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49, 小さな東使さん

 七倉さんが指さしたのは、僕たちの手の届かない、教室の天井近くに据えつけられたスピーカーの上だった。目をこらすとそこに小さな影が見える。

 御子神さんが室内の明かりを点けると、そこに留まっているものの姿がよく分かった。そこには一羽の小鳥が留まっていて、一声も鳴かずに、ただ不安そうに周囲を窺っていたんだ。


「迷い込んできたのかな?」


 その可能性もないわけじゃない。でも、その鳥の様子はとてもふつうの鳥とは異なっていた。騒ぎ立てることもなく、かといって飛び立つこともなく、とても人間に慣れているように見えたんだ。


「七倉さん、誰かが能力を使ったの?」

「いえ、分かりませんでした……」


 範囲外なのか、それとも本当にただの偶然なのか。

 でも、偶然だとしたらそれはあまりにもタイミングが良すぎる話だった。ふだんは能力者の手によって開けられない教室に、この瞬間、鳥が飛び込んでくるなんて。


 コツコツ。


 窓ガラスを叩く音がする。僕は音がした方向を見たけれど、いったい何が窓を叩いたのかは分からなかった。


 コンコン。


 こんどは扉を叩く音がする。誰が叩いているのだろう。それは人が叩くような音ではなくて、まるで小石を叩きつけているような軽い音だった。

 僕たち3人は何も言わずに、ただ周囲に気を配りながらじっとしていた。

 やがて、扉を叩く音が強くなった。


「開けて、開けてよ!」


 女の子の声だった。とても必死な声だ。

 はじめにそのことに気づいたのは御子神さんだった。


「あ、つい鍵も掛けちゃった」


 そういえば、さっき扉を閉めたのは御子神さんだった。


「いま開けるね! これくらいなら自分で開けられるから」


 御子神さんが扉を開けると、そこには前髪の長い女の子が息を切らして立っていた。

 とても不思議な光景だった。女の子の姿が見えた瞬間、いままで全く動こうとしなかった小さな鳥が、扉の向こうで心配そうな表情を浮かべている女の子のもとへ飛んでいったんだ。

 その子は手を肩の高さまで上げた。彼女の長い髪が、腕にかかってするりと落ちてゆく。彼女はまっすぐに伸ばすと、指にその鳥を留まらせた。それは鷹匠の動作と似たようにも見えたけれど、そのあととても自然に、指に留まった鳥を猫や犬と同じように撫でたんだ。


「ごめんね、怖かったよね」


 彼女は、その鳥の嘴から小さな紙片を受け取ったことに僕は気がついた。その鳥はその瞬間まで紙切れを口にくわえたままだった。彼女はそれを取ってあげると、小鳥を廊下から窓の外へと放してやった。


「もういいよ、ありがとう。またお腹がすいたら私の所へおいで」


 小さく語りかけた後で、口元に笑み。小鳥を放してやる瞬間に、彼女の澄んだ目が見えた。その女の子は髪が長くて、あまり目元が見えなかった。背も高くない。もしそのあたりで出会ったら、とても陰気な雰囲気を感じてしまうかもしれない。

 けれども、一瞬だけ見えた瞳はとても綺麗で、髪を切ってしまえばとても綺麗な顔立ちをしているはずだった。どうしてそんな無精な姿をしているかといえば、彼女はあまり人前で発揮してはいけないような、不思議な能力の持ち主だからに違いなかったんだ。


「きみが置いたんだよね。『開かないはずの鍵が開いた』っていうメモを」


 僕はおそるおそる彼女に話しかけた。僕がこれまで出会った能力者のなかでも、とても神秘的な雰囲気をまとった女の子だったんだ。

 あの鳥はペットだとは思えない。雀ではないと思うけれどよく分からない。鶺鴒セキレイの仲間かもしれない。


「ご、ごめん。呼び方が分からなくて……、気に障ったら謝るよ」


 彼女は、僕に向き直って言った。


「東使です。名前は小夜。小鳥と、夜行鳥と共に在るから東使小夜」

「東使さんは小鳥を操ることができるの?」

「操るなんて言わないで!」

「ご、ごめん」


 僕は慌てて謝った。急に怒られたことに理不尽さも感じなくはないけれど、僕は東使さんの纏う雰囲気が、今まで出会った女の子とは違うことに気づいていた。いちばん近いのは七倉さん。だけど、七倉さんと確実に違うのは隠遁者に近いその雰囲気だ。


「私は動物と話ができるだけ。話をして、あの子が頼みを聞いてくれるなら、お願いをするだけです」


 前髪の合間から責めるような瞳が覗いた。


「ごめん、東使さんはほかのみんなと違う能力者なんだと思う。僕は、恥ずかしいけれど、東使さんのような能力者に出会ったことがなかったんだ。だからどうしても失礼な言い方になっちゃうかも知れない」

「聡太くん、どういうこと?」


 御子神さんには分からないみたいだった。でも、僕もそれは当然のように感じる。おそらく、東使さんのことを知っているとすれば、七倉さんしかありえないと思う。東使さんの能力は決して他人に知られてはいけないような気がする。知られたら、絶対にふつうの人間ではないと感づかれてしまう。

 僕は七倉さんの顔を見たけれど、頷くことはなかった。存じ上げませんと言った。


「僕が今まで出会った能力者は、みんな道具を使ったり、自分自身の能力を向上させる能力を持っているひとだった。でも東使さんは違う。能力者としてはいつでも好きなように能力を使えるわけじゃない」

「私は能力を借りているだけです。私の能力なんて何もありません」


 僕は東使さんの言いたいことがよく理解できた。

 だって、それは普段――いや、たった今この瞬間もやっていることだったんだ。僕は何の能力も持っていない。


「ところで、司さんは能力者のことに詳しいと聞きました。とても珍しいことです」


 東使さんの物静かな声が、僕の耳朶を叩いた。納得のいかなそうな声だった。


「まずは、今日のことについて納得のいく説明を聞かせてください。あの子たちへの土産話にしたいので。まさかこんな待ち伏せで全てが説明した気にはなっていないでしょう」

「僕自身は何もやっていないけど、それでいいのなら……」


 東使さんは頷いた。僕だって東使さんに聞きたいことがあったけれど、僕も何にも考えずに待ち伏せなんて作戦を採ったわけじゃなかった。


「まず、この部屋は完全な密室だった。密室だっていうのは大げさな表現だけれど、内側からも外側からも開けられないなんて、まさにとんでもない密室だよね。そして、僕は確信を持ってこう思うよ。この密室は破られることがなかった。もちろん、最初からそう思っていたわけでもないけれど」


 僕がまず考えたことは、ほかの能力を使って御子神さんの能力を破ることだった。どうにかして御子神さんの掛けた鍵を開けてしまえば、密室なんてとてもいえない、ただの学校の教室なんだから。


「御子神さんの能力を破る方法は、たくさんあるとは思う。いちばん簡単な方法は、七倉さんのようにとても強力な『鍵開け』の能力を使うこと。でも、たぶん御子神さんの能力を破ることは、とても難しいことなんだ」

「どうしてなのかなっ?」


 御子神さんがとても嬉しそうに尋ねた。自分の能力が破られなかったことに、喜んでいるんだと思う。


「たぶん、御子神さんの鍵が無理矢理に開けられたら、御子神さんにはそれが直感的に分かっちゃうんじゃないかと思うんだ。つまり、御子神さんの能力を破る方法は、御子神さんに気がつかれずにっていう但し書きがつくんだ。これは、おそらく七倉さんにしかできないことだと思う」


 それは前に七倉さんも言っていたことだった。七倉さんは鍵を開けたのが誰かを見ることができる能力を持っている。それは七倉さんの一族が能力を持つためには必要なことだった。

 だとしたら、御子神さん……いや、倉橋家の能力も同じような力を持っているんじゃないだろうか? 僕が考えたのはそういうことだった。


「いえ、私にもそう簡単にできることではありません」


 七倉さんは謙遜したけれど、七倉さんにはできると思う。七倉さんの能力は鍵を開けることに特化していて、集中さえしてしまえば御子神さんに負けてしまうことはないと思うんだ。


「もちろん、犯人は七倉さんではないと思っていたんだけど、とにかく正面突破じゃ無理だっていうことが分かれば充分だよ。次に裏口からだけれど、見て分かるように窓からの侵入はとてもできない。たとえできたとしても、窓を割ったり扉を破る必要がある。当然だけど、そんなことをされた形跡はなかった。

 そうなると残る手がかりは御子神さんの証言だけしかない。御子神さんは脚色たっぷりだけど、とてもたくさんのヒントを言ってくれているんだ」

「ヒント?」


 なぜか御子神さんが首を傾げていたので、僕はずっこけそうになった。御子神さんが忘れたなんて言い出したら、僕はとんだ独り相撲をさせられてしまう。

 でも御子神さんは笑いながら言い直した。


「大丈夫だよっ。ちゃんと覚えてるから」


 本当かなあ……。

 でも僕は心配をするまでもなかった。御子神さんはきちんと自分の台詞を覚えていてくれたんだ。もちろん、僕もきちんと思い出せるように協力したけれど。


『しのつく雨がざあざあと音を立てていたよ。空気は肌にへばりつくみたいに気持ちの悪い日。雨の音は、まるで私を近づかせないための演出みたいに私の耳についた。私はちょっとだけ怖いなと思いながら、鍵を開けて部屋の中に入ったの。冷たい風が私の頬を撫でつけた。まるで水に濡れた女の手が、私のからだの上を這い回っているみたいだったよ。そのとき、わたしは気がついた。私の机の上に、小さな紙の切れ端が置かれていることに。そこにはこんなメモがあったんだ――』


「妙に演出がかっているようにも思いますけど……」


 七倉さんは不信感を隠さなかった。たしかにどこの部分もおどろおどろしく描写してあるせいで信頼できる証言だとは思いづらかった。それは東使さんだって同じだけれど、たったひとりの目撃者である御子神さんの言葉だから、これを使うしかなかった。


「はじめに、御子神さんがいつ机の上に置かれた紙片に気がついたかが問題になるんだ」

「この部屋の中に入ってすぐに気がついたのではないですか?」

「御子神さんもそう言っていたけれど、この部屋に入ったら、まず確実にすることがあると思うんだ」


 僕は窓の外を見て、ちょっとだけ困った表情になったと思う。

 その様子を見たからではないけれど、七倉さんが僕の言いたいことを察して答えてくれた。


「分かりました。窓を開けるか、冷房を点けることですね」

「あともうひとつ、カーテンを開けること。机に近づくよりも先に、これだけのことはしないと、暑いし薄暗いよ。だから、御子神さんはすぐに気づいたと言っていたけれど、若干の時間的な余裕があるんだ」

「でも短い時間だよね?」


 御子神さんが少しだけ不安そうに聞いた。でも、それは御子神さんが大ざっぱだから無視された時間ではなかったんだ。


「もちろん! たとえ僕が警察だとしても、ここまで短い時間の隙間があったからといって問題にすることはないよ。もし誰かが侵入したとしても、目撃されるか、気配くらいは分かってしまう程度の一瞬なんだから。でも、もし能力者が関与していたら可能になるかもしれない瞬間でもあるんだ」

「それはひとつの可能性ではあるでしょう。でも、決定的ではありません」


 東使さんは平坦な声で僕に言った。


「そうではありませんか?」

「そうだね――。じゃあ次に、御子神さんの説明でこの教室への侵入経路を絞るよ。この教室は部室などのある棟の上階というのは見てわかるとおりだよ。木の陰もないくらいに高い所にある。それから、廊下の奥まった場所にあるんだよね。つまり、階段からは一本の廊下が繋がっているだけなんだ。もっとも、こういう廊下の奥には非常階段がある。ただし、当然だけどここには鍵が掛かっていて普段は入れない」

「この構造は高校に限らず公立学校にはよくありますよね。久良川小学校もこんな構造の場所が何カ所かありました」

「私もっ。たぶんロの字型に学校が造られていない限り、絶対にこういう場所ができちゃうんだよね」


 僕は一応東使さんにも確認を取った。東使さんはあまり表情が読めないけれど、とりあえず肯定してくれたのは確かだった。


「私の母校でも同じような場所がありました」

「さて、風の強い日に校舎の中でこういう場所を見ると、完全に風が吹いていないときがある。そうでなければ、強い風の通り道になっている。このどちらかになることは必然だよね」


 僕はもう一度だけ、論理の筋道を外していないか考えてから言った。


「御子神さんが扉を開けたとき、風が吹いたと言った。まるで教室の中から寒々しい風が吹いたような言い方だったけれど、もちろん違う。その日は雨が降っていて、この時期としては少し冷たい風が常に吹いていた。じゃあ風はどこから吹いたのだろうと考えると、この教室は校舎の奥まった場所にあるから、すぐ近くの窓が開いているしか風が通る可能性がないんだ。つまり、御子神さんのすぐ後ろか斜め後ろの窓が開いていたはずだよ。つまり、この教室にいちばん近い侵入経路は開いた窓ということになる」

「窓から……ですか?」

「というよりも、御子神さんに気づかれずに、という条件を付け加えるともう窓しか経路が残されていないんだよ。窓からほとんど直線上に部屋の中まで侵入して、もういちど窓から脱出するのが、最短最速で通行可能な通り道なんだ」

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