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僕は祖父の後継者に選ばれました。  作者: きのしたえいと
8,志野原さんの思い出
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44, 志野原さんの思い出

 僕は誤解を招かないようになるべく謙遜していたけれど、マスターは「ありがとうございます。ごゆっくりどうぞ」とだけ言ってカウンターに戻った。なんとなく誤解されてしまったような気がするけど、大人が相手なら僕のちょっとした快挙も大したことはないと思う。たぶん。

 僕はカップに口をつけた。とても美味しいと思う。相坂さんはとても優雅にコーヒーを飲むと、カップを置いた。


「さて、聡太にかけられている能力の話をしなければならないです」

「能力?」


 思わず僕は聞き返した。けれども、相坂さんの表情は決して深刻そうではなかったから、僕は少し安心した。


「前に御子神さんに能力をかけられたことがあったよね。その時みたいなことが起こっているの?」

「そんなに強力なものではないです。でも、さっき手を繋いだときに気づきました。聡太は能力がかかっているに違いないのです」


 本屋に行くときのことだ。あのときは相坂さんを見失いかけたから自然と手を繋いでしまった。それはいちど相坂さんと手を繋いだことがあって、相坂さんもそれを覚えていたから思わず手を繋いじゃったんだろうと思ったんだけれど。


「あれってそういう意味があったの?」

「そ、そういうわけでもないのですが……」


 相坂さんは一瞬だけ俯いた。


「でも、聡太は能力の影響下にあるに違いないのです。何か心当たりはないのですか?」


 僕はこの最近のことを思い出してみた。ほとんどはこの前にあった期末テスト関連の出来事だったけれど、それを除いてしまえば残っているのは志野原さんからの電話だけだった。


「そういえば、最近、昔の知り合いから電話があったんだ。僕が久良川に引っ越してくる前の、中学時代のクラスメートだよ」


 相坂さんは少し考えてから尋ねた。


「どういう仲だったのですか?」

「同じクラスだってことくらいしか共通点のない、顔見知りだよ。男子と女子だから、会話がなくて普通だったしね」

「もう少し詳しく話さなければならないのです」


 相坂さんに促されるままに、僕は志野原さん――志野原美涼の話をした。

 けれども、それはとてもありふれた話だった。志野原さんとは、同じ中学に入学してから僕が転校するまでのあいだ、同じクラスに所属していたクラスメートだった。

 女子の中心格だった志野原さんは、僕と話をするほとんど唯一の女子でもあった。女子と話をするとはやし立てられる……なんて子供じみた雰囲気は薄れかけていたけれど、なんとなく話しかけづらい時期のことだ。


 志野原さんは不思議と僕のことを気に掛けてくれた。まとまりのないクラスメートたちと一緒に居ながら、志野原さんはいつも教室の中心から外れることがなかった。

 文化祭ではたくさん泣いていた。体育祭でも泣いていたような気がする。でも、それは涙もろいということを意味しているのではなくて、クラスの中にはそんな女の子は何人もいた。志野原さんはその何人かに含まれる、要するにふつうの女の子だったんだ。


「そういえば七倉さんからも電話をもらったよ。それも志野原さんのことだったのかな」

「七倉菜摘も気づいていたのですか?」

「うん、昨日電話があってさ、でも気にするほどのことはないって」

「たしかに気にかけるほど強力な能力ではないと言わざるをえないですが……」


 言ってから、相坂さんは僕のことを強い目で見つめた。


「でも、やっぱり聡太のことは気になると言わなければならないのです」


 脳天気かもしれないけれど、僕はそれがとても嬉しかった。


「そもそも、その志野原美涼はどうして聡太の電話番号を知っていたのですか?」

「うーん、それなんだよね。もちろん、前の中学でも仲の良い友達なら、僕の携帯電話の番号を覚えている可能性もあるんだけど、そんな話はひとつも出なかったんだよね。どうして僕の携帯番号を知ったんだろう」


 もっとはっきり言ってしまえば、僕の携帯電話に電話できるような友人は、別れて2年が経つ今になっも、指を折って数えてしまえるほど少なかった。メールでもそう多くはない。そして、自動車で10時間もかかる遠方に転校してから2年で、かつての友人たちとの音信はほぼ途絶えた。


「それと、電話を貰ったタイミングです。どうして聡太が転校して2年も経ってから、わざわざ電話してきたのですか。疑問だと言わざるをえないのです」

「それもそうなんだよね、なんだかとっても懐かしそうだったし、僕も懐かしかったからいいんだけど。でも、このタイミングで志野原さんが連絡を取ったことに、理由があったということなのかな?」


 相坂さんは頷いた。たしかに、別れてから2年も経ってから急に連絡をとるなんて、そう滅多にあることではなかった。そりゃあ、何年も経ってから同窓会を開くからクラスメートに連絡をすることや、ごく親しかった人との旧交を温めることがあるかもしれないけれど、僕にとってはまだ無縁の話だった。


「転校するときに、何かあったのではないですか? 忘れているようなことでも……」

「忘れているようなことか。うーん……」


 腕組みをして、僕は2年前のことを思い出す。けれどもそれは、大量の本の山から、たった1行の文章を見つけ出すようなことだった。僕は1週間前にあった会話だって全てを思い出すことはできない。


「ひょっとして、志野原美涼は聡太に気があったのではないですか?」

「いやいや、それはないよ!」


 僕は慌てて腕を振った。どうしてそんなに慌てる必要があったのかは僕自身でも分からなかった。けれども、志野原さんと最後に出会ったときのことは思い出すことができた。


「でも、名残惜しそうな様子ではいてくれたと思うよ。だから志野原さんのことはよく覚えていたんだけどね。中学の、ほんの短いだけの友達だと、やっぱりみんな忘れていっちゃうんだ」

「忘れて……しまうものなのですか」


 僕は少し茶化して言ったけれど、僕が思ったよりもずっと相坂さんは、僕の「忘れちゃった」という言葉を真に受けたみたいだった。薄情だと思われたのかもしれない。普段は他人に素っ気ない態度をとる相坂さんだけれど、こういう対人関係について、相坂さんは決して無関心などではなかった。


「残念だけど――、でも2年前に志野原さんに能力を使われていたとしても、もう思い出せないよ」


 だって、僕たちが中学生だったのはつい3か月ほど前の最近のことで、僕と志野原さんは幼なじみでもなんでもなかった。もちろん志野原さんは僕と付き合っていたなんてこともない。


「聡太の周りに、志野原美涼と連絡をとることができる人間はいないのですか?」


 僕は首を横に振った。


「いないよ。もともと、お父さんの転勤の都合で、何年か暮らしただけの土地だったからほとんど関わり合いがないんだ。志野原さんの連絡先を個人的に知っているわけでもなかったし」

「本当に、何もかもないのですか……」


 僕は、相坂さんの落ち込みようを見て、志野原さんが本当に能力者だったのだと分かってきた。相坂さんはとても強力な能力者で、ほんの少しの痕跡でも能力に気づいてしまえる。僕は志野原さんが能力者だと知らなかったんだ。


「でもさ、こんなに遠くにいても能力が使えるってことは、僕にとってそう迷惑になるようなことじゃないってことなんだよね」


 相坂さんは首肯した。むしろ、僕はその逆のような気がしていたくらいだ。

 そう、僕はなんとなく志野原さんと僕との繋がりが見えてきていたんだ。


「相坂さん、そろそろ帰ろう。暗くなると危ないよ」


 店を出て、僕は夕暮れの空を見上げた。街路樹からは蝉の声が聞こえる。ミンミンゼミが鳴きやんで、ヒグラシの声がした。2年前の夏だって、同じような蝉の声を聞いた。

 志野原さんが能力者だった。そうだとしたら、僕に連絡をくれたことにほとんどの説明がついた。それは多くが憶測だったけれど、僕が抱いた不思議のいくつかを解いてくれる。

 相坂さんと並んで歩いているうちに、僕はどこか満足した気分になった。


「聡太はもう考えていることがあるのに違いないのです」


 不意に、相坂さんは口を開いた。それは僕が考えをまとめるのを待っていたみたいだった。気のせいかもしれないけれど。


「うん。でも、推理なんて大したものじゃないよ」

「聡太はいつもそう言ってすごいことを考えています」

「今回は本当にただの想像だよ。だって、もう2年前のことだから」

「聞きたいです」


 新しい街の並木道には、車の入り込まない道もたくさん造られていて、そうした道にはベンチがところどころ設けられていた。相坂さんはそのひとつに腰掛けて、僕にもすぐ隣に座るように促した。

 座ると、相坂さんのからだから、いつもの柑橘類のとてもいい香りが漂ってきた。相坂さんは笑顔で僕の話を待っていた。


「ねえ、相坂さん、こうやって能力者だけが入れる場所っていうのは色んなところがあるんだよね。喫茶店だけじゃなくて」

「そのとおりだと言わざるをえないのです」

「そうだとしたら、知り合いもいない土地同士で遠く離れた志野原さんが僕のことを知るとしたら、限られてはいるけれど、ひとつだけ手段があるじゃないか」


 相坂さんは少しだけ慎重になって考えたけれど、たぶんすぐに結論には気がつくはずだった。だから、僕は相坂さんを待つなんてことはせずに、すぐに自分の考えを言った。


「もしかしたら、インターネット上で能力者同士が情報の交換をしているかもしれない」

「……そういうことはあると言わなければならないのです。それに、志野原美涼がその手段を使ったことは、充分に考えられるのです」

「うん――。僕にとっては、能力者同士のコミュニティがどういうふうに形成されているのか分からない。もしかしたら僕には想像もつかないほど、そのコミュニティが密なのかもしれないけれど、僕たちふつうの人間が携帯電話やインターネットを使って会話をしているのに、能力者だけが口づての噂を使って、身内だけにしか分からない情報をやりとりしているのかな?」


 相坂さんは静かに首を横に振った。


「そう、そんなことはありえないんだよね。異能の力を持つひとたちだって、僕たちふつうのひとと同じくらいの情報手段をもつはずだよ。だとしたら、志野原さんが僕の動向を知ることができる手段は、インターネットしかないと思う」


 もちろん、人づてに僕の噂が広まっていった可能性もある。前に、隣のクラスの御子神さんが僕のところに突然やって来たことがあったし、氷上さんのときもそうだった。

 けれども、志野原さんはとても遠い場所に暮らしていて、人づてに情報が伝達するのには限界がある。昔ならきっと情報をやりとりするには難しかった距離。

 でも、インターネットがある今なら……、そして、どうやら僕の行動を見ているひとが、少ないけれども確実にいるならば、可能性はある。


「志野原美涼はインターネット上で聡太の情報を知ったのですか?」

「アンダーグラウンド……って言ったら聞こえが悪すぎるけれど、僕のようなふつうのひとが分からないような、秘密のウェブサイトがあるのかもしれない。掲示板があるのかもしれない。そこで僕の行動が噂になっているとしたら、2年の時を超えて、志野原さんが連絡してきたのも当たり前だよ」


 つい最近も、僕は生徒会との間にちょっとした事件を通じて関わっていた。


「だとしたらタイミングはピッタリです! では、聡太の噂を流したのは誰なのですか?」

「誰なんだろう。でも、誰かが僕と志野原さんを繋いでいるのは確実だよ。志野原さんはずっと遠い場所に暮らしていて、誰かが間にいないと直接には僕のことは分からない。それはインターネットがなくても同じだけれど、インターネットがあれば、噂を流したひとは誰でもよくなる」


 僕はそこで言葉を句切った。明らかにしないといけないことはたくさんあった。


「でも、携帯電話の番号だけは分からない。僕の中学時代の友達が教えたと考えるのが自然だけど――実はそれ、99パーセントまでありえないことなんだよね」


 僕はポケットから携帯電話を取り出した。結局、今日は使うことはなかったけれど、この携帯電話の中には相坂さんのデータが入っている。

 僕は小さく息をついた。


「相坂さんと番号を交換するときに見せたよね。僕の携帯、相坂さんのものほどじゃないけど『機種だけは新しい』んだ。この携帯電話は、入学する少し前に買ってもらったものなんだ。もっとも、僕は携帯電話なんてほとんど使わないし、相坂さんが持っているものに比べたらずっと安物だけど――」


 僕の言葉に、相坂さんの叫び声が割り込んだ。


「それは矛盾だと言わなければならないです! どうしてそれを疑問に思わなかったのですか」

「可能性は否定できなかったんだ。僕の新しい携帯電話の番号が、知らないうちに巡り巡って志野原さんのところまでたどり着いた可能性。考えてみたらありうるんだ。一応こっちの中学校に転校してくることは言っていたし、久良川に祖父母がいて、盆と正月には帰省していたことも知っている。もしかしたら中学時代の友達の誰かが、手を尽くして調べたのかもしれないから」


 そう、可能性はゼロじゃなかった。それに、僕の番号を調べて電話をしてきてくれたという事実だけで、僕はとても嬉しかったんだ。


「志野原さんが能力者なのだとしたら、どうにかして僕の新しい携帯電話の番号を手に入れることはできると思う。その能力は何なのか分からない。でも、どうして連絡してきたのかは分かったよ。志野原さんは思い出してほしかったんだよね」

「聡太は志野原美涼のことが好きだったのですか?」


 僕はびっくりして相坂さんの顔を見た。

 間近で見る相坂さんの顔はとても綺麗だ。肌は滑らかで、こうして見ていると目つきはぜんぜんきつくない。むしろ優しさを含んでいるのがよく分かる。相坂さんは気恥ずかしくなるほどの美人で、僕はその質問に答えることができなかった。

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