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僕は祖父の後継者に選ばれました。  作者: きのしたえいと
8,志野原さんの思い出
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41, 僕とふたりの約束

 電気製品といったら、僕が頼りにするのはやっぱり友人の河原崎くんだった。

 翌日の休み時間のこと、僕は河原崎くんを訪ねた。

 河原崎くんは、夏場だというのに相変わらず目元にかかるほどに前髪が長くて、それなのにちっとも暑苦しく見えない不思議な能力を発揮していた。

 いったいどういう原理なのか不思議なんだけど、それがミステリアスなオタクの道を行く河原崎くんのスタイルらしかったから、僕は敢えて何も言わなかった。たまにはコンピュータ研究会のパソコンだって使わせてもらっていたし。


 志野原さんから電話をもらった翌日は、曇っていたけれども夏の陽気には違いなかった。もうすぐ梅雨が明けるから、机がべたつくような湿気はなくなってきたけれど、こんどは肌を焦がすような熱気が教室の窓際を照りつけた。僕は日なたをうまく避けながら、これまたうまく日陰に陣取った河原崎くんの隣に腰掛けた。


「ねえ、このあたりの電器店で安いところを知らないかな?」


 河原崎くんはなんとなく眠そうにも見えたけれど、実際にどんな目をしているのかは分からなかった。


「いまどきネットショッピングが安いに決まってるぞ」

「手にとって調べたいんだ。なにせ、今まで使ったことがないものだからさ」

「相場的にはネット店舗が最安値だろうが、それでも最近は実店舗も対抗し始めた。大手でもまともな値段を付けてくるところもあるぜ。そこにしたらいい」

「ちょっと待って」


 僕は手近な紙をもらってから、河原崎くんが挙げる大手電気店をメモライズする。


「この近所かな?」

「自転車で行ける距離だぜ。まあ買う物の値段にもよるが、俺に聞くくらいのモノだったら交通費はかからないほうがいいだろ」

「うん、助かるよ」


 河原崎くんは満足げな笑みを見せた。河原崎くんは、あまり男子のなかでも交友関係がなくて、自分の世界をしっかりと確立しているからそこに入り込むのも難しい。

 そういう意味では、河原崎くんは同じクラスメートの相坂さんに似ているかもしれない。相坂さんもまた、意図的に交友関係を作らないようにしている。それはちゃんとした理由があるんだけど。

 でも、河原崎くんは決して不親切というわけじゃないんだ。こうやって質問をすれば丁寧に答えを返してくれた。


「ところで、これは聞いていいものか悩んだんだが、いったい何を買うんだ?」

「カメラとマイク。インターネットで映像付きの電話をしなきゃいけなくなったんだよ」


 河原崎くんは、ちょっと呆れたような口調で言った。


「なんだ、そんなものだったのか。それなら買わなくても貸してやれるのに、先に言え」

「え、本当?」

「家に腐るほどある。2、3個ほど持って行くか?」

「1個で構わないけど助かるよ!」


 ああそうか、河原崎くんがコンピュータの周辺機器に詳しいのは当たり前だと思っていたけれど、当然のようにそうした周辺機器をたくさん持っているんだ。


「兄貴の会社の関係でな。家の防犯用なんかに昔からたくさん仕入れてある。型落ちも多いが性能はなかなか悪くないと思うぜ」

「そんなに性能は要らないよ、そんなの借りるのも悪いし」


 河原崎くんは余計な心配はしなくていいとばかりに首を振った。どうやら家に使い道がない機器がたくさんあるみたいだった。


「急ぎならコンピュータ研究会から持って行ってもいいだろうがな。どうする、今日持って帰るか?」

「うーん、そうだなあ……」


 志野原さんへの連絡は早いほうがいいだろうけれど、コンピュータ研究会への迷惑を考えるとここは遠慮しておこうと思った。


「河原崎くんの家から持ってきてくれないかな。部員のひとにも悪いし」


 河原崎くんは「そうか」とだけ言って、それから僕にカメラやマイクの性能や型について教えてくれた。そうして話をしていると、「聡太」と言う、あまり大きくないけれども聞き逃せない綺麗な女の子の声が聞こえた。


「聡太、また何か悩み事があるのですか」


 振り返ると、目に映るのは短身だけれど目の覚めるような容姿だった。今はとても不機嫌そうで、目つきも他人を疑うかのように鋭いけれど、本当は笑うだけで男子を殺せるほど可愛い相坂さんだ。

 相坂さんは僕たちの傍に近寄ると、僕の隣に適当な椅子を持ちだして腰掛けた。


「それとも河原崎信二と夏休みの相談事ですか」


 僕に対しては、相坂さんは目つきを緩めてくれる。そうしてくれると、相坂さんの顔はとても綺麗な造形だということがすぐに分かるんだ。華奢だけれど見栄えのするスレンダーな体に、庇護したくなるような上目遣い、すっきりとした目鼻立ちと薄い唇、それは正に才色兼備といっていい女の子だった。

 僕はほんの少しだけ相坂さんから体を離すようにしてから、質問に答えた。


「ううん、違うよ。今日はそういうことじゃなくて、ちょっと買わなくちゃいけないものができたんだ」

「何を買わなければならないのですか。本、服、それとも聡太の部屋のインテリアか何かなのですか?」

「実はマイクとカメラを買わなくちゃいけなかったんだ」


 相坂さんは可愛らしく首を傾げた。


「マイクとカメラ……。何か撮影しなければならないのですか」

「インターネット電話をしようって話になってさ。こっちに引っ越してくる前のクラスメートなんだけれど、久しぶりだから顔が見たいって」

「そういえば、聡太はこちらに越してくる前は遠くの町に住んでいたのでした」

「そういやそうだったな。なるほどな、最近のカメラの性能なら、まるでそこに居るように話をすることができるか。新しい物好きな奴なら試しそうなことだ」


 たしかに、志野原さんはいいと思ったことや新しいものをどんどん取り入れようとする性格だった。コンピュータ関係に強かったかどうかは分からないけれど、電話代が掛からなくて、映像が利用できる通話手段があると言ったときの志野原さんは、新しいものを好んだ中学時代の雰囲気そのままだった。


「仲の良いお友達だったのですか?」


 僕は首を横に振った。


「ううん、全然。まあでも、女子にしては話したほうだから、良かったといえば良かったのかな」

「女子……」


 相坂さんは少しだけ考えてから、僕の制服の袖を引っ張った。相坂さんから漂ってくる柑橘類のいい香りが強くなる。それから、澱みのない命令口調が後に続いた。


「では聡太は、わたしと一緒に買い物に行かなければならないのです」

「でも、カメラとマイクはもう揃っちゃったよ。河原崎くんが貸してくれるから」


 実は、僕は予算の心配をしていた。河原崎くんから借りることで、数千円の違いが出ることが分かっていた。相坂さんと一緒に買い物に行くことはとても嬉しいけれど、数千円の出費は痛い。

 でも、相坂さんはまた袖を指で引っ張った。


「買いに行かなければならないのです。私と」

「ごめん、新しいものを見て回るほど余裕がないんだ」


 相坂さんの指が離れた。でも、上目遣いは続いていた。


「じゃあ、ほかに買わなければならないものはないのですか」


 僕は考える。予算には余裕がないけれども、全くお金がないというわけでもない微妙な財布の中身。僕が買うとしたら、センスのさえない服に代わる新しい服だろうか? でも、相坂さんが買うような服には足りない。弱った。


「何でもいいのですよ」

「でも、本くらいしか思いつかないよ」


 僕はとても申し訳ない気持ちになって言った。けれども、相坂さんはぱっと顔を明るくして、上目遣いじゃなくて屈託のない笑顔に切り替わった。


「では本を買いに行かなければならないのです!」

「でも本って言っても、本当にたいしたことがないよ。単に読みたい文庫本の新刊が出たっていうだけで、たくさんの本を見るわけでもないし」

「じゃあそれを買いに行きましょう」

「近所の書店に行くだけだよ。一応、駅前の本屋さんを見に行こうかなとは思っているけど……」

「では駅前に行きましょう」


 なんだか僕はとても心配になってしまう。隣でものすごく期待しているふうな相坂さんを見ていると、見惚れてしまいそうになるくらい可愛いんだけど、僕は相坂さんの期待に応えられるような遊び場所なんて知らないんだ。

 そんなふうに迷っている僕を見てどう思ったんだろう。河原崎くんは表情の読めない笑みを浮かべて僕に言った。


「いいじゃねえか。近所でもいいのなら行って来いよ。カメラとマイクが浮いたカネがあれば、何やっても半日くらいは過ごせるだろ」

「まあ、それはそうだけど……」


 でも、実は相坂さんと一緒に遊びたいという願望を抱いている男子は何人もいるんだ。たぶん、彼らは相坂さんを喜ばせるために、たくさんの楽しい場所に連れて行くんだと思う。僕だって、せっかくの休日を過ごすならそんな特別な場所に行きたいんだけど……。

 やっぱり断ろう。そう思って相坂さんの顔を見たら、相坂さんは目を細くして微笑んだ。


「せっかくですから、私の知っているとっておきのお店にも行くのです」

「とっておき?」

「それは当日に教えます。それまでは内緒にしておかなければならないのです」


 断るのはやめにした。

 相坂さんは携帯電話を取り出して、インターネット接続して何か調べ物をしているみたいだった。ものすごく上機嫌になっていて、柔らかな横顔になっている。この顔になっていると、なんだか上品な猫みたいだ。

 こんなときは、周りの雰囲気までも変わってしまうほどだった。たぶん相坂さんが持っている、とても強力な能力のせいなんだろうけれど、何人かの男子はそれに直感的に気がついて、相坂さんの滅多に見られない笑顔を見て、隣の男子の肩を叩いている。

 相坂さんはそれにちっとも気がつかないまま、僕に話しかけてくる。


「でも、残念と言わざるをえないのです。私はこれでもカメラとマイクに詳しいのです。もっとも、わたしの場合は撮影されなければならないほうですが」

「まさか雑誌のモデルとか?」

「ちょっとだけですけれどね」


 ちょっとだけど言ったけれど、相坂さんは得意げだった。


「どうしてもと言うから撮らせているのです」


 相坂さんは座ったまま、腰に手をあててそれらしいポーズをとった。前は相坂さんは体つきのことを気にしていたけれど、そんなことは全然問題ないくらい雰囲気がある子なんだ。

 そんなサービスはほんの一瞬で終わってしまうのだけど、相坂さんは今度はちょっとだけ言いづらそうな告白をするみたいに、俯いて言った。なんだか頬が染まっていてとても恥ずかしそう。


「じゃっ、じゃあ聡太、わたしたちは携帯電話の番号を教え合わなければならないのです」

「携帯電話? そうだね、知っていたほうが待ち合わせも便利だもんね」


 僕はふだんあまり使わない携帯電話を取り出した。機種だけは新しいけれど、相坂さんの持っているケータイは、僕のものよりも更にハイクラスのものだった。僕たちはケータイを操作すると、お互いの情報を交換しあった。


「うまくいったのです」


 相坂さんはニコニコして言った。


***


 その次の日、河原崎くんは僕に約束したとおり、いやそれ以上に高性能なウェブカメラとマイクを持ってきてくれた。


「綺麗に映ると思うぜ。今でも買おうと思えば万札が飛ぶからな」

「そんなに高いものを借りるなんて悪いよ!」


 当然だけど、そんなに高いものを借りるつもりなんて僕にはなかった。だから僕はびっくりして断ったんだけど、河原崎くんは苦笑した。


「俺だって使わないんだよ。兄貴の商売道具ではあるんだが、それは実験用に使っていたわけで客に渡すわけにもいかねえからな。家で古くなるまで放置するよりは、司に使わせたほうがよほどいいだろ」


 結局、僕は曖昧だけれど一応は納得してそれを受け取ったんだ。

 その日は早めに帰宅すると、僕は自室のパソコンにカメラとマイクを繋いだ。高性能で高級なカメラに比べると、マイクは普及品でそれほど高そうには見えない。でも、僕がこれからする志野原さんとの電話用にしてみれば、充分すぎるほどのスペックだ。

 僕はパソコンを立ち上げて、志野原さんがオンライン状態になるのを待った。それは志野原さんとの打ち合わせで決めたことだった。夏の高い太陽が沈みかける頃になって、志野原さんはようやく帰宅したみたいだ。

 僕はキーボードにメッセージを打ち込んで送信した。


「こんばんは、今から電話するね」


 すぐに返事が戻ってきた。


「うん、いつでもいいよ」


 僕は自分の上半身が移るようにカメラをセッティングして、ディスプレイに映った自分の姿を見ながら、髪を整えたり、服を確かめたり、部屋の中に変なものが映り込んでいないかチェックした。頭はヘッドホンでいくらか誤魔化せている。……大丈夫。

 そうして、大きく深呼吸をしてからディスプレイ上の通話ボタンをクリックした。

 呼び出し音が、1回、2回……志野原さんの声はすぐに聞こえた。


「――こんばんは」


 ああ、懐かしい。

 2年C組委員長・志野原美涼さんの声だ。


「こんばんは、一瞬、誰かと思った」


 相手の女の子の笑い声が聞こえる。ディスプレイにはもう彼女の姿が映っていた。まっすぐで、艶のある長い髪。中学時代から変わっていない髪留め。明るい色合いが好きで、今日もそんな服を着ている。でも、耳元にアクセサリがついているのはすぐに目がついた。

 輝きがある瞳も、色白の肌もちっとも変わっていない。でも、唇の色が僕の記憶の中よりもちょっとだけ紅くて、そのせいで僕は、ほんの短い間、相手が誰なのか分からなかったんだ。


「少しだけ変わったみたいだ」

「司君だってそうだよ、でも、よく見たらちっとも変わってないよね」

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