05, 七倉さんと開かない箱
「司くんのお祖父さんは聡一郎さんでしょう。聡一郎さんが亡くなりましたから、きっと跡継ぎの方が現れると思っていました」
「七倉さんは祖父のことを知っているんだ」
「はい。私、聡一郎さんに会ったことがあるんです。聡一郎さんが跡継ぎを捜されていたことも。でもまさか、後継者が私と同じ高校生1年生だとは思っていませんでしたけれど」
七倉さんはこの辺りではとても有名なお嬢様みたいだったから、祖父と会ったことがあってもおかしくはない。ひょっとすると、父も若い頃に七倉さんの両親や親戚のひとに会ったことがあるのかもしれない。
そう考えると、僕と七倉さんにはわずかでも繋がりがあるようで、悪い気はしなかった。なにより、祖父の遺言が間違いでないことが分かって安堵した。
「能力者って本当にいたんだ……」
「はい、この地域にはまだまだたくさんいます。でも鍵を開けただけで、私が何らかの手段で鍵を開けたと断言してしまうのには驚いてしまいましたけど。司くんがここまで鋭いとは思っていなかったので……」
それは、もちろん僕が祖父のノートを読んでいたから分かったことだった。祖父が能力者のことを記録に残していなければ、僕は異能力を持つ人間のことなんてちっとも信じていなかった。読んだ後だって完全に信じていたわけでもない。
けれども、この高校に異能持ちの人間がいるかもしれないと思っていたところに、開くはずのない鍵を開けられる女の子が話しかけてきた。これはもう怪しすぎるし、こんな状況に置かれたら、僕でなくても誰だって気がつくはずだ。
「僕じゃなくたって気がつくことだよ。だいたい、自転車の鍵があんなに簡単に開けられるわけがないじゃないか。そのすぐ後に教室の施錠に不備があったら、七倉さんが犯人だって誰だって思うんじゃないかな」
「いえ、そうではないんです。それだけなら、私も驚きません。私が驚いたのは、私が無意識に教室の扉を開けてしまっていたことに気づいた推理です。それはとても驚くべきことです。私の欠点を一瞬で見破ってしまうようなものなんですから。もしかしたら、司家の能力はそれなのかもしれませんね」
「まさか。祖父は探偵なんかしていなかったし、僕にも何の能力もないよ」
七倉さんはくすくすと可愛らしく笑った。
「では、そういうことにしておきます。でも、私がびっくりしたことは事実です。私が話しかけたことは確かに不自然でしたけど、それがきっかけで七倉の能力を看破するなんて予想もしていませんでしたから」
七倉さんはなおも僕のことを褒め称えてれたけれど、あまりにこそばゆいので、僕は本題を切り出すことにした。
「七倉さん、その鍵開けの能力は扉の鍵だけに発揮されるものなの? たとえば、鍵の掛かった小箱のようなものを開けることはできるの?」
「はい、どのような箱なのかにもよりますが、たぶん開けられると思います」
それが本当なら、僕が抱えている問題は全て解決できることになる。
まだ百か日まで2か月以上も残っている。こんなに早くに解決できるなんて思いもしていなかった。僕は逸る気持ちを抑えながら、七倉さんに失礼にならないように頼んだ。
「実は、祖父の遺品で司家の後継者が開けないといけない箱があるんだ。その箱には鍵が掛かっていて、けれど、鍵が見つからないから開けられない。でも、七倉さんの能力があれば開けられると思うんだ。開けてくれないかな?」
「司家の後継者が開ける箱……ですか?」
「うん、ダメかな?」
ただ、できるかぎり丁寧に言ったつもりだったけれど、僕は不安だった。
祖父の遺言によれば、僕は箱を開けるだけでなくて、箱を開けられる能力を持つひとに認められなければならないはずだった。ひょっとすると、七倉さんに協力してもらうには何か特別な試験を受けないといけないのかもしれない。
けれども、僕の予想に反して、七倉さんはとても嬉しそうに首肯してくれた。
「はい! 私、きっと開けてみせます!」
七倉さんは見かけよりもずっとアクティブな女の子だった。
その行動力のおかげで、僕たちはその日のうちにもう祖父の箱を開ける約束をして、さらに途中までは一緒に下校することになってしまった。
僕はそれを断るわけにもいかなくて、葉桜の下を七倉さんと並んで歩いている。
高校からほど近い下り坂を、こうして女の子と二人で歩くなんて初めてだった。何をどうしていいのか分からない。
ただ、黙っているのも気詰まりだったので、話は自然と七倉さんの家のことになった。
「七倉さんの家って、家族のみんなが鍵を開ける能力を持っているの?」
「いいえ、七倉の家でも鍵開けの能力を持つのはほとんどが女性、それも女性ならば必ず能力を持って生まれるわけではありません。事実、七倉本家で能力を持って生まれたのは、私が80年ぶりです。前は曾祖父の妹でした」
「は、80年……」
「もちろん、七倉分家を合わせればもう少し多くなります。それでも、私が生まれるまでは十数年生まれませんでした」
それなら、七倉さんのような能力者が表に出てこないのも当然かもしれない。
「七倉さんの家って、倉が7つあるって聞いたけれど、それは本当なの?」
「祖父が若い頃には7つの倉が本当にあって、実際に使用されていたみたいです。でも、7つの倉というのは数え方にもよります。だから、7つの倉があるから七倉という名字だというのは後付けの話です。でも、実際に倉が多かったのは確かなことみたいです」
そもそも、倉が複数ある時点で多すぎるような気がするけれど。
それに、どうやら七倉さんの口ぶりからすると、今でもいくつか倉があるようだった。いったいどれほど大きな家なんだろう。
「七倉の家にとって、鍵を外せる人間は富の象徴でした。七倉の家では、女性に鍵を託すことが伝統になっているんです。財布を預けるとか、家計を預けるという言い方をすることがありますが、七倉の家では倉を預けるんです。鍵を開けられる力を持った女の人に」
僕は、自分の両親のことを思い出した。
母親が財布を握っている家は多いような気がする。七倉さんの家もたぶん同じなのだろう。ただ、歴史的にもスケール的にも僕の家とはだいぶん違うようだった。
「歴代の七倉家当主には、金銭感覚に欠ける人物が就くこともありました。そんな人物が当主の座に就けば、当然、家が潰れてしまいます。そうしたときに、倉を女の人に預けることで、収穫や家財といった最低限の資産を守ることができます。七倉の家では、そうして家を守ってきましたし、そうすることで鍵開けの能力も強くなっていったわけです」
「そういう能力が必要だったし、それが役に立ったんだね」
「はい、だから私もいずれそうした役目を負うことになります」
なんでもないことのように言う七倉さんだけれど、それはたぶん重い決意のようなものなんだろう。
僕には、先祖から引き継いだ遺産といえば、祖父の箱と知識くらいのものだけど、七倉さんはそれとは比較にならないほどの歴史と能力を引き継いでいる。それが、綺麗だけれどとても真剣な七倉さんの表情に現れていることが分かった。
「ところで司くん、ひとつの家に7つの倉というのは、多すぎると思いませんか?」
「それは、多いと思うけど……」
「7つの倉なんて、ふつうは使い道がありません。一族全部の倉を集めたとしても、全ての倉を維持するには相当な財力が必要になりますし、それを維持するだけの理由も必要です」
たしかに、倉は収穫物や家財を収蔵しておくところだけれど、7つも倉があるとすれば、それだけの維持費が必要になる。それも7つともなると修理だって大変そうだ。
僕がその理由を考えていると、七倉さんはそれまでよりも声のトーンを落として言った。
「倉のいくつかには、悪いことをした子供を閉じ込めておくんです。あの狭くて暗い倉の中に放り込んで、反省して心から謝るまで出しません。本当に良い子にならなければ――、水も食料も与えられず、夜も明かりがない中で、干からびるまであの暗がりの中に閉じ込められます」
僕は言葉を失った。七倉さんも足を止めて、能面のような顔で地面を見つめている。
さっきまでの表情豊かだった七倉さんは、今やとても冷たい表情を見せている。それが怖くて、僕は一歩たじろごうとした。
けれども、それよりも前に、七倉さんは堪えきれなくなったように笑顔を向けてくれた。
「冗談です。自分の子供を干からびるまで閉じ込めるなんて、そんなことしません。これは私の家に代々伝わる子供を戒める言葉なんです。悪戯をしてきかない七倉の子供には、こう言って怖がらせて聞かせるんです。そうすれば怖がって大人しくなります。私も小さな頃にはよく聞かされました」
「なんだ、びっくりした……」
正直なところ、僕はかなり安心した。その話には真実味があるように感じたからだ。もっとも、僕がそう感じたのは間違いではないらしい。
七倉さんは「本当の部分もあるんですよ」と言ってこんな話をしてくれた。
「実は、この話には別の意味があるんです。たしかに、七倉の子供は悪戯をすると倉に閉じ込められました。でも、もし悪戯をしなかったとしても、ある日、突然倉に閉じ込められることがあるんです」
七倉さんは小さな頃を思い出すように目を閉じた。
「私の祖父の代から、倉の数は徐々に減っていきました。使われなくなり、老朽化の進んだ倉は取り壊されたんです。それでも、今でも七倉家にはいくつもの倉があります。そして、ときどき七倉の血を引いた子供がそこに閉じ込められます。ほとんどは夜が更ける前に倉から出されて、両親に連れられて母屋に入ります。でも……私のような能力をもつ子供だけは自力で抜け出してくるんです。七倉の力を持った子供はそれで分かります」
七倉さんは自分の手を見つめた。
その手はとても白くて、たしかに何か特別な力が宿っているように見えた。
「十数年前、私は倉から鍵を外して抜け出しました。今でも覚えています。それが私が初めて能力を使ったときでした。七倉家は、そうやって力を受け継いできたんです。七倉家の名字の由来は、たぶん、その能力を保つためにたくさん倉を持っていないといけなかったということだと思います。昔の民家には鉄扉なんてありませんでしたから、鍵が掛けられるのは倉くらいのものだったんです」
僕は時代劇を思い出した。民家の扉は全て木で出来ていて、その鍵もつっかえ棒(心張り棒というらしい)を立てかけるだけのものだった。そんな時代に、七倉さんの能力があったとしたら、それは倉の錠を管理するために使われた、とても大切な能力だったんだろうな――そう思った。
それにしても、僕は初めて出会った能力者にその家の秘密までも教えてもらえて、とても不思議な気分になった。七倉さんはどうしてこんなにも僕に色々と教えてくれるんだろう?
「では、この公園でお待ちしておりますね」
僕はまたひとりで考え事をしていたみたいだった。
七倉さんとの待ち合わせは僕の自宅の近所にある公園だった。僕は家に戻ると、祖父からの形見でもある箱を大切に持って、七倉さんの待つ公園にとって返した。
もちろん、そこでは七倉さんが待っているのだけれど、なぜか近所のおばさんに捕まっていた。やっぱり有名人みたいだ。
僕は話が終わるのを待ってから、七倉さんに箱を手渡した。
「これが祖父からもらった箱。そんなに複雑な鍵ではないと思うんだけど、なにせ祖母が嫁ぐ頃には持っていたみたいだから、鍵がどこにあるのか見当もつかないし、鍵屋に頼んで失敗したら大変だから頼めないままなんだ」
「とても古い箱ですね……」
「どう、開けられそうかな?」
七倉さんは鍵穴を覗き込むわけでもなく、ただ、その手でなぞっただけだった。
「こういうのは、実は錆びついているだけで、意外と簡単に開いてしまったりするのですけど」
そんなふうに、七倉さんらしいけれども無茶苦茶なことを言いながら、箱の蓋に手を掛けた。本当にこんなことで簡単に開いてしまうのだろうか……。
けれども、事はそんなに簡単にはいかなかった。
七倉さんの細い手は、蓋を持ち上げることなく箱を離れた。それから、七倉さんは驚いたような表情をして、僕の顔を見た。
「これは……、普通の鍵ではありません」
僕は信じられない思いだった。あれほど簡単に自転車や教室の鍵を開けてしまえたのに、こんな小さな箱が開けられないとは思えなかった。
「七倉さんには開けられないほど複雑な鍵なの?」
「いえ、そうではないです。鍵の仕組み自体はそう難しくはありません。この鍵が掛かっている理由さえ分かれば、私なら開けられるはずです。でも、少なくとも普通に鍵を掛けられているわけではない……。たぶん、私と同じような力を使って締められています。この箱……」
そんなこと、聞いていない。祖父のノートにも書いていなかった。
「つまり、七倉さんのような能力者がこの箱の鍵を掛けて、その開けられない箱を祖父はずっと持っていたってこと?」
「そういうことになります。とにかく、単に鍵を掛けただけではないです。私に分かるのはそれだけです。すみません……」
「いや、いいよ。それが分かっただけでも大きな収穫だよ」
それなら、祖父が亡くなった後に、家中を捜して鍵を見つけ出そうとしても見つからなかったのも当然だ。
おそらく、鍵はとうの昔に捨てられてしまったのに違いない。
理由は分からないけれど、祖父は開かない箱を持っていることに何かの意味を見いだしていたんだろう。少なくとも、この箱を受け継ぐ子孫に、この箱を開けよと遺言したくらいだから、何かしらの秘密があるのだろう。
困った。せっかく鍵を開けられる能力者を見つけ出したのに、その女の子にも開けられないなんて、もう打つ手なしじゃないか。
けれども、七倉さんは僕を励ますように静かに言った。
「でも――、司くんなら解き明かせるような気がします」
七倉さんは微笑んで僕を見つめた。もっとも、僕はその期待に力強く頷くなんてことはできない。ただ、七倉さんに落胆したような顔を向けることはできなくて、僕は小さく頷いた。
けれども、七倉さんはそれでも納得したみたいだった。
それから七倉さんは思い出したように手と手を合わせた。
「そうだ、先生には教室の鍵のこと、言っておかないといけませんね」
「それはいいんじゃないかな。先生が鍵をかけ忘れたということで。本当に僕が疑われたときに助けてくれれば、それで充分だよ」
「そうですか?」
だって、触れただけで鍵を開けてしまえる能力者なんて、僕も祖父のノートを読み込むまで信じられなかったんだから。
それに、もし七倉さんが鍵を開けられないフツーの女の子だとしたら、僕が鍵を開けていない以上、先生が施錠をし忘れたのが真相になる。
僕はそれでいいと思ったし、本当ならそれが普通の考え方だ。
七倉さんの能力は、秘密だから。
***
夜、僕は父と話をした。
僕の家では、学校であった出来事をいちいち報告するような習慣はなかったけれど、僕は父の故郷に戻ってきてから、この地域で暮らす上で分からないことは、父に相談するようにしていた。
「それにしても、倉に子供を閉じ込めるなんて結構ひどいよね」
「そうでもないよ。お父さんもお祖母ちゃんに家から閉め出されたものだ。虐待の側面もあるから最近ではやらなくなったが、暗いところに閉じ込めることや家から閉め出すことはよくあった。夜に外に出すことは治安が良かったからこそできたことでもあるけどな」
「僕も小さい頃にされたけどさ、でも薄暗い倉はやっぱり怖いと思うよ」
「まあ倉は怖いだろうなあ。だが、お祖母ちゃんはああ見えて怒るとなかなか許してくれなくてな、お祖父ちゃんに頼んでもお祖母ちゃんが許してくれないと家に入れてくれなかったんだ」
僕は祖母の顔を思い出して、あまりイメージに合わないなと思った。
もっとも、子供と孫では厳しさが違うのかもしれない。
父が子供の頃には、とても厳しい母親だったのかもしれなかった。