04, 僕と能力者の彼女
たしかに、それだけで充分なのかもしれない。
いつもは放課後にはいないはずの僕がいて、最後に教室に入ったのも僕。その僕が、知らないはずの教室が施錠される時間帯を知っていたのだから。ひょっとすると、これは犯人しか知りえない情報を、名探偵・七倉さんの推理でポロッと漏らしてしまったことにあたるのかもしれない。
それに、他に可能性が浮上しない以上は、僕が何らかの理由と方法とで、教室に侵入したと考えるのが普通なんだから。
だから七倉さんは容疑者である僕の返事を待っていて、好奇心に目を輝かせている。
ただ、言葉の上では僕は七倉さんに疑われているのだけれど、態度でも言葉でも追及されているようには思えなかった。
むしろ、とにかく僕の返事を聞きたいみたいに見えて、僕はちょっとだけ困ってしまった。どう返事すればいいのだろう。
僕が反論したのは、少し考えてからだ。
「そうだとすると、僕が鍵を開けるまでに許される時間は10分もないはずだよ」
これは七倉さんもすぐに思い至ったはずだ。
「僕が教室に鞄を取りに戻った後、帰りがけに職員室に寄ったことは言ったよね。そのとき担任はいなかったけれど、ほかの先生に教室の鍵が掛かっていないことを報告したんだ。だから僕が鍵を開けたとすれば、七倉さんと別れてから職員室に寄るまでの短い時間ということになる」
七倉さんは頷いた。
「僕が教室に戻る直前、つまり、僕が七倉さんと会って話していた頃に、教室の扉が施錠されたとする。だけど、これはかなり苦しいんだ。七倉さんと別れた後に僕が鍵を開けたとすれば、施錠して回っている教師に見つかる可能性も高いよね。それに、それほどの早業で開錠する技能があれば、自転車の鍵なんて一瞬で開けられるはずだよ」
あのとき、七倉さんと出会ったのは偶然だったはずだ。
だから、僕が鍵を開けることに関して、何の技術も道具も持っていないことは明らかなんだ。僕が自転車の鍵を開けられない演技をしていたなんて可能性もあるけれど、僕の行動はそれなりに目立っていたはずだ。不法侵入を果たそうとする犯人が、わざわざ疑われるような行動をとるだろうか?
「けれど、あらかじめ教室の鍵を手に入れていたらどうでしょうか? 自転車の鍵は開けられなくても、教室の鍵を開けることはできたのかもしれません」
「その後すぐに先生が教室の鍵を施錠し直すことが分かっているのに、鍵が開いていることをわざわざ教師に教えるのは無茶に過ぎるよ。もし教師に見つからずに鍵を盗み出すことができたとしても、返すタイミングが無くなってしまう。そんなに大胆な真似をするのなら、せめて教師が出払っているタイミングで実行しないと危険すぎるんだ。ほぼ不可能と言っていいはずだよ」
それに、僕は校内の鍵の管理がどのようになっているのか知らないけれど、おそらく、教師ですら内密に持ち出すことはできないようになっているんじゃないだろうか。
「結局、僕が鍵を開けるには時間が短すぎるというわけ。たしかに普段の夕方なら鍵を開ける時間はあるけれど、昨日みたいに僕が七倉さんと出会っていると途端に難しくなるんだ」
確実とまではいえなくても、これはアリバイといえるかもしれない。
七倉さんは、不承不承ではあるけれど、このアリバイを認めてくれたようだった。
「では、教室の鍵を開けたのは誰なんでしょうか?」
ここまで言っておいて悩むのもどうかと思われるかもしれないけれど、僕は正直なところとても迷った。
もちろん、形の上では七倉さんは僕のことを疑っている。
けれどもそれは、僕が七倉さんに謎を解いてほしいと頼んだからでもあって、七倉さんが本心から僕を疑っているわけではなかったんだ。
だから、僕は少しだけ自分の行動に後悔しながら、それでも、僕なりの自信を持って七倉さんに対峙した。
「教室の扉の鍵を開けたのは、七倉さんだよ」
七倉さんは動揺しなかった。
「それは、どうしてですか?」
「そうすると、昨日の夕方に七倉と駐輪場で会った理由が説明できるから」
「駐輪場で会った理由、ですか?」
僕は頷いた。
「そう。ねえ、七倉さんはどうしてあの時間に駐輪場に来たの?」
七倉さんはそれに答えられない。
それはきっと偶然の行動ではないのだろうけれど、七倉さんからはきっと偶然の行動に見えているはずだ。それに、自分自身のことを説明するのはきっと難しい。
「夕方5時前に下校すること自体は別におかしくないんだ。部活動のある生徒はあの時間帯に帰るだろうし、図書室もまだ開いている。でも、七倉さんはあのとき部活終わりでも、図書室からの帰りでもなかったよね」
「どうしてそう思うんですか?」
七倉さんの質問は当然の疑問で、僕はそれにすぐに答えられた。
「昨日、七倉さんは僕が教室に鞄を置いたままにしていることを確認していたよね。七倉さんはそれで僕の自転車を見張ってくれると申し出てくれた。それなら、僕の鞄が教室にあることを知っていたのは、少なくとも教室に生徒がほとんどいなくなってからじゃないといけない。それも、僕が鞄を置いたままだと確信を持って言えなければならないから、僕と会う直前でなければならない。つまり、七倉さんは教室を出たその足で駐輪場まで来たということになるんだよ」
七倉さんは否定も肯定もしなかった。
「僕が職員室に行ったのは5時過ぎ。駐輪場で七倉さんと会ったのは5時前。そこから逆算すれば、七倉さんが教室に入ったのは、余裕を持って4時40分、遅ければ50分くらいということになる。これに対して、教室が施錠された時間は曖昧だけど、4時半ごろなら七倉さんが来る直前だよ」
「それで、私が教室に入ったといえるでしょうか? 教室に入らなくても、教室の中を確認することは、そこの扉の小窓から覗き込めば可能ではないですか?」
七倉さんは入り口の扉を指さした。僕は振り返って窓の構造を確認する。
この高校の教室は、廊下側が壁になっている。教室の入り口の扉にはガラス張りの小窓が付いていて、廊下から教室内の様子を見るにはそこから覗き込むことになる。
けれども、そうして窓から覗き込むと、教室全体の様子を見ることはできても、かならずしも僕の鞄があることを確認できるとは限らない。
「七倉さんは教室に入っていなければならないんだ。なぜなら、七倉さんは僕の座席の位置を知っているはずなんだから」
その指摘だけで七倉さんは気がついたみたいだった。
つまり、僕はさっき振り返って教室の入り口を見た。
「僕の席は廊下側。廊下側の座席を覗き窓から見るためには、扉に顔をつけないといけない。それに、たとえ顔をつけたとしても、僕の座席はほとんど見えないはずなんだ」
「あっ……」
七倉さんが小さく声をあげた。
「だから私が教室に入ったのは確実なんですね。それも、4時半よりも後に……」
「うん、4時半よりも前には僕が教室にいたし、4時前なら僕以外にも生徒がいたから問題にならないはずだよ。七倉さんが教室に入れる時間は、どうしても鍵が掛かっているはずの時間帯になる」
もちろん、これは完全にほかの可能性を無くしたわけではなかった。
僕や七倉さん以外にも、昨日の放課後にこの教室に入った生徒がいて、その生徒が誰にも気づかれないで鍵を開けた可能性はないわけではない。
ただ、その可能性が限りなく低いことは明らかだった。
「僕には、七倉さんがどうやって鍵を開けたのかは説明できない。だいたい、これは教室が入り口の扉の鍵を閉めてしまえば、密室になってしまうことを前提としているんだ。だけど、学校の教室には廊下側の天井近くにも窓があるし、もちろんグラウンド側の窓もある。そこの鍵を外しておけば侵入することはいくらでも可能だよ」
「いいえ、1年生の教室は4階ですし、廊下側の高い位置にある窓に上るには足場が必要でしょう。その準備と後片づけを誰にも見つからず、5分で済ませた生徒を想定することは難しいと思います」
七倉さんは冷静だった。まるで教室に侵入した犯人だとは思えないくらいに。
「司くんは、いつそれに気がつきましたか?」
「昨日。職員室に行く前に」
「私と話したすぐ後、教室の扉が開いていると知ったときには、もう気づいていたんですね。びっくりです」
そう、僕は鞄を取りに戻ったときに気づいていた。
だから帰り際、職員室に紛失物が届けられていないかを確認したついでに、教室の扉が施錠されていないことを報告した。その結果が、今朝、先生が言ったふたつの連絡事項。あのふたつは別々の連絡ではなくて、ふたつとも僕がらみの事柄だったわけだ。
「昨日の夕方、七倉さんと別れてから、4階に上がって教室にたどり着くまでに、全ての教室の扉が閉まっていたんだ。教室の扉は、時間帯によって開いている時と閉まっている時がはっきり分かれているよね。授業中は全ての扉が閉まっていて、逆に休み時間と放課後は開いている。40人の生徒が出入りするから、そうじゃないと面倒だし危ないくらいだ。昨日、僕が鞄を取りに戻ったときには、もう全ての扉が締め切られていて、明らかに施錠された後だった。それなのに、この教室の後ろの扉だけが開いていた」
「でも、もちろん、それだけではないんですよね」
七倉さんの問いに、僕は頷く。
鍵が締まっているはずの時間帯に扉が開いていることには、たしかに違和感を覚えたけれど、それだけなら僕は職員室で報告することはなかったかもしれない。
けれども、直前に僕は今まで話したこともなかったクラスメートの女子に、なぜか話しかけられている。
「締まっているはずの鍵が開いた場面は見たばかりだった。手口は分からない。実は工具をいつも持ち歩いていて、信じられないほどの速さでピッキングしたのかもしれない。ひょっとしたら、鍵に手を触れただけで開けてしまうことができるのかもしれない。もっとも、手法は重要じゃないと思うんだ。ただ、あの時、七倉さんが僕に話しかけてくることが、何の理由もなく偶然で起こったわけじゃないはずだと思っただけ」
つまり、僕が問題としたのはこういうことだった。
同じクラスに所属しているというだけで、何の接点もない七倉さんが、昨日いきなり話しかけてきたことが不自然すぎるんだ。
七倉さんは、どうしてなのかは分からないけれどあの時間帯まで校内に残っていて、教室で僕の鞄だけが机の上に残されているのを目撃しなければならない。
その時間帯は駐輪場に現れる直前で、教室の扉の鍵は締まっていたはずだ。
もし七倉さんが教室の開けたのなら全て説明がつく。そこまでは簡単な話だった。
「七倉さんは鍵を開けられるんだ。教室の鍵も開けた。僕の自転車の鍵も簡単に開けることができる能力を持っていた。だから困っている僕に話しかけた」
七倉さんは目を丸くして驚いていたけれど、やがて口元を抑えて、とても楽しそうに笑い始めた。
「すごいです、すごいです。まさか、こんなに早くに分かってしまうとは思いませんでした!」
「じゃあ、鍵を開けたのは七倉さんなんだね」
七倉さんはすんなりと頷いた。
「はい。どちらかといえば後者の方法で。私は鍵を開けられます。触れただけでも」
「触れただけでも? どうやって?」
七倉は口元に手をやって、少し微笑む。
「まあ――それはまたお話しします。ただ、私には教室の鍵が開いているか締まっているかなんて関係のないことだったんです。よくあることなんです。あの自転車の鍵みたいに開けることができるので、鍵の開閉をすぐに忘れてしまいます。でも、そうなんですね。あの時、もう鍵は締められていた……」
「どうして鍵を開けたの?」
僕の問いに、七倉さんは弱ったような顔を見せた。
「気づいていなかったんです――と言って、信じてもらえますか? もちろん、私自身も疑ってはいました。昨日、教室の鍵を開けたのが司くんでなければ私のはずですから。でも、司くんもすぐに気がついていましたよね?」
七倉さんはここでわずかに責めるような口調になった。
「先生にわざと自分の名前を伏せるように報告して『荷物がなくなったおそれがある』なんて曖昧な言い方をさせているんですから。それに、私に推理をさせようなんて意地悪です。私か司くんの二択で、司くんは自分じゃないことを知っているのに」
「それは、七倉さんが全然気づいていないようだったから仕方なかったんだよ。でもやっと分かった。七倉さんは自分が締まっている鍵を開けたことに気づいていなかった。だから、訝しみながらもずっと僕が教室の鍵を開けたのだと思っていたんだ」
「はい、そのとおりです」
僕は想像する。七倉さんが、もし駐輪場で俺の自転車の鍵を開けたときのように、いともたやすく鍵を開けてしまえるとしたらどうだろう。
もっと言えば、自覚すらもなく自転車の鍵を開けてしまえるとしたら。
おそらく、七倉さんは教室の施錠なんか全く気にすることができないだろう。
僕は4階の教室の扉が締まっているのを見て、施錠されたことに気づいていた。けれども、七倉さんには鍵が開いているかどうかなんて関係ないんだ。開いていようと締まっていようと開けてしまえるのだから。
そして、自分が開いているのかどうかも分からない扉を開けたのなら、さっきまでの七倉さんのように、自分が鍵を開けてしまったとは思っていないような態度になるんじゃないだろうか。
「七倉さんは最初から僕が開けたと思っていた。当然だよ。七倉さんよりも後に教室に入ったのは僕なんだから。だけど、無意識にでも鍵を開けてしまえるのならそう考えてしまうのも当然なんだ」
「そう思って、わざわざ私に調べさせた、ですよね」
ここまで説明すると、七倉さんは全てを理解したらしい。
小さく息をついて頷くと、僕の名前を呼んで顔をあげさせた。
そこには、大きな目を潤ませた七倉さんがいて、僕に笑いかけていた。
「司くん、ありがとうございます。やっと分かりました。私、朝からどうして司くんがこんな意地悪な問題を出してきたのか分からなかったんです。でも、今やっと分かりました。司くんに言われなかったら、私は気づいていなかった」
七倉さんは深々と頭を下げる。
「私は七倉、七倉菜摘。司くんの捜している異能持ちの家系です。七倉の娘はときどきこうして鍵を開けられる能力を持って生まれるんです。でも、できれば鍵開けの能力のことは言わないでください。そうしてくれたら私、とても嬉しいです」
僕は七倉さんの笑顔を見てしまって、思わず目を逸らしてしまいそうになった。