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48, 密室の作り方

「御子神さんが鍵を掛けると、いつもこんなふうになるんだ」


 御子神さんは外側から鍵を開けてくれた。もちろん御子神さんが持っていた鍵を使って。

 前に、七倉さんが祖父の箱を開けてくれたときのことを思い出す。

 はじめ、七倉さんに箱の鍵を開けてもらおうとしたときに、七倉さんは何の能力なのか分からないと箱は開けられないと言った。

 でも、そのあと久良川町の歴史を知るほどに、七倉家と倉橋家はお互いによく知っている旧家同士なんだから、どうして開けられなかったのだろうと思ったんだ。いくら相性が悪いといっても、七倉さんの能力は天才的なものらしいし。


 けれども、いまこうして御子神さんの能力を見ていると、鍵を開けるためのコツみたいなものが厳然とあって、それが分からない限り、鍵はどうやっても開かないように思えた。

 七倉さんは御子神さんとの能力的な相性が悪かったし、僕のお祖母ちゃんがかけた鍵もすぐには開けられなかった。それはたぶん、倉橋家の「かける」能力によって鍵が掛けられることが分かっていても、その鍵を掛けたひとのクセや性格みたいなものが分からないと、簡単には開けられないようになっていたんだ。


 逆に言えば――、七倉さんは僕のお祖母ちゃんと出会って、能力のクセを読み取って、鍵を開けてしまったんだ。

 僕はその事実を理解して身震いする。七倉さんは僕のお祖母ちゃんとは初対面だ。つまり七倉さんは祖父の百か日に招待されて、ほんの短い時間を過ごしただけで、その鍵の掛け方のクセを直感的に「理解」した。

 そうでもしないと、倉橋の能力で掛けられた鍵は開けられない!


 ……天才だ。


 僕は確信を持って思った。七倉さんは天才だ。

 そして、御子神さんの能力もかなり強力だ。僕みたいな何の特技もない凡人じゃ、手も出せないほどに強固な鍵をあっさりと「掛け」てしまう。

 いちど、僕は御子神さんと「賭け」をしたことがあるけれど、あのとき僕は七倉さんのことをほとんど認識することすらできていなかったらしい。御子神さんの能力が強くはたらいた上に、相性の悪い能力同士で相殺しあった。


 こんな女の子たちが、何にも知らないような顔をして、本当に何にも知らない僕と同じような日常を送っているんだ。

 そして、こんなにすごい能力を見てしまったからには、僕はこう思うしかなかった。

 これは完全な密室だ。

 この密室を避けるなら、あとは鍵そのものを破壊してしまうしかないと思う。当たり前だけど、そんなことは余程の緊急事態でもないとできないことだった。


「これって、もちろん倉橋家のひとでも簡単に開けられるわけじゃないんだよね?」

「力の強さによると思うよっ、私はお祖父ちゃんの掛けた鍵を開けられちゃうから。でもお母さんの鍵は開けられないの」

「そういえば僕のお祖父ちゃんも、お祖母ちゃんがお父さんや叔伯父さんを外に放り出した後は、お祖母ちゃんに言って開けてもらわないとどうしようもなかったらしいし……」

「鍵を『掛ける』能力と開ける能力は対だからねっ。コツをつかめば自分の『掛けた』鍵は開けられるようになるし、開けられる鍵は『掛ける』こともできるんだよねっ」

「占い研究会のなかには、御子神さんの『掛けた』鍵を開けられるひとはいないの?」


 御子神さんは首を横に振った。


「いないよっ。だから、いちど鍵を掛けちゃったら私が開けるまではそのまんま。それでも、私はいっつも鍵を『かけ』過ぎないように気をつけているんだ。それでも失敗しちゃうこともあるんだけどねっ」


 御子神さんはその失敗を思い出したのか、小さく舌を出した。それから、指を一本だけ立てて僕に言った。


「この密室を破るいくつかの可能性を私も考えたの。ひとつ目は、聡太くんが怒るかもしれないけれど、七倉さんが開けたかもしれないってこと」


 それはもちろん可能性としてはありうることだった。でも、可能性があるからといって、本当にそれが行われたかどうかとは別のことだった。


「七倉さんが、どうして?」

「七倉さんって、聡太くんのことをみんなに分かってほしいと思っているから。そのために謎を持ってくることがあるでしょう? ひょっとしたらこれも、何かの問題なのかなって」


 それで思い出したのはなぜか七倉さんの遠縁のお姉さん・楓さんのことだった。楓さんはこんなふうな謎を作ることが好きみたいだ。けれども、いくら実害がないからといって、七倉さんが鍵の掛かった部屋に勝手に入り込むなんて、とてもするとは思えない。


「もちろん、七倉さんを疑っているわけじゃないの。でも、何にも取られていないのに、こんなふうに不思議なメッセージだけが残されているって、七倉さんみたいな能力の雰囲気にぴったりじゃない?」

「雰囲気かあ……。雰囲気はそうかも」


 あまり派手好みじゃない、奥ゆかしいところのある女の子なのかな。

 それとは正反対の御子神さんが、もう一本だけ指を立てた。


「もうひとつは、私の能力を……こう、破っちゃうくらいの強力な能力者!」

「ひょっとして心当たりがあるの?」

「全然! 私の能力を破っちゃう能力者ってどんな人なんだろうって思っちゃう。鍵の掛かっている扉ごと破壊しちゃえる怪力の持ち主かな?」


 僕にはそういう能力を――といっても腕力ではないけど――使える女の子にひとりだけ心当たりがあるけれど、相坂さんが怖いほど強力な能力を使えるのは、彼女なりの厳密なルールに則った特殊空間内での話だった。閉鎖空間と言ってもいい。

 ……でも、現実世界でそれをやったら全校集会じゃ済まないんじゃないかな。


「念力みたいになんでも応用が利く能力者っていないのかな?」


 御子神さんが首を傾げて、長い髪がそれにつられて揺れた。


「いないことはないと思うけど、そういう能力って、どんな時に役に立てればいいのかなぁ」

「えっ、便利じゃない?」


 僕が意外に思って尋ねると、御子神さんのくりくりした目が僕を不思議そうに見つめた。


「だって、手を使えばいいだけだもん。手で駄目なら道具を使えばいいし、なんでもできる能力なんて、理解するだけでも大変そうじゃないかなっ」

「そういうものなんだ」

「うん。私の能力はご先祖さまが橋をかけちゃうくらい、『かける』ことが得意だったんだよね。だから、私もご先祖さまってすごいなって思って『かける』ことが得意なだけの能力を受け継いでる。でも、『自分のご先祖さまはなんだってできました!』なんて話は聞いたことがないよ。誰だって苦手なことがあるんだから」


 それは僕にも納得ができない理屈ではなかった。御子神さんは得意なことがあるけれども、それと同じくらい苦手なこともあった。成績もそれほど良くないけれど、数学はとても得意だった。ちょっと大ざっぱなくらい明るい性格は、倉橋一族の特徴だった。

 でも、僕たちが生きていくにはそんな一長一短な性格や能力があれば充分で、七倉さんはその力で自分の家が経営している大企業を支えている。それ以上の能力を持つことはできるかもしれないけれど、代々受け継いでいくことはきっと不可能なんだ。


「ということは、やっぱり、万能ではないけれど特別な能力を使って、この密室を破ったんだ」


 実は、僕の現場検証はこれでおしまいだ。

 この日、御子神さんに連れて来られた占い研究会の部室でのちょっとした調査を終えて、それ以上、関係者を捜し出して話を聞くということをしなかったのは、それがほとんど無意味に思えたからだった。

 もちろん、御子神さんが所属している占い研究会が何なのか……だとか、占い研究会に所属しているメンバーがどんな能力を持っているか、なんて疑問は、気にならないわけではない。けれども、御子神さんが期待するような名探偵としての活躍を、この僕がやってのけるというのは些か無理な話だった。

 僕にせめて探偵としてふさわしい異能の力があれば、精力的な事情聴取と徹底した推理と考察で事件を解決に導くのだけど、凡人の域を出ない僕には、推論らしきものがぼんやりと、そしてたったひとつだけしか思いつかなかったんだ。

 だから、僕は御子神さんの機嫌を損ねないように、なるべく丁寧に謝った。


「御子神さん、残念だけど僕には分からないよ。それに、何にも被害がないなら放っておいても大丈夫だよ。また何か起こったら知らせて。夏休みに入ったら、もしかしたら予備校に行かないといけないけれど、ケータイにメールでも打ってくれたらまた考えてみるからさ。ゴメンね」


 僕はちょっとだけ声を大きくした。


「良かったらお詫びをさせてよ、今日は何にもできなかったし、僕が何か奢るからさ」


 御子神さんは何度か目を瞬かせた後、全身で大きく頷いた。


「うんっ、いいよっ」


 ちなみに、僕が今回の事件でやったことは、御子神さんと一緒にアイスクリーム専門店に行ったことと、七倉さんの助けを借りることだけだった。


***


 次の日、僕はふたたびその教室の中にいた。部屋のなかは薄暗い。そんな部屋の中で何をやっているのかといえば、僕は七倉さんとくっつきあって、物陰に息を潜めていたんだ。


「んんっ……、狭いです。やっぱりどこか別れていたほうがいいでしょうか」


 耳元で、七倉さんの吐息と混じった可愛らしい声が聞こえた。僕はそちらを向くつもりはなかった。なにしろ、僕と七倉さんの間にはほとんど距離らしい距離がない。僕は前を向いたままひそひそ声で答えた。


「もう動かないほうがいいよ。そろそろ時間だし」

「でも、司くんは窮屈ではありませんか?」

「ううん、大丈夫だよ。七倉さんも大丈夫?」

「はい」


 僕たちは占い研究会の部室の中にいた。並んでいる机の中でも廊下側の、入り口の扉からは死角になっている机の下に、僕と七倉さん、ふたりぶんの体を収めている。机の大きさは僕たちがふだん使っている教室の机とは比べものにならないくらい大きいけれど、足元にまで物が置いているうえに椅子も置いてあるから、僕たちが入りこむスペースは思っていたよりもずっと狭かった。

 僕たちはほとんど密着するような体勢で、扉のほうをじっと観察していた。


 なにしろ、観察に集中でもしていないと、背後に感じる七倉さんのことが気になって仕方がない。七倉さんの絹みたいな髪がしゅるしゅると音を立てている。七倉さんが僕の肩越しに扉を見ようと身じろぎしている音。

 七倉さんには言わなかったけれど、何回か胸みたいな感触が背中とか腕とかに当たっている。僕はそれで有頂天になっていたけれど、なんとか態度に出さないように努力した。

 それでも、耳元に囁くような七倉さんの声と、ブラウスの布地が擦れる音だけはダメだった。暑さとは別の汗をかき出したことが心配になるくらいだ。


「な、七倉さん、ものすごく聞きづらいんだけど……汗臭くない?」

「えっ!」


 七倉さんは声をあげそうになって、慌てて自分の口元を抑えた。

 それから声がしないから、どうしたのかと思って、僕はちょっとだけ後ろを見た。

 七倉さんは涙目になっていた。


「す、すみませんっ、私、気がつきませんでした。す、すぐにスプレーを借りてきますからお待ちくださいっ」


 七倉さんはそれで立ち上がろうとする。僕は慌てて七倉さんの手をとってしまった。やむをえない。今日のこれは一応作戦といっていいものなんだから。


「ああっ、七倉さん違う! 匂いの心配をしているのは僕のことだよ!」


 僕が七倉さんの手に触れてしまった瞬間、七倉さんは気の抜けたようにからだの力が抜けて、元のように僕の後ろのちょっとしたスペースに収まって座り込んだ。


「勘違いで良かったです……」


 七倉さんから汗臭い匂いなんて漂ってくるわけがない。むしろ、僕と七倉さんがいる空間だけが、学校から隔絶された異空間じゃないかと思うくらい、いい香りで包まれていた。

 僕はこんな作戦に七倉さんを巻き込んだことのほうを後悔していた。

 自分で考えたとはいえ、なんてヒネリがない作戦だ!


「……それで、今日も犯人が現れるのでしょうか?」


 七倉さんは赤くなった顔を僕に寄せた。


「その小さな紙を置いている犯人が、もう分かっているんですか?」

「分からないよ。でも、今日あたり現れるんじゃないかと思うんだ」


 僕はあまり大きな声で言わないように気をつけた。


「犯人は、わざわざ御子神さんが鍵を掛けた日を選んだんだから。御子神さんと僕が、昨日なにか調査をしたことくらいは知っているはずだよ」


 七倉さんはそれを聞いて小さく呟いた。


「私も呼んでほしかったです……」


 僕たちが今日おこなう作戦は簡単も簡単。ただ単純な待ち伏せ作戦だった。誰にだって思いつく作戦だから、発案は僕だけれどちっとも自慢にならない。御子神さんが部活動を掛け持ちしていなければ、この作戦で犯人を捕らえていたかもしれない。

 ただし、僕にはある程度の確信があった。


 まず、犯人は御子神さんが鍵を掛けた日を狙って、紙切れを置いているということ。そもそも密室を作り出せてしまうくらいに強力な「鍵掛け」の能力を持つ御子神さんが、その鍵が破られたなんて事件を持ってくるのがおかしい。

 だから、犯人は僕たちの裏をかくような、けれどもとても単純な方法を使ってくるに決まっていた。だからこそ待ち伏せが効果的なんだけれど、僕だって単に犯人を待っているわけじゃない。ちょっとだけ可能性を絞ってはいるんだ。

 僕たちは息を殺して御子神さんを待った。


 昨日の帰り、僕は御子神さんと一緒に帰りながら今日の計画の話をした。ただし、御子神さんには一緒に張り込んでもらう役を担当してもらうことは断った。御子神さんが動くと、犯人はきっと警戒するからだ。

 その代わりに、僕は七倉さんに手を借りなければいけなかった。

 七倉さんに手伝ってもらったひとつめの理由は、七倉さんは誰かが能力を使用すれば、それを察知することができるということ。僕が今日の作戦をするにあたって、犯人に気がつかれないようにするには七倉さんの察知能力はどうしても必要だった。もし僕の行動が筒抜けになっていたら意味がない。


 ふたつめは、御子神さんの掛けた鍵を開けられるのは、七倉さんしかいないから。御子神さんが動けない以上は、七倉さんに鍵を開けてもらった。僕がどんなに頑張っても開かなかった鍵は、七倉さんの手が触れた瞬間、すぐに開いた。

 僕がこの日の放課後までにやったことはそれで全部だった。僕自身は何もやっていない。放課後を待って七倉さんと一緒にこの教室に急いだ。御子神さんにはのんびり来るようにお願いした。教室の中は昨日のままだった。もちろん新しい僕への挑戦状なんて置いてない。


「御子神さんが来たよ」


 僕は廊下に規則正しい足音が近づいてくるのに気づいて、七倉さんに言った。ちょっとだけ機嫌の良い鼻歌も聞こえる。これはたぶん僕たちに注意を促すためだ。


「犯人はいらっしゃるのでしょうか?」

「どうだろう、可能性は高いと思うけれど……」


 僕たちはそれでもう話すのをやめた。

 御子神さんが鍵を差して、開錠音が聞こえる。

 そして、御子神さんは教室のなかに足を踏み入れた。


「暑いね!」


 それは僕たちに話しかけるみたいだったけれど、僕たちは答えなかった。そして御子神さんは、1歩、2歩と窓に向かって歩き出した。それはとても自然な動作で、きっと前に事件が起きたときと同じだったんだ。

 そうして、僕の思惑通りにそれが起こった。


「あっ!」


 はじめに声をあげたのは七倉さんだった。御子神さんが立ち止まって、僕たちの方向を見た。もちろん、僕たちがいることは事前に伝えてある。


「御子神さん、扉を閉めて!」


 僕が咄嗟に叫ぶと、御子神さんはその瞬発力を生かして入り口に戻ると、勢いよく扉を閉めた。こういう瞬時の判断に御子神さんはとても強くて、その役割にはぴったりだった。


「どうしたのっ」


 御子神さんはまだ何が起こったのかを把握していなかった。

 僕たちは机の下から這い出て、御子神さんの背後から侵入したそれを捜したんだ。


「あそこです!」

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