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僕は祖父の後継者に選ばれました。  作者: きのしたえいと
8,志野原さんの思い出
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42, 夜の電話

 僕は志野原さんの言うとおりだと思って頷いた。たぶん、志野原さんにしてみれば僕の顔なんて見たところであまり感動するなんてことはないだろうけれど、僕は志野原さんの背後に映った部屋の風景にちょっとどきどきした。

 志野原さんの部屋は、女の子の部屋というには特別なものは何もない部屋だった。壁紙の色は白だし、ぬいぐるみや少女趣味のキャラクターが映っているわけでもない。でも、片付いている書棚を見ても、僕の部屋とはぜんぜん見栄えが違った。


「昔から真面目だったけれど、真面目なだけじゃなかったよね、司君」

「そうかな?」

「そうだよ。なんとなく面白かったもの。転校して残念だったなぁ」


 志野原さんの評価は嬉しいけれど、中学時代の僕が特に面白いなんてことはなかった。ひょっとしたら志野原さんの琴線に触れる何かがあったのかもしれないけれど。


「ねえ、思い出さない? 中学生のころ、ファンタジックな剣や魔法に憧れた男子がいたじゃない?」

「うわわっ、その話はもういいよ!」

「いいじゃない。もう昔の話なんだし。そのとき司君はこう言っていたんだよね。剣は実際にあったんだから、魔法くらいあってもおかしくないって」


 僕が本当にそんなことを言ったのかは覚えていないけれど、僕はその頃の話を思い出すと顔が熱くなるし、下手をすると精神的異常をきたしそうなので、慌てて他のことを考えることにした。中学前半のあの時期に何が起こっていたのか……僕は語る口を持たない。

 志野原さんはそれをたぶん分かって言っているんだろう。画面の向こうで意地悪く笑っていた。


「司君はあんまりそういう悪ふざけには加わらなかったけど、私は覚えているなぁ」

「もう忘れたよ、そんなの」

「いいじゃない。魔法も必殺技も、私は嫌いじゃないです。むしろ好き」


 僕はもうコリゴリだった。いくら傍観者でも、あの頃の僕が、頭の中で物語の主人公だった……なんてことを考えていたのは、秘密裏にしておかないといけないんだ。


「ああ、楽しい。ねえ、また明日の夜に電話していい?」

「うん、夜なら構わないよ。ちょっと昼間は出かけるんだけど」

「ひょっとして女の子と?」


 志野原さんは鋭くもあったけれど、僕はなんとか誤魔化して通話を切った。

 そういえば、この日は夕食後に不思議な電話があった。ベッドに寝転がりながら、そろそろ風呂に入ろうかと考えながら祖父のノートを読んでいると、リビングから母の声が聞こえてきたんだ。


「聡太、電話」

「電話? 僕に?」


 母は受話器の口に手をしっかりと当てて、少し興奮した様子で言った。


「ほら前にお祖母ちゃんに言っていたじゃない。この町でいちばんの名家の子、七倉さんからよ。私、聡太様はご在宅でしょうかなんて言われて、いったい誰のことを言っているのか困っちゃったわ」

「ああ、それは七倉さんに違いないや」


 僕の知り合いのなかでそんな話し方をしそうなのは、七倉さんと京香さんのふたりしか思いつかない。


「いい子ねえ。電話越しにも分かるわ、上品というか、育ちが違うというか」

「いいから貸してよ、七倉さんを待たせてるんだから」


 僕は母から受話器を受け取ると、待っているはずの七倉さんに謝った。


「ごめん七倉さん、ちょっと手間取って」

「あっ、司くん、こんばんはっ」


 僕は心臓が飛び跳ねるのを自覚した。無機質な受話器から、七倉さんの声が聞こえてくる。それだけで、僕は鼓動が早くなって自分が何を喋っているのかも曖昧になっていくみたいだ。受話器のせいで少しだけ音質が悪くなっているのが腹立たしかった。


「急にお電話を差し上げて申し訳ありません。お休みでしたか?」

「ううん、本を読んでいただけだよ。お祖父ちゃんのノート」

「聡一郎さんのノート……、お勉強なされていたんですね。やっぱり司くんは凄いです」


 僕はまた七倉さんの誤解を増大させてしまったみたいだ。気のせいだろうけれど、七倉さんの声がうっとりと夢想するように聞こえる。


「それよりも、何か用があって電話してきてくれたんだよね?」

「あ……あの、いえ、その……」

「どうかしたの、七倉さん?」


 七倉さんは急に言いにくそうに途切れ途切れの話し方になってしまった。どうしたのだろう。


「いえ、申し上げるほどのことではないのですが、そのぅ……」


 僕は七倉さんが話しやすいように言葉を待っていたのだけれど、七倉さんはなかなか話し出してはくれなかった。


「すっ、すみません。司くんのことで気になることがあったものですから、お電話を差し上げただけですっ」

「えっ、それって僕のことで何かあったってこと?」

「はい……。でも、そんなに大したことではありませんから、お気になさらずとも構いません」


 もちろん、僕は七倉さんが何事もないのに電話してきてくれたなんて思わなかった。でも、ほんの些細なことなのにわざわざ連絡してきてくれたなんて、考えるだけでも幸せだった。それは七倉さんが僕のことを気に掛けてくれているってことなんだから。


「よかった、安心したよ」

「申し訳ありません。わざわざご心配をおかけいたしました。それでは夜分遅くに申し訳ありませんでした。失礼いたします」

「あっ……七倉さん」


 七倉さんは急に電話を切ってしまった。僕はそれで気を悪くするなんてことはなかったけれど、気になることがあるのなら言ってくれればいいのにとは思った。

 でも、七倉さんが電話を掛けてくれたことは少し気にしておくべきかもしれない。こんなことは前にもあった。あれは御子神さんの能力に僕がかかってしまったときのことだ。もしかして、また僕の様子がおかしくなっているのかな……。


「まあいいか、来週にも会うんだしそのときに聞こう」


 七倉さんが大したことはないと言っているんだから、それで大丈夫なはずだ。

 僕は受話器を置いて、自分の部屋に戻ろうとした。すると、キッチンで洗い物をしていた母が声をかけてきた。


「聡太、明日出かけるんでしょ」

「うん、そうだよ……って、どうして知ってるの?」

「さっきから服を見繕っていたじゃない。七倉さんとなの?」


 それは夢みたいなことだけれど、明日のこともじゅうぶん夢みたいなことだ。


「ううん。相坂さんっていう女の子。相坂さんも七倉さんと同じくらい強い能力者だよ」

「ああ、お義父さんが言っていた能力者のことかしら。私にはよく分からないわ」


 母はいまひとつ僕たちの言うような、この町に暮らしている能力者のことが、実感をもって理解することができないでいた。頭では分かっているみたいだけれど、僕みたいに日常的に会うこともないし、その能力を目にしたこともない。僕にとっては祖母にあたる倉橋の能力も、母にとっては姑の特技程度の認識だったんだ。

 僕はそんな母の認識がもどかしくて、少し不機嫌な口調で母に言った。


「七倉さんは手で触れただけで鍵を開けられる能力者だよ」

「あら、それだけなの?」


 母はちっとも分かっていなかった。立場が違うとこんなにも理解の差があるんだろうか。僕と母の温度差はひどいものだった。


「どんな鍵でもだよ。家の鍵をちょっと開けられるだけじゃないんだ」

「それじゃ泥棒に入られちゃうじゃない」


 僕は呆れて、わざわざ説明することはやめておいた。ただ、七倉さんの名誉だけは絶対に守りたくてこう付け加えた。


「七倉さんは死んでも泥棒なんかやらないよ。だから凄いんだ。相坂さんも一緒」

「そうね、あんな話し方をする子が泥棒なんてするわけないわよね」


 やっぱり、母はあまりよく分かっていないみたいだった。それは仕方の無いことではあるんだけど、ちょっとだけ納得いかなかった。


***


 土曜日は朝からとてもよく晴れた。

 久良川は特別に暑くなるような土地ではなかったけれど、雲ひとつない空が広がるような日は、アスファルトを照らしつけて耐えられない暑さになった。僕は9時過ぎに家を出て、自転車を漕いで駅までの道のりを急いだ。

 少し早めに出発したつもりだったけれど、駅前には既に相坂さんがいた。

 相坂さんはボーイッシュな格好だった。袖の短いシャツを着て、ショートパンツっていうのだろうか。ジーンズをとても短くカットした、脚を見せるような服装。でも、服装は男の子っぽくても、相坂さんの横顔はどう見ても美人のそれだったんだ。


 相坂さんは背が低いけれど、脚は長いし、顔の作りは精巧だし、なによりどこか他人とは漂わせている雰囲気が違っていた。僕にはそれが相坂さんの能力のせいだということが分かっている。

 相坂さんは男性に対して魅了するような能力を持っている。つまり、相坂さんのことを可愛いと思った男性に対して、相坂さんは命令を下すことができる。それは制約も多い能力だったけれど、とてつもなく強力な能力だった。その能力の強さだけなら、七倉さんと肩を並べることができるほどだ。

 道行くひとをよく観察していると、ほとんどの男性が相坂さんのことを一度は目にしていることが分かる。僕はそれを、能力によって底上げされた相坂さんの可愛さに、全員が無意識に気がついているからだと分析した。


「なんだかみんな相坂さんのことを見ているよ。すごいね」

「聡太以外が話しかけてきたら、蹴り飛ばしてやらねば気が済まないのです」


 相坂さんは周囲の男のひとを睨めつけるようにして言った。それだけを聞くと、なんだか相坂さんがとても乱暴なように聞こえるけれど、本当は、相坂さんの能力があまり大きな影響を及ぼさないようにする、相坂さんなりの配慮だった。相坂さんは見かけよりもずっと性格が良いんだ。


「聡太はどこか行きたいところはありますか?」


 相坂さんは僕を見上げて言った。


「暑いし、せっかくだから地下鉄で街まで出ようよ」


 相坂さんは久良川町内でもいいと言ってくれたけれど、僕はこの暑さの中で町内を移動したくはなかった。街まで出れば、冷房の効いた施設がたくさんあるし、電車やバスの本数もずっと多かった。久良川には夕方に戻ってくればいい。

 僕たちは市営バスと地下鉄の一日乗車券を買った。休日だったので普段よりも安い。これさえあれば、都心に行っても久良川町内で移動しても、僕の財布は痛まない。お金が無いことを見せつけるみたいでちょっとだけ格好悪いかなと思ったけれど、相坂さんはむしろ喜んでくれた。


「聡太は賢いです」


 そうして、にーっと歯を見せて笑ってくれた。ものすごく機嫌が良さそうで、僕はそれを教室内で見ることができないことを残念だと思った。


「では聡太、行きましょうか」


 僕たちはちょうど来た電車に乗り込んだ。車内は混んでいたけれど、相坂さんと一緒だと移動の時間なんてほんの一瞬だった。

 移動の間は先週までに終わった期末テストの結果の話をした。テストの少し前にあった生徒会での事件の話もした。氷上さんの姉妹と倉橋先輩が関わったあの一件のせいで、テスト勉強は少しだけ遅れてしまったんだけど、試験の点数はふだんどおりだった。特に悪くはないけれど、相坂さんに比べるとちょっと寂しい点数。


「……それで、氷上優子と氷上桃子はどうしたのですか?」

「まだ半月くらいだから何か進展したわけじゃないよ。でも、桃子さんは何人か能力者のひとを紹介してもらっていて、友達が増えたってとても喜んでいたみたい。優子さんは今のところ何もしていないみたいだけど、桃子さんのことがひと段落するまで様子を見ているだけかもしれないから、注意しておくって倉橋先輩は言ってた」

「でも、唯一の目撃者……保健室の教師はどうにか抑えているのではないですか」

「うん、七倉さんが言い含めてくれたみたい。ただ、人の口に戸は立てられないからって他にも手は回しているみたいだ」


 期末テストの少し前、久良川高校の生徒会長でもある氷上優子さんは、僕たちの前で意図してアルコールを口にした。もちろん、それは単なる飲酒を目的にした行為ではなくて、僕たちに妹の桃子さんが能力者だと気づかせるための狂言だったんだけど……。

 でも、優子さんはそれを飲酒事件だと言って聞かなかった。

 それに、優子さんはこうも言っていたんだ。


「司、きみには分からないかもしれないが、七倉や倉橋にはもっと分からないだろうから、同じ言うべきことならきみに言おう。本来、能力者に出会うことは簡単なことではない。それは、彼らが既に安定した時代に突入しつつあるからだ。

 きみは現代のこの国の状況をどれだけ正確に捉えているだろうか。高齢化が進み、人口が減少しつつある。国の発展が鈍化するにつれて、都市や近郊の開発は徐々に止まりつつある。いや、なにも私はその政策的な問題を論じたいわけじゃないよ。

 だが、いま言った事実は能力者にとってふたつの状況を作り出す。ひとつは、開発によって破壊されかけていた能力者同士の古いコミュニティが、どうにか生き残りそうだということ。この久良川町もそうだ。特に中心となる七倉家が開発に反対し続け、それが効を奏して時代の激流にどうやら耐えきったらしい。これがひとつ。

 もうひとつは、能力者がこれ以上は増えないだろうということ。もはや能力者のコミュニティは拡大を想定していない。いや、現状を維持するので精一杯だと言うべきだろう。

 それはこの国の縮図と言ってもいい。今や新参者はどこからも歓迎されない。利益を受け取ることができるのは、ほんのごく一部の人間だけなんだ。既得権益者と個人的な繋がりのあるもの、子孫、ほんのわずかなエリートだけ。

 もっとも、国全体の姿勢に比べれば能力者は圧倒的に寛容だよ。能力者だと分かれば桃子のことを受け入れてくれた。これは本当にありがたいことだ。特に私のように年若く、後ろ盾のない人間にとってはね……。

 でも、そのために私はルールを破った。私は桃子にまっとうな評価を与えてもらうために守るべき規則を破って成果を得た。それは本来ならば抜け駆け行為だ。成果を与えられる前に取り締まられるべきことなんだよ」


 相坂さんは少し考えて言った。


「それは否定できないことに違いないのです。状況が悪ければルールを破ってでも成果を得たいというのは、決して良いことではありません。でも、氷上優子のルール破りは、決して容認できないような大きなものではないように思います。氷上優子が責められるとすれば、私のような能力者は生きているだけで許されない存在に違いないのです」


 僕は首を横に振った。相坂さんの能力はたしかに反則級に強力だ。でも、相坂さんの能力は、その可愛さが具体的な能力という形で具現化しただけだ。それが反則だというのなら、僕はルールのほうが間違っていると思う。


「そんなことは絶対にない。相坂さんの能力を責めることなんて僕にはできないよ。優子さんだって同じだと思う」

「聡太がそう感じるのならそれが正解に違いないのです」


 相坂さんはとても嬉しそうに頷いた。

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