相坂さんのことが気になるっていうことは分かったけれど、きっとこんな手紙を出したら、相手からも一言で断られておしまいだ。
「とにかく、双嶋くんのことは思いとどまらせてみるよ」
「いっそ当たって砕けさせたほうが早いんじゃないか?」
「思い直してくれるならそのほうがいいよ」
河原崎くんは僕の決断をとても面倒くさそうに思っていたみたいだけど、河原崎くんだって双嶋くんのことを憎からず思っているはずだから、説得できるならそれに越したことはないはずなんだ。
僕が河原崎くんとの電話を切ると、1分と経たずに着信音が鳴った。
なんだか僕はとても心配になってきたけれど、とりあえず電話を取った。
「司? 俺だけどさ」
聞こえてきた双嶋くんの声は、とても急くような調子だったから、僕はつとめて普段通りの声で言った。
「うん、手紙の案ならもう読んだよ」
「そうか、それはよかった。昨日の晩も電話したんだけど、電源が切ってあったみたいで繋がらなくてさ」
僕はその電話をしてきた時間が、とても電話を掛けるべき時間じゃないことを、とやかく言うことはやめておいた。
「もう河原崎から聞いていると思うんだけどさ、実は……相坂のケータイの番号を教えてほしいんだ。お前なら知っているだろう?」
「相坂さんのケータイ番号を聞いてどうするの?」
分かりきっていることだけれど、僕はもういちど確認の意味で尋ねた。
電話口でとても切実な双嶋くんの声が聞こえてきた。すがりつくみたいな声だ。
「司しかいないんだよ」
「うん……それはそうだと思うけどさ」
「そうだろ。お前くらいしか相坂のことを知ってるやつっていないんだよ。俺だって分かっているんだ。本当は直に聞くべきだってことくらい。でも、もう夏休みだし……」
ああ……。僕は分かってしまった。双嶋くんは無意識のうちに、楽な手段のほうに流れてしまったんだ。だって、僕からケータイ番号を聞いて、電話で話をするなり、いっそメールで告白するなりしてしまえばどんなに楽か。
ただ、双嶋くんはそもそもそんなに軟弱な性分でもなかった。それなのに、僕にわざわざ聞いてくるのは相手が相坂さんだからなんだ。
「でもさ、せめて相坂さんともう少し仲良くなってからじゃないと順番がおかしいよ」
「分かってる。だけど、メールから始めてもべつに構わないだろ?」
双嶋くんは逆上したような調子で僕に反論した。たしかに一面ではそれも正しいのかもしれないけれど――。
「ダメだよ、やっぱり教えられない」
「なんでだよ、司には迷惑はかけない。もちろんお礼だってする。本当に困って頼んでいるんだ」
「きっと相坂さんがそういう男子のことを嫌うからだよ! 相坂さんって、表には出さないだけで心の中にはものすごく強固な自分のルールを決めているんだ。それに反するような、回りくどい方法をものすごく嫌うんだよ。正々堂々、なんていうと意味が変わって聞こえるけれど、相坂さんには真正面から向き合わないとすぐに見透かされるよ!」
思わず僕はまくしたてていた。それは僕が能力者としての相坂さんに向き合うときの心構えだったんだ。
僕は言いすぎたかもしれない。双嶋くんはそのまま黙りこくってしまったんだ。
「あの、双嶋くん……?」
「たしかにそうだ!」
僕は受話器から耳を離した。小さなスピーカーから大きな声が続いて聞こえてきた。
「相坂って、いつも大人しく本を読んでいるのにすごく力強い目をしているんだ。いつも自分のポリシーを持っている。だから物凄く頭がいいし、運動神経だって運動部のやつよりもいいくらいだ。俺に分からないのは相坂がどうして他のやつと全く話をしないのかってことだ。相坂ならきっと女子のグループの中心になれるはずだよ。すこし笑って、ちょっと気の利いたことを言えば、七倉みたいに人気者になれる。それなのに、あいつは少しも人気を取るようなことをしない。かといって、教師やクラスメートに迷惑を掛けるわけでもない。俺、あんな女を見たことないよ」
それは僕だって同じだった。もちろん、僕だってこれまでに他のクラスメートと関わり合いにならない、友達の少ないような女の子を見たことはあった。それはたいていは、気の合う性格のひとが周りに少なかったり、話をすることが苦手なひとだったんだ。
でも、相坂さんはそのどちらにも該当しない。気になるのは当然だ。
「双嶋くんは本当に相坂さんのことが気になってるの?」
「もちろんだ。俺だって未だに話しすらできないことを情けないと思っているさ。でも、相坂のことを考えると本当にどうしていいのか分からなくなるんだ」
僕は小さく聞こえないように溜息をついた。もっとも、双嶋くんにはその一瞬の間で分かってしまったかもしれない。
「分かったよ、じゃあ相坂さんに聞いてみるから僕が電話するまで待ってて」
「すまない。恩に着るよ!」
「その代わり、どんな結果になるか分からないし、たぶん双嶋くんが期待しているような手段での解決は無理だと思うよ」
「ああ、構わない。わざわざありがとうな」
僕は通話ボタンを押して、通話を切断した。
なんだかとても無責任な約束をしたようにも思えた。けれども、いまの双嶋くんと長電話をするほど僕は双嶋くんの行動に共感を覚えてはいなかった。ただ、双嶋くんが相坂さんに好意を抱いているとしたら、とりあえず相坂さんには教えておかないといけない。
僕が相坂さんのケータイ番号を知っているのは、たまたまのことだったんだけど、こんなかたちで使うことになるとは思わなかった。双嶋くんは僕が相坂さんの番号を知らなかったらどうするつもりだったんだろう。
とりあえず僕は相坂さんに電話を掛けた。
「もしもし、相坂さん?」
「そっ、聡太、どうしたのですか!」
なぜか相坂さんはとても慌てたような様子だった。
「い、いや、なんでもないことなのかもしれないけど……」
「なにもないのに電話したのですか?」
僕はしまったと思った。僕は一日中ほとんど何もしなければならないこともないようなヒマな高校生だったけれど、相坂さんは夏休みのあいだも仕事をしているはずだった。僕は具体的に見たわけではないのだけど、相坂さんは雑誌のモデルみたいな仕事をしている。
もちろん、相坂さんはそんな仕事ができるくらいに可愛いんだけど、それよりも相坂さんにあるのは、持って生まれた少しミステリアスな雰囲気だ。それはきっと相坂さんが異能の血筋を引いているから漂う雰囲気なんだ。
「あ、ごめん。いま忙しかった? 切ったほうがいいかな」
「べつに忙しくないのです。今日は家にいますからっ」
相坂さんは慌てて否定したみたいに、とても早口に言った。それで僕は押しかけた通話ボタンを指から離した。
「よかった。実は相坂さんにとっては大したことがないかもしれないけれど、僕にとっては結構な大ごとだったんだ」
「それは能力のことなのでしょうか?」
「ううん、相坂さんに関係することだから能力にも関わっているのかもしれないけど、とりあえず無関係じゃないかな」
「ではなんなのでしょうか?」
僕はいったい何をどこから説明したらいいものか考えた。もちろん、双嶋くんの言うとおりに、双嶋くんが相坂さんに抱いている思いの丈を伝えてもいい。結果はだいたい見えているけれど、双嶋くんは満足するだろうか……。
いやいやっ、あの調子だと双嶋くんがそんなことで満足するとは思えない。もちろん、ふだんの双嶋くんなら無茶な依頼をしてきたことを悟ってくれるだろうけれど、あの様子だと僕の伝え方が悪かったとか言い出しかねない。
だから僕は、とても面倒な説明から始めないといけなかったんだ。
「双嶋くんって知ってる?」
相坂さんはすこしだけ考えてから言った。
「知らないと言わざるをえないのです。でも、クラスメートだったような気はします。それに、聡太がわざわざ名前を出すということは、聡太の友達に違いないのです」
「うん、実はそうなんだ。河原崎くんともよく話すよ」
「なんとなく見覚えがあるような気はします」
一応は同じクラスに所属しているのに、とてもひどい言いぐさだったけれど、相坂さんに顔を覚えられるというのは、実はちょっとだけすごいことだ。もしかしたら、ほんの少しだけ脈があるのかもしれない。
「実は、双嶋くんが相坂さんと話をしたいって言うんだ」
「話? なにか文句でもあるのですか」
「違う違うっ。いままで相坂さんと話をしたことがなかったけれど、せっかく同じクラスになったんだし、ずっと無視をされているようで気持ちが落ち着かなかったんじゃないかな。ひょっとしたら前に相坂さんに話をしようとしたけど、うまく相手をしてもらえなかったのかもしれない」
これはテキトーな作り話だ。でも、相坂さんに話をしようとして失敗したひとっていうのは、クラスのなかに何人もいたのは本当のことだった。
相坂さんは大抵のとき、聞こえなかったふりをしたり、話しかけられそうになるとその場を離れたりして、やり過ごしてしまう。
でも、相坂さんは男子を殺してしまえるほどの可愛さで、相手に暗示をかけてしまう能力の持ち主だ。男子なら相坂さんを「可愛い」と感じただけで、相坂さんは異能の力を発動させてしまうことがある。
だから、相坂さんの人嫌いはそういう能力を持っていないひとに対する、相坂さんなりの気遣いだったんだ。
「それで聡太のお友達は気分を悪くしているのですか」
「そんなことないよ。むしろ、相坂さんのことをものすごく褒めていたよ」
「褒める?」
電話越しの相坂さんは、なぜかあまり機嫌がいいようには聞こえなくなってきていた。
「うん、相坂さんはいつもみんなに流されない、とても強い意志を持っているような気がするって、河原崎くんなんか何十分もその話を聞かされたらしいし」
結局、僕は今日の未明からさっきまでに起こった、双嶋くんの暴走にかかわる顛末を話さなければならなかった。河原崎くんがずいぶんと手を焼いていたこと、双嶋くんとの電話の内容。
ただし双嶋くんが書いた怪文書のことだけは黙っておいた。いずれ言わなければならないとしても、今はまだ相坂さんのイメージを悪くすることは言わないほうがいい。
相坂さんは僕の話に耳を傾けて、ひととおり話が終わると僕に言った。
「それで、聡太はわたしがどうするべきだと思っているのですか」
「できれば話を聞いてあげてほしいと思っているけど……、メールだけでもいいんだ」
言っていて僕は気がついた。いつの間にか僕は双嶋くんが依頼したとおりのことを相坂さんに頼んでいた。どうしてだろうと思ったけれど、それはすぐに分かった。
僕たちは学校での友人関係だ。その学校が夏休みに入っている今、接点らしい接点がまるでないんだ。そうすると、ケータイみたいな気軽なコミュニケーションツールを使うのが手っとり早いのだけど、それは明らかに順序が違うことだった。
「聡太。聡太はとても優しいと思いますが、ときには断らなければならないときもあるのです」
僕はもう自分が言っていることの矛盾に気がついていたので、相坂さんの言葉になにか言い訳をするということはしなかった。
「もちろん、メールで異性と連絡をとるくらい、なんでもないことではあります。そんなことくらい、誰だってやっていることだです。もっとも、七倉菜摘とは無縁のことだとは思いますが……あれは特殊だと言わざるをえないのです」
そもそも、七倉さんは携帯電話をほとんど使わない。それは七倉さんがどこか古風な雰囲気を纏った(実際、七倉さんは古い家の出なんだけれど)お嬢様だということもあるんだけれど、七倉さんの異能力のせいだということも知っている。七倉さんは鍵の掛かっている電子機器が得意でもあり、苦手でもあった。
「ただ、わたしは意図的にひとを避けているのです。聡太のお友達であってもそれは同じです。わざとひとを避けているのに、話したこともない相手とだけはメールを交換するというのは、理屈としておかしいです」