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51, 聡一郎さんの予言

 もうすぐ中学生になるという、ある冬の日のことでした。

 わたしは夏も冬もきらいではありません。名前に似ていますから夏のほうが好きだと思うこともありますが、あのましろい雪をみると冬もとてもよいものです。

 その日は、小学校が休みになった寒い土曜日でした。わたしはあざやかな着物にきがえ、京香さんの車に乗せられて、久良川本町に何百年もまえから暮らしている古い家々のみなさんに、七倉菜摘をどうかよろしくお願いいたしますと、おねがいを申しあげるために参っていました。


「お嬢様、不注意はいたさぬよう気をつけますが、シートベルトやドアに手を触れる際にはくれぐれもお気をつけください」


 運転席から声をかけてくださったのは、わたしの親戚にあたる七倉京香さんです。もっとも、京香さんは今でこそ七倉姓ですが、となりの県の能力者一族・鷹見家の本家筋の出身でいらっしゃいます。

 4年前、京香さんのお家は経済的にくるしい状態にあって、七倉家がそれを助けることとひきかえに、おじいさまのいとこのお家に養子入りしていらっしゃったのです。


 去年20才を迎えられたとお聞きしています。りんとしたお姉さんですが、同時に女性らしさのあるかたでもあります。昼間にお会いするといつもスーツを着ていますが、京香さんのおとうさまは七倉特別警備の重役でいらっしゃいますから、ドレスを着てグループの方々の前に出られることもあるのです。

 そんなときの京香さんは、たくさんの男性のかたにお話をさせてくださいとさそわれています。でも、京香さんはきまってわたしを引きあいに出してことわってしまいます。わたしのことは放っておいて、すてきなかたとお話をすればいいのに……。


 でも、もうすぐ京香さんのおとうさまは、特別警備の新社長につかれるとおじいさまにお聞きしました。わたしのおとうさまも社長ですから、京香さんとわたしの共通点がふえるようで、わたしはとてもうれしい気持ちになっています。わたしは、できれば京香さんが七倉の男性と結婚して、ずうっと一緒にいてくれたらいいな、とも思ってます。

 京香さんはとてもやさしいお姉さんです。ただ、いつもにらみつけるような目をしているので、初めてお会いしたときには、わたしのことがおきらいなのかと思いました。


 でも、京香さんはそれに気がついてすぐに説明してくださいました。この目は鷹見の血を引く者のめじるしのようなもので、お嬢さまのことはとてもかわいいと思っております、と。

 わたしは恥ずかしくて顔が赤くなってしまいました。

 京香さんはとてもふしぎな「見る」能力をお持ちになっていますが、同時にとても頭がよく、優秀なかたです。わたしが聞いたことも、すぐにこたえてくださいます。


「はじめに行かなければならないお家はどちらなのですか?」

「本町北集落の司様……司聡一郎様です。能力はお使いになられません。司一族は、代々わたしたちに関する知識を受け継いできた家系のひとつです。そのような一族は少なくなりましたから、やはり礼儀を欠かさぬようにしませんと」


 わたしはとても不安になりました。聡一郎さまにお会いしたことはありますが、お話をしたことはありませんでした。聡一郎さまは久良川本町にくらすおじいさまのおひとりでしたが、わたしがこれまで主にお話をしてきたのは、聡一郎さまよりも年上の、もと久良川本町の町内会長のかたでした。

 聡一郎さまは、あまり前に出ることがお好きでないのです。それは大おばさまが生きていたころも同じでした。聡一郎さまは長生きされて、町の集会での席はどんどんわたしたちに近づいていましたが、大声でなにか発言をすることはなかったのです。わたしはうまくおつきあいできるかどうか、心配になってしまいました。


「わたし、きちんとごあいさつできるでしょうか……」


 わたしが聞き分けのない子どものようなことを言うと、京香さんはスピードをゆるめながら、すこしだけ笑いました。


「だいじょうぶですよ、司様はおやさしい方です。それに研究熱心な方でもあります。これからお世話になることもあるでしょうが、きっとお嬢さまを助けてくださいますよ」

「はい……」


 わたしは、異能のちからを持たないにもかかわらず、異能のちからのことを知っているひととのおつきあいが苦手なのです。能力を使えないのに、異能力についておくわしい方というのは、誰もがみな選ばれたかたがたです。

 わたしは生まれつき能力をもっていたために、なにもしなくても大おばさまのあとをつぐことになっています。でも、わたしは鍵を開けるというちからを使うことはできますが、そのせいで見えなくなっているものもあると、大おばさまや、楓さんはいつもおっしゃっていました。

 聡一郎さまのような方は、いろいろないきさつを経て、その知識と素養をみがいてこられています。そうした方を前にすると、わたしは胸がどきどきしてしまいます。


「お嬢さま、到着いたしました。いまドアを開けますので、そのままでお待ちください」


 京香さんは車を止めました。京香さんはわたしを気づかって、車のドアにさわらせようとはいたしません。わたしに万が一のことがあってはいけないから、という理由からだそうです。それはとてもうれしいことなのですが、同時に心配にもなります。


 わたしは、じつは何にもできない「おじょうさま」なのではないでしょうか?


 なにせ、これからお会いする聡一郎さまからすれば、わたしは孫のようなちいさい子どもです。聡一郎さまはそのわたしのことをどのように思うのでしょうか。

 わたしは不安に思いながら、聡一郎さまの家の戸を開け、三和土にあがりました。

 聡一郎さまは居間からゆっくりといらっしゃいました。腰は曲がっておりませんし、なぜかとても体がおおきく感じてしまう、ふしぎなふんいきのあるかたでした。

 目が合わないうちに、わたしは最初のごあいさつをのべることにしました。


「司聡一郎さま、ごぶさたしております」


 わたしは教えられたとおり、わたしができる限りていねいなおじぎをしました。緊張はしていましたが、わたしの長くなってきた髪がみだれないように、ゆっくりと頭を下げます。

 頭を上げると、そこには聡一郎さまのやわらかな笑顔がありました。かみの毛はまっしろで、その量もとてもすくないです。おとしを召したかた特有の細い目。わたしはすこぅし安心いたしました。とてもやさしそうなおじいさまです。どきどきがちょっと落ちつきました。


「よく来たね。さあ、寒いでしょうから上がりなさい」

「はい」


 わたしはあたたかな家のなかへ招きいれられました。京香さんはついてきてはくれません。ここからはわたしひとりで行かなければならなかったのです。

 わたしはまた心細くなってしまいました。

 聡一郎さまのお家は、外がわは現代風のつくりでしたが、なかにはところどころに古風なつくりがあります。いくつかある和室のひとつに、わたしは通されました。


「家内はいま出ているのでね、お茶も出せなくて申し訳ない」

「いえ……」


 そう言いながら、聡一郎さまはリンゴジュースを持ってきてくださいました。お菓子も置いてありましたが、わたしは手をつけませんでした。

 聡一郎さまが座布団にすわると、わたしは正座で、畳にゆびをついて頭を下げました。

 きのうからなんども練習したことばを、わたしははっきりと申しあげます。


「七倉本家第16代能力者・七倉菜摘と申します。先代よりひきつづき、七倉の力の使い手として、どうか変わらぬおつきあいのほどをよろしくお願い申しあげます」


 聡一郎さまはかたくるしいあいさつを、ていねいに受けとってくださいました。


「司家当主・司聡一郎と申します。菜摘様の御力を、どうかこの聡一郎にもお見せ下さりますことを」


 わたしは肩の荷がおりたような気持ちになりました。わたしが頭をあげると、もう聡一郎さまはさきほど見せたような笑顔でいらっしゃいました。


「七倉本家の長女だったね」

「はい」

「第10代・なつ姫さま以来か」

「はい」


 聡一郎さまが言った「なつひめさま」というのは、わたしのとおいご先祖さまのお名前です。およそ400年前、わたしの家はいちど倒れかけたことがありました。そのとき、家をささえた伝説のおひめさまが、なつさまです。とても強いおちからを持ち、一族みんなをひきいて七倉の家をたてなおしました。わたしはちいさいころから、なつさまの昔ばなしをなんどもなんども聞かされてきました。

 わたしは、なつさまの生まれかわりだと言われます。それは、七倉本家にいちばん上の長女として生まれたからなのだそうです。わたしのちからは、代々の使い手よりもつよいものになると言われていました。


「私はとても運のいい男だ。私の父や祖父は、七倉の能力者にはひとりもお会いすることができなかった。だが、私は2代に渡ってお会いできた。その上、そのうちのおひとりは七倉本家の長女だ」


 わたしは「はい」と答えました。

 3年前、七倉本家は家をささえる鍵開けの能力者をなくしました。わたしのひいおじいさまの妹にあたるひとです。七倉本家としてはそれ以前に50年以上もの間いなかった能力の使い手として、くるしい時代をささえられました。

 大おばさまがなくなって、3年になります。わたしが当代の能力者としてふるまう時がきました。


「あとをつぐために、まず最長老である司聡一郎さまにごあいさつにうかがうようにと、おじいさまから申しつけられました」


 わたしのことばを、聡一郎さんは聞きかえされました。


「最長老?」

「はい、能力者のことをしられる男性のなかでは、聡一郎さまがもっともおとしを召したかただとお聞きしました」


 わたしがそう言うと、聡一郎さまは考えこまれたようでした。

 じつは、大おばさまがなくなられてから、聡一郎さまよりも年上のかたは、相次いで引退されるかなくなられるかしていたのです。聡一郎さまは85才になったとお聞きしておりました。すでにこの町で、能力者でないながら、能力者の知識をもつかたのなかでは、聡一郎さまが最年長でした。

 聡一郎さまは、そのことをとてもおどろいておられたようでした。


「そうか……、そんな歳になっていたのか……」


 聡一郎さまはふかくかみしめるようにおっしゃりました。

 それから、とてもふしぎなことをおっしゃったのです。


「私とは、あと3年ほどのつきあいになると思うよ」

「3年、ですか……?」

「ああ、あと3年で私は引退する。ご挨拶に来てもらったのにこんな話をしてすまないけれど、これは決まっていることなんだ。跡継ぎは私の孫だよ」


 わたしはとても心配になりました。なにかとても失礼なことを言ってしまったのでしょうか。けれども、考えてもわたしは失礼にあたるようなことに心あたりがありませんでした。わたしは分からなくなって、とりつくろうつもりでこう言いました。


「あとつぎの方をお決めになっていらっしゃるのでしたら、ぜひごあいさつしたいです」


 しかし、聡一郎さまはやさしい声で、わたしの不安を取りのぞくようにおっしゃりました。どうやらわたしの心配は不要のことだったみたいです。


「いいや、久良川にはまだいないんだよ。次男のほうの長男でね、車で10時間もかかる街にいる。正月にはこっちに戻ってきていたから、その時なら紹介できたんだが……生憎、異能の力のことも知らなくてね」

「そんなに遠いところにいらっしゃるのに、あとつぎなのですか?」

「ああ、もう決まっていることなんだ」


 わたしは聡一郎さまのおっしゃっていることが分かりませんでした。能力者でもないにもかかわらず、わたしにも分からない話ができるのは、聡一郎さまのように、わたしたちのひみつを知る方だけでした。

 わたしはまたどきどきしてきましたが、それは緊張からではありませんでした。


「お嬢さまは何年生になるのかな?」

「いまは6年生です。春には中学に入学します」

「そうか、中学はどこへ行くのかい?」

「中学はおじいさまの言いつけで私立に参ります。でも、高校は久良川に進むつもりです」


 聡一郎さまは笑っておられました。


「そうか、それはいい。この町はいいところだ。ずっと昔、北海道で暮らしていたこともあるが、やはり故郷がいちばんいい」

「北海道ですか?」


 わたしは首をかしげましたが、聡一郎さまはそれ以上のことをおっしゃいませんでした。

 これは後から知ることでしたが、聡一郎さまは若いころ、戦争でソ連とのたたかいにそなえて北方へ出征された経験があったのです。それに、聡一郎さまの世代は戦争の影響がおおきく、たくさんのお友達をなくされていました。


 それは、大おばさまからもお聞きしていたことでした。いくつもの能力者の家がその時期に消えてしまいました。能力者が命をおとすこともありましたが、生きのこっても伝統のひきつぎがうまくいかず、とぎれてしまった家がおおかったのです。

 いつもものしずかな聡一郎さまは、ただのおじいさまではありませんでした。いろいろなくるしい目にあいながらも、なんとか司一族の知識をのこそうとしてきた、ふるい柱の最後の一本だったのです。

 このときのわたしは、そんなことも知りませんでした。


「……まあ、その頃にはあの子も久良川に戻ってくるだろう。あの子の学力なら、きっとお嬢さまと同じ高校に通うだろうから、どうか私に代わって面倒を見てあげてほしい。私からのお願いはそれだけだよ」

「あとつぎの方はわたしと同い年なのですか?」


 聡一郎さまはすこし考えてから答えられました。


「いや、ひとつかふたつ下……じゃなかったかな。弟だと思ってくれると嬉しいよ」


 わたしはすこし残念でした。もしも同い年でしたら、クラスメートになるかもしれませんでした。とてもよいお友達になれたかもしれません。でも、学年がちがってはその機会はすくなくなってしまいます。

 それでも、わたしは、聡一郎さまのあとをつがれるという、そのお孫さまのことがとても気になりました。1つか2つしかかわらないのでしたら、高校でお会いすることも大いにありえます。


「はい、分かりました」


 わたしは聡一郎さまにお礼をのべて、京香さんの車にもどりました。

 まだあいさつ回りははじまったばかりでした。けれども、この日のことで、聡一郎さまよりも印象にのこったことはありません。


***


 それから、私と聡一郎さんのおつきあいは3年間、たしかに続きました。聡一郎さんは相変わらず集会でもほとんど何もおっしゃることはありません。ただ、私の座る席の近いところにいて、町のなかでの決まりごとを追認するだけでした。

 私が皆さんの前で色々なことを申し上げるときも、聡一郎さんは優しい目で見つめるだけでした。思えば、それは最晩年を迎えた聡一郎さんの、穏やかな最後の3年間だったのです。


 4年目の春、わたしたちの間で回覧されたひとつの訃報とともに、聡一郎さんとのおつきあいは終わりを告げました。

 久良川の最長老・司聡一郎様が急逝。享年八十八。

 おそらく大往生と言って良いご年齢でしたが、私は少しだけ泣いてしまいました。


 いま思えば、聡一郎さんはいろいろなことをご存知でした。

 あの日、聡一郎さんの奥様が家にいらっしゃらなかったことも、3年後に私が開ける小さな箱のことを気取られないために、わざとそうされたのではないでしょうか? 聡一郎さんが70年近くも前に、倉橋東家の娘とご結婚されていたことなど、私は知る由もなかったのですから。


 ただ、あのときの聡一郎さんはひとつ大きな勘違いをされていました。聡一郎さんは自分の後継者であるお孫さんを、私よりも1歳か2歳ほど下だとおっしゃりました。でも、実際には私と同い年だったのです。

 聡一郎さんには子供が3人いらっしゃって、更にお孫さんが7人もいらしたのです。全員が内孫です。聡一郎さんが間違えてしまったのも、無理もないことでした。

 とはいえ、私はそのせいで高校1年生の春を危うく棒に振るところでした。運が良かったのは、私と同じクラスに「司」の苗字をもつ、そのひとがいたからです。


 私はそのひとのことを見ていると、胸のどきどきが止まりませんでした。どうしてなのかはすぐに分かりました。それは彼が能力者のことを知っているからだったのです。彼がわたしのような能力者を捜していることはすぐに分かりました。

 聡一郎さんとよく似たやさしい目をしています。なんとなく自信はなさそうに見えましたが、この久良川から遠く離れた街のにおいがします。わたしはこの久良川を離れて暮らしたことがありませんから、お話したくなってしまいます。


 聡一郎さんは、跡継ぎの方は能力のことを知らないのだとおっしゃっていました。

 だとすると、もし私の力のことをお話ししたら、どんなふうにお思いになるのでしょうか……。

 私は、思いきって彼に話しかけようと思いました。

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